第11話 控室で聞くプレリュード3
2021/06/12追加
流石国境の街だ。
比較的高めの建物はベランダ、屋上、櫓と、広い視界を得られるよう造られている。
だが、それでも壁を超えるほどの高さとなれば限られる。
「次は……。」
煉瓦の屋根を駆けるのは黄金色を纏ったお嬢様。
遮蔽物が少なくなり、広く見渡せるぶん最短経路を導ける。
目指すは製粉区画、多くの風車が立ち並ぶ場所だ。
路地を走るよりも直線距離のほうが早い。
前日の怪我は完治している、動きを阻む要素はない。
「手前は神殿ですか、丁度いいです、ね!」
とつ、と石突きを屋根の一角へ突き立て、しなりを利用して距離を稼ぐ。
目指すは神殿の側面部分、屋根には到底届かない。
窓際に片手を引っ掛け、振り子のように足を次の窓枠へ。
頑丈な作りで助かった、雨どいへ手をかけて体を持ち上げる。
強い風にフードが剥がれるが、視界が開けてむしろありがたい。
柔軟性に富んだこの身体は、理想通りに動いてくれる。
「居たぞ! なんてところに昇ってやがる!」
足元で声が上がり、いくつかの風切り音。
即時テラスへ飛び、ひぅんと手槍の穂先をしならせ円を描く。
はたき落とすのは自身の身へ届く矢だけでいい。
すぐに手すりに足をかけて跳躍し、装飾された柱を伝って屋根へと駆け上がる。
最後の跳躍は出っ張りに手槍を叩きつけて距離を稼ぐ。
「本当に竜人か!? 猿人の間違いじゃねぇだろうな!」
「……随分と勝手を言ってくれるものです。」
追いかけてくるから、引きつけて逃げているというのに。
もちろん、その逃げ方が常軌を逸していることは知っている。
今更ではなかろうか。
令嬢という枠にすら収まれなかったのがこのお嬢様だ。
飛行しての把握なら相方に頼む手もあったが、それでは地上の防衛が手伝えない。
『ルゼイア、神殿の国境方向。騎士の方がまだ回りきれていません。』
『全く地の利がないからこそ厄介だね、効率的な動きじゃ見つけられない。』
絆を通してやり取りすれば、即座に駆けつけてくれる。
屋根上に昇ってしまえば、平地からの射掛けはさほど怖くない。
次に高いのは建造中の風車か、そろそろ目的の区画に入る。
狙い目は出来上がっていない建物だ。
「すごくありがたい、です、ね!」
建設中ということは、足場が組まれているということだ。
基礎工事のほうは終わっている、建物の骨組み強度も充分に思える。
加速の一歩、追加の一歩、跳躍の一歩に少し神殿の屋根が軋んだ。
ひゅおん、と風を切って金色が青空に投げ出される。
「しっ!」
少しの後、重力に引かれて落下を開始する。
完全に捕らわれる前に手槍を突き出し、足場に絡めた。
腕に重さが走るが、落下起動が変わって無事着地。
「いえ、重くありません! むしろ軽いですから!」
別に誰に告げるわけでもない自己暗示の後、骨組みだけの風車の中へ。
足を踏み入れた所で後ろで矢が落ちた。
内側も骨組みしか出来ていないが、通り過ぎるだけなので問題はない。
この風車では高さが足りない。
程なく反対側へ移動すると、風車間で物資のやり取りを行う滑車を発見。
構造の即時解析、蒸気機関を組み込んでいる。
早馬に似ている、なら操作も応用でいけるはずだ。
「よい、しょ!」
幸い作業員たちも避難は済んでいるため、躊躇いなく起動。
がしゅ、と煙を吹いて隣へ向かう最中、魔力が動く。
回路の構成から炎と土の矢、落ちた所で捕らえるように風の網。
ずぐん、と黄金の竜が身体を伸ばした。
圏内へ捕らえることで大いなる魔力は吸い尽くされる。
「くそ! また食いやがった! 早馬取りに行った奴らはまだか!」
「直接飛んでこられると流石に厄介です……。」
『ルゼイア、カイゼル。頭を抑えておいてください。』
『騎士団のほうがもう抑えていた、僕はこのままエルの護衛に当たるよ。』
少し過小評価していた。
リュカン卿もその辺りの抜かりは無かったらしい。
狼人の統率があれば騎士たちの動きは段違いに変わる。
おまけに常駐しているのは騎兵部隊だ。
細道こそ遅れをとるが、近くまで格闘部隊を送ることはできる。
『頼りにしてます。』
程なく足元で震脚の音とうめき声、壁に激突する音。
相方が追いついてきたようだ。
その折、西の方から轟音が響いた。
バレッタ氏は火砲を持っていたのだ。
ならば玩具好きの墓荒らしがより大きな物を持ち出していても不思議はない。
「ミズールさん……、絶対弾き返しますよね。」
学園で急成長していった幼馴染を思い出す。
お嬢様も銃撃をある程度見切ることができたのだ。
より守りに力を入れている彼女が、並の砲弾でどうにかなる様子は想像できない。
