プロローグ/荒廃した世界
リサと名付けられた少女は、外の世界を知らぬまま生涯の幕を閉じた。
来る日も来る日も無機質な窓から見える褪せた色味の空や雲ばかり。しかして夜には月や星にも出会えていたのであろう。が、所詮は正方形の窓枠に覆われた極一部の世界でしかない。
リサが指の一本すらも動かせ無くなり、十六年もの歳月を掛けて培ってきた大切な記憶すらも無くす切っ掛けとなった事故は、彼女から文字通り全てを奪い去ったのだった。
唯一リサを見舞いに来る老夫婦が持ち込んできた、見覚えのない男女が寄り添って映っている写真は未だにベッドの脇に飾られている。しかし、リサにはそこに写っている男女がどこの誰なのか理解できない。
陽が昇り、また沈む。
窓の外でリサの意思とは無関係に繰り返されていた世界の変化は、その観測者を無くした日を以って終わりを告げた。
――永劫に続く不憫さに苛まれる事の無くなった感想は?
ふとリサが意識を取り戻すと、暗がりから妙に好奇さの伺える声が響いてきた。しかし何故か、好奇は好奇でも不快な嫌悪感は抱かない。それは単に、その声が真にリサの答えを知りたがっているように聴こえるからであろうか。
「あっ――こ、え、でる?」
それは、自分の声が耳に返ってきた瞬間だった。
「わた、私、どうしてっ! 死んだ? お母さんっ、お父さんっ!」
リサの頭の中に知りもしない実感を伴わない記憶の束が差し込まれた。
数日か、それとも数ヶ月か、もしくは数年か。見知らぬ病室のベッドの上からただボンヤリと窓から見える空を眺めて過ごす日々の記憶が、ポッと頭の中に湧いて来たのだ。
悲嘆に暮れながら両親の写真を見せて来る祖父と祖母。無感の日々の連続の合間に差し込んで来た記憶を垣間見たリサは瞬時に悟る――両親の死を。
「いや、いやああぁぁぁ――っ!」
絶叫は空間の中で反響を繰り返す。
耳を劈く鋭利な響きの隙間を抜い、不思議な響きがリサの耳に入る。
「落ち着きなさいって……アナタも死んじゃったんだから。どっちにしろアナタは両親には逢えないの、いい? 分かったら赤ん坊みたいに喚き散らすのはやめてね、私の耳が壊れちゃうから」
そこへ至り、ようやくリサの視界に光が差し込む。永らく続いた眠りの影響からか、リサはそれまで目を閉じたままだった。
最初に彼女の焦点が定めたのは白。視界一面を覆う白だった。
「目を開けたら落ち着いた?」
瞼の許容範囲いっぱいに見開いた目が次いで定めたのは、やや見下ろした先で白い台のような物に腰を掛けて足組みする女性だった。
白いワンピースも腰掛けている台も、この空間を取り巻く白の所為でリサには、女性の露出している範囲以外は全てがこの空間の一部のように見えてしまう。
伸ばし放題の白銀の髪の合間から覗くやや端の吊り上がった挑発的な目には金色の瞳が備わり、スッとした細く高い鼻の下には、艶めかしい薄い桜色の唇が目つき同様に挑発的な笑みを拵えている。
「だ、れ?」
呆け顔のままのリサが声を漏らす。
「私? 私はね――」
タメを作った女性は腰を上げ、続ける。
「神様よ」
その不敵さがリサの動揺を再起させる。
「夢……これは、夢」
全てが夢想で在れと願うリサ。
しかし女性はリサの逃避を許さないと言わんばかりに、わなわなと震え始めたリサの手首を乱暴に掴み、そして引き寄せる。
「言っただしょ。私はアナタの不憫さばかりの日々を終わらせてあげたの。それとも何、あんな不憫で不自由な、死んだように生きている日々の方が現実であって欲しいと願うの?」
先の挑発的なモノとは打って変わり、眼前に迫った女性の目には確かな鋭さが宿っている。
「ちが、違う……私はただ、お母さんとお父さんと一緒に居たいだけ……普通に生きていたいだけ」
一雫の涙がリサの頬を伝い、やがて無数の筋が頬を埋め尽くす。
「ごめんねリサ、それは出来ない。アナタの両親は死んでしまったの。死者を蘇らせるなんて誰にも出来はしないの。そう……神様にだってね」
女性は目を伏せ、自嘲気味な笑みを携えて離れる。
「でもねリサ、アナタは違う。アナタは未だ生きられるの」
再び台へと腰を下ろした女性は、パアッと明る気な笑みを以ってリサを据える。
「私がアナタをここへと呼んだの。神様に生命を救い取られた人間はね、死んでも生きてもいない存在になるの。生死を保留にしてここ、神の座へと招かれるの」
些か突飛な話ではあるが、今リサの頭に疑問符を列挙させているのは、そんな女性の話ではなかった。
「私は生きられるの?」
そんな差異に、神と名乗った女性はリサのうわ言でようやく気付く。
「窓から空を眺めるだけの一生か、それとも別の世界でもう一度生まれ変わるか……そのどちらかを選んだらそうね、リサはもう一度だけ生きられる」
差異に気付かされた女性の顔から感情が失われて行くのを今のリサが察せられる道理はなく、リサは女性の言葉だけを汲み取り、縋った。
「ちゃんと生きたいっ! もう一度、普通に生きたいっ!」
泣きじゃくりながら身体にしがみついて来たリサを目だけで見下ろした女性は、そう、とだけ詰まらなそうに吐き捨てながら立ち上がる。
掴んでいた白いワンピースのシルクよりも滑らかな生地に手が滑ったリサは、そのまま白いガラスのような感触の床へと両手を着き、這いつくばった体勢のまま女性を見上げる。
「それじゃリサ、これは新しいアナタへの贈り物よ。上手に使い熟して――世界を救って見せてね」
そう告げた女性の指先が額に触れると、最後の言葉に対する疑問を返す間も無くリサの身体は支えであった地面を失い、白色だけが延々と続いている奈落へと落ちる。
間際、女性が自分の事を冷たい目で見ているのが見えた。
気が付くと、自分が立っているのを感じた。
「え……」
目を開けると、そこは瓦礫と暗雲とが向かい合わせになっている景観がどこまでも続いているだけの場所だった。
アクションRPG風を目指して頑張ります?