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第二話 日雇い提督は女神と天使に出逢う ①

 新西暦二二五年 三月十日


 高速フェリーの後部デッキから見上げた空は雲一つない快晴だった。

 海面は(おだ)やかに()いでおり、早春の陽光が照り映える美しい水面(みなも)が、遠く水平線の彼方まで続いている。

 しかし、そんな絶景の中にあっても、クレアの心中には暗澹(あんたん)とした冬空のような暗い影が差していた。


 土星宙域における不幸な戦闘によって最愛の夫を失ってから、早くも五年という月日が過ぎ去っている。

 統合政府と軍は事件の真相解明に躍起(やっき)になったが、物的証拠や手懸かりが(ほと)んど得られなかった所為(せい)もあり、敵艦隊の正体や目的については今日(こんにち)に至るまで何一つ解明されてはいない。


 結局、事件は海賊相手の偶発的な戦闘と結論付けられ、軍備増強を推進していた官僚や軍上層部の何人かが引責辞任する形で幕引きが図られたのだ。

 それに(ともな)い世論の興味は急速に冷め、半年も経った頃には、この悲惨な出来事が話題になる事はなくなり、忘却の彼方へと流されたのである。

 後に残されたのは、二八五六名にも上る戦死者の無念と、その遺族が流す痛哭(つうこく)の涙だけだった。


 幸せの絶頂から奈落の底へ突き落とされたのはクレアも同じだ。

 やり場のない怒りと喪失感に(さいな)まれて悲嘆に暮れる他はなく、当時は心が壊れる一歩手前まで追い詰められたのである。

 しかし、そんな彼女を救い、立ち直る力を与えてくれたのは、お腹の中に宿った小さな命の鼓動だった。


(悠也さんが残してくれた、この掛け替えのない温もりを護らなければ……)


 悲しみに(さいな)まれ、(くじ)けそうになる自分を叱咤(しった)し、生きると決めたクレアは、桜が咲き誇る春の盛りに女の子を無事出産したのである。

 そして、愛しい娘に彼女が大好きな花の名をとって《さくら》と名付けたのだ。


 事件の直後から約二年間の休職期間を経て内地勤務を拝命したのを機に統合軍へ復帰を果たし、悲惨な事件を繰り返してはならないという強い想いから、休職中に研究考案した『小型衛星と警備艦隊を連動運用させた哨戒(しょうかい)ラインの構築』という意見具申書を提出。

 それが統合参謀部内で高く評価されて中尉昇進を果たす。


 通信索敵機器の取り扱いに精通している彼女を幕僚本部に推薦する声もあったが、一人娘のさくらがまだ幼かったのと、志保から士官学校の教官職はどうか? と誘われていたのもあり、本部勤務は丁重に固辞した。

 それ以来、士官候補生養成学校の教官として忠勤する日々を送っている。

 統合軍士官を(こころざ)し、祖国の平和維持の使命を胸に懸命に努力する候補生達。

 そんな後輩らに囲まれて教務に(はげ)む日々は、とても充実していてやり甲斐を感じるし、愛しい一人娘も病気などを(わずら)いもせず(すこ)やかに成長しており、クレアは(ようや)く心の安寧(あんねい)を得た思いだった。


