第2話 初陣スパーリング・前
2021/03/14大規模修正
さて、黒い馬車に見送られて壁の内部へと入る順番がやってきた。
手続き事態は至って単純。
事前に申請していた人物と同一人物か。
連れてくる従者の人数と持ち込むものは過不足はないか。
この二点を確認する程度。
従者であるセラが諸々の手続きを滞りなく済ませて完了。
門を越えた先の風景はさして変わりが無い。
違いといえば市を開催している者の大半が若者であるということ。
パフォーマンスはなく、呼び込みが積極的に行われていること。
こういった活動は授業の一環として認められている。
つまり成果が出れば単位も出るのだ。
石畳のメインストリートの先には、学舎が六つとその外側に寮が六つ。
庶民が教養を得るための一般科。
貴族が横のつながりを広げるための貴族科。
騎士が武芸を高めるための騎士科。
魔法使いが叡智を求めるための魔法科。
神官が歴史と信仰を学ぶための神学科。
そして商人が下地を積むための商業科。
言うまでもなく市を開いているのは商業科だ。
学生が主体となり、学生によって営まれる街。
それが学園街と呼ばれる所以だ。
* * *
「ようこそ学園街へ。いや、フォールンベルト家の姫君の噂はかねがね伺っております。王宮内でもご両親が度々自慢しておりましたが、なるほど噂以上の美姫であられますな。」
「ありがとうございます。ですが未だ社交の場も知らぬ無知な娘、見た目だけが何の役に立ちましょう。この度は快く受け入れていただき感謝の念に堪えません。」
はじめに声をかけたのは恰幅の良い中年の純人男性。
後ろに数名の教員腕章をつけた者が控えていることから代表者だろう。
言葉を返すのは、柔らかく微笑んだご令嬢。
深い青の礼服はレース細工とティアードフリルで飾られたもの。
容姿もあって凛々しいというよりは可愛らしさを引き立てる。
一方それらの装飾に乱れはなく、一枚の完成された絵のようだ。
華奢で白い手足は荒事から遠い場所で育ってきた証か。
陽光を浴びてなお輝きを増す金の髪は極上の絹を思わせる。
そして何よりその声。
高く澄んだ音は耳に入れば柔らかく変質する甘さを含む。
一方で深い碧瞳に宿る意志と知恵の輝きは、測ることを許さぬ深さ。
声質に反して洗練された物腰と作法。
幼さと愛らしさに反した、十一という年を裏切る落ち着きの醸す倒錯感。
なるほど下手に社交界に出せぬわけだ。
彼女は身分を忘れさせる劇毒になる。
側を飛んでいる竜もまた、艷やかな黒鱗とたっぷりの銀のたてがみに威厳を感じる。
翼で空を叩くのは最低限、無様に羽ばたく素振りもない。
気を張っている様子はこのお姫様を守るためだろうか。
「しかし、騎士科への編入だけでよろしかったのですかな? 貴方ほどの地位と美しさであれば、無骨な戦いより貴族科で繋がりを広げたほうが学びの場も広がりましょう。」
「ええ、そうかもしれません。しかし我がフォールンベルト家は騎士の家系。貴族としての責務と誇りはあれど、それと同様に国を守り、民を守る者としての矜持が御座います。繋がりとはそうした日常でこそ結ばれるものです。」
微笑みに通っているのは強い芯だ。
提案を考慮はすれど、それを上回るのは矜持と自負。
非力に見えるがその志は確かに建国へ貢献した家のもの。
男性はこれ以上他学科を推したところで、ご令嬢は揺らがぬことを確信する。
……これが、擬態したお嬢様である。
短期間集中で鍛えられた下半身、安定感と足運びは上々。
魂の記憶の中で体幹維持だけは上手く焼き付いてくれている。
編入挨拶用の衣装は訓練時にも着用していたものと同デザイン。
既に着慣れた装束だ。
お嬢様を飾り付けることにこだわるセラの着付けに隙があるわけがない。
そこに身分という背景が加われば、勝手に高嶺の花と錯覚してくれる。
貴族科だなんて断固拒否。
どろどろした厄介事に巻き込まれる未来が容易に想像できる。
擬態し続けるにも限界というものがある。
今ですら背中が薄ら寒いというのに毎日なんて真っ平ごめん。
セラが居てくれたら心強いが、彼女は寮の部屋を整えているころだ。
カイゼルはウォルフ卿の呼び出しがあるので戦々恐々としているだけ。
ふんだ、知りません。
お嬢様、内心はむくれっぱなしである。
「わかりました。では改めまして、私が学園長を務めさせていただいておりま――。」
「貴方たち、話が長いですわ? 予定がありますの、そろそろ切り上げてくださいまし。」
拒絶の声にぴしり、と空気が凍りつく。
お嬢様の表情は崩れなかったが、カイゼルは明らかに体勢を崩した。
