もどかし過ぎる死神の手帳
大きな鎌を氷に突き刺すと死神は目を見開いた。
本日はこの地に来るモノか…
死神は手帳を見た。
死神の手帳は1件だけ表示されている。
以前はその日死ぬ人物全員分が一度に表示されていたが問題が色々とあり改変されてこのようになったんだとか。
どっちにしろ淡々とこなせばいいだけのことである。
手帳はまぁいい。場所が重なることはよくあるしそれに瞬時に移動できるから。
しかし何でわざわざこんな所に来るのだろうか。
死神は改めて辺りを見回した。一面真っ白な景色。空は若干薄暗くはなっているものの夜だ。一日中太陽が昇りぱなしの国。
眩しすぎるわ。死神はフードを被った。
この人間はこんな時間にわざわざこんな所に来なければならない理由があるのか…。
死神は手帳を閉じると歩きだした。
別に歩く必要はなかった。ヒマだったからだ。
人間というものは迷う生き物だと思う。死神はいつになくそう思った。
実はこの地区は本当はこの死神の担当ではなかった。
この地区は死神の同僚が担当していたがヘマをやらかして罰せられたのだ。
おかげで仕事が増えてこっちは大変だ。
同僚はもういない。人間とは違い死神の世界ではミスは許されないのだ。
同僚のやらかしたミスというのは本来死ぬ運命にある人間を見逃すということだ。
情がわかないわけもない。人間に心を奪われる死神も存在する。
冷酷な死神ばかりではないのだ。実際は。ただし相手による。
しかしこちらだって仕事。やらなければならない。
今回の男は絶対だ。
しばらくすると大柄な男が歩いてきた。
死神はワイン色の瞳を男に向けると男のこれまでしてきたことが映像として見えた。
その男は44歳エンジニアの仕事をしていた----
仕事ぶりは優秀であちこちに出張に行く機会がありいく先々でもモテまくって
そのあげく鉢合わせた女同士の修羅場をくぐり抜けて結婚したが、さらに浮気をし離婚。
その後も相変わらずモテまくり仕事も手も抜かず同僚から羨望の目を向けられて
いたらしい。その後数年も同じ調子でやってのけ今日は日の落ちない国に来ていた。
そして…
死神は下唇をニャリと上げた。まったく煩悩の塊のようなヤツだ。
懲りずにまたこの国で昔付き合っていた女に会った。この女の執念かもしれない。
女は覚えていたがこの男はすっかり忘れていた。
不意に背中を女に向けた時、事件は起こった。
不幸にも目撃者はおらずこの男は刺された時その女の顔を思い出した。
身から出た錆。
男はそうつぶやき苦笑いをした。女は慌てて逃げ出した。
世のモテない男からすれば羨ましいようなザマァな事件だ。
唯一の証人はこの死神だが残念ながら証言はできない。
男は汗だくになりながら歩いてくる。遠くに車が見える。
死神はこの男のことを詮索するのをやめた。
まぁ俺には関係ないことよ。所詮死ぬ男。背中の血を見て死神はつぶやいた。
自業自得。モテていた男の証明ではないか。
「モテる男はツライのぉ。」
それでまたどうしてこんな所にやってきたのか。ここは町からだいぶ離れている。
死神は男の後ろを歩いた。
この男に姿を見せてやろうか?そんなサービスしてやることないか。
死神は少し考えたが面倒になった。手抜きしよう。所詮管轄外。オマケの仕事だ。
男は力尽きてきたようだった。目標地点まではあと少しだ。
目標地点つまり死ぬ場所だ。そこに辿りつけば死神は後は待っていればいいだけだ。
「ラクにしてほしいか?」
男の耳元で死神がささやいた。男は立ち止まると辺りを見回した。
死神は姿を現さなかった。恐怖を感じるか試してみたかった。この男は確かにモテそうな顔をしてはいたが死神からすればそれほど魅力があるとも思えなかった。
男は大声で言った。
「しなくてもいいぞ。俺はここで生きてやる」
男は足を引きずりながら歩いた。背中の傷は重症らしく血が広がっている。
生きてやる。なんてこと最近聞いていない。それにしてもさすがモテるだけあってこれだけのことになっても落ち込むどころか歩きだしている。なるほどこういうところに人間の女は惚れるのだろうか?まぁそうは言っても寿命があるからね。
あと数分しか生きられないけれども。
死神は時計を見た。あたりは明るいがもう21時だ。
しばらくすると男は氷に腰を下ろした。
目標地点だ。あとは待っていればいい。
男は震えだした。出血と寒さで限界に近づいている。
しかし時間はまだある。
男は笑いながら泣き出した。限界だろう。だがまだ耐えてもらわなければならない。
「殺せよ。いるんだろ?」
男は言った。死神の存在を悟ったのか。しかし死神は姿を見せる気もなかった。
話相手になってやる気もない。死神はただ時計を見つめていた。
男は呻いた。男は鞄から手帳を取り出し何やら書き出した。
死神は手帳を覗き見した。
手帳には男がこれまで付き合ってきた女の名前が書き込まれていた。
なんてヤツだ。さっきの女が刺したのも分かる気がした。
死神は呆れた顔をして男の顔を見た。一見自慢のようにも見える。
手帳の最後にこの一文が書かれた。
上記の女に均等に慰謝料として自分の遺産を分けることを誓います。
署名
男はそこまで書き終わると何やら白い錠剤を出し飲んだ。
それから仰向けに寝転んだ。死神は慌てた。
死神は男の傍らに座るとこう言った。
「俺の40分を返せ」
