第1話 入場選手のためのブーケ
2021/03/13大規模修正
大陸中心を貫く大山脈。
その盆地にフェルベラント王国は位置している。
かつてこの地は巨人が支配していた。
東西は峡谷に、北は険しい山に、南は海食崖に面しており、陸の孤島であった。
悪いことに彼らの巨体はこれらの障害をものともせず、この地を拠点として多種族を文字通り食い荒らした。
巨人の暴虐に抗う人々は竜人の力を借りて立ち上がる。
この地へ攻め込み、多くの犠牲を出しながらついにこれを打破することに成功した。
かくして苛烈な戦いの末、南部の崖は当初の面影すら残さず崩れ落ち、東西の峡谷を渡るための巨大な橋も建設された。
唯一交通の便が確立していないのは戦火の及ばなかった北部の山々のみだ。
今では流通の拠点として繁栄するに至る。
何が言いたいのかと言えば――
「ねえセラ! あの露店で扱っているのはヴィオニカ連邦国で開発された最新の魔道具よ! 同時に複数の機能を織り込む立体刻印を使用した初の試作品が出たばかりと聞いていたのに、もう量産化されているのね、さすが技術大国! あちらはバネ細工を使った風量調整魔道具の最新版! そうね、あれみたいに調整先の回路を出力差ではなく全くの別回路で組めば……ああでも、そうしたら今度は最初の式に齟齬ができてしまうわ!」
「きゅー!」
「ええ、ええ。解りましたからお嬢様、そのように窓に張り付かないでくださいませ。」
「向こうに並んでるのは冶金で名高いレフス帝国産の硝子細工! 縁取りは特産品の銀ね。加工温度の差は特殊炉と魔道具を使って緩衝帯を作っているらしいけど、どうすればあそこまで形を歪めずに精密な形のまま加工出来るのかしら。道具も硝子と銀で分けて、同時作業を行うのなら可能なのかしら? 竜細工ばかりなのはこの国の需要をよく知っているからね!」
「きゅう!」
「お嬢様。」
「わあ、あのお魚、私と同じくらいの大きさじゃないかしら! 鮮度を保つための氷は北部の山のものね。物資の運搬に使われている早馬はヴィオニカ連邦国の飛行船をお母様が再設計したとか! あ、あちらでは魔法を使ったパフォーマンスをしているわ! 水と光の魔力経路がとっても綺麗に組まれてる! 水の内部に空洞を作ることで光の操作部分を簡略化、そういう方法もあるのね! でも方程式の一部に歪みがあるわ、映像を動かす部分は風で補ったほうが良さそうね、そうなると最適化をしなおさなきゃ!」
「ぎゅあぁ!」
外に出られたお嬢様大興奮である。
つい先日、十一歳の誕生会でも取れなかった仮面が外れている。
屋敷から続く整備された石畳を進めば木とレンガの建物が規則正しく立ち並ぶ。
広く取られた歩道には、商会から出張してきた様々な市場が広がってる。
色とりどりの品を前にして、ついに好奇心が爆発したらしい。
狭い馬車の中、窓と窓を往復しっぱなしだ。
それに感化されてか、頭上でカイゼルもはしゃいでいる。
長い尻尾がばっしばっしと馬車の中を叩いていた。
こんな事もあろうかと完全遮音、窓も頑丈な水晶細工だ。
とにかく早口でまくし立てるお嬢様も、頬を紅潮させて無邪気にはしゃぐご令嬢にしか見えまい。
さて、目的地とする学園街のある区画まではおおよそ一刻半ほど。
セラは久々なお転婆っぷりを見て、懐かしそうに目を細めた。
* * *
ひとしきり興奮した後には深呼吸して澄まし顔。
知識として蓄えてきたものを実際目の当たりにすると抑えが利かなかった。
無意識に口走っていたお転婆口調を思い返して悶かけたが、それは胸の内にしまっておく。
以後気をつけよう。
今は学園街へ入るための手続き待ちだ。