 その一方で、彼女を悩ませているのは、周囲からの過剰な御節介だ。

 何処(どこ)にでも面倒見の良い上役や知人はいるもので、未亡人になった彼女に(しき)りに再婚を薦める人々が後を絶たず、それが悩みの種だった。

 可能な限り丁重にお断りするのだが、職場や人間関係の(しがらみ)もあって見合い話を受けざるを得ない場合もあり、毎度辟易(へきえき)とさせられてしまう。


 今日も、士官学校教官配属に尽力してくれた(かつ)ての上官からの話を断り切れず、渋々ながらも上海シティの高級ホテルまで足を運んだという次第だった。

 五日後に始まる新学期の準備に追われる忙しい時に、その気にもなれない見合いなど勘弁して欲しいというのが本音であり、今回の話も数日以内に謝罪と共に断るつもりでいる。


 儀礼的な見合いを済ませたクレアは現在帰路の船上に在り、陽光を反射する海面を(なが)めながら、憂鬱(ゆううつ)な気分を変えようと大きく深呼吸をした。

 早春の冷たい空気が肺を満たし、嫌な気分が幾分(いくぶん)洗われた気がして口元を(ほころ)ばせたその時、背後で甲高い悲鳴が上がったのに驚いて振り向くと……。


「いやあぁぁ~~~レニ、レニ! レニぃぃッッ!!」


 そこには、泣きじゃくりながらデッキの手摺(てす)りを乗り越えようとする十歳ぐらいの少女と、彼女を懸命に引き留めようとする父親らしき紳士の姿があった。

 その少女の視線の先……白い航跡の中でもがく小さな生きものをクレアは視界に(とら)えたが、それは一瞬で波に呑まれてしまう。

 とにかく船員に対処して貰おうと周囲を見廻したクレアは、淡々とした声音に耳朶(じだ)を打たれて振り向かざるを得なかった。


「すみませんが、この荷物を見ていてくれませんか?」


 唐突に声を掛けて来たのはやや年長の男性で、戸惑うクレアにボストンバッグとジャケットを押し付けるや、軽々と手摺(てす)りを飛び越えて海面目掛けてダイブする。

 中型のフェリーとはいえデッキから海面までは二十メートルはあり、盛大な波飛沫(なみしぶき)を見た他の乗客が甲高い悲鳴を上げた為に周囲は騒然となった。


(な、なんて事をっ! まだ寒いこんな時期に海に飛び込むなんてっ!)


 躊躇(ちゅうちょ)せず子犬の救助に向かった青年の行動に吃驚(きっきょう)したものの、クレアは冷静に事態に対処した。

 騒ぎを知って駆けつけて来た船員に事情を説明し、自分が軍人である事を明かした上で停船するように要請する。

 船長は直ちに減速を命じて、取り舵で船を旋回させながら落水現場に船首を向けさせた。

 それと同時に甲板上に集まって来た乗客の群れから『ドォッ!』、と歓声が沸き上がる。

 海面に顔を出した青年の姿と、高々と上げられた彼の右手に乗る子犬の姿を見たクレアは、ホッと安堵の吐息を洩らすのだった。


             ◇◆◇◆◇


 救助した茶色の子犬を抱えた達也は、軽快な足取りで緊急用のタラップを昇る。

 デッキに到着した途端、子犬は達也の腕から飛び出して飼い主である少女の元へと全力で駆けて行き、騒動は幕引きと相成(あいな)ったのだ。


 少女と父親に何度も礼を言われ、濡れた服の弁償にと謝礼金を差し出されたが、達也は丁重に固辞して早々に親子の前を辞去した。

 形式的な苦情を口にする船長に謝罪と感謝の言葉を伝え、(ようや)く無罪放免となるや、安堵(あんど)の吐息を(こぼ)して胸を撫で下ろす。


(やれやれ、地球に帰って来て早々に災難だったな……しかし、あの子犬を助けられて良かった……)


 子犬を抱き締めた少女の涙に濡れた笑顔が思い返されて、自然と口元が(ほころ)んでしまう……そんな時だった。


「あの……お怪我(けが)はありませんでしたか?」


 不意に掛けられた声の方に視線を向けると、海に飛び込む前に荷物を押し付けてしまった女性が心配そうな表情で立っている。

 その美しさに目を奪われた達也は、危うく感嘆の吐息を漏らすところだった。


 絹糸と見紛(みまが)わんばかりの(つや)のある金髪のロングヘアー。

 そして、透き通るような碧眼(へきがん)を持ち、その瞳に吸い込まれそうになる程の美女。

 決して派手さはないが、洒脱(しゃだつ)でシックなワンピースで均整のとれた身体を包み、その上から高級ジャケットを羽織っているさまは、容姿端麗という言葉を絵に描いたような圧倒的な存在感を秘めている。


(……おっと、いつまでも(ほう)けていては失礼だよな)


 達也は気を取り直すや、慌てて頭を下げて謝意を伝えた。


「ありがとうございました。いきなり荷物を押し付けてしまい申し訳ありませんでした。どうか無礼を許して下さい。それと貴女が船を停船させるよう要請してくれたと船長から聞きました。重ねてお礼申し上げます」