この場に居るのは、なにもお嬢様だけではない。
護衛として編入するウォルフ卿が、持ち場を離れることはない。
言葉途中に遮るのも無礼だ。
苛立ちを隠そうとしない様は貴族令嬢という肩書を何処かに捨ててきたらしい。
外見と声色は優しそうなのに、言葉は棘満載。
放たれる圧力など今にも襲いかかりそうだ。
そんな抜身の刃を前にして長々と口上を続けられるほど彼は豪胆ではなかった。
「で、では学舎となるのはこの区画となります。見取り図は事前に送付させていただいた資料に乗っておりますので参考にしていただければ。私からの挨拶は以上となります。」
途端に早口になった。
名乗りすら封じられた学園長は萎縮し、逃げだした。
騎士科の教員へバトンをつなげたのは頑張ったほうだろう。
何という力技、こういう令嬢も居るのか。
周りにものすごい迷惑をかけていそうだ。
騎士科のカリキュラムを説明するために控えている教員の大半が困った顔をしている。
その気持は解るが、ガイダンスは受けておかねばならない。
「……ウォルフ卿、あまり威圧しないで下さいね。私の知らないことは多いのですから。」
なので釘を刺しておく。
ややタイミングが遅かったのは長い挨拶の中でボロを出したくなかったからだ。
発言に応じて適切な相槌を打ち、表面上波立てずに笑み続ける。
割と維持が大変で、背筋の痒さが限界近い。
特にこちらを舐めるような露骨な視線。
あれにそろそろ堪えることができなかった。
「長口上に学ぶところはありませんわ? さて、説明と行動は正確かつ端的に行いなさい。貴方から。」
「き、騎士科は主に国防を担う道を志す者に開かれております!」
ついと顎で指名され、最初に口を開いたのは純人の男性。
彼が騎士科の主任なのだろう。
びしりと背筋を伸ばして上官へ報告するような口調になっている。
「授業内容は基礎体力訓練、兵法、護身術、武器を使った模擬戦から実地研修を取り入れております!」
教員が学生に向ける態度ではない。
これが狼人の統率能力だ。
圧、あるいは体内魔力によって格下の群れを掌握し、その運営を円滑に行わせる。
ウォルフ卿が撹乱用の魔道具を持っていた理由が解った。
彼女はその特性を抑えるつもりがないのだ。
「一つのクラスはおよそ十から十五名で編成されております! また他科目を履修する生徒のため、時間帯も朝、昼、夕それぞれ二枠設けられております!」
「よろしい。では必修のものを挙げなさい。」
「基礎体力訓練、模擬戦訓練を習得の後、専門科目である実地研修の合格が必修となります! それ以上は任意習得となりますが習得した科目によって卒業後の地位が約束されます!」
「推奨とされる他科目は?」
「共通科目から識字、算術、歴史学、貴族科から礼儀作法となります! 識字、礼儀作法は他学科ではありますが必修となっております!」
学園における行動は基本的に各々自由だ。
講義は学科に応じた専門科目と、他学科も受講可能な共通科目に分けられる。
そして他学科の共通科目であっても、所属によって必修単位に含まれる。
時間割を自身で組み、必要な単位数を修めることで卒業を目指すという方式だ。
在学期間は資料によればおよそ四年。
そう考えれば必修単位の総数は非常に少ない。
とは言え修めた単位種によって将来の選択肢が変わる。
成り上がることを目標にする者もいる。
「なるほど、ありがとうございます。取得単位の証はどのように立てればよいのでしょう?」
お嬢様二度目の助け舟。
そろそろ針のむしろに座り続けるのも辛かろう。
細かな講義内容は資料を読むほうが平和そうだ。
護衛対象であるお嬢様からの質問であれば、ウォルフ卿も強硬手段は早々取るまい。
声を張り上げていた純人の男性は明らかな安堵の息を吐く。
「では、引き続いての説明は私が。騎士科事務担当のルナリィと申します、以後お見知りおきを。」
「エルエル・シル・フォールンベルトです。お目通り叶いまして光栄です。」
引き継いで声を挙げたのは後ろに控えていた兎人の女性だ。
その種族名の通り、頭から長い耳が伸びている。
この国では珍しい人種ではあるが、何処であってもある分野で重宝される。
兎人はテレパシーのような種族間コミュニケーションを取れる。
これを応用し、荒事に接する受付を任されるのだ。
冒険者ギルドや商会はその最たるもの。
うっかり窓口で暴れようものならすぐさま警備兵がやってくる。
