第10話 閑話レフェリー不在のメヌエット
ペースが大変落ちていますが、ゆっくり……すすめております……。
場面はヴィオニカ連邦国からフェルベラント王国へ戻る。
現在ベーラ領では現存する集落の位置とその状況を把握する作業に追われていた。
「五十年前の記録しか無いとは。それも端切れ。……ここまで酷い怠慢は久方ぶりです。」
綺麗に屋根が無くなった屋敷で、セラは呆れ果てた声を上げた。
あちこちに仕込まれていた停滞の魔道具は全て没収の上証拠品として提出済みだ。
それも大問題だが、それ以上に危険なのが、領民の把握がされていないことだ。
代理人を立てる申請を出し、形骸化していた制度によって免除の打算している所。
それだって期限がある、可及的速やかにこの地にいる者を把握しなければならない。
細い目を緩く開き、情報を流し読みで暗記、現在の地図と照らし合わせる。
机の上に広げた地図、森林地帯でしかない場所へ次々とチェックを入れ始めた。
「……さすが『万能』さんね。推測から人口推移まで記してもらえて助かるわ。食料分配の目処がつくもの。」
「この度はご助力ありがとうございます、ロベリア卿。経過はどうあれ、お嬢様の領地とされたのですから妥協はできません。わたくしの伝手だけでは少々難しいところでした。」
国境に隣接しているというのに、明らかな僻地。
となれば偶然近場を視察していたカリスト嬢が力になる。
伊達に田舎貴族と呼ばれては居ない、獣や魔獣が現れる日常など慣れたものだ。
その経験を用い、ほぼ人の居なくなった領主邸の警護に回ってくれている。
地位あるものは責務を負う、領地は違えど民を守るのは貴族の責務だ。
「お願いします、グラウンド卿。」
「今更ながら人脈がエグいよね。エルさんの人たらし! あ、ハルト君、そんなわけだから南は任せたよ。あたしは北方面見に行くからー。」
カリスト嬢と共に巡っていたレオン嬢が地図を受け取った。
一瞥して暗記したのか、騎士団に随行してやってきたハルト氏に押し付ける。
本来彼の仕事は、奴隷落ちした働き手をこの領地に連れてくることだけだ。
地図を受け取るや否やセラに向けて険しい視線を向ける。
「フォールンベルト家、これは貸しにさせていただく!」
幸いにもこの場のもの皆が礼服で緊急事態、悪癖が顔を出す暇は無い。
彼の有するオリジナル魔法も機動力も、この場では随一のもの。
散々地位あるものは責務を負う、とミズール嬢に叩き込まれているのだ。
悪態をつきはするが、彼とて領民を巻き込んだ事件は許容できるものではなかった。
「頼らせていただきます、ロイヤル卿。まだこれらの村が生きておりましたら報告をお願いします。すぐに騎士団を動かしますので。」
「無論だ! 僕とルードで手分けして、可能な限り生存者を見つけだす!」
宣言するや否や、即座に領主邸を後にした。
連絡用の魔道具は魔法団長から預かっている。
流石に五十年前、しかもずさんな管理をされてきた資料だ。
おまけに長い間ベーラ領から情報が漏れることなかった。
セラが筆跡などから書き手の性格を読み解き、推測を重ねても限界がある。
「適材適所、よく働いています。爵位は変われど、わたし達ローズベルト家はフォールンベルト家とは友好関係。助力は惜しみません。」
「ローズベルト卿も視察中にありがとうございます。」
守りを主軸に置くローズベルト家、ミズール嬢。
彼女は奴隷落ちした働き手達を指揮し、街道、及び村の壁作りを担当する。
戦った相手が監督をするのだから、奴隷条件を差し置いても逆らえるわけがない。
全員が一時的な助けではあるが、最初の基盤を作る所が最も厄介なのだ。
信用できる者で揃えておくのは大切なことだ。
違う領地に所属する者がほとんどだが、緊急性が高いため言い訳は利く。
「ボクはそろそろロウエルとの交渉に向かいますね! あちらも乗り気のようでしたし、上手く関係は結べるかと!」
領地内に他国の領土がある以上、外交は切っても切れない。
学園都市に帰ろうとするラッティ氏は、容赦なくセラに引っ張ってこられた。
ラディ商会は彼女のおかげで存在している、むしろ恩返しの好機と捉えたようだ。
「では、いくつか領主邸から即金を作れそうなものを包みましょう。村へ分配するための食品調達もお願いします。」
「任せてください! ところで屋敷の資材は良いのですか? 屋根が蒸発したままですけど。」
「一階部分があれば十分。基盤を作った後、お嬢様が戻られるまでに何とか致します。」
