第三話 日雇い提督は初めての教え子を得る ②
「さて、それでは俺からも一つだけ質問させてくれ。君達が軍人を志した理由を聞かせて貰えないかな?」
唐突な質問だったにも拘わらず、間を置かず答えを返したのは詩織だった。
「私の父は統合軍大佐として東アジア地区横須賀基地に奉職しています。不器用な人ですが、人間としても軍人としても尊敬に足る父親だと思っています。父の様な軍人になりたい。そして、太陽系の平和の為に働きたい……それが軍人を志望した動機です」
欠片ほどの迷いもない澄んだ瞳に強い意志を宿す彼女の返答に頷いた達也だが、蓮に視線を向けた途端、その何処か不穏な様子に小首を傾げてしまう。
先程までの緊張と穏和が入り混じった雰囲気は消え失せ、蒼白になった顔を強張らせている様は正に異様の一言に尽き、然も、両肩を小刻みに震わせている彼からは憤怒と形容しても可笑しくはない感情が滲み出ており、達也は言い知れぬ不安を覚えずにはいられなかった。
(嫌な感じだ……この人変わりしたような変化は……憎悪?)
その危惧は、蓮の口から零れた昏く重い言葉によって現実のものとなる。
「自分の父も軍人でした……詩織の親父さんは幼馴染で同期という間柄で、とても仲の良い親友同士だったのです。しかし、五年前の土星宙域での海賊との遭遇戦で不運にも戦死してしまいました……自分は、自分はッ! 父の仇を討つ為に軍人を志したのです! 父を殺した海賊に復讐するっ! その為に今日まで精進してきたのですッ!」
激しい情念が言葉の端々に滲んだ想い……それはまさに慟哭と呼ぶに相応しい怨嗟の情に他ならず、その場に居る者全員の胸を打つ。
普通の感性の持ち主ならば彼の境遇と悲痛な言葉に共感し、もろ手を挙げて賛意を示すだろうし、実際に彼の事情を良く知る詩織などは、哀惜と憂慮の念が滲んだ表情で労わるように彼を見ており、クレアでさえも沈痛な面持ちで俯き、悲しみを隠そうとはしない。
しかし、そんな暗鬱たる雰囲気の中で、只一人顔色も変えずに蓮を見つめていた新任教官の口から飛び出した台詞は、悲嘆に暮れて憎しみに溺れる彼の心情には、全く斟酌しない辛辣で厳しいものだった。
「真宮寺候補生っ! 愚にもつかない妄執に囚われる者は軍人には向かないし、ましてや復讐だ敵討ちだと真顔で口にするに至っては、もはや救い難いとしか言いようがない。君は軍人になってはいけない人間だ……新学期が始まる前に退校届を提出しなさい」
全く予想もしていなかったその冷淡な物言いに愕然としたクレアは、言葉を失くして達也を見つめるしかなかった。
(相手の言い分に何の配慮もせず、一方的にその想いを否定して切り捨てるなんて……これでは、ふたりが反発してしまうわ)
僅か数日の付き合いだとはいえ、思慮深く温厚だと思っていた達也の変貌ぶりにはクレアも驚きを禁じ得ず、その冷然とした態度に困惑は深まるばかりだ。
そして、彼女の危惧は、たちどころに的中する。
相手が教官だとはいえ、父親の死を愚にもつかない妄執だと一蹴された蓮が、怒りを抑えられずに言葉を荒げて達也に食って掛かったのだ。
「ち、父のっ! 大切な家族の死を悼み、父を殺した相手に復讐したいと思うのが妄執だと仰るのですかっ? 僕だけじゃないっ、残された母さんがどれほど辛い日々を送って来たか……その無念が貴方に分かると言うのですかッ!?」
父親を失った蓮の深い悲嘆を知っている詩織も、薄情な達也の態度には我慢できず、柳眉を吊り上げるや、怒りを露にして声を荒げる。
「家族を殺されれば相手を憎むのは当然ではありませんかっ! 蓮だけじゃありません! 私だって大好きだった小父さんの無念を晴らしたいっ! そう思うのは、許されない事なのですかっ!?」
「ち、ちょっと貴方たち。少し落ち着きなさい。幾ら何でもその物言いは白銀教官に対して失礼ですよ」
それまでの態度を一変させた蓮と詩織の剣幕に顔色を変えたクレアは、仲裁するべく教え子達を窘めたが、達也は顔色一つ変えるでもなく激情を露にするふたりを見据えて静かに語り始めた。