 必要以上に丁重な物言いにクレアは少々面食らってしまったが、決して悪い気はしなかった。

 それ(ゆえ)、ついお節介な忠告が口をついて出てしまったのかもしれない。


「いえ、私は当然の事をしただけですわ。でも……いくら救命活動とはいえ、まだ水も冷たいこの時期に海水浴は感心しません。御身体は(いた)わって下さいね」

「はは、恐縮です。御忠告はありがたく」


 初対面の女性に説教された達也は苦笑いをするしかなく、その様子が可笑しくてクレアは微笑んでしまう。

 預けていたバッグとジャケットを受け取った達也は、再度謝意を述べてからその場を離れた。

 取り()えずはシャワーでも浴びて、そのついでにランドリーで服を乾かす必要があったからだ。


 一方デッキから階下に降りていく青年の背中を見送るクレアは、先程まで鬱屈(うっくつ)していた筈の気分が雲散霧消しているのに気づき、思わず口元を(ほころ)ばせてしまう。


(私らしくもないわね。初対面の方に説教するなんて……でも、もう会う事もないでしょうけれど……)


 しかし、この出会いが彼女自身の人生を大きく変える転機になるとは、この時のクレアには想像すらできなかったのである。


            ◇◆◇◆◇


 上海シティーから東へ約五十キロほどの海域に浮かぶ孤島『青龍アイランド』が、新たな達也の赴任先だ。


 百年ほど前に海底火山の噴火によって隆起した小島を、地殻が安定するに(ともな)い、埋め立てや護岸整備を行って規模を拡張させた人工島である。

 大きさは沖縄本島と同程度で、多少の起伏は在るものの、山地や河川はなく平坦な島だった。

 当初は統合軍の基地として使用される筈であったが、地上での軍事力削減を推し進める統合政府の意向もあって、官民共同の都市開発事業に姿を変えていったという経緯がある。


 開発が終了したのは二十年前で、現在アイランドの北部地域は港湾施設と多数の商業施設が集中する繁華街として賑わっており、中部地域は住宅街や学校施設等が整備されている。

 そして南部地域には小規模ながら軍民共用の空港と、それに併設される形で統合軍第五十五士官候補生養成学校、通称《伏龍》が開校しており、数多(あまた)の新人士官を輩出していた。


 下船したその足で伏龍士官学校を訪問した達也は学校長への面会を求めた。


(伏龍か……諸葛孔明とはな。これから世に出る候補生にとっては言い得て妙だし励みにもなる。良い名前だ)


 巨大な鉄柵で閉じられている正門から続く高さ三mはある白壁が、広大な敷地を囲うようにして続いている。

 正門を守護している衛兵に来校の目的を告げると、所持品のチェックをされただけで簡単に通して貰えた。

 勿論(もちろん)、無用なトラブルを避けるため、港に到着した早々にティグルはバッグから解放している。

 狭っ苦しい暗所から解放された幼竜は洋上目掛けて飛び去ったので、今頃は魚でも捕まえて空腹を満たしているに違いなかった。


(ほうっ……なかなか立派な施設だ。候補生の姿が見えないのは、新学期前の短期休暇中だからか?)


 閑散(かんさん)としている敷地内から本校舎に案内され、一階の教員室らしい大きな部屋の隣、如何(いか)にも重厚な造りの扉の前で衛兵は足を止める。


「林原学校長。お客様をご案内してまいりました」

「御苦労さま。入って貰いなさい」


 衛兵がドアを開けてくれたので、達也は一礼して謝意を表し室内に足を踏み入れると、高級調度品が(しつら)えられ、壁には歴代校長らしい人物の写真が額縁に飾られて並んでいるのが目に入った。

 その執務室の中央、豪奢(ごうしゃ)なアンティーク調の執務机で書類仕事をしている人物こそが、伏龍第七代学校長、林原 龍太郎統合軍准将だ。

 林原学校長は椅子から立ち上がり、人好きのする笑顔を浮かべて達也に歩み寄ると自ら右手を差し出す。


「本校伏龍へようこそ。私が学校長の林原 龍太郎です」

「銀河連邦宇宙軍大尉白銀達也であります。イェーガー准将の命を受け、臨時教官としてやってまいりました」


 達也も笑顔で挨拶を返し、差し出された学校長の手を握り返す。


 左遷されたとはいえ、達也は太陽系方面派遣艦隊司令官であり、銀河連邦宇宙軍中将に変わりはない。

 それにも(かか)わらず、階級を詐称(さしょう)してまで同盟軍の士官学校に臨時教官として赴任する羽目に(おちい)ったのは、司令官として差配すべき仕事が何もなかったからだ。

 ラインハルトの言葉は(あなが)ち冗談でなかったのである。

 現在、太陽系方面に駐留している連邦宇宙軍艦艇は、数隻の補助艦艇だけという有り様であり、実働に耐えられる戦闘艦は実質ゼロという、笑い話のような状況を呈しているのだ。

