第九話 点在する謎 ①
正体不明の海賊による襲撃を受けた為、今年度初の航宙研修は中止を余儀なくされてしまった。
今回の襲撃事件では土星宙域を運行する民間船が六隻も被害を受けたばかりではなく、あろう事か統合軍護衛艦も一隻が中破しており、航宙戦闘機隊にいたっては損害多数という看過できぬ有り様を呈している。
地球統合政府は太陽系全域に緊急の警戒態勢を発令し、調査艦隊を派遣するなどの対応に追われているが、事態の収束には今暫くの時が必要だと目されていた。
研修を打ち切られた候補生を乗せた航宙母艦は、所属航空隊の損耗も相俟って、予定を切り上げ地球に帰還するよう命じられたのだが、救援部隊が態勢を整えるまで現場宙域の警戒任務を継続して欲しいとの要請を受けた達也は、その意向を受け入れた。
勿論、これらは表向きの理由であり、海賊と思しき相手と接触して戦闘を行った当事者として、事情聴取を強要されたという側面の方が強い。
聴取に丸一日を費して漸く無罪放免となったのだが、沖縄ベースで待ち構えていた軍政官僚達に更なる足止めを食らってしまった。
統合幕僚本部の高官を名乗った彼らの話を要約すると……。
今回の戦闘では敵戦艦一隻撃破、戦闘機十五機撃墜という確たる戦果を挙げたと統合幕僚本部は発表したのだが、その大半が部外者である達也の戦果である以上、その事実が表沙汰になれば、統合軍にとっては甚だ都合が悪いとの事。
それは、政治家や国民に対して軍の面子が立たないという実に身勝手な理由だが、非難の矛先を躱す為にも当事者に黙秘を強要せざるを得ないというのが、彼らの言い分だった。
だが、その申し出は達也にとっても願ったり叶ったりだったのだ。
同盟関係にあるとはいえ、他の国軍の戦闘に参加した暴挙を西部方面域司令部に追及されれば、面倒な事態になるのは明らかだし、況してや、方面司令部に召還されて嫌味を言われるなど御免被りたいというのが偽らざる本音だった。
だからこそ、戦場での武勲を放棄して欲しいとの彼らの要請を二つ返事で応諾し無関係を装ったのである。
一通りの手続きが終わって漸く解放された達也だったが、沖縄ベースに帰還した艦長らと鉢合わせした際には、意外な話を耳にして驚かされてしまった。
あの騒動の最中に母艦に残された蓮、神鷹、ヨハンの三人は班長に直訴し、他の整備班員と共に現場で戦ったとの事。
然も、損害を受けて帰艦した機体への消火活動や、負傷したパイロットの救命を手際よく行い、大いに貢献したと感謝されたものだから、何やら照れ臭くて仕方がなかった。
(実戦への介入は許可しなかったが、叱る訳にはいかないな……如月の奴も頑張ったらしいから、今度メシでも奢ってやるか)
そんな事を考えた瞬間に整備班長らとの約束を思い出したのだが、未だに騒動の渦中でもあり、高級クラブでの飲み会は後日改めてという事に決めて再会を約して基地を後にしたのである。
解放された時には既に日曜日の夕方になっており、疲れ果てていた達也は移動するのも億劫で、ファーレン謹製の腕輪の力を使い自宅マンションへ転移した。
(イェーガー閣下とは、早急に話し合う必要があるな)
恩師と親友が暗躍した結果引き起こされた騒動なのだが、自分が銀河連邦軍内の権力闘争の中心に放り込まれているなどとは知る由もない達也は、暗中模索の現状に言い知れない不安を懐かざるを得なかった。
イェーガーと協力して情報収集を行い、早急に今回の事件の背景を詳らかにしなければ……。
補佐役の元参謀長に連絡して近日中に会う約束を交わしたが、肝心な事を失念していたのに気付いた。
(そうだ、ローズバンク教官にも挨拶しておかないとな……戦場で別れたのが最後だったし、話をする間もなく彼女らは地球へ帰還したからなぁ)
スクリーンパネル越しに別れた時に見せた彼女の不安そうな顔が脳裏に浮かび、悲痛な叫び声が耳朶の奥に蘇る。
長い年月を戦場で過ごして来たとはいえ、戦闘中に女性から心配されるなど初めての経験だ。