「死者に対する哀惜や憐憫は人間であれば誰もが持っている感情だし、憎い相手に復讐の念を懐く事を俺は否定する気はない……復讐は虚しいとも、未来に進む為には必要だとも様々な意見があるが、どうするかは一人一人が自分で考えて決めれば良いと俺は思っているよ。しかし、軍人は復讐という感情とは無縁でなければならない存在なのだ。特に士官になろうかという者ならば尚更だ」
決して強い物言いではなかったが、その言葉には有無も言わせない確固たる意志が滲んでおり、蓮も詩織も圧倒されて反論する言葉を失ってしまう。
「酷薄な言い方だったかもしれない……だが、浅慮な復讐心に囚われた軍人は必ず無様な失態を犯す。俺は誰よりもそれを身に沁みて知っているからこそ、復讐という愚行を容認できないんだよ」
復讐への感情的な部分に理解を示しながらも、軍人であるが故にそれは許されないのだと言う達也の言葉に理解が追い付かない蓮と詩織。
そして、隣にいるクレアまでもが困惑した視線を向けて来るのを感じた達也は、ほんの数秒の間逡巡してから小さく溜め息を吐いた。
「抽象的な話では理解できないか……まあ、これも何かの縁だと思って俺のつまらない話を聞いていけ……両親が海賊に殺されたのは俺が三歳の時だった。当時統合政府が推進した移民政策に家族で参加した俺達は、移民先の惑星に到着する間際に海賊の襲撃を受けたんだ……乗船していた大半の人間が殺傷されたが、俺は両親の機転に救われて辛うじて生き延びた。しかし、その結果、海賊達への激しい憎悪に囚われて復讐という愚かしい行為を正当化してしまったのだ」
衝撃的な独白を聞かされた三人は、身動ぎもせずに眼前の新任教官を見つめるしかなく、そんな彼らの前で達也は淡々と自分の人生の軌跡を吐露するのだった。
地球に送還され施設に引き取られてからも、復讐の念に囚われ続けた事を……。
中等教育課程を修了した時、大恩ある施設の園長や仲間の制止を振り切り、銀河連邦宇宙軍と傭兵契約を結んで軍属になった事を……。
そして…………。
◇◆◇◆◇
~八年前~
七十㎏を軽く超える達也の身体が、ほんの数メートルとはいえ宙を舞った。
ブリーフィング用に並べられている、簡易タイプのテーブルやパイプ椅子を薙ぎ倒しながら、それらの破砕音と共に床に倒れ伏してしまう。
痛打した背中とは別に左の頬に熱く焼けるような痛みが走り、血が溢れているのか、口の中には鉄サビの味が拡がっていくのが分かる。
頭を左右に振って朦朧としかけた意識を懸命に繋ぎ留めようとしたが、何故自分がこんな仕打ちを受けているのか、混乱した頭では理解できず、達也は茫然自失の状態で床に転がるしかなかった。
傭兵として死線を潜り抜けて少尉任官を果たし、航空兵として念願の宇宙軍艦隊に配属され、名将の誉れ高いガリュード・ランズベルグ元帥に出逢ったのは、正に僥倖だったと達也は今でも運命の神に感謝している。
それは、彼が七聖国公爵という大貴族でありながらも殊更に身分を誇るでもなく、自然体で部下達に接する優れた器量人だったからだ。
そんなガリュードが、【傭兵上がり】と揶揄されていた達也を自身の従卒に抜擢すると言い出した時には、さすがに艦体幕僚部の面々が懸命に諫めたのだが、彼はそんな諫言には耳を貸さず己の直感を信じて意見を押し通したのである。
そして、ガリュードの判断は間違ってはいなかった。
名将の傍らで学ぶという望外の幸運を手にした達也は、貪欲に知識を吸収し、周囲が驚くような早さで艦隊運用や戦略戦術のイロハを身に付けていったのだ。
パイロットとして数々の作戦に参加し、その戦果を認められて大尉に昇進したのが二十歳の時。
それを機に護衛艦の副長に抜擢され、更に一年後……つい先日の事ではあるが、小型ながらも護衛艦の艦長に任命されるという異例の昇進を果たしたのである。
そして運命は巡る……艦長に就任して迎えた初めての艦隊戦。
担当戦域最大の海賊ギルド殲滅戦の最中、達也は十八年間胸に刻んで忘れなかった両親の仇である海賊艦と邂逅を果たした。
一瞬で脳が沸騰し、身を焼く激情に衝き動かされ突撃を敢行する。
