第十四話 忌み子 ①
「さくらもティグルちゃんも、よく眠っていますわ……」
子供たちの様子を確認してからリビングに戻って来たクレアは、濃い疲労の色を滲ませながらも、安堵した声音でそう告げた。
「そうか……大騒ぎだったからな。君も大変だったね、本当に御苦労様」
達也の優しい労いに力ない微笑みで応えたクレアは、恋人の隣に腰を降ろす。
そして、そっと腕を絡めて身を寄せながら、その肩口に顔を伏せた。
(不安なのだろうな……それも当然か……)
愛娘が殺されかけて平気でいられる母親はいないだろう。
『なぜ? どうして、あの娘が?』
思い当たる節もなく、考えれば考えるほど不安に囚われてしまうのか、見ていて痛ましいほどにクレアは憔悴していた。
白昼の閑静な住宅地に銃声が鳴り響けば、騒ぎにならない方がおかしい。
当然の如く近隣の住民が警察に通報したのだが、それよりも僅かに早く小型航宙母艦ニンガルの警戒システムが、銃声と異様なエネルギー波を探知したのである。
その場所が自宅マンションの傍だと知った達也が現場へ駆け付けた時には騒動は鎮静化した後で、やや遅れて警察の捜査官もやって来た。
とはいえ、現場は凄惨な様相を呈しており、死体に慣れた警官でさえ目を背けるほどだったという。
地面が焦げて異臭が漂う中、気を失った幼竜のティグルを抱き締めた儘、地べたに蹲って大声で泣き続けるさくら。
凄惨な血飛沫に彩られた現場には首と両腕を失った死体が二つと、生きてはいるものの正気を失い、脅えて意味不明の譫言を繰り返す男が一人。
そして、激しい銃撃を物語る無数の銃弾が散乱しているのみだ。
この惨状を説明できる人間は誰一人としておらず、辛うじて幹線道路に設置されていたカメラが、事件の詳細を記録していたのだが……。
その映像からは、人間形態へ変化した幼竜が、襲撃者達を撃退したという以外の情報は得られなかった。
事件の真相を究明するには余りにも手懸かりが少なくて、捜査関係者は困惑するしかなかったのである。
竜種の生態については警察の管轄外であり、ティグルの行動も、さくらを護る為の正当防衛だと判断されて処罰の対象にはならなかった。
それ故に警察は生き残った男の身柄を拘束し、現場検証を終えると死体を回収して引き揚げたのである。
さくらへの事情聴取は年齢などの事情が考慮されて見送られ、代わりにティグルの飼い主である達也が、警察からの出頭要請に応じた。
だが、事件の背後関係に思い当たる節があるとはいえ、確たる証拠がない以上は滅多な事を口走る訳にもいかない。
だから、知らぬ存ぜぬで押し通した達也は、参考程度に意見を聴取されてから、早々に放免されて先程帰宅したばかりだった。
「警察も現状では何も分からないそうでね。生き残った男の素性を全力で調べると言っていた……それと年齢と事件の残虐性を考慮して、さくらへの事情聴取は行わないと約束してくれたよ」
しかし、警察には話さなかったが、今回の襲撃事件も五年前の艦隊襲撃事件から連綿と続いている不可思議な出来事に関連しているに違いない、そう達也は確信している。
また、今回の三人の襲撃者の武装や装備を見る限り、彼らが銀河連邦軍の人間、または、その関係者であるのは明白だった。
その事実を加味すれば、事件の背景にあるのは自分に対する嫌がらせかとも考えたのだが、それならば、さくらを襲った理由が分からない。
(やはり、あの不思議な声を発する謎の少女が原因なのか……)
さくらを救けに海へ飛び込んだ時に導いてくれた謎の声……。
そちらが本命ではないかと考えていた達也は、幾分かは落ち着いたクレアの声で我に返り、思考の海から意識を浮上させた。
「そうですか……ありがとう達也さん。これ以上あの娘を辛い目に遭わせずに済むのならば充分です……少しだけホッとしました」
