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旅立ちの朝

 あの誕生日会から一週間が経った。今日は《アカファリテの大祭》の二日目。

 祭りの盛り上がりを左右する二日目は兎に角忙しく、町は普段以上のざわめきと人の波で埋もれ、そこかしこで人が丸めたお団子のようにもみくちゃにされている。

 今日は帝都の出入りが最も激しい日でもある。その人ごみに紛れてイミーナは今日、旅立つ予定だった。


 ―――あの日、こっそりと家に帰ったイミーナを待ち受けていたのは、蒼白な表情で怒りを露わにする家族の姿だった。

 既に招待客が去った家で、イミーナは家族に詰め寄られ、怒られ、泣かれた。宥めるように声を掛ければ、そこから更に一人で居なくなった事を懇々と諭すようにお説教を受け、何と言うかもう、それはそれはカオスな状態に何が何だか分からなくなっていた。

 その中でも特に普段は鉄仮面、冷徹な宰相で通っている叔父の荒れっぷりは後世の歴史に残しておきたい程苛烈を極め、蒼白な顔で今にも倒れそうな姉や心配そうに怪我が無いかしきりに尋ねてくる兄、招待客をすべて排除して洗いざらい吐かせようとする叔父への対応に追われ、イミーナが盛大に頬をひきつらせ全力で質問をかわし必死で誤魔化したのは記憶に新しい。

 屋敷に居る使用人たちは皆、叔父が選んだ有能な人間ばかり。

 だからイミーナは、その目を盗んで何時、どのような形で屋敷を抜け出すべきか策を練りに練った。そうして選んだ今日は、叔父に指示された使用人達も何人か大祭への準備に駆り出されていて、常よりも少ない人数で屋敷を管理している。


 イミーナ付きの侍女は居ない。

 元々ある程度の生活は自分自身で賄えるように教育を受けていたし、わざわざ何の益ももたらしていないイミーナに割く人員は居なかったのだろう。これはイミーナにとって好都合と言わざるを得なかった。

 本当に少しずつ、少しずつ旅の準備を進めていたイミーナは、クローゼットの奥にある隠し扉から魔法具を引っ張り出した。亜空間魔法が掛けられた魔法の皮袋にあらかじめ入れておいた当座の衣服や長期保存の効く食料、こつこつと貯めていた資金、そして最後に家族との思い出の品を確認し、しっかりと皮袋の口を締めて腰に巻いた幅広のベルトに固定した。

 同じベルトの反対側に護身用の短剣を差すと、イミーナはぐるりと自室を見渡した。

 それ程広くはない自室は、何処かがらんとしたイメージがある。元々イミーナは手持ちの物が極端に少ないし、よく贈り物をされる兄姉達とは違って、殆ど人からプレゼント等もされたことがないから、生活する上で必要最低限のものしか室内には存在していなかった。


 部屋を出る前に自室に備え付けられた鏡台を覗き込むと、イミーナは自身の服装を確認した。

 長い栗色の髪を高い位置で結い上げて耳には守護の魔法が掛けられたピアスを着け、胸元にはいざという時に備えて結界魔法が組み込まれた懐中時計形のペンダントを下げている。白い絹で織られた光沢のあるワンピースに膝裏に届くスリットの入った長いベストを羽織り、その上から幅広のベルトを巻いて、足元はロングブーツで覆い動きやすくしている。


 本来魔法具というものは高価なものだ。誰しもが魔法具をいつかは持ちたいと願いながらそれを手に出来ないのは、元々の流通量が少ないことに加えて、その値段が例え低価格帯のものであれ、その一つで平民の年収を軽く超えてしまう程の超高額な商品ばかりだという理由がある。

 それなのに何故イミーナが複数の魔法具を惜しげもなく持ち、また身に着けているのかといえば、これらすべてがイミーナ自身が開発し製作した魔法具ばかりだからだった。

 自分の思うままに魔法具を開発したイミーナは、それが一般的な魔法具の形態と掛け離れていることを十分に承知していた。だからこそ、イミーナが幾ら魔法具を身に着けようともそれが誰にも知られる筈がないことは、兄姉や叔父の反応で実験済みだった。