普段の冷静さをかなぐり捨て、憎い仇に何度となく肉薄したが、あと一歩の所で逃走を許してしまった
仇を取り逃がし激昂する達也は艦隊司令部に強硬に追撃を具申するが、その要請は認められず、逆に司令部に出頭する様に命じられてしまう。
千載一遇の好機を逃がしかねないという焦りが先走り、ガリュード元帥や並み居る高級参謀達へ復讐に燃える心情を訴えて再度追撃を願い出た瞬間だった……。
「このッ、大馬鹿者がぁぁ──ッ!」
室内の空気を震わせるほどの罵声を浴びせられたかと思うと、左頬に大岩の如き硬く重い拳を受け、その反動で数メートルも吹き飛ばされてしまったのだから混乱するなと言う方が無理だろう。
何が起こったのか理解できないままに上半身を起こした達也が見たのは、普段の陽気な顔を憤怒に歪め、倒れたテーブルを蹴倒しながら近づいて来るガリュードの姿だった。
六十歳を過ぎた老将の何処にこんな力があるのか。
胸倉を片手で掴まれたかと思うと軽々と引き摺り起こされ、今度は右の頬に強烈なストレートを喰らってしまう。
再度後方に吹き飛ばされて背中から壁に激突した達也は、崩れ落ちるように床に倒れ伏すしかなかった。
(ど、どうして俺が、こんな目に遭わなくてはならないんだっ!)
理不尽な仕打ちに憤って抵抗しようとした刹那。
取り縋って来る数人の幕僚達を振り払おうと藻掻きながら、その顔を憤怒で朱に染めたガリュードが吠えたのだ。
「えぇぇーいッッ、離せぇッ! この馬鹿はいつか必ず大勢の部下を道連れにして死ぬ! 部下の命を預かる指揮官が、仇討ち等という愚挙に囚われおってぇッ! キサマの身勝手に巻き込まれて無駄死にする兵達の無念を考えた事があるのかッ?復讐を成せば死者が生き返るとでも言うのかぁッ!? そんな邪念に憑りつかれたキサマに、大切な者の無事を信じて待つ家族の願いを犠牲にする権利があるとでも思ったかっ! 図にのるなあぁッ!」
厳しい叱責を浴びせられた達也は、雷に撃たれたような衝撃に茫然自失となり、立ち上がる力さえ失ってしまう。
「こいつが過ちを犯す前に儂が引導を渡してくれるっ! そして儂も責任を取って死ぬッ! それが我々が成すべきケジメだと覚悟を決めろッ! 達也あぁッ!」
激情に塗り潰された恩師の顔……しかし達也は気付いてしまった。
瞋恚が宿る瞳に薄く涙が滲んでいるのを……。
唇から発せられる罵声が小刻みに震えているのを……。
嚇怒する老将が心の中で慟哭しているさまを……。
心から敬愛している上官が自分の為に泣いてくれている。
それどころか一緒に死んで責任をとると言ってくれたのだ。
だから、自分が如何に愚かで身勝手だったか、漸く気付けたのである。
気付けば大粒の涙が両の瞳から溢れ、頬を零れ落ちていた。
だからこそ、今この場で殺されても仕方がない……。
そう思い定めた達也は恩師の拳を甘受するのだった。
結局、二週間の入院治療と降格という軽い処分を受ける事で騒動は終結したが、自らの愚かさに気付いた達也は、その日を境にして復讐という妄執を捨て去り、以降は軍人としての責務を全うするべく任務に明け暮れたのである。
◇◆◇◆◇
「妄執に囚われ遮二無二突撃を繰り返した俺の艦が無事に済んだのは、周囲の僚艦が上手く牽制射撃をしてフォローしてくれたからだ。それがなければ、俺は大勢の部下を道連れにしてあの時に死んでいたはずだ……」
達也の独白を聞いた蓮と詩織は、痛苦に満ちた面持ちで俯いてしまう。
心を満たしていた憤懣は雲散霧消し、感情的になって暴言を吐いた己の浅慮が悔やまれてならなかったが、達也はそんなふたりを穏やかな物言いで諭した。
「指揮官は、いつ如何なる時でも冷静沈着でなければならない。その為には個人的感情は不要のものと心得なさい……自分の未熟さ故に憎しみを撒き散らすような者は、指揮官になってはいけないんだよ」
そう告げて立ち上がった達也は、悄然とする蓮と詩織の肩を軽く叩く。
そして、我に返って顔を上げる二人の候補生の瞳を見据えて、今度は強い口調で言い放った。