連邦国に渡り、伝手と基盤を作ろうとしている主を失望させるわけにはいかない。
お嬢様どころか、娘のフォクシにとっても完全な異国の地だ。
一番良いのはセラ自身がついていくことだが、そうすればこの地が主の枷となる。
いかに『万能』とはいえ身は一つなのだ。
「大丈夫だと思うよセラさんー。ミリィの古巣だから、泣き虫だけどあたしたちの中でも割と詳しいの。」
内心が気配に出ていたのか、出発前のレオン嬢が振り返らずに告げる。
今やグラウンドという家名は、王国一の成り上がり貴族のものとなっている。
その実、裏の世界で無名にして伝説。
存在しないはずの一派が彼女らだ。
「わたしたちの中で一番規格外なのはレオンさん、貴方のようですね?」
「クラス委員長でしたから! やばっ、行ってきます!」
ミズール嬢の指摘に、にかっと笑って親指を立ててみせる。
間髪入れずに氷点下の視線をカリスト嬢から受け、急いで外へ逃げ出した。
「はぁ……。こっちは何とかなってるけど、王宮への申請は大丈夫なの? 領名変更、納税義務の免除、代行人がカール君よ? 何か仕込んでこなければいいんだけど。」
レオン嬢を無理やり出発させた後、カリスト嬢がため息をつく。
同様の懸念はミズール嬢も持っている。
よりにもよって、代理人として認められたのが墓荒らしと関わりのある彼なのだ。
お嬢様の争奪戦において、競合相手だったグリース家を失脚させたこと。
最終的にお嬢様をベーラ領へと誘い込めたこと。
その上でベーラ領主を争奪戦から蹴り落としたこと。
これらがあり、グレイ家は徐々に権力を増していた。
「間違いなく、腹に一物ある御方でしょう。」
街道工事に必要な費用の算出と、資材確保の伝手を算段しながらセラが返す。
親から子へ、子から孫へと呪いは代を重ねるごとに定着していくことは解っている。
そう考えれば今回の人事は墓荒らしがこちらの中に間者を放ったようなものだ。
「ただし、こちらを陥れるものではないようです。あの方の手札を使わせてもらうことが最善と判断いたしました。」
「王室所属、グレイ家の次期当主、ね……。もっと腹を割って話せれれば良かったんだけど。」
読むことに長ける狐人、中でもトップクラスであるセラの見立てはそう外れない。
眉根を潜めたのは、身分を散々馬鹿されたためだろう。
カリスト嬢から見れば、一般的な高慢貴族と変わらなかった。
一方で純人以外を人と見ない墓荒らし一派と違い、獅人の従者を侮らなかった。
だからこそ本意が何処にあるのかわからなくなる。
「あれが彼らの流儀なのでしょう。ロベリア卿、街道整備の際に出る木材の割り振りの相談ですが――。」
「任せて頂戴、余り物を有効活用は私の家の得意分野よ。」
なお、段取りがついたところで魔法団長直々にセラを呼びに訪れた。
映像保存の魔道具が脇に置かれていたことにカリスト嬢が気づいたのはその時だ。
魔道具片手に専用早馬に乗り込む様子を見て、この先の展開は予想できた。
* * *
次期当主といえば聞こえは良い。
だが、それは現時点で何の力も持っていないことを意味する。
ベーラ領の領主代行として選ばれたカール氏は、まさにその立場であった。
そのため、要求を通すための下準備として現当主へ力添えの打診せねばならない。
悪趣味なほど華美に飾られた部屋で待ち構えるのは、やや肥えた老人だ。
「納税義務の免除に厄落としの領名変更申請、此度はご助力ありがとうございます、父上。」
グレイ家が開いた緊急議会は先程終わり、首尾よくことは進んだらしい。
嫌悪感や侮蔑の念を隠すことには、不本意ながら慣れてしまった。
政界での発言権を増している父を前にしても、何ら不審がられることはない。
お嬢様の身分剥奪を宣言したグリース家やベーラ領の失態は知れ渡っている。
おまけに復権として領地を与えたのも悪手、自らの非を認めたようなもの。
このタイミングで要求を突っぱねる事は、全く益にならない。
老人は、ふん、とそれはそれは満足げに鼻を鳴らした。
「お前の働きを鑑みればこの程度の我儘、安いものよ。今後のこともあるしな。」
息子など駒でしかない、本音は後半だろう。
お嬢様陣営に付け入り、あの花を手に入れるための布石。
本人を知っているカール氏からすれば愚かの極みだ。
彼女は恋を知ってしまった、それ故なお色鮮やかに咲き誇る。
それを手折ることは即ち、生来の輝きを損なう事に他ならない。
「……変更する領名は後日報告させて頂きます。領地で縛った以上、彼女が戻るのも時間の問題でしょうから。」