 オマケにGPOまでもが支局を廃止して撤収していると聞かされて、達也は呆れ果てるしかなかった。


 希少(きしょう)な特産品がないのが幸いして太陽系内では海賊行為が皆無に近いとはいえ、ここまで極端な事例は他にはないだろう。

 三年前に選挙で大勝した原理的平和主義を(かか)げる左派系政党が統合政府の政権を掌握(しょうあく)して以降、軍備縮小の気運が急速に高まり、その世論を背景に地球統合政府は、銀河連邦宇宙軍駐留艦隊の撤収を要請するに(いた)ったのである。


 広大な銀河系を守護せねばならない連邦宇宙軍にとって、艦船と人員の慢性的な不足は泣き所でもあり、地球側の要請を受諾するのに躊躇(ためら)いはなかった。

 以上の理由を(もっ)て、指揮する艦隊も成し()げなければならない任務もないという閑職(かんしょく)へと追い込まれた達也は、途方に暮れるしかなかったのである。


 だが、補佐役のイェーガーが、そんな達也に軽い調子で(のたま)ったのだ。


『一年間もバカンス三昧(ざんまい)では体裁が悪いでしょう。どうですかな、私の知人から、艦隊勤務経験のある士官を紹介して欲しいという要請が来ているのですが?』


 達也は正直なところ嫌な予感しかしなかった。


 フレデリック・イェーガー准将。

 (かつ)てはガリュード艦隊にあって総参謀長を務めた(まぎ)れもない名将である。

 同時に《艦隊最後の良心》という美辞麗句の仮面を(かぶ)り、部下達の能力を限界まで(しぼ)り尽くすのを前提にした地獄のような作戦を立案し、笑顔で下命した鬼参謀として将兵に恐れられた存在でもあった。

 そんな彼が好々爺然(こうこうやぜん)とした笑顔で、(しか)も、似合わない猫なで声まで駆使するのは異常事態に他ならない。


 『逃げた方が良い!』という危険を知らせる警報が、達也の脳裏に鳴り響く。


「なっ、なにか(たくら)んではいませんか? そもそも、方面司令官が教官だなんて……普通は有り得ないでしょう?」

「はは、その点は大丈夫です。今回の人事は地球側には一切通達されていません。艦隊もないのに、新しい司令官なんて派遣される筈がないでしょう?」

「そ、それじゃあ、私にどうしろと?」

「幸い、佐官以上の上級士官のパーソナルデーターは、完全非公開です。どんなに腕の良いハッカーでもレベルXXX(トリプルエックス)のガードを突破するのは不可能ですからね。長官の正体がバレる心配はありません。」

「や、やっぱり何か(たくら)んでますよねっ?」

「嫌ですね長官。思い過ごしですよ。それでは早急にデーターを改竄(かいざん)してプロフィールを作成します。とは言っても階級を大尉と詐称(さしょう)する程度で充分でしょう。貴方は馬鹿正……いや、清廉潔白(せいれんけっぱく)な御方ですから嘘や演技が下手ですが、地の儘でも充分破天荒な経歴の持ち主ですからね……ウケを取り(やす)いというメリットが生かせます」

「それ、()めているわけではないですよね? い、(いく)ら何でも問題がありすぎでしょう? 万が一、統合軍側に露見(ろけん)したら只では済みませんよ! 絶対嫌ですっ! 勘弁して下さいッ!」

「大丈夫、そんな無様な手は打ちません。それとも貴方は一年間も昼寝を謳歌(おうか)して俸給を頂く気ですかな? それに私の面子(めんつ)を潰しても構わないと仰る……あぁっ、(なげ)かわしい。昔はあれほど影となり日向となって面倒を見てあげたというのに……昇進して階級が上回れば、老いぼれには用はないという事ですかね……嫌だ嫌だ。年は取りたくないものですなぁ」


 芝居臭い脅迫同然の泣き落としに、達也は顔を引き()らせて酸欠の魚の(ごと)く口をパクパクさせるしかなかった。

 結局、力技の説得に押し切られ、何も仕事がないよりはマシと強引に自分を納得させ、この猿芝居を引き受けたのである。


(しかし……俺って何処(どこ)まで行っても『日雇い』の呪いから抜け出せない運命なのかもしれないな……)


 己の不本意な境遇を(なげ)けば、出るのは盛大な溜息ばかりだ。


 イェーガーとのやり取りを思い出して落ち込みかけた心情を押し殺す。

 平静を装いながら、小さなガラス製のテーブルを挟んで対面のソファーに腰かける林原学校長を観察した。

 軍人にしては穏和な雰囲気を感じさせる初老の紳士。

 それが彼に対する達也の第一印象だったが、同時に得体の知れない胡乱(うろん)さを犇々(ひしひし)と感じる。


(イェーガー閣下と気が合うという時点で同じ穴の(むじな)確定だな……しかも古狸(ふるたぬき)(たぐい)だ。いったい何を(たくら)んでいるのやら?)


