第十話 日雇い提督と母の恩愛 ①
「へえ~~~遠藤教官は航宙機兵団で実戦経験があると聞いていたが……格闘術、特に体捌きとナイフ戦は、ベテランの猛者顔負けの腕前だな」
モニターに映し出されている仮想空間での志保の無双っぷりを目の当たりにした達也は、やや顔を引き攣らせながらも、感嘆の言葉を零さずにはいられなかった。
『私も噂のシステムを試してみたぁ──いッ!』
という志保からの要望を受け、午前中の空き時間にヴァーチャルシステムを実際に体感して貰ったのだが……。
近接戦闘特化型のバトルスーツの機能を十全に使い熟し、次々と仮想敵を葬っていく【戦鬼】の姿に、達也は戦慄を覚えずにはいられなかった。
特に驚かされたのは、敵を攻撃する際に一切の躊躇いが見られない点で、まさに《荒ぶる暴風》と呼ぶべき同僚の姿に『この女性にだけは喧嘩を売るまいっ!』と固く心に誓ったのである。
「私が育児休暇で軍務を離れていた間、志保は土星基地の航宙機兵団に配属されていて、その時に海賊勢力との小競り合いが起きたそうです……ああいう性格ですから口にはしませんが、随分と不本意な作戦だったようで……」
並んでモニターを見ているクレアが、物憂げな表情で教えてくれた。
「誰だってそうさ……実戦ともなれば綺麗事では済まない事ばかりが起こる。悩んで、苦しんで、罪悪感と軍人としての矜持に折り合いをつけるしかない……それが出来なければ、死ぬのは自分だからね」
その悔恨が滲んだ独白を聞いたクレアは、切ない想いに苛まれながらも、達也から目が離せなかった。
(この人は優しすぎる……戦場で人が死ぬという当たり前の事が許せないのだわ。なのに、軍人として優秀であるばかりに、苦悩と葛藤を抱え込んでしまうのね)
白銀達也という優秀な軍人が時折見せる陰鬱な影。
それは、彼自身の強すぎる責任感や、他者に対する思いやりに起因するものだとクレアは察していたが、その苦悩を和らげる妙案や手立ては見つからず、焦燥感ばかりが募ってしまう。
それでも、何か言葉を掛けて励まそうとしたのだが、丁度そのタイミングで訓練時間が終了し、志保が覚醒した為に言葉を呑み込むしかなかった。
「うぅ~~~んッ! 爽快っ! ストレス発散出来て最高ぉッ!」
強張った肢体を解す様に大きく背伸びをした志保は、開口一番不届きな台詞を宣ったのだが、対するクレアは片手で双眸を覆って溜め息ひとつ。
そして、達也は呆れ果てた視線を志保に向けてボヤいた。
「あのさぁ……生徒達の前では間違っても今の台詞は口にしないでくれよ。訓練とゲームを混同するなと、いつも注意しているんだからさ」
「あ、あははは。ごめん、ごめん。あまりにも体感に違和感がないものだからさ、つい調子に乗ってしまったのよ。でも、相手がAI制御のアバターでは、格闘戦は物足らないかもと嘗めていたけれど、正直目が覚めた思いだわ! これなら候補生レベルの訓練どころか、機兵団の訓練にも使える優れモノだと私が保障するわよ。宇宙空間での機動訓練や軍事拠点制圧戦などもカバーできるの?」
「勿論可能だ。初心者レベルから精鋭実戦部隊レベルまで、自在に設定出来るよ。ここ三年の間に実際に行われた作戦をモチーフにして構築されたシミュレーションばかりだから、有用性はかなり高いと思う」
自分の失言を誤魔化す為に殊更に真面目な顔をして訊ねた志保は、達也の返答に思わず感嘆の吐息を洩らす。
「さすが銀河連邦宇宙軍と言った所かしら? 合理的で実戦的な環境が整っていて羨ましいわ……それに引き換え、我が地球統合軍ときたら……」
だが、賞賛を口にしていた志保は、一転して表情を硬くするや、憤懣やる方ないといった風情で毒づく。
「訓練環境を充実させて、士官候補生達の効率的なレベルアップを実現させなければならないのに、退役間近のボケ老人のカビが生えたような自慢話を聞かせるなんてね……こんな頓珍漢な事をやっている様では、銀河連邦軍との格差は広がるばかりだわ」
そう苛立たしげに吐き捨てる志保に続き、クレアも憤慨した顔で言葉を重ねる。
