【序章】
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眼福であります。
あき伽耶様、ありがとうございました。
【序章】
地球新西暦二二五年 五月。東アジア地区・青龍アイランド。
「あぁ、そうか……そういう事だったのか」
ずっと頭の片隅に引っ掛かっていた謎が解け得心がいった達也は、運命の皮肉を思って口元を歪めずにはいられなかった。
「あの日、初めて出逢ったあの娘が、俺を『パパ』と呼んだ理由がね……おまえに会って漸く理解できたよ」
「ほう。それは興味深いですねぇ~差し支えなければ、その理由とやらをお聞かせ願えませんか?」
しかし、その必要性を認めなかった達也は、人当たりの良さそうな微笑みを顔に張り付けた眼前の男へ罵声を叩きつけるや、愛刀炎鳳を顕現させて地を蹴る。
「おまえも俺も同じ穴の狢! くそったれの、人殺し野郎だって事さ!」
◇◆◇◆◇
銀河標準歴・興起一四九五年(地球新西暦二二〇年十一月某日)
その日、地球統合軍月面基地アルテミスは、華やかな熱気に包まれていた。
地球が銀河連邦評議会に加盟してから今日まで、地球統合軍の歴史を築いて来た全ての軍人の悲願だった、純地球製航宙戦闘艦の就役が現実のものになろうとしているのだから、何処か浮ついた雰囲気が漂うのも仕方がないのかもしれない。
しかし、高揚感を隠そうともしない高位士官らとは裏腹に、そんな彼らへ冷めた視線を送る者も少数ながら存在していた。
「見なさいよクレア。仏頂面が売りのマインベル司令までもが、だらしなく口元を緩めているわよ……本当に大袈裟なんだから」
小声で隣の席の同僚に話しかけたのは遠藤志保少尉。
士官学校を卒業後、半年間の専門教育を受けて一年前にこの月面基地に配属された新人士官だ。
高級将校をはじめとする上官らの異様な熱気を揶揄する彼女の台詞に苦笑いした隣席の同僚は、やや呆れた声音で窘める。
「志保ったら……そんな風に言うものではないわよ。二百年越しの悲願ですもの、多少感傷的になったとしても仕方がないわ」
クレア・ローズバンク・久藤少尉は上官達を擁護したが、親友の無礼な物言いを本気で咎める気はなかった。
二人は士官学校の三年間を同じクラスで学んだ仲であり、クレアが首席、志保が次席で卒業を果たした優等生コンビだ。
淑やかで何事も控えめながら、座学も実技も三年間首席を守り通したクレアと、格闘術の天才と呼ばれ、快活で物怖じせずに誰とでもフランクに付き合える志保は、お互いに切磋琢磨してきた親友同士でもある。
オマケに任官後の配属先まで同じとあっては『腐れ縁も此処に極まれりね』と、ふたりして笑いあい、今日まで共に任務に励んできたのだ。
若い彼女たちが戸惑うほどの周囲の熱気は、地球が歩んで来た歴史を鑑みれば、ある意味では至極当然の反応なのかもしれない。
しかし、志保やクレアにしてみれば、先達の言い分を真に受ける気にはなれず、偏った主張を繰り広げる御歴々とは一定の距離をおいていた。
「悲願と言われてもねぇ。二十二世紀に入る前に国家の共存が破綻して世界大戦に突入したのも、その結果、地球が破滅の一歩手前まで追い詰められたのも、所詮は人間のエゴの産物じゃない」
口元に冷笑を浮かべて皮肉交じりに揶揄する志保に対し、地球の歴史にも詳しいクレアは、当時の状況を鑑みて批判的な物言いは意識的に避けた。
「国家同士のエゴがぶつかり合った末の悲劇だったけれど、増え過ぎた人口が食糧危機を招き、環境破壊が一気に進んだのだから仕方がない面もあるわ……おまけに宇宙開発は百年以上停滞していて、太陽系内の他の惑星から資源を採取する技術さえなかったんですもの」
「だけど地球の滅亡は寸前で回避されたわ……太陽系外知的生命体とのファーストコンタクト、所謂銀河連邦評議会の紛争介入という歴史的大イベントによってね」
愉快そうに口元を綻ばせる志保の言う通り、何の前触れもなく太陽系に進出してきた銀河連邦評議会が、調停者を名乗って交渉を持ち掛けて来たのは事実だ。