ここからは貴族らしく振る舞わなければならない。
カイゼルは頭の上から降りようとしてくれないが、許容範囲内だとか。
中々身につかなかったとはいえ、既に基本的な下地は知識にあった。
それを元に微調整と修正を加えれば、たちどころにお嬢様は貴族のご令嬢に化ける。
なお、実践している間は背中がむず痒くて仕方がない。
「……ええ、狐人が化けていると言われても違和感がありません。」
「やはり馬鹿にしてますよね、セラ。」
やり取りこそいつも通りだが、不服そうに小首を傾げたりしてみせる。
頬を膨らませるといった子どもじみたことはしない。
少し拗ねたように見せるのが良いとか。
ちょっと解ってしまう、経験の怖いところだ。
「とんでもない。あの短期間でよくぞここまで身につけられましたと感服いたしております。」
基本的に授業のメインは護身術になっていた。
そのため礼儀作法の時間はあまり取れなかったのも事実。
にも関わらず的確なさじ加減で仕上げるセラの腕にはさすがの一言。
「そういうことにしておきます。」
列の先に見えるのは立派な門。
学園街は王都を守る城壁とは別の石壁で囲まれている。
それはこの場所が外部から独立していると示すためだろう。
遠目からでも見える入口の石碑に記されているのは、学園街の理念だ。
『この学舎は初代国王グレインの名の下、自由と自治が認められる場である。この内ではいかなる身分の者も、いかなる種族も皆学徒である』
その文字を額面通り受け取るほど、お嬢様は清くない。
この世界ではない場所でもそうだった。
崇高な理念や理想を掲げたところでその実現には至らない。
身分は責務と矜持として枷となり、成績の優劣は僻みや嫉妬の対象となる。
種族の垣根に関して言えばこの世界の方が進んでいるが、完璧ではない。
高い身分と成績優秀のお嬢様に矛先が向かないことがあろうか。
若干の先行き不安はあるが、上手く立ち回るしかない。
自由を得るには何らかの対価が必要だ。
そのために自らを高め、自らを磨く。
足踏みしてはいられない。
「……うん?」
石碑へと意識がそれていた間に、真っ黒な馬車がぴったりと横付けされていた。
列の進みは緩やかだ。
黒塗りの馬車にぶつかって示談がどうとかいう速度ではない。
窓越しにこちらへ視線を向けているのは――。
馬車とは対象的に真っ白な髪をした少女だった。
頭から突き出している耳もまた真っ白い。
耳の形状からしておそらく狼人。
年の頃はお嬢様より上だろう。
真っ黒なドレスに身を包み、口元を同じく真っ黒な扇子で隠している。
目つきは柔らかく、肩下まで伸びたふんわりとした巻毛も相まっておっとりとした風貌だ。
異質なのはその瞳。
外見を裏切るぎらぎらとした黒瞳は値踏みし、見定め、射抜くような鋭い刃。
「セラ、窓を。」
「かしこまりました。」
様子からしてお嬢様に用があるのだろう。
円滑なコミュニケーションは会話から始まる。
無視をしては学園生活に支障をきたす可能性が高い。
遮音効果のある水晶窓が開けられると、計ったように第一声。
「ごきげんよう。貴方がフォールンベルト家の箱入り娘と名高いお姫様で相違なくて?」
外見から想像もつかず、瞳の印象通りの苛烈さを宿した声。
口調こそ疑問系だが、確信を含んでいる。
馬車には家紋が印されているため当然だ。
少しばかり浮ついていたお嬢様の視線がきゅ、と引き締まる。
先手を取られた、問われたからには偽りなく応えねばならない。
秒に満たぬ観察。
限られた視覚情報から得られたのは馬車の色と彼女の種族、そして扇子を持つ手。
お嬢様はその形を経験としてよく知っている。
紋章は確認できなかったが推測完了。