「来年無事卒業して少尉任官を果たせば君達も立派な軍人だ。そして昇進する度に指揮する部下の数は増えていく……だからよく覚えておくといい。部下達の生命を護って、ひとりでも多くの兵士を無事に基地まで連れて帰ることこそが、指揮官が成すべき最大の責務なのだと……その為にも常に冷静沈着を心掛け、そうある様に鍛錬を積みなさい」
「「……は、はいっ!」」
反射的に返事をしたふたりだったが、その表情からは拭いきれない逡巡に懊悩するさまが見て取れる。
譬え、達也の言い分が正論であったとしても、今まで心に誓ってきた想いを否定されて、ハイそうですかと納得できるはずもないだろう。
だが、経験が浅く年若いふたりならば、それも当然だと達也は理解していた。
だからこそ蓮と詩織の意思を尊重し、敢えて性急に結論を求める様な真似はしなかったのである。
「何が最善の道なのかは、君達自身が考えて決めなさい。さっきは退校届を出せと言ったが、俺にそんな権限はないから気にする必要もない……どうしても親父さんの仇討ちがしたいのならば、これ以上は止めはしない……しかし、復讐を諦め切れないと言うのであれば指導を引き受ける訳にはいかない。俺は自殺志願者を戦場に送り出す気はないからね。君達が悔いのない答えを出す様に祈っているよ」
悄然とした面持ちのまま肩を落として退出していくふたりを見送った達也は、隣で無言のまま座している美人教官に謝罪した。
「折角のチャンスを棒に振るような真似をして、すまなかったね」
熱を帯びた吐息を洩らすクレアは左右に頭を振って微笑んだ。
「いいえ……御立派でしたわ。御自分の利よりもあの子達の将来を大切になされた貴方の言葉は、きっとあの子達の心に届くと思います」
「ははは、そんな立派なものじゃないさ……浅慮な己を顧みもせず、大切な人々の期待を裏切った馬鹿者の経験談だ。いちいち失敗しなければ学べない……そう思い知る度に情けなくて自分が嫌になるよ」
感傷に浸り気落ちする達也を見て、クレアは五年前の惨事の時の歯痒さを思い出していた。
「夫が死んだ時、私はモニター越しに泣き叫ぶ事しかできませんでした……無様に喚き散らすだけで、戦闘指揮も執れなかった司令官が憎くて……もっと有能な人が司令官であったならば夫は死なずに済んだのではないか……今でもそんな恨みがましい想いを引き摺っています……」
美しい顔を寂しそうに歪めるクレアを見た達也は哀惜の念を禁じ得ず、生まれる前に父親を失ったさくらの不幸を思えば、その無慈悲な運命に悲しみだけが募ってしまう。
だが、指揮官として数多の作戦を指揮し、その中で当たり前の如くに大勢の部下を喪ってきた達也は、彼女へ掛けるべき言葉を持ち合わせてはいなかった。
それは自分自身が大勢の者達を死に追いやった張本人に他ならないのを、誰よりも分かっているからだ。
しかし、そんな無力な自分を歯痒く思う達也へ精一杯の笑顔を向けたクレアは、気丈にも激励の言葉を返して達也を驚かせた。
「私は貴方のような方こそが候補生を指導するべきだと思います……新たな憎しみの連鎖を生まない為にも……貴方の教え子達が、いつか指揮官として力を発揮し、理不尽に命を落とす人々が一人でも減る日が来るのであれば……それ以上に素晴らしい事はないと思いますわ」
彼女のその真摯な眼差しに達也は気圧されてしまう。
だから照れ隠しに冗談で誤魔化す事もできず、ありがたくその想いを受け取ったのだ。
「ありがとう。君の期待に応えられる様に、これからも精一杯努力するよ……俺達のように悲しい想いをする人を少しでも減らす……その為に我々軍人は存在を許されているのだからね」
達也の言葉に安堵して微笑んだクレアは小さく頷くのだった。
◇◆◇◆◇
結局、候補生を確保できないまま面談初日を終えた達也は、他に用事があるというクレアと別れて一人で合同教官室へと戻って来た。
本日より正式に教官に任命された達也の席は、学年別に纏まっている他の教官達の席からは、やや離れた後方の空きスペースに用意されている。
(まあ、歓迎されるとは思ってなかったが……やり口が子供っぽくはないか?)