男は身動き一つしない。
「自殺なんて記載ないぞ。これは違反になる。どうしても凍死でないとマズイ」
死神は男のみぞおちの部分を押すと先ほど飲んだ錠剤が出てきた。
少し薬が効いているかもしれないが問題ない。夢うつろになってくれた方がこちらとしても都合が良い。
「おい。」
死神は男の体を揺さぶった。
男は目を覚ました。死神の姿に男は一瞬ギョッとしたが体を起き上がらせた。
「変わったコスチュームだな」
死神は全身を黒の袋のような服に身を包みフード深く被っていた。
一応人間の前に出るときはこれでも気を使っている。
ありきたりのスーツでは少しインパクトに欠けるだろう。かと言って人間のイメージに近い格好ではいささか不本意だ。
死神は今回のウケがあまり良くなければ変更しようと思った。
この男に感想を聞きたいがまともに答えてくれそうもないだろう。
こういう状態では大体聞けない。だから結局この格好に落ち着いている。
死神はフードをとると髪がサラリと落ちてきた。自慢のストーレートだ。
髪は長く顔色は真っ白で髪もまた真っ白だ。真っ白というよりは銀色に近い。
瞳はワインのような色で光が当たると淡い色に変わる。
男はジロジロ死神を見た。
男がジロジロ見るので死神は男を睨みつけた。
「アンタもしかして死神?」
「そうだけど」
男はヘェーといいながら死神を珍しそうに見た。確かに珍しい。
もっと驚いてくれないかと死神は思った。
昔の死神コスは威厳があった。昔は多いに驚き恐怖のどん底を演出したあの時代が懐かしい。今はやり過ぎだとか、時代のニーズに合わないなどと抜かしすっかりと馴染みやすい雰囲気が定着した。
だから最近のファッションはいかんのだ。この袋ぽいのはなんかなぁ…。
前回は惚れられて面倒なことになったので気が抜けない。
死神は男から目を逸らさずに見つめた。これがいけないのかもしれない。
それに対しても全く動じない。なるほどなぁ。
この状況で落ち着いている。っていうか、なんだコイツは。
「アンタの寿命あと30分だ」
男はさほど驚きもせずに
「そうなんだ。でも生きているよね今」
見かけの割りには軽い答えで死神は苦笑いをした。
「あと30分は生きていないとコッチが困るんだよ。あと死因もね」
「自殺で死ぬんじゃないのか?」
「自殺ではないよ。だけど状況的に誰も助けにこられない場所だから仕方なく」
男は含み笑いをした。
「仕方なく俺を生かすことにしたわけ?30分?」
「そうだ。厳しいんだよ。アンタは恋人は?俺の調べでは相当モテていたよね?」
「死神のくせにそんなコトまで調べるのか」
「調べたくはないよ。そんなの。っていうかあと20分ね」
「死ぬ前に死神と話すとはね。」
男は死神の方に向直ると不思議そうな顔をしながら言った。
「俺の死因は何?」
「凍傷だよ」
「ダサイなそれは!まぁ良かった。なぁ頼みがある」
「なんだ。聞いてやれないこともある。」
「背中の傷どうにかしてくれないか?このままだと彼女が疑われてしまう。死因は凍傷なんだろ。致命的なのは背中の傷ではないだろ?」
「そうだが。起きてしまった事実を変えられない」
「いいか。死神さん。今のところ目撃者はいないんだ。あと死因は凍傷なら俺に刺し傷があってはならないんだ。」
ググッ。死神は唸った。なるほど。
刺されても、なお女を庇うところとか何てヤツなんだ。
実際この男が全面的に悪いが女の今後を考えてのことか。
それに手帳には背中の傷には触れていない。
つまり起きていないのだ。いや起きていてはマズイ。
「いいだろう。」
死神は男の背中に手をかざすと血の汚れは消え男の傷跡はなくなった。
「ありがとう。これで死ぬ万全の体制が整った。」
男は笑いながら体をグルグル回した。
バカなのか?死神は優秀と言われた男の顔を見た。そうなのかもしれない。
死神は時計をみた。もうすぐだ。
情が移るまえに消えることだ。どんな人間でも最後優しさと言うものを垣間見せるものだ。例外もあるが。
「面倒かけたな。消えてもいいよ。俺は覚悟を決めているし。」
死神は空を見た。明るい。この状況で凍死になるかな…
気温は少し暖かくなってきた。死神は手を上げると雪が舞い上がった。
今回はいささかイリーガルな方法を使ったが仕方がないことだ。
男はホォーと声をもらした。これから死ぬのに呑気な男だ。
舞い上がった雪は男の周りを回りはじめた。これで体温が下がる。
雪の合間から男の顔が見えた。目は閉じていた。
死神は不覚にも『美しい』と思った。
21時45分。雪が止まった。
男の周りを包むようなサラサラした雪が白く輝いている。
この男の最期にしては良い演出過ぎたかもしれない。
男の胸から白い光が上に伸びてきた。死神はその白い光を鎌で切った。
男の手帳を拾うと死神はポリポリ頭を搔いた。
義理だてする必要はないが目に付くところにおいておいたほうがいい。
死神は男が来た方向に乗り捨ててある車の中に手帳を入れた。
こうしておけば文字がにじまなくて済む。
死神は自分の手帳を見た。次の案件…。
23時59分。この車から10km戻った場所。
女か。女の写真を見た。
死神はやり切れない顔をした。
「一件ずつ表示するシステム変えてくれないか!」
同僚が犯したミスが死神には今わかるような気がした。
お読みいただきありがとうございます。