面映ゆくて顔を合わせるのも躊躇われてしまうが、帰宅しておいて挨拶もしないのは失礼だと思い直し、その足で隣家を訪ねた。
混乱の中で擦れ違いが続いた為、顔を合わせるのは丸二日ぶりだったが、戦闘は日常茶飯事であり、殊更に騒ぎ立てるものではないとの思いが達也には有る。
そんな信条と無事に生還した安堵感もあり、夕食を御馳走になるのと変わらない気安さで彼女の自宅のドアベルを鳴らしたのだが、次の瞬間、もの凄い勢いで扉が開け放たれて……。
「キュゥ~~ン! キュゥイ、キュゥッッ!!」
「わあ~~ん! た、達也おとうさぁんっ! やっと帰って来たぁっ!」
感極まった叫び声を発した幼竜が顔面にへばり付いたかと思えば、愛らしい少女が涙でグジグジになった顔を腰の辺り押し当てるや、全力でしがみ付いて来たものだから、一体全体何事かと面食らうしかなかった。
さくらが泣いている理由に思い至れず困惑するしかなかったが、まずはティグルを引き剥がして肩に乗せてから、啜り泣く少女の小さな頭を撫でてやる。
「どうしたんだい、泣いたりして? ははぁ~~ん。さては、お昼寝していて怖い夢でも見ちゃったのかな?」
だが、わざと巫山戯て少女の御機嫌を取ろうとした達也の思惑は、眉を逆八ノ字にして怒りを露にするさくらに粉砕されてしまう。
「うぅぅ~~! ちがうもんっ! お父さんは、いじわるだぁ──っ! さくら、いっぱい、いっぱいぃ! 心配したのにぃ──っ!」
御立腹状態の少女が、握り締めた小さな両の手でお腹辺りをポカポカと叩きながら泣きじゃくるものだから、達也は呆然として立ち尽くすしかない。
然も、奥から駆けだして来たクレアまでもが、その美しい顔に安堵の色を浮かべながらも、切ない吐息を漏らすのを見れば困惑は深まるばかりだ。
だから、何故ふたりと一匹がこれほどまでに取り乱しているのか分からない達也は、己の鈍感さは棚に上げて小首を傾げるしかなかったのである。
◇◆◇◆◇
「ふう~~。やれやれ、やっと許して貰えたかな?」
「本当にすみませんでした……白銀さんもお疲れなのに、さくらが我儘をいって」
今回の事件は連日大々的に報道されており、軍民ともに被った少なくない損害に地球圏は騒然としていた。
そんなTV報道を見ていた愛娘は、達也が帰宅しないのも相俟って、ずっと心配していたのだとクレアが教えてくれたのだ。
さくらは泣き止んでからも達也から離れようとはせずに、食事の時でさえ膝上に陣取って譲らない有り様で、まるで、今離れたら二度と会えなくなると思っているかの様に頑なだった。
食事が終わる頃には機嫌を直したものの、睡魔に負けるまで達也の腕に抱かれ、祖父母の家で過ごした時の話を嬉しそうに語ったさくら。
そして、今しがたベッドに横たえられた少女は、幼竜と一緒に夢の世界の住人になったのである。
「そんな事はないさ……連絡できる状況ではなかったとはいえ、心配をかけてしまったのは事実だからね……」
その言葉に軽く頭を下げて謝意を示したクレアは、努めて明るい口調で訊ねた。
「よろしかったらコーヒーでも如何ですか? お好きだと仰っていたコーヒー豆が手に入ったんですけれど」
「へえ。それは嬉しいな。是非ご馳走になるよ」
手際良くコーヒーを用意してリビングのテーブルに置いたクレアは、自分も対面のソファーに腰を降ろす。
そして、豊潤な香りを楽しみつつも、黒い液体を一口啜って満足そうに破顔する達也を目で追った。
「うんっ! 美味いっ!! これはいい……しかし、君は何を作らせても一級品の腕前だね……母親としては文句のつけようもないし、おまけに軍人としても優秀。羨ましい限りだよ」
そう絶賛されたものの、ゆっくりと左右に頭を振ったクレアは、何処か切なげな表情のまま口を開く。
「そんな事はありませんわ……あの時、私は何もできませんでした。貴方が救援に駆け付けてくださらなければ、あの娘達と共に宇宙の塵になっていたでしょう……本当にありがとうございました」