まだ二十時を過ぎたばかりだったが、ティグルは目を覚まさないし、泣き疲れたさくらも幼竜を抱いたまま深い眠りに就いている。
「でも、ティグルちゃんには本当に感謝しています……さくらが助かったのは彼が身を挺して庇ってくれたおかげですもの」
「そうだね……竜種が人型形態に変身できるようになるまでには、百年以上の時間が必要だと言われているのにね……進化の摂理を無視し、大きな負担を乗り越えてあの娘を護ってくれた。ティグルにとってさくらは、それほどまでに大切な存在なのだろう……目を覚ましたら褒めてやってくれ」
口元に微笑みを浮かべて頷いたクレアを見た達也は、現状で分かっている事実を彼女へ打ち明けるべきだと思い定めた。
少なくとも、あの襲撃事件の被害者遺族でもある彼女には、一連の騒動の真実を知る権利があると思ったからだ。
「落ち着いて聞いて欲しい。実は特別授業の面接をした時に、君の御主人と真宮寺のお父上が同じ戦闘で亡くなったと聞かされただろう? それを遠藤教官に話したら、極秘に収集していた事件当時の資料を彼女から譲渡されたんだ」
それは歴とした軍紀違反行為に他ならず、親友の無謀な行為を知らされたクレアは、思わず言葉を荒げていた。
「極秘にって! 志保ったらっ! 発覚したら重罪ですよ? 下手をすればスパイ行為で死刑相当の判決を受けるかもしれないのにっ!」
「それでも納得のいく答えが欲しかったそうだよ……他でもない、君の為にね」
「志保ったら……馬鹿ねぇ……どうせ、悠也さんと私の間を焚き付けて、仲を取り持ったのを気にしたのでしょうね……奔放ぶってはいても、本当は面倒見が良くて責任感が強くて……お、臆病なわた、し……うっ、ううぅ、うっぅぅ……」
志保の思い遣りが心に染み入ったクレアは咽び泣くしかなかったが、そんな恋人の震える背中を抱きしめた達也は、彼女の懸念を払拭しながら説明を続ける。
「心配しなくていい。既に資料は廃棄したから、彼女が咎められる心配はないよ。問題なのは事件当時の戦闘シーンの録画映像だ。あれは偶発的な遭遇戦ではない。待ち伏せによる殲滅戦だ……艦隊戦の経験が豊富な者ならば、百人が百人同じ結論を口にする筈だよ」
その言葉に涙に濡れた顔を上げたクレアは、一驚して問い返す。
「それでは、あの戦闘はいったい誰が、何の目的で引き起こしたのですか?」
嘗て、心から愛し合って結ばれ一人娘まで授けてくれた夫が、偶発的な事件ではなく、故意によって引き起こされた計画的な戦闘で殺されたと知れば平静でいられる筈もない。
クレアは悲痛な表情で恋人に詰め寄るが、その質問に対する明確な答えは、残念ながら達也も持ち合わせてはいなかった。
だから、不確定ではあるが、事件と何らかの関係があると思われる事実を話して聞かせたのだ。
「現状では不明な点が多すぎて確固たる確信があるわけではないが……あの事件を偶発的な遭遇戦として早々に処理した統合軍と、当時の地球統合政府が関与したのは間違いないだろう……ヒルデガルド殿下から聞いたんだが、あの艦隊旗艦を務めた戦艦タイプに《浮き砲台》のシステムが巧妙に隠されていたらしい」
「浮き砲台……ですか? 聞き慣れない言葉ですね」
漸く泣き止んだクレアが、怪訝な表情で小首を傾げた。
「次世代の近接防御システムの一つでね。簡単に言えば自律型の小型砲台や多面砲ビット兵器を艦の周辺に展開させて、対艦ミサイルや機動兵器を迎撃するシステムなんだが、高機動かつ多数の迎撃兵器を集中管理する為のメインプログラムが使い物にならず、オペレーターで代用させようとすれば効率が悪すぎて、これまた論外という代物さ」
そう言って肩を竦める達也の説明は、クレアにとって専門分野であるために簡単に理解できた。
そして、その内容を咀嚼した彼女は、たちどころに一つの仮説へ辿り着いたのである。
「まっ、まさか……あの計画は新造艦の開発が目的ではなく、新兵器の極秘開発が主目的だったと貴方は考えているのですか?」