「個々の能力ではなく、有力なコネを活用してでも任官できれば良いという、歪んだ成果主義のなれの果てよ。上官達の自己満足を満たす為に担ぎ出される候補生達の方が哀れだわ」
「おまけに白銀さんの教え子達を排除するという念の入れよう……男の嫉妬なんて見苦しいだけなのに、そんな理屈も分からないお馬鹿さんの集団なのよ」
先日の研修に於いて達也の教え子達が現役士官から高評価を得たという事実は、ジェフリー・グラスら頑迷な保守派の教官らには到底容認できる事ではなかった。
詩織や神鷹はいうに及ばず、落第確定と決めつけていた蓮やヨハンまでもが技量を伸ばしているという現実は、彼らにとって悪夢以外の何ものでもなかったのだ。
それ故に、軍の各部署に隠然たる影響力を持つ高級大将達を招き、特別講演会を開催したのだが、自らが受け持つ教え子らの任官を優位に進めたいという思惑から、達也の教え子ら四人を露骨に排除したのである。
そのような愚かしい行為に、クレアも志保も激しい嫌悪感を懐かずにはいられなかったが、当の達也は至って呑気だった。
「ふたりとも身も蓋もない言い種だなぁ。気にする必要はないさ。あいつら全員が『実力で任官を勝ち取ってみせます』と言うのだからね。だったら俺から言う事は何もない……寧ろ、喜ばしいとさえ思っているよ」
そう言って嬉しそうに口元を綻ばせる達也を見たクレアと志保は、共に苦笑いするしかなかった。
「そういう謙虚すぎる所が歯痒いのです。もう少し欲深くなってもいいのではありませんか?」
「そうよね。いっそ連中に同情するわ……アンタと引き比べてみれば、如何に彼らが矮小で小者臭いのか一目瞭然なんだもん……尤も、本人達は死んでも認めないでしょうけどね」
「おいおい、俺の前で言う分には構わないけどさ、他では絶対に口にしないでくれよ。これ以上意味のない諍いに関わるのは御免被りたいんだから」
達也が語気を強めて注意すると、志保はぺろりと舌を出して肩を竦めて見せる。
丁度そのタイミングで、四時限目の終了を告げる鐘が鳴り、思ったよりも時間が過ぎていたのに驚いた達也は、ふたりに今後の予定を確認した。
「それで、いつからシステムを使用する予定なんだい?」
「今後のスケジュールは明日提出します。でも早速で恐縮ですが、明日の午前中の授業で二年生の候補生にシステムを体験させてやって貰えないでしょうか? 人数は各十五名づつですが……」
「あっ、私の方は四限目でお願いするわ。人数は男女混合で各二十名づつかな……可能なら宇宙空間での機動戦闘をメインにお願いしたいわね」
二人の要望を脳内で吟味した達也は、特に問題はないと判断して了承した。
「分かった。明日、君らの候補生達に体験して貰った上でシステムの微調整をしよう。だが、くれぐれも念を押しておくが、強制はしないでやってくれ。自分の道は自分で選ぶ……自主性を尊重してやる中で、候補生達が己で考えて最善の道を選ぶのも訓練の一環なのだから」
そう懇願すると、志保とクレアは顔を見合わせて微笑みを交わし合う。
「そんなことは言われるまでもないわ。でもね、切羽詰まっている三年生よりも、二年生の方が考え方には余裕があるし、その分彼らの方が柔軟でポジティブよ」
「それに、訓練で自分の能力が伸びるのを自覚できれば、好き好んで尊敬できない人間に媚びを売るような真似はしませんわ」
言外にジェフリーらを非難するクレアに苦笑いする志保だったが、急に思いついたかの様に話題を変えた。
「結果が全てか……ある意味でその方が分かり易いからね。それに先日のアンタの活躍も大いに候補生達の刺激になってるし……」
「俺の活躍? 何だい、それは?」
志保の不穏な台詞に嫌な予感しかしない達也。
だったら聞かなければいいのに、一応確認しておかなければという指揮官根性が災いし、黙認できずに恐る恐る問い返したのだが……。
「惚けなくてもいいじゃない。航宙研修の時、三年女子達のピンチに颯爽と現れるや、瞬く間に敵機を叩き墜として窮地を救ったヒーロー様!」
ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべる志保がそう揶揄えば、然も申し訳ないといった風情のクレアが、達也が知る由もない校内の状況を説明してくれた。
「あの時の訓練には十五人の三年女子が参加していましたから……統幕本部からの要請もあり、口外は控える様に念は押したのですが、何処から話が漏れたのか……他の候補生達も詳細を知りたがって、話があっという間に学内に拡がってしまったのです。今や彼女達はちょっとした吟遊詩人扱いですよ」
彼女らの話を聞いた達也は、リクライニングチェアの背凭れに身体を預けるや、片手で両目辺りを覆って溜息を漏らす。
「軍の士官になろうかという者が浅薄極まるのではないか? 軍人はヒーローではない。只の守り人であるべきなんだが……」
殊更に厳しい口調を装ったのには理由がある。
これ以上この話題を引き摺れば、あの戦闘時にクレア達と別れた後はどうなったのかと詮索されるのは必至で、煩わしい事態になるのが容易に想像できたからだ。
下手をすれば、自身の戦果を譲る事で体裁を守った統合軍幕僚部の面子を潰す事にもなりかねない。
更に、詩織から執拗に事件の顛末を追及された際、苦し紛れに並べた噓八百までもが露見すれば、只では済まないのは火を見るよりも明らかだろう。
『何もなかったよ。数の不利は如何ともし難くてね、適当に敵を牽制しながら逃げ廻ったさ……直ぐに統合軍の救援も駆けつけてくれたしね』
そう誤魔化した手前、真実が明らかにされるのは極めてよろしくないのだ。
(この儘しらばっくれて、やり過ごすしかあるまい)
そう決意して、当面の口留め対象である美人教官二人を昼食で買収するべく交渉しようとしたのだが、隔壁を兼ねている複合鋼材で造られた入り口が突然開いたかと思えば、詩織を筆頭に教え子達が雪崩れ込んで来た為、それどころではなくなってしまった。
然も、何事かと唖然とする達也に詰め寄った詩織が、もの凄い剣幕で声を荒げたものだから、面食らうしかなかったのである。
「教官っ! TVをつけて下さい! 一般ニュースチャンネルです、早く!」
「な、何を? いきなり入って来て……」
「い・い・か・らっ! 早くしてくださいッッ!」
「お、おう……」
尋常ではない詩織の気迫に気圧された達也がコンソールパネルを操作すると、大スクリーンに情報番組の映像が映し出された。
そして、それを見た達也は、吃驚して顔を引き攣らせてしまう。
「げっ!? こ、これは……」
それは激しい空戦の模様を記録した映像であり、画面の中心部部を逃げ惑う機体が銃撃されて爆散する様子が克明に映し出されていた。
戦闘機に搭載されたガンカメラで撮影されたものであるのは一目瞭然で、然も航宙研修の時の自分自身の戦闘記録だということは、瞬時に脳裏にリプレイされた記憶と合致したため疑いようもない。
冷たい何かが背筋を伝い落ちた感触に達也は身震いするしかなかった。
(どうしてこんなモノがTVに……こ、これは不味いかもしれん)
「「「「白銀きょうかぁ~~ん。これは一体どういう事なのでしょうか? お聞きしていたお話しとは随分と……」」」」
偽証を暴かれた被告人の様に、教え子達から投げ掛けられた言葉に狼狽し両肩を跳ねさせる達也。
背中に突き刺さる異様なプレッシャーがズシリと重いが、それでも教官としての意地でポーカーフェイスを取り繕う。
しかし、詩織を筆頭にして不信感を露にする彼らを納得させるのが容易でないのは一目瞭然だ。
だから……。
「どっ、どうと言われてもな……あの時、べ、別の戦場にいた統合軍パイロットの記録映像じゃないのかい? ふむ、中々やるじゃないか……た、大したもんだよ。な、なぁ?」
しらばっくれるしかないと決めて、適当な論評で誤魔化そうとしたのだが、絶妙のタイミングでアナウンサーの台詞がスピーカーから流れて、その思惑を台無しにされてしまう。
『映像提供者の話では、この機体を操縦していたのは統合軍の軍人ではなく。銀河連邦宇宙軍から派遣されている軍人であり、士官学校の臨時教官を務めている人物だとの事でした。そうなりますと当初の統幕司令部からの発表は、軍の面子を守る為の虚偽の発表であると……』