「いやぁ~~、中々に立派な軍歴ですね。我が軍の士官には君のような歴戦の実戦経験者は居ない。候補生達はもとより教官職の士官にも良い刺激になるでしょう。宜しくお願いするよ。白銀大尉」


 満面の笑みを浮かべる林原学校長に、達也はストレートに疑問をぶつけてみた。


「それが御本心であるのならば恐縮の極みでありますが……いったいどんな思惑が御有りなのですか?」


 適当に言を左右されるかとも思ったが、彼は達也の問いに一呼吸分の間を置いてから口を開いた。


「思惑というほど大袈裟(おおげさ)なものではないな……ただ、退役が近くなると色々な事を考えるようになってね。慚愧(ざんき)悔恨(かいこん)、無力感……そういったものにほんの少しだけ(あらが)いたいと思っているだけさ……次代の種を()くのは老人の仕事だからねぇ」


 意味深な物言いだが、これ以上の説明は期待できないと察した達也は、苦笑いを浮かべて立ち上がり、今度は自分から右手を差し出した。

 学校長も立ち上がりそれに応える。


「お年寄りの愚痴に付き合えるほど世慣れてはいません。それに貴方の意図がどうであれ、私は拝命した教官職を全うして御期待に応えるしかありません」

「それでいい。期待しているよ、白銀達也教官殿。明朝一〇:○○にもう一度此処(ここ)に来てくれ給え。他の教職員達に君を紹介したいのでね」

「はっ! 了解いたしました。明朝一〇:○○に出頭いたします。一年という短い期間ではありますが、ご指導ご鞭撻(べんたつ)のほど宜しくお願い致します」


 面会を終え敬礼をして退出しようとした達也は、林原学校長から呼び止められて振り向いた。


「あぁ、白銀教官。住居はどうするつもりかね?」

「校内の教官用官舎に空きがあれば、そこをお借りしたいと思っておりますが?」

「ふむ。生憎(あいにく)だが、統合政府と軍幕僚部の意向で、全ての士官学校では生徒の自治運営が実験的に行われていてね。教務時間以外は当直の衛士を除く全教職員が退校しなければならない。だから敷地内に教官用の官舎はないのだよ」


(何だそれは? 自主独立の精神を養うと言えば聞こえは良いが……)


 余りにも安易で不用意な愚策だとの危惧を覚えずにはいられなかったが、此処(ここ)で反論しても何の意味もないと思い直した達也は、当面の課題を解決する事にする。


「すると、他の教職員の方々はどうなさっておられるのですか?」

「上海シティーの軍施設内の高層マンションで生活しているよ。施設内の空軍基地からのシャトル便があるからね、本校から片道十分の優良物件で家賃は三割負担だけで済むし、設備もちょっとした高級リゾート顔負けの充実ぶりだ」


(よくもまあ……国民の税金だろうに)


 呆れると同時に不快感が込み上げて来る。


「では、この島にあるマンション等の手配は可能でしょうか?」

勿論(もちろん)可能だよ。しかし軍からの助成は出ないから全額自己負担になる……本校でも数人が利用しているだけだが?」

「それで結構です。事務方で懇意にされている不動産屋があるのなら、ご紹介いただければ幸いです」

「よろしい。私の方で手配しておこう。明日から入居できるように契約しておくので、近日中に荷物の手配をしておき給え」


 林原学校長の言葉を最後に、達也は再度敬礼して学校長室を退出した。

 案内された道を引き返し校門を出てから振り返えると、威厳あるべき校舎が妙に浅薄(せんぱく)なモノに見えてしまい、釈然としない思いを(いだ)いてしまう。


(イェーガー准将や林原学校長にどんな思惑があるのかは分からないが、俺は全力を尽くすだけだ)


 不安を振り払う様に自分自身にそう言い聞かせた達也は、今夜の宿を探すべく、北部の商業地区に向かうのだった。

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