 ああ、漸くだ。

 漸く、この場所から私は巣立つことが出来る。

 ほんの少しの寂しさはあるものの、既に限界まですり減らされた精神はただ喜びと期待に胸を震わせるばかり。

 この光景を見るのも今日が最後となる。せめてこの光景だけは覚えていようと目に焼き付けて、イミーナは人目を避けて家を抜け出し、王都の森に急いだ。


「さようなら、皆」


 王都の森に着くと遠く王都の中心部では大祭二日目が既に始まっていた。

 多くの人で賑わうその光景を見ると酷く物悲しい気持ちになり、イミーナは頭を振って湖に急いだ。

 家族は皆大祭期間中、家に帰ってくることは先ず無い。使用人も朝から大忙しでイミーナを構っている時間など全くありはしないのだ。

 だからこそイミーナはひっそりと抜け出すことの出来るこの日を選んだ。別れの挨拶をするのがどうしても辛くて、ただ静かに出立出来る日をイミーナは何年も心待ちにしていた。

 それが今、叶おうとしている。

 些か早足で湖に到着したイミーナは、ギルの姿を認めほっと息を吐いた。そうして安心したのも束の間、振り返ったギルのその姿に驚愕し、イミーナは思わずその足を止めた。


「やあイミーナ。おはよう」

「おはよう、ございます。ギル。えっとそのお姿は…」

「ああ、これかい? ふふ似合っているかな、イミーナ」

「とてもよく、お似合いです」


 体の線に沿って膝下まで流れる灰色の服にベルトを締め、首元は濃い鼠色の詰襟で詰められている。足元は黒い皮のロングブーツを履き、腰のベルトにはイミーナと同じく短剣や見たことも無いような長い杖が差さっている。両肩に掛けられた黒いスカーフのような布が良いアクセントになっていて、何処かの騎士や貴族だと言われても納得しそうな立ち姿だった。

 普段はただ流されている美しい銀の髪も今は緩く背中で編み込まれ軽く結わえられている。

 正しく、旅の服装だ。


「イミーナが今日帝都を出ると言っていただろう? 私も同行するよ。一人では危険だからね」

「ですがギル、ギルには帝都の森を管理するお仕事があるのではないですか? 私のせいでこのような…」

「ふふ。大丈夫だよ、イミーナ。引き継ぎは済ませてあるし、私はイミーナの居ないこの森に常駐するだなんて考えられないことだしね」

「ギュスターヴ……」

「さあイミーナ。時間も押しているようだし、早速森を出ようか。これからもよろしくね」


 ふんわりと微笑みイミーナの手を引いてくれるギルの大きく繊細な手をきゅっと握りかえし、イミーナは「はいっ」と頷いた。

 思いがけず旅の同行人を得たイミーナは、頬が緩むのを抑えることが出来なかった。

 泰然とした様子でするすると人波を掻き分けていくギルは、とても優雅で気品に溢れている。周囲の人もその壮絶なまでの美貌に呆気にとられつつも、人ごみに流されてその手がギルに届くことはない。


「何かお昼ご飯でも買っていくかい?」


 何処か楽しそうにイミーナに問いかけたギルに、イミーナは少し考えて答えた。


「ここはまだ人ごみが多いですし、もう少し中心地を抜けた先に露店が出ていた筈ですから、そこで軽くご飯を買って帝都を出ましょう。その辺りまできたら、大分人の波も少なくなっている筈です」

「分かった。ならば早くこの人ごみを抜けてしまおう」


 いつの間にか少しずつ皇都の中心地から遠ざかっていくイミーナは、人がまばらになっていくのを感じてほっと息を吐いた。

 人口密度が高い場所に居ると、どうしても息が詰まってしまう。なんというか、すべての気力と体力を絞られてしまうかのような気分になってしまうのだ。人の多い場所が苦手なイミーナがこんな人ごみを歩いたのはおよそ十年振りくらいだけれど、やはり人の波に酔ってしまうのは昔から変わらないらしい。

 若干顔を青ざめさせたイミーナに気付いたギル、少々不安そうにイミーナの顔を覗き込み、人が居なくなった噴水近くのベンチにイミーナを座らせた。


「今飲み物を買ってくるよ。イミーナはここで待っていて。いいね、どこにも行ってはいけないよ?」


 念押しするかのようにそう言ったギルに苦笑を浮かべて頷くと、直ぐに踵を返してギルは露店が並ぶ通りへと姿を消した。

 心配性だなぁと思う一方で、こうしてギルがもし居なかったらどうなっていたのだろうかと思うと、本当にギルが側に居てくれて良かったと思う。

 なんだかご迷惑ばかり掛けているようで胸が痛むが、それも今は致し方ないこととして、額に浮かんだ脂汗をハンカチでぐいと拭った。

 それにしても、暑い。今はまだ春先だというのに、人の熱気で賑わう皇都は平年よりも五度ほど高い気温になっているのではないかと疑っている。イミーナの勝手な妄想ではあるが、あながち間違ってはいない気がするのは、本当に人の多さもさることながら、幾つもの露店から立ち上る香ばしい湯気や肉が焼ける煙がそれを如実に表しているからだろうか。


