玉出商店の妄想劇場⑥ きまぐれな人が好きだ、たぶん。きっと、それは、貴方のこと。
「……言わせんな恥ずかしい」
思いっきり大きく下卑た声を出した。それから、椅子から立ちあがり、正気に戻りたくて柔軟体操なんかしてみたりする。
ため息をついて徒労の跡を見渡す。壁の時計は、午前一時を指していた。
「いやになっちゃうな」
目の前には書きあぐねた手紙の屑が、くしゃくしゃになって散らばっている。イマドキ手紙っていうのも、古臭いことおびただしい。なんだか、とても惨めな気分だ。
ふたたび座りなおしてから、眉間に皺が寄っていることに気づく。
受け取ったほうは重荷になってしまうかもしれない。いや、たぶん。たぶん、ではない、確実に重荷に感じてしまうだろう。が、相手の住所は知っているとはいえ、他に接触できる術がない。
あのとき、住まいと電話番号だけじゃなくて他のことも知りたいって言っておけばよかった。そのまま、今日までずるずると会ったり、食事をしたり。言い出せないまま、今に至ってしまっている。
下手に聞き出すと、もう二度と会えなくなるような気がしてしまって。
だから、ライトに遣り取りできるだろうメアドとか、SNSのアカウントとか、まったく知らない。古典的な切手に頼る手法でなければ気持ちを伝えられない。
しかし。
こんな感情を表すだけで、どうしてこんなに時間をかけて、脳みそが沸騰するほど労力をかけてしまったりしているのだろう。
一旦、机を離れて大きく伸びをしてみる。
するとアパートの窓に、なにかが「こつん」と当たる音がした。
なんだろう? ここは二階にある部屋だ。窓を開けると猫の額ほどのバルコニーっぽい造りになっていて、そこに昼間は小鳥が来ていることはあるけれど、こんな夜中に小鳥が来るはずもない。
おそるおそる、そちらに近づいてみる。
もう一度「こつん」という音がした。カラスとか? え、でも、そんなはずないし。
眼を固く閉じて、思いっきり窓を開けてみた。
「おーい」
聞き慣れた声がする。ぎょっとして、下方の道路に目をやった。
「よかった、もう寝ていたかと思っていたんだよ」
くしゃくしゃの笑い顔を浮かべている、あの人がいた。彼の脇で、愛車はチカチカとハザードランプが灯っている。
「な、なに? こんな夜に」
言いかけたわたしに、彼は伸び上がって大きく手を振ってみせる。瞳が輝いているのは街路灯のせいだろうか、それとも。
「今日、誕生日だろう?」
そ、そうだったっけ。いつそんなことを、あなたに言っていましたっけ。わたしは激しく動揺する。
「そこにプレゼント置いてる、見てみろ」
はあ?
幅五十センチほどのコンクリートの突き出し部分に、ころん、と転がっている指輪ケースが、ふたつ。暗い紅色のビロードが張ってあるそれらには、金色の縁取りがしてあって。
目を疑っていると、あの人は、ちょっとがっかりしたように肩をすくめた。
「俺のこと信用してなかったのかよ、ま、いっか」
なんて反応していいかわからないでいると、彼はさっさと車に乗り込んでしまった。
「あー……」
おやすみなさい、の言葉を言わせる暇もくれず、さっさと彼は視界からいなくなる。
「なんだったんだろう、今の」
ぼやきながら、ころんころんと転がっていた、ふたつのビロードケースに手を伸ばした。
夢じゃなかったみたい。
ちゃんと手の中に、つかまえられたから。
それでも、狐につままれたような気分のままで、指輪ケースの蓋を開ける。
「あっ」
思わず、声が漏れていた。
だいぶ前に、ふたりで歩いていたときに見かけて「欲しいなあ」ってつぶやいた、アクアマリンのイヤリングがあった。透き通った水色の石が夜の空気を吸い込んだみたいに、静かに光っている。
こんなことまで、憶えていてくれたの?
あわてて、もうひとつのケースの蓋を開けてみる。そこにはアクアマリンの指輪と並んで、小さく畳まれたピンク色の紙がちょこんと座っていた。
几帳面に折りたたまれた紙を開ける。
――夜更かしは肌に良くない。さっさと寝ろ。
ボールペン文字の丁寧な筆跡、無愛想な言葉の端々。
一瞬で理解した。あの人は単純に、自分の気持ちを表すのが下手なんだ。きっと、そうなんだ。
ふたつの贈り物を抱きしめるように、胸の真ん中に持ってきていた。街路灯が、人のいない道路を煌々と照らしている。
泣きそうになった両目を、ぎゅっと閉じる。
「起きてて、よかった」
あの人もわたしと同じように、どうしたらいいか悩んでくれていたのだったらいいな。それよりも、無事に、家に帰り着いたらいいな。