『直ちに内乱を治め、単一の国家として銀河連邦評議会に参加しませんか?』
この突拍子も無い提案に、地球の全国家が驚倒したのは当然の成り行きだった。
紛争の当事者らは停戦条約を交わして議論を重ねたが、国家間の利害や主義思想が錯綜して会議は物別れに終わる。
然も、戦争を主導していた複数の大国が連合軍を結成するや、選りにも選って、調停者たる銀河連邦に宣戦布告するという暴挙に及んだから堪らない。
結果的に科学技術のレベルに於いて天と地ほどのアドバンテージを誇る銀河連邦軍艦隊の前に、地球連合軍は完膚なきまでに叩きのめされてしまったのだ。
連合勢力に加担しなかった国々は辛うじて生き残ったものの再度の勧告に抗する術は残されておらず、人類絶滅を回避するという大義名分の下、地球諸国家はこの提案を呑んで単一国家へと生まれ変わったのである。
「生き残った国々に銀河連邦の提案を拒む余力は無かった……寧ろ、それを口実にして紛争を終結させたかったんでしょうね……一部の国家の反抗はあったものの、地球は銀河連邦評議会に加盟して新たな歴史を歩きだしたのだから」
二人が語った歴史は、六歳~十五歳までの児童が受ける初等教育課程と中級教育課程の授業で学べるのだが、条約締結後、新西暦に移行してからの数年間の出来事は、地球統合政府の暗黒史として割愛されるのが慣例となっている。
「人類の悲願か……悲願と言うよりも妄執じゃないかしら? 不平等条約を結ばされ、太陽系内の鉱産資源を搾取されていると憤る人々は、声高に評議会からの独立を主張しているし……」
溜め息交じりに呟く志保の言葉に、クレアも憤懣を隠そうともしない。
「銀河連邦に加盟する見返りに、宇宙開発に必要なオーバーテクノロジーを無償で与えられたからこそ、食料プラントや宇宙コロニーが多数稼動して人類が飢えから解放されたのよ……その成果は供与された技術の恩恵に他ならないというのにね」
勿論、銀河連邦評議会とて善意で地球に手を差し伸べてくれたわけではない。
希少資源が皆無な太陽系は、重要度こそ低く見られているものの、汎用的な資源は豊富であり、安価でそれらを供給できるという点で連邦の政策に大きく寄与している。
クレアや志保にしてみれば、一部の人々が不平等だと騒ぐ資源の拠出程度では、最先端技術の無償供与の代価としては安すぎるとさえ思えてしまうのだ。
それ故に事あるごとに銀河連邦を敵視して、分不相応な対抗意識を露にする古参の軍人や、タカ派と呼ばれる政治家達の言動を耳にする度に、眉を顰めるのもしばしばだった。
丁度会話が途切れたタイミングで、オペレーションルームに警報が鳴り響くや、私語を止めたふたりは、それぞれのパネルに視線を戻す。
新造艦十隻からなる艦隊が、見事な隊列を組んで火星基地から出港していく様子が、月面基地中のありとあらゆるスクリーンに映し出されており、司令部の面々からは興奮に満ちたどよめきが沸き起こる。
しかし、他の上官や同僚たちとは違い、クレアの脳裏を占めているのは半年前に結婚した愛しい旦那様の事ばかりだった。
夫の久藤悠也は、彼女よりも九歳年上の二十八歳。
移民二世でありながら、銀河連邦大学の客員教授として働いている優秀な男であり、今回のミッションに際し、新型機関システムの開発チームに参画していた。
その専門家集団の一員として地球に来星してた彼と、クレアは一年前に知り合ったのだ。
整った顔立ちと優し気な眼差しの持ち主である彼は、学者肌の人間に有りがちな傲慢さなど微塵も感じさせない常識人であり、さり気なく他人を気遣える好青年だった。
クレアにとって悠也は理想の男性像そのものであり、出会った瞬間に恋に落ちてしまった……所謂一目惚れである。
しかし、万事控えめで内向的な彼女が自分から告白などできる筈もなく、葛藤し悩むばかりで無為に日々を過ごしていたのだが、そんなクレアの背中を押したのは他ならぬ志保だった。
『クレア……あんたが告白しないんだったら、私が先に行くわよ?』
親友に告白を促す為の志保なりの激励だったのだが、クレアにとっては青天の霹靂以外のなにものでもない。