真摯な眼差しを達也に向けて礼を言い頭を下げる。
「俺は軍人として当たり前の事をしただけだよ。それに偵察機の機長から聞いたのだが、君のオペレートは完璧だったと感謝しておられた。『彼女のサポートがなければ救援前に墜とされていたはずだ』とね」
「そ、そんな……初めての実戦に狼狽え、訓練で積み重ねて来た経験を十全に発揮できませんでしたもの……自分の未熟さを思い知らされて嫌になりますわ」
「……それでも、君は生き残ったじゃないか」
耳朶を打った温かい言葉に顔を上げれば、慈しみの情を宿した達也の視線と己のそれが重なり、クレアは心臓が大きく跳ねたのを自覚せずにはいられなかった。
「生き残ったからこそ、反省もできるし愚痴も零せる。そしてその経験を次に生かせるんだ……君は本当に良くやったよ。さくらちゃんのもとに帰って来た……その事実に勝る武勲はないさ」
その言葉が心に染み入ったクレアは思わず目頭を熱くしたが、泣き顔を見られるのは流石に恥ずかしく、何とか笑顔を取り繕う。
「あ、ありがとうございます。でも気恥ずかしいですわね……歴戦の勇士にお褒め頂くなんて……」
クレアは謙遜して冗談交じりにそう返したのだが、表情を硬くした達也から自虐じみた言葉を返されて驚いてしまった。
「歴戦の勇士か……そんな大層なものじゃないさ……寧ろ、人間として壊れて行く自分が嫌になる時があるよ」
「し、白銀さん?」
先程までの柔和な笑みは消え失せ、何処か投げやりな物言いをする達也の変貌ぶりにクレアは戸惑いを覚えずにはいられない。
「俺にとって戦場は日常の中にあるリアルだ……ただ、それが当たり前になりすぎて、真面な感覚が麻痺している……君やさくらちゃんが出迎えてくれた時に、何故あの娘が泣いていて、君が安堵したのか俺は分からなかった……それは君達の想いに唾を吐いたも同然で最低の行為だ……その事実に気付いた時、自分という存在が堪らなく薄汚いものに思えてね……あっ!」
胸の中の蟠りを一気に吐露してしまった達也だったが、唖然として自分を見つめているクレアに気付いて我に返るや、慌てて笑顔を取り繕って謝罪した。
「あっ、あははは……何をらしくもない事をいっているのか……変な話を聞かせてごめん、疲れてるせいで愚痴っぽくなってしまったようだ。今の話は忘れてくれると助かる……今夜はこれで失礼するよ。コーヒー本当に美味しかった」
礼を言う達也に掛ける言葉を見つけられないクレアは、ひどくもどかしい想いに唇を噛むしかない。
そして、玄関口で見送る時に辛うじて口にできたのは……。
「ちゃんとお休みになって下さいね……」
ただ、それだけだった。
閉じられたドアを見つめながら、クレアは胸を締め付ける苦しさに顔を曇らせてしまう。
(白銀さんは素晴らしい軍人で強い人だと思っていた……でも、そうじゃないんだわ……彼だって普通に苦しんで、いえ、優秀であるからこそ、私達よりも何倍もの苦しみを背負っておられるのだわ……)
誰も知る由もない達也の心の暗部を垣間見た気がしたクレアは、やる瀬ない想いを吐き出すかのように溜息を零すのだった。
◇◆◇◆◇
「いい加減になさいませっ! あなたっ!」
腰まで伸びている銀髪が印象的な老成した美女が、眼前で渋い顔をしてそっぽを向いているガリュードを怒鳴りつけた。
ランズベルグ皇国はもとより銀河広しといえども、【冥府の金獅子】と恐れられた英雄ガリュード・ランズベルグを一喝できる人間など、片手で数える程しか存在しない。
彼を叱責している女傑こそ、ガリュードの第一夫人であるアナスタシア・ランズベルグその人だった。
彼女が公爵家当主である夫を頭ごなしに叱責できるのは、単に夫婦関係云々というだけではなく、アナスタシア自身の手腕と実績に依る所が大きい。
銀河連邦宇宙軍の軍人として皇国を留守にしがちな夫に代わって公爵家の一切を仕切り、義弟でもある現国王の助言役としてランズベルグ皇国宰相を務めた政治家でもある彼女は、役職を退いた今でも皇国内に隠然たる影響力を有している。