「こちらは冒険者ギルドの技術を応用いたしました学生証となります。そのままでは何の効果もない魔道具ではありますが、指を押し当てることで持ち主登録がなされ、専用の情報記載具となります。こちらに取得された単位が記されます。」
ルナリィ嬢が差し出してきたのは、お嬢様の手のひらサイズの薄い銀板だった。
見た目は何も記されておらず、つるりとした鏡面がお嬢様たちの顔を写すくらい。
右下のほうに正方形が記されており、そこに触れることで登録するらしい。
「二枚用意させていただいておりますのでウォルフ卿、フォールンベルト卿、この場での登録をお願いいたします。見届け次第、クラスメンバーへの紹介と体力測定となります。」
「ではウォルフ卿、済ませてしまいましょう。」
大まかなところは聞き終えた。
クラスメイトとの顔合わせと聞いて浮足立つお嬢様。
抑えたと思えば急かすとは、ウォルフ卿は小さく肩をすくめる。
よほど籠の中に飽きていたのだろう。
「仕方有りませんわね。フォールンベルト卿はわたくしの後に登録を。」
それでも護衛だ。
ウォルフ卿は仕込みが無いか確認するように目を細めた。
だがその圧力は如何なものか、ルナリィ嬢の顔が引きつっている。
「……問題ありませんわ。」
「では……あっ。」
許可がおりたので、ウォルフ卿に続いて指を押し当てる。
即座にちくりとした感触に思わず手を引いたが、指先にはなんの痕も残っていない。
銀板はじわじわと変質を始め、深く青い縁取りに黒地へと変色。
その上に名前や年齢が金の文字で浮かび上がる。
と同時に無機質なはずのカードへと妙な一体感が生まれた。
「情報が未記載であれば小さな針が飛び出して血を採取、そこから体内魔力とのパスを繋げる仕組みですか。治療の術式で後療法も完備と……狭い空間に相当最適化された術式が刻まれてるようです。」
感覚があれば過程を逆算するだけの知識は蓄えてある。
なるほど血液を媒体として提供者の体内魔力を銀板へ取り込み、魔力経路を占有。
その経路によって上書き不可能な専用の媒体へと変えるわけだ。
体内魔力は長く外へ留めることは出来ない。
遠く離れてしまえば経路も途切れる。
そうなれば情報が更新されなくなる。
一方体内魔力によって専有され、他の術式で弄る余地は残っていない。
専用とはそういうことか。
教員の前で登録を求めたのは、偽装を防ぐためだろう。
「難しいことを考えるものですわね、魔法科であるまいし?」
つい解析してしまったが、先に登録を済ませたウォルフ卿からは呆れ声で返された。
彼女の学生証は黒い縁取りに白い背景、黒い文字だ。
一方でルナリィ嬢はお嬢様の解析に感心した表情を浮かべている。
わずか十一歳、痛みを気にせず原理の方を気にするとは珍しい。
「……なるほど、学術、解析に秀でているという噂も確かなのですね。」
「母の血のお陰です。」
澄まし顔でそう返す。
お母様の影響としておこう。
これならお嬢様の評価が無駄に上がることはない、はずだ。
「改めてようこそ学園街へ! オレは基礎体力訓練と二人が編入するクラス担当をしているツァーボだ。立ちっぱなしもなんだし、早速顔合わせに行こう!」
会話に割り込んできたのは獅人の男性。
お嬢様から頭三つぶんはある身長だ、自然と見上げることになった。
野性味溢れる笑みに擦り切れた拳の骨はウォルフ卿に似ている。
彼女の作った空気の中、微妙な表情を浮かべていなかった唯一の教員だ。
「では案内頼みましたわ、ツァーボ。」
「任せて下さいお嬢!」
「こういった場では、せめてウォルフとお呼びなさい。」
「……うん? ウォルフ卿、お知り合いなのですか?」
妙に親しみを感じるやり取りにお嬢様が不思議そうに首を傾ける。
他の教員たちはこれで残りの仕事は任せられると肩から力を抜いた。
恐らく説明する機会が得られなかった他科目の担当者達だろう。
「登録は済ませましたわ。これより学園の理念に則り、共に学徒でしょう。シルヴィで構いませんわ? わたくしもエルエルと呼ばせていただきます。」
そういえば、入る前の石碑にそう言うニュアンスのことが書かれてあった。
ふと思い出したお嬢様を置いて更に補足説明が入った。
「ツァーボはうちの部隊の退役騎士ですわ。数年前に夫婦喧嘩で膝を痛めまして。」
「それ今バラす必要ありましたか!?」
「ぎゅあ……。」
「け、喧嘩されるほど仲が良いのですね?」
まさかの過去を暴露された、哀れみの鳴き声とフォローの声が重なった。
一体どんな激闘をすれば騎士を引退まで追い込む喧嘩になるのか。
職務に戻ろうとしていた教員方も、暴露された過去に何とも言えない顔を向けている。
初日から騒々しくて頼もしい。