「そういえば、お金を渡すの忘れていたわ」


 大祭期間中の皇都では飛ぶように物が売れるため、若干物価が高くなっているのだ。そのため、手持ちの紙幣を小銭に変えて持っていないと支払いにも手間取ってしまう。そうなると周囲からは批難が集まって顰蹙を買うことも多々あるのだ。

 慣れない帝都に来た余所の人たちにとって、このような暗黙のルールは本当に気疲れする原因の一つでもある。だからここ数年はこの暗黙の了解を知らしめるべく、帝都の大門では無料で冊子が配られ、直ぐに他国の紙幣を換金し、小銭を大量に持ち歩くものが増える。紙幣に比べて重い小銭類は荷物にもなってしまうが支払う時の合理性を考えると、大量に小銭を換金した方が断然良いということで、ここ数年は腰に小銭の入った皮袋を下げた多くの人達の姿があちらこちらで見えていた。


「遅い、わよね。迎えに行った方が良いかしら?」


 既にイミーナがベンチに座ってから十分以上が経っている。

 早く見つけなければ、合流することも難しくなってくるだろう。現にここも少しずつ人が増えてきているのだ。

 イミーナはさっと立ち上がり、きょろきょろと周囲を見渡すと、ギルが歩いて行った方角へ一歩足を踏み出した。



 ―――その瞬間、一陣の風が吹き、イミーナの視界を砂埃が覆った。反射的に目を瞑り、風が収まるのを待って恐る恐る目を開けると、いつの間にかイミーナの目の前にギルが立っていた。

 思わず目を丸くして見ると、ギルはにこやかに微笑んでイミーナを覗き込んだ。

 美しい白銀の瞳が柔らかく揺らめく。

 一体いつ戻ってきたのだろう? ついさっきまで、居なかった筈なのに。

 不思議に思って首を傾げたものの、答えなど出なかった。

 笑みを深めたギルもそれに答えるつもりは無いらしい。


「ごめんね、待たせてしまったかな?」

「いいえ、そんな事ありません!」

「そう? それじゃあ座って。はい、どうぞ」

「ありがとうございます」


 ギルが差し出したのは、薄い透明なグラスに入った水だった。

 一口飲むと、まろやかな甘みが口の中に広がり、思わず喉を鳴らして飲み下す。美味しい。今まで飲んできたどの水よりも、美味しい。

 今度は慎重にゆっくりと味わって飲む。後味は清涼感のある爽やかな味わいなのに、やはりほんのりと甘く感じられる。もしかして、果実を絞った物が少しだけ溶かしてあるのだろうか。

 しげしげとグラスを見るが、やはり中身は透き通った水そのものだ。

 不思議に思いながらも飲み干してしまうと、ギルが何処からともなく取り出した皮袋へとグラスを仕舞い、「さて、」と立ち上がった。


「それじゃあ、行こうか?」

「はい、ギル」


 人混みではぐれてはいけないからと繋がれたギルの手はひんやりと冷たくて、とても心地好かった。

 その日、イミーナはギルと共に生涯初めて帝都を出て、新しい一歩を足を踏み入れた。

 それがどんな運命を運んでくるのか、まだこの時のイミーナには知る由も無かった。





 帝都の門は衛兵が立つ物々しい空気に包まれているが、常にない大祭期間中という事もあって、僅かにその物々しさは薄れているようだった。

 帝都を出た瞬間、イミーナは耳元でガラスが割れるような音を聞いた。


「イミーナ、どうしたんだい?」


 隣に立つギルはこの音を聞いて居なかったのか、きょろきょろと周りを見渡して音の源を探すイミーナの手を優しく引いた。


「ごめんなさい、何かガラスが割れるような音を聞いた気がしたのですけれど、聞き間違ったみたいです」


 恥じらうように顔を伏せたイミーナは、ギルがその時どんな表情を浮かべていたのか見る事は無かった。


「さてイミーナ、帝都は出たから何処へ向かおうか?」

「そう、ですね…。取り合えず、次の町で宿を取りましょう。あっ、乗り合い馬車が出ているみたいですから、これに乗って移動しましょうか」

「分かった」


 イミーナが馬車の御者に交渉している間にギルは馬車の馬に寄り添い、静かに馬を見つめていた。

 どこか面白そうな、楽しそうなギルの姿は多くの人の目を引いている。それに気づいていないギルがおかしくて、イミーナは笑った。


「ギル、行きましょう。直ぐに出発するそうですよ」

「ああ、そうだね」


 そう微笑んだギルと手を取り、イミーナは乗り合い馬車に乗り込んだ。



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