幼稚な愚行が罷り通る状況を心の中で嘆いていると……。
「おやおや。初日は残念ながら空振りだったみたいね? あんなセコイ嫌がらせをされれば仕方がないけれど……まあ、気を落とさないことよ」
何時の間にか隣に立っていた志保が、憤懣やる方ないといった風情で、コーヒーが入った紙コップを手渡してくれた。
「おぉ~~サンキュー。ちょうど喉が渇いていたんだ」
「どういたしまして……この程度で罪滅ぼしになるはずがないんだけどね。一部の馬鹿共がアンタを目の敵にしていてさ……気分悪いよね?」
「君が気に病む必要はないじゃないか」
「それはそうなんだけどさ……私やクレアまで同じだと思われるのは心外だから……ね」
「ははは、思う筈もないさ。君達ふたりには世話になりっ放しだ。素直に感謝しているよ……ありがとう、遠藤教官」
「そう言って貰えると私も気が楽になるわ。ああ、それと一つ助言だけれど……」
礼を言われた志保は照れ臭そうに微笑むとアドバイスを続ける。
「候補生を確保できなかったとしても焦る必要はないわ。どうせ一定期間が経過すれば、成績下位の候補生達は成績不振を理由にしてクラスから排除されてしまう。その子達を引き込む方が労が少なくて確実よ」
自分で口にしておきながら込み上げてく来る不快感に形の良い眉を顰める志保。
当然、不快気に表情を固くした達也も呻くしかなかった。
「どうせ必須査定がどうのこうのと、くだらない言い掛かりをつけるのだろう? 馬鹿々々しい! 未熟な候補生だからこそ、育てて一人前にするんじゃないか! 何を勘違いしているんだ、此処の教官連中はっ!?」
「地球は平穏を享受し続けているからね……海賊の跳梁も、大きな戦乱もないからタガが緩んでいるのよ。軍人が矜持を忘れて官僚化するなんて世も末だわ」
期せずして愚痴の零し合いになってしまい、ふたりは顔を見合わせ苦笑いしたのだが、達也は彼女の台詞に違和感を覚えて思わず問い返してしまう。
「平穏と言ったが、五年前には大きな戦闘があったのだろう?」
「……ええ。確かに……でも、どうしてその事を?」
急に警戒心を露にする志保の態度を訝しんだが、達也は構わずに質問を続けた。
「偶然なんだが、ローズバンク教官と真宮寺蓮候補生の御身内がその戦闘で亡くなっていると聞いてね……銀河連邦軍の事務局で貰った資料には簡単な経緯しか記載されていなかったから、詳細を知りたいと思って……ね……」
達也の言葉が次第に尻すぼみになっていく。
自分を見る志保の視線が険しさを増して剣呑なものへと変わっていたからだ。
しかし、それは達也に対する猜疑心からではなく、他人には簡単に気を許さないクレアが、出会って間もないこの男に自分の過去を話したという事実に心底驚いたからに他ならない。
(これは……意外な突破口になるかも……)
長年の懸案を打開する糸口を見つけた志保は、思わず満面の笑みを達也に向けていた。
それは艶然とした魅惑的なスマイルには程遠い、まるで肉食獣が獲物を見つけた時の獰猛な笑みにしか見えない。
(逃げた方がいい……いやっ、逃げなきゃヤバイっ!)
脳内に鳴り響く緊急警報に急かされて即座に退避行動に移ろうとする達也だったが、一瞬で右手首を拘束されるや身動きを封じられてしまう。
「あ、あの……遠藤教官? お、俺、用事が……」
「もう少し付き合ってくれてもいいじゃない? こんな好い女の誘いを断るような野暮な真似……アナタはなさいませんわよね、白銀教官殿?」
「あぁぅっ……こ、降参です……何でも言う事ききますからっ! ひ、捻らないでぇッ!」
格闘技の専任教官という肩書は伊達ではなく、関節を極められた達也に選択肢はなかったのである。