「はじめまして。いかにもフォールンベルト家が長女、エルエル・シル・フォールンベルトです。……名高き『黒狼』の異名を持たれるウォルフ家のご令嬢とお見受けしますが?」
知識だけだが、この国の貴族達のことも頭に入っている。
狼人。
纏う色彩は主に黒。
お嬢様の姿を把握している。
そして何よりあの拳。
よほど使い込まなければあの拳は出来上がらない。
ウォルフ家とは狼人にして中級貴族、近衛騎士団の近接格闘部隊を束ねる家系。
戦場に身を置く騎士に対してならば、貴族としての礼よりも適したものがある。
ゆえにお嬢様は身につけておいたそれではなく、右手を胸へあてて礼とした。
心臓を守る手は、命のやりとりを行う騎士の礼。
目元と口元を引き締め、表情を張りつめる。
ドレス姿なのであまりさまになってくれない。
「……ふっ……。く、ふ、ふ、ふふ……!」
少女は一瞬目を見開いたかと思えば、それはもう良い獲物を見つけたとばかりに肩を震わせだした。
失敗だったのだろうか。
一瞬セラへ視線を向けるも素知らぬ顔。
従者がしゃしゃり出るべき場面ではないので正しい行動だが不安になる。
「セラさん、貴方の入れ知恵かしら!」
「まさか。これがお嬢様の素でございます。」
「ああ、ああ……、父上からは随分とつまらない仕事を任されたと思いましたが……面白いですわ!」
ぱたんと扇子を閉じるとその下から、野性味溢れる笑みを浮かべた口が現れる。
同時に今まで見えなかった彼女の色彩が飛び込んできた。
瞳の光と語調を表す荒々しい魔力だ。
あの扇子は体内魔力の撹乱効果を持つ魔道具なのか。
とても楽しそうなのは結構だが、まだ自己紹介をしてもらっていない。
念の為程度の警戒とはいえ、し続けるのは精神を削る。
ようやくその事に思い至ったのか返してきたのはお嬢様と同じ礼。
だが遥かに様になった動きで返してきた。
「失礼しました。お初お目にかかりますわ。ウォルフ自治区総括が長女にして近衛騎士団近接格闘部隊筆頭。二つ名を『黒狼』、シルヴィ・ロン・ウォルフと申します。同級生ということになりますわね。よろしくおねがいしますわ?」
同じドレス姿なのに本職が行うとここまで見栄えが違うものなのか。
ともあれ身分がわかればようやく肩から力も抜ける。
後から聞いた話だ。
騎士礼をされた際、階級を含めて名乗り返すのがマナーなのだとか。
実のところお嬢様はそのマナーを知らなかった。
偶然の産物だが、カウンターを入れてきた事がいたく気に入ったらしい。
なお、ウォルフ卿の正体を見破れたのには視覚情報以外にもう一つ理由がある。
過保護を体現したかのようなあの両親が、セラ以外に手のものを回しても何ら不思議ではない。
まさか現役の部隊長をあてがってくるとは思わなかったが。
「さて……それはそれとしまして、貴方の相棒は? その頭に乗っている小さいのかしら?」
「はい、こちらはカイゼル、と……。」
どうして突然楽しそうな笑みを引っ込めて目を細めたのだろう。
ふうん、とか、へぇ、とか聞こえる声がなんとも不穏な色を含んでいる。
苛烈な色彩がより攻撃的な色を帯びてくる。
「大切な相方が警戒したというのに、気を抜いたままとは随分と良いご身分ですわね? カイゼル、貴方はお嬢様の編入手続きの後に顔を出しなさい。」
「カイゼル?」
へえ、ふうん、そうだったんですね?
お嬢様の口から思いの外低い声が漏れた。
表情は崩れていない……はずだ。
「ぎゅあ!?」
お嬢様は合格したらしいが、相棒は残念ながらお目に叶わなかったらしい。
悲鳴が頭上から降ってきたが庇ってあげない。
警戒していたのが自分だけと知り、お嬢様ちょっとおこである。