ガリュードが自分の思う儘に好き放題できたのは、偏に彼女の献身に依るものに他ならず、三人の側室とも良好な関係を築いている正妻殿に頭が上がらないのは、至極当然だといえた。
そんなアナスタシアが烈火のごとく怒っているのは、内示段階という注釈つきながら、白銀達也が大将に昇進し、西部方面域最高司令官に任命されるのが確実という情報を得たからだ。
「あなた様は何時まであの子に重荷を押し付ければ気が済むのですか? 無理矢理に将官に祭り上げられ、この二年間、銀河系の激戦区を盥回しにされたというのに……それでも不満一つ口にせず、誰にも成し得ない戦果を挙げたのですよっ! それなのに……」
「わ、分かっておる! しかしだな……腐敗の一途を辿る連邦軍を改革できる人間など、達也以外にいないのだから仕方があるまい?」
「ならば! なぜもっと周到な計画を立てなかったのですかっ? 今回の人事は、どう贔屓目に見ても栄転を装った懲罰人事ですわ。無理矢理にでも問題を引き起こして、反抗的な勢力を一網打尽にしようという狡猾な思惑が見え透いているではありませんかッ!」
「こればかりは儂もラインハルトも想定外だったと、何度も言っておるだろう……まさか千五百人以上もの同調者が出るとは思いもしなかったのだ」
「ですがっ、これではあの子が、達也が余りにも可哀そうですっ!」
悔しさと憐憫が入り混じった悲痛な表情を浮かべる愛妻を、ガリュードは優しく抱きしめる。
「シア……お前だって本当は分かっているのだろう? 連邦評議会はその長い歴史の中で理念を置き去りにしてエゴを押し通して来た……誰かが一石を投じて改革の先陣を切らねば、銀河系中で大乱が起きかねないのだ」
「それはっ! だからといって、その重荷を達也だけに背負わせるのは、あまりに酷いではありませんか!」
「達也だけに背負わせはしないさ……ラインハルトもいるし、優秀な幕僚もついておる。勿論、儂も命ある限り全力で手助けをする」
アナスタシアは、長い人生の半分以上を政治という鉄火場で生きて来た女傑だ。
そんな彼女が敬愛する夫の決意を聞いて、自身の胸の内に一度は消した炎が再び燃え始めたのを自覚したのは必然だったのかもしれない。
然も、今度の戦いは公爵家や皇国の威信を背負ってなどという肩の凝る話ではなく、実の孫同然に可愛がってきた男の為の戦いである。
だからこそ、彼女は夫の悪だくみへ積極的に加担すると決めたのだ。
「……分かりましたわ。ではおまえ様から陛下を説得してくださいませ。今後最高評議会には、私が皇国を代表して出席いたしますので全権委任状を御用意くださいます様に……と。それから、方面域司令官着任を以て達也を早々に結婚させます。あの子ときたら三十にもなろうかというのに、いつまでもフラフラと……」
「そ、それは儂も賛成だがな、相手はどうする気だい? 奴は貴族の御令嬢達にはウケが悪すぎるだろうに」
異様なオーラに包まれる愛妻にタジタジになりながらも問い返すと、とんでもない答えが帰って来てガリュードは目を丸くするしかなかった。
「サクヤを娶らせます……誰にも文句は言わせませんわ」
「ま、待てっ! サクヤは皇太子家の第一皇女だぞ! いくらあの娘が達也を慕っているからとはいえ、皇王家も重臣達も許す筈がなかろう?」
「ではおまえ様……是非ともお聞かせくださいませ。達也以上にサクヤに相応しい殿方が何処かにおりますでしょうか? いるならば私が直々に見分してまいります故、仰って下さいまし!」
「うむむむ。そう言われても直ぐには……と、兎に角、婚姻については一旦棚上げして、火急の対策を講じる方が先じゃないのか?」
喧々囂々のやり取りの末に、何とか結婚話を保留させたガリュードだったが、アナスタシアの頑固な性格に振り回される達也の未来予想図が脳裏に浮かび、心からの同情の念を禁じ得なかったのである。