震える声でそう問うクレアに無言のまま大きく頷いて見せた達也だったが、確たる証拠もなしに断定はできない。
だから、己の立てた仮説を検証する為にも、会話を続けたのである。
「おそらくはそうだ。就航した新造艦の諸元データーを見る限り、特に秀でた物は見当たらなかったし、国家予算を費やして建造した艦があの為体では、軍司令部も関係各省庁も責任の追及は免れまい。つまり、それ以外に目玉になるモノがあった筈なんだが」
「成功の目途が立っていない新型システムが、その目玉に該当するとは思えないと言うのですね?」
「その通りだよ。もしくは、その新型システムを可能にする何かがあったのか……だが、肝心なのはこの計画が周到に用意された撒き餌であり、当時の軍首脳部は、まんまと敵の策略に乗せられてしまったのではないか……ということだ」
一転して大きく飛躍した達也の憶測にクレアは驚嘆するしかなかった。
「どんなに優れた兵器だったとしても、それだけで戦争の帰結を決められるものではない。所詮戦争は人間がやるモノだからね。つまり、軍首脳部は新型兵器による覇権拡大を夢見た結果……その増上慢に付け込まれ、粛正の憂き目を見る羽目に陥った……これが、シナリオの本筋じゃないかと俺は思っている」
「し、しかし、いったい誰が……そのような悪意ある謀略を?」
「あの事件で得をした者は、現在地球統合政府を率いている左翼政権だけだよ……十中八九彼らの思惑が介在している筈だ。ただし、当時は野党だった彼らが単独で成すには余りにも大きな陰謀だから、背後で糸を引いた者が存在していると考えて間違いないだろう。かなりの大物……いや、国家かな」
想像もつかない巨大な謀略という名の渦に呑み込まれていくかの様な恐怖を覚えたクレアは、その美しい顔を強張らせて身震いするしかなかった。
「しかし、その背後で糸を引いた者は何が目的だったのでしょう……さくらが襲われたのは、その件に関係があるのでしょうか?」
「あくまで俺の憶測に過ぎないが、シナリオを描いたのは銀河連邦に所属していない勢力だろう。目的は太陽系を含む地球圏の取り込みといったところかな……おそらく相手はグランローデン帝国。銀河連邦で最も地盤が脆弱な西部方面域を切り崩し、勢力拡大を図るつもりだったのではないかと思う」
グランローデン帝国は、西部方面域南部と南西部方面域北部を跨ぐ広大な宙域を支配しており、盟友という名の属国を含めれば、東部方面域にまでその勢力を伸ばしている強権国家だ。
銀河連邦評議会とは実質的な敵対関係にあり、表立って争ってはいないものの、水面下では熾烈なやり取りを繰り広げている間柄でもある。
「さくらを襲ったのは銀河連邦軍情報局の連中だろう。垢抜けないやり方は相変わらずだが、帝国と密約でもあるのか、それとも敵対しているのか、その辺りの事情は聞かせて貰えるのかな? お嬢さん」
不意におかしな事を口走る達也の視線を辿ったクレアは、リビングの入り口に、虚ろな表情で佇む愛娘を見つけて思わず腰を浮かせたのだが……。
【ご安心ください。さくらちゃんは意識下で深い眠りについています……この様な状態でないと私は表にでられませんので、御嬢様の身体をお借りする無礼を御許しください】
さくらの声とは違う、少し大人びた少女の声が脳に直接響く。
愛娘の異常を察して顔を強張らせたクレアは、警戒心を露にして問い返した。
「あ、貴女は誰なのですか? さくらをどうしようというのですか?」
すると、興奮して語気を荒げるクレアを達也が宥める。
「大丈夫だよ。その娘に害意はない。寧ろ、さくらを救けてくれた命の恩人だよ」
その言葉に驚いたクレアは、悄然と立ち尽くす我が子を見つめるしかない。
そして、謎解きの時間はこれからが本番だと、その笑顔の下で油断なく身構える達也だった。




