立ち寄る町で
その時の衝撃をどう言い表せば良いのか、あれから数時間経った今でも分からないでいる。
王宮へと続く巨大な階段を一段一段登り、エリアナは自身の後ろに続いて危なげなく階段を登る竜の巫女達を流し見た。
それが起きたのはつい先刻の事だ。皇太子殿下がご臨席する中、アカファリテの大祭で最も重要とされている、神殿での竜舞の儀式の最中でそれは起こった。
竜の巫女達の勇姿を見守るエリアナの脳内で、突如としてガラスが割れるような、バリン!という甲高い破裂音が鳴り響いた。それは―――あってはならない事態を警告する音。
それは即ち、我が国に古からの盟約によって施されていた守護竜の結界が破られた音だった。
エリアナは聖女である。だけれども、この国に古くから伝わっている守護竜との関わりは少ない。そもそも聖女等と言われ始めたのは、エリアナ自身に高いヒーラーとしての力が宿っていたためである。それは単なる資質の問題で、聖女などという御大層なものではなかったのだ。
そうであるならば何故エリアナが未だ聖女と呼ばれているのかというと、ある人物から、目を逸らさせるために聖女となった為である。
その人物こそ、竜の至宝。竜が大切に守り慈しむ存在だった。
今回の警告は決して紛い物でも、仮初めのものでもぬい。現に今、空に浮かんでいる筈の結界の領域が跡形もなく消え去っているのだから。勿論、これに気づいている人間などこの国でも数人しかいないだろうけど。
嫌な予感がする。無意識にどくどくと鼓動を上げる心臓を宥めながら、今はこめかみに伝う冷や汗すら拭うことも出来ず、笑みを張り付けて儀式を続行する。エリアナがもし、聖女という立場に居なかったら、今この場ですぐさま身を翻し、ある人物の元へとひた走っていた事だろう。けれどもそれをする事は、今のエリアナには出来ない事だった。
今日の儀式が終わるまで、四刻は時が必要だった。
エリアナはぐっと奥歯を噛み締め、天空に聳え立つ王宮群を睨み付けた。
*
それから程なくして、イミーナとギルは町へと到着した。帝都程の賑わいこそ無いけれど、アカファリテの大祭の影響からか、旅人らしき人や家族連れの人、ここいらでは見掛けない風変わりな行商人達の姿も多く見受けられる。そういう環境だからか、旅の旅装に身を包んだイミーナやギルを奇異の眼差しで見る者など一人も居ない。
「これは…凄いな」
「ええ、そうですね。アカファリテの大祭は、周辺地域をも潤わせるものですから」
「国を挙げての大祭だから、か」
「はい」
そうは言ったものの、やはりというべきか、大祭の影響はこの町の宿場にも現れているようだった。
「ごめんなさい、ギル。やっぱり何処の宿もいっぱいみたいです」
そう、そうなのだ。
宿はどこも満室状態でイミーナとギルが泊まれるような場所は無い。高級な宿から素泊まり雑魚寝の宿まで何処も人で溢れている。事前に予約をしていないのだから、当然と言えば当然の話だ。町の住人に話を聞いた限りでは、この町から見て一つ先の小さな町でも宿は満室状態らしい。
イミーナ自身、これまで裕福な環境で育ってきてはいるものの、野宿するという事に抵抗感はない。何故ならばイミーナの手元には、以前に買い込んでいた小規模な天幕にも似た魔道具があるからだ。
一見すれば単なる天幕に過ぎないけれど、どんな環境であっても―――豪雪地帯、砂漠、深い森の中などでも―――快適に過ごす事が出来るその魔道具は、市場に出回っているものの中では特に高値で取引されている、旅の必需品だった。
恐らく、行商人や長く旅をする旅人であれば必ず一つはこの魔道具を持っているだろうけど、イミーナの手元にあるこれは、その性能の良さや質が群を抜いているのだ。なにせこの天幕には、あらゆる防御を可能とする守護結界まで織り込まれているのだから。
まあそんな理由でイミーナに野宿することへの不安はない。
けれど、ギルはどうだろうか?
幾ら快適な魔道具を持っていても、野宿する事への抵抗感を持つ人々は多い。不測の事態が起きた場合、天幕で過ごすには心もとないと感じる者も居る位だ。もしギルが野宿が嫌なのであれば、今日は行ける所まで行って、帝都から遠く離れた地域で宿を取った方が良いだろう。
けれどもそんなイミーナの危惧など杞憂に過ぎないというように、ギルは笑う。
「そうか。いや、それなら仕方ないね。今日は野宿するとしようか。イミーナはそれで良いかい?」
「はい、私は大丈夫です。一応、野宿用の開けた場所があるようですから、そちらに行きましょう」
「そうだね」
「他に居るものがあれば、買っていきましょう」
どうも宿からあぶれてしまった人々が、開けた場所で集団野宿しているという話を先程小耳に挟んだばかりだ。夜盗を警戒するのであれば、少々警備面で劣るものの、人が多く滞在している場所に身を置いていた方が多少なりとも安全度は高くなるだろう。まあ、そこを集団で襲われてしまっては目も当てられないけれど。
「そうだね。ああ、食材を買い込んでいた方が良いかな? 先にそちらを見ていくかい?」
「そうですね、先に幾つか調達しましょう」
賑わう通りを抜けて地元の店らしい露店で沢山の食材を買い込み、ギルと共に野営地を目指す。
野営地は町の中心から少し離れた郊外にあった。商人らしき者達や流れの踊り子など、実に多種多様な人々が各々天幕を張って行き来している。幾つか露店も出ているのか、多くの人で賑わっていた。じっくりと野営地を見て回っておきたいけれど、先に天幕を張らない事には動く事もままならないだろう。少々手狭だけれど十分なスペースが確保された、森に近い場所に天幕を張り、イミーナとギルは食材を手に簡単な調理器具が用意された川の近くにある炊事場へと向かった。そこでは、買ってきた食材で調理をする人や、川の水を汲んで飲み水を確保する人、買ってきた食材を物々交換する人など、各々自由に夕食を食べたり、調理をしたりと、さながら何処かのキャンプ場のような有様だった。
「イミーナ、あちらが空いているようだよ」
「あっ、ではあちらで準備しましょうか」
ギルとイミーナはそこで簡単な調理を行い、水をしっかりと確保した後は、天幕で夕食を取り、翌朝に備えて就寝した。