原稿を読み上げる女性アナウンサーの美声が死刑宣告の如く室内に響き、重苦しい静寂の中で全員の視線が、哀れな嘘つきオジサンに突き刺さる。
「銀河連邦宇宙軍から教官として派遣されておられる方が、白銀教官の他にもいらっしゃるのですか?」
「うっ……そ、それは、ど、どうかなぁ……」
険しい視線でジリジリと詰め寄って来る詩織のプレッシャーに気圧された達也は、言葉を濁して後退るしかない。
何とか状況を打開する妙手を模索するが、蓮や神鷹、そしてヨハンまでもが詩織の背後で舌舐めずりしながら尋問の順番を待っているのを見れば、彼らが救世主に成り得ないのは明白だった。
焦って視線を巡らせれば、如何にも楽しいといった風情の志保と目が合う。
全く何の期待もできない存在だと改めて認識して選択肢から彼女を除外する。
そして、藁にも縋る思いでクレアに視線を投げて救援を求めたのだが……彼女は怒っていた。
そこには、正座させられて叱責された時の夜叉姫様が降臨しており、説教の順番待ちをしているのは火を見るよりも明らかだ。
そう言えば、帰還した夜に、詩織に言ったのと同じ嘘を彼女にもついていたのを思い出した達也は、己の末路を幻視して冷や汗が出る思いだった。
「わ、悪かった。嘘を言ったのは確かだが、軍にも都合がある事位は、お前達にも分かるだろう? 今回はやむを得ずって……おい、如月?」
旗色が悪いと判断して潔く謝罪したのだが、眼前の詩織がしゃくり上げる様に泣き出したものだから、達也は狼狽するしかなかった。
「お、おい? どうした!? 済まなかった、俺の所為で……」
「ち、違いますッ! 私は悔しいんですッ! 白銀教官は凄い人なのに! 何時も不当に非難されて認めても貰えないっ! 素晴らしい戦果を挙げて私達を助けてくれたのにっ! 統合軍にコネがないとか、士官学校を出ていないとか、愚劣な言い掛かりをつける馬鹿ばかりじゃありませんかッ……私、私ぃぃ、悔しいですっ! 悔しいよぉぉ!」
泣き咽ぶ彼女は、それ以上の言葉を続けられなかった。
鬱積した憤慨をぶつけるかの様に、涙に濡れた顔を達也の胸に埋めた詩織は、嗚咽を漏らし続ける。
達也に対して良い感情を持たない教官達の口から流布される悪質な噂は、学年を問わず広く候補生達の間に浸透していたが、元より自身の風聞などに頓着しない彼は、憤慨する詩織や蓮たちにも『気にせず聞き流せ』と諭していた。
しかし、教え子達にしてみれば達也の本当の実力を知っているだけに、無責任な誹謗中傷に忸怩たる思いを懐いていたのだろう。
普段は勝ち気で教官を教官とも思わない詩織が見せる殊勝な態度に苦笑いしたものの、達也は仕方なく彼女の頭を優しく撫でながら言い聞かせてやる。
「嘘を吐いたのは本当にすまなかったと思っている。だがな、俺は戦果や名誉には興味がないんだ……出世欲、名誉欲、金銭欲……そんな物が欲しいのなら軍人なんか止めておけ。そんな物の為に己の命を懸けるなんて割に合わないじゃないか? くだらない中傷など鼻で嗤ってやればいいさ」
一旦言葉を切った達也は蓮達に視線を移して、一人一人の顔を見てから再度口を開く。
「もしも俺自身の功績を云々というのであれば、お前達全員が俺より長生きしてくれればそれで良いさ。俺の教えは間違っていなかったのだと、お前達の生きざまで見せてくれ……それが叶うのであれば、俺は勲章を百個貰うよりも断然その方が嬉しいよ」
敬愛する教官の偽らざる本音を聞いた教え子達は、あっさりと陥落する。
男子だけに他の三人は詩織のように分かり易く泣きはしなかったが、誰の目元にも涙が滲んでおり、気持ちが高揚しているのは隠しようもないだろう。
(本当に優しい方だわ……でも、それだけじゃない。厳しい指導の中にも、候補生達への愛情が溢れている。私も見習わなければ……)
優しさを秘めた瞳で達也を見つめるクレアは、そう胸の中で感嘆するのだった。