何事にも積極的に取り組む性格と、健康的で魅力溢れる肢体の持ち主である志保が、士官学校時代から異性にモテたのを知っているクレアは、本気で悠也を奪われると焦ってしまったのだ。
その結果、見事に親友の掌の上で踊らされた彼女は、清水の舞台から飛び降りる覚悟で人生初の告白イベントへと猪突猛進したのである。
そして見事に彼からOKの返事を貰い、あまつさえ僅か交際三ヶ月で、この春に結婚に至ったという最高の結果を掴んだのだ。
新郎の悠也は既に天涯孤独の身であり、結婚式はクレアの両親と親しい同僚だけの寂しいものになったが、理想の旦那様と共に歩める未来を手に入れた事が何より嬉しかったので、彼の過去や出自など気にもならなかった。
こうしてお互いに任務に忙しい中でありながら、夫婦として穏やかに過ぎて行く新婚生活は至福の時間であり、そんなふたりを祝福するかの様に八月に受けた定期健診でクレアの胎内に新しい命が宿ったと判明したのである。
夫から感謝と祝福の言葉を貰った瞬間に、今自分は人生最高の幸せの中にいるのだと、新妻は喜びを噛み締めたのだった。
「心配する様なミッションじゃないわ。土星宙域まで時空転移してから、デブリ帯を目標に砲撃訓練するだけの、御披露目ショーなんだから」
そう言って気遣ってくれる志保の言葉で我に返ったクレアは、自分でも説明できない一抹の不安を感じてしまい、転移直前の艦隊旗艦……夫が乗り込んでいる新鋭主力戦艦を注視してしまう。
そんな彼女の心配を他所に、スクリーンの中の艦艇は次々に光の粒子をその船体に纏わせて転移を開始した。
『全艦転移システム起動!転移開始します!』
『全艦転移終了しました。土星宙域予定座標に到達、脱落艦はありません!』
オペレーター達の報告通り瞬時に転移を完了し、壮大な土星本星をバックに陣形を組む新鋭艦隊の雄姿に、司令センターは歓声に包まれた。
後は祝砲代わりに全艦による一斉砲撃を敢行すれば、全てのプログラムが終了となる。
だが、漠然とした不安が杞憂だったと安堵の吐息を洩らした瞬間だった。
突然メインスクリーンの風景が白色の閃光に包まれ、断続的に続く激しい明滅が薄暗い指令センターを煌々と照らしだす。
何が起こっているのか状況を理解することが出来ず、茫然と立ち尽くす幕僚達の眼前のスクリーンには、船体の中央から真っ二つにへし折れた護衛艦が誘爆の炎を撒き散らしながら、右隣を航行する僚艦に激突していく悪夢のような光景が映しだされていた。
センター内には非常事態を告げる赤色灯が明滅を始め、けたたましい警報音が木霊する。
その喧騒で漸く我に返った司令部の面々は、騒然となりながらも、事態の把握に努めようと躍起になった。
(……いったい、何が、何が起こったというの……)
茫然自失のクレアが、与えられている任務も忘れてスクリーンを凝視したのと同時に、狂乱した艦隊司令官が顔を歪めて喚き散らす姿が映し出される。
常日頃、自分の階級と出自を自慢し、我こそ統合宇宙軍きっての名将だと嘯いている上級大将は、正体不明の艦隊の攻撃を受けていると悲鳴を上げ、周辺の監視を行っていた部隊の怠慢を罵るのみで、災禍を避ける為の有効な艦隊指揮を執るのすら忘れているかの様だ。
(何を巫山戯ているのっ! 愚痴を並べる前に状況の打開に努めなさいっ!)
艦隊司令官の余りの無能ぶりに心の中で罵倒を繰り返す。
気掛かりなのは、最愛の夫悠也の安否だけだ。
(無事でいてっ! お願い、あなたッ! 悠也さん!)
しかし、無情にもその願いは叶わず、悪夢は現実のものになる。
呪詛を撒き散らすだけの無能者の顔がスクリーン上で大きく歪むや、砂嵐の如きノイズが大型スクリーンを覆い尽くした。
別の角度からの映像には、夫が乗艦している旗艦が、船体の彼方此方から激しい爆炎を吹き出し、漆黒の宇宙空間に爆散していく地獄絵が映し出され……。
「い、いや……いや、いや、いやああああぁぁぁぁぁ──っ!」
絶望一色に染まった甲高い悲鳴をその口から迸らせたクレアは、奈落に落ちて行く様な感覚と共にその場に崩れ落ちたのである。