「当然だ、地位あるものは責務を負う。愛玩に値する動物とはいえ、元々は名家。責任感は無ければ困る。」
腹を揺らし、好色な笑みを浮かべる父親に従う自身へ苛立ちが募る。
グレイ家は下位とはいえ王室に属する、即ち責務を負うべき立場だ。
にも関わらず現当主は私服を肥やすことに傾倒しすぎている。
権力に対する責務など、これっぽっちも果たしていない。
絡みつくようなその声、叶うなら今すぐ喉をかき切るものを。
カール氏は煮えたぎる気持ちを押し潰し、表情も気配も一切変化させない。
「お前には感謝しておるのだぞ? そうさな、褒美にあれを孕ませて、お前に見目の良さそうな子を宛てがってやろう。」
他人の不幸は極上の美酒になる。
一方、知人の不幸を貪れるほどカール氏は腐っていなかった。
利用できるところでは利用する、それまでは従わざるを得ない。
ゆえに用いるのは反論ではなく話題の転換だ。
「今はグリース家の動向に注意を払うべきでしょう。夜会で潰しはしましたが、せっかくの優位性を失っては元も子もありません。」
何事も無かったようにカール氏が忠言すれば、途端に当主は不機嫌そうな顔になる。
再び鼻を鳴らすと、今度は追い出すように手を振った。
退室の大義名分を得た以上、ここにいる必要はない。
すぐに踵を返し、醜悪の凝り固まった部屋から退室する。
無駄に広い廊下を歩いてしばらく、従うように獅人の少年が従った。
「……相変わらずですか。」
「あの血を引いているのだと思うとぞっとするよ、――いや。」
あの姿こそ血に根付いた呪いの姿だ。
それを醜悪だと思うこと自体が本来あり得ない。
逃れられたのは、育った環境のおかげだ。
「私もああなるはずだったのだな。お前の影響か、フュースト。」
「素直なカール様ほど不気味なものはありませんが、自分は特に何もしていないはずです。」
従者とは思えない歯に衣着せぬ発言、カール氏は思わず渋面になった。
父に対して純人以外がこんな発言をしようものなら即座に隠される。
だが、彼らもまた人であることをカール氏は知っていた。
『違う価値観のものが居れば、別側面を知ることができる。カールがああならなかったのはフュースト、貴殿が純人以外の存在を刷り込めたからだ。』
部屋の中からついてきた元学友が声ならぬ声をかけてくる。
世界を構成する魔力の一部になってなお、個々人に意識を割くのは非常に稀だ。
それ故に両者とも、居ることは知っていても声をかけられ慣れていない。
無論それを表にだすような愚を犯すようでは貴族とは言えない。
『二人して動揺を隠し切るのは、貴族科の成果か。そろそろ慣れてほしい。』
「……モルグ、解っているのなら言及しないのが優しさだと思うのだが?」
それでも世界そのものを騙すには至らない。
思わずフュースト氏が呟き、即座にカール氏に小突かれる。
幸いにも今回は誰も居なかったが、うっかり返事などしていれば感づかれる。
自分達の属する墓荒らしは、妙な所で愚かだが、妙な所で敏い。
そのため純人であるカール氏が、獅人であるフュースト氏に当たるよう誤魔化す。
「失礼しました、カール様。」
流石こんな居づらい職場で長年付き添ってくれた幼馴染。
意図に気づいてリカバリーに入った。
モルグ氏は二人に何かあった時のための護衛についてくれている。
愚痴を零すのはお門違い、驚くような自分たちが悪い。
そう考える時点でカール氏は墓荒らしの中では異端だった。
「分かればいい。さて、面倒な代理人としての責務は果たした。あとは獲物が上手く帰ってくるのを待つだけだ。」
誰かが見ていると、常に心がけなければならない。
『万能』に押し付けられていた仕事は現当主を介して議会を通させた。
尖兵である自分が内側に潜るのであれば、グレイ家の派閥貴族たちは賛同する。
中立を貫いていた面々も、状況が動くのであればそれに乗りかかる。
最も全員が沈みそうになればさっさと切り捨てる性根の持ち主だ。
「しかし我が父上殿は、あの歳になってなお精力旺盛だな。私も随分遅くに作ったはずだろうに。年の差を考えて頂きたい。」
「……カール様、未だに未練があるのですか。」
ベーラ領行きの馬車へ乗り込む道中、もう一度フュースト氏が小突かれる。
今度は注意のためではなく、図星を突かれたための行動だ。
醜悪な世界から見たあの花は、目を逸らすにはあまりにも眩しすぎる。
不幸にもこの屋敷では、純人がそれ以外へ手を上げることなど日常茶飯事なのだ。
次回、さらに番外をはさみます。