振り向くこともなく滑車を停止、随分と出来上がっている風車内を更に上る。
縄を振り子のように使って上昇、足場から足場へ飛んで上がる。
最後は壁を蹴って強引にガラスの張られていない窓から屋根へ。
「わあ。」
ようやく壁の向こうが見えた。
緑に染まった谷底へ落ちてゆく水流、対岸は随分と土の色が強い。
とは言えあちらも国境だ、壁で覆われた向こうは赤茶の建物が立ち並ぶ。
一際大きな建物は駅舎だろう、鉄道が走っているはずだ。
そこから空へと視線を上げていけば、青空に点在するいくつもの岩。
この辺りにも少しは浮遊岩があるらしい。
『エル。』
『ごめんなさい、つい。』
屋敷の外でもない、学園の外でもない。
ここから先は異国だと思えば、されてきたことも忘れてついワクワクしてしまう。
大丈夫だ、馬鹿なことをしてきたツケはきちんと払ってもらう。
きゅ、と目に力を込めて、バラバラになっているという橋へと視線を向けた。
確かに複数の加工された浮遊岩が無秩序に並んでいる。
見た瞬間、激しい頭痛と目眩がした。
「これが、お母様の本気……。」
ありえないほど巨大な自然橋。
それが世界に存在すると認識させる刻印魔法。
刻まれているうちのほとんどが世界に対する再定義だ。
物質に概念を接続するとか、常識外の固定魔法なんて大したことがない。
概念に一切の矛盾無く、一切の停滞を生み出さない完全魔法が広がっていた。
なるほどある程度こじつけであれ、物理法則に寄せれば矛盾は抑えられるのか。
「――すぅ。」
気圧されている暇はない、必要な箇所を見つけなければならない。
深呼吸して覚悟を済ませれば目が据わる。
四万の刻印は定義部分なので流し読みで終わらせる。
七千の刻印が橋の移動に関する規則性、解析開始。
邪魔をしないよう、相方から絆が途切れた。
彼が居てくれるのだから、この場所は世界で一番安全だと断言できる。
だから全意識を解析に注げる。
「浮遊岩の浮力定義、風による気流の定義、組み合わせ順の定義、偶発的に並ぶ可能性の算出、存在に対する証明とその認可、強度補佐への接続箇所……、見つけました、緊急起動式。」
七千の定義を把握、残り九十二が橋の中心刻印。
緊急起動の可動箇所はその中に埋もれていた。
起動用の鍵穴は、国境門の位置。
両国にあるが、現在は魔力密度の高い方が優先される方にスイッチが入っている。
各々が七千の定義と紐付いているため、移動順を頭に叩き込む。
だが、いくつかの結びつき先が見えない。
高さが、まだ足りない。
ここから上るとすれば壁に近い櫓だろう、一息で飛んで登れる。
「……せぇ、の!」
軽く助走をつけ、跳躍。
補助として手槍の石突きで屋根を叩いた。
空中へ完全に身体を投げ出した刹那のこと。
どん、と突然横殴りの暴風に殴り飛ばされた。
「きゃっ!?」
ただの風なら想定していたが、まるで竜巻に突っ込んだような感覚。
堪らず小さな身体はバランスを崩す。
自然現象ではない自然現象、見れば流し読みした定義の中に入っている。
防衛装置まで兼ねているとは恐れ入ったが、このまま自由落下しては時間が――。
「はーい、親鍵起動。簡単には落とさせないよー!」
落下の衝撃と、再度駆け上がる覚悟した瞬間。
複雑怪奇な術式が、またたく間に防衛のスイッチを無効化していく。
振ってきたのはロウエルで別れた学友の声だった。
「フリグさんに言われた通り、追いかけてよかった!」
ぐんと腕を引かれて櫓の上へ着地する。
櫓の中にいたのは、お忍び服を着たレオン嬢。
どん、と強い存在感を放つ二つの丘が丁度目の前だ。
これもお母様の想定通りだとは、全くどこまで見えていたのだろう。
「れ、レオンさん、ありがとうございます。」
「追いかけるの苦労したー! あたし達の一味の中でも、あんなアクロバティックな移動する子いないよー!」
町中を、というか窓や障害物を利用して動くお嬢様を見ていたのだろう。
パルクール、と呼ぶにはいささか使える足場は少なかった。
真っ直ぐ走ったお陰で向かう先を逆算できたが、地上からでは中々追いつけない。
「気にしなくていいよー! さあ、さっさと解析進めちゃって。そろそろカリストさんが怒り始めるからあたしはこれで!」
にかっと笑って親指立て。
とーう、と気の抜ける声を上げながら飛び降りるレオン嬢。
流石獅人、地上二十メートルほどから恐れもなく綺麗に着地する。
着地と同時に結構ガチ目の全力疾走を開始。
怒り始めると言っていたし、大方何も言わずに別行動を取ったのだろう。
『ぐふっ!?』
唐突に相方から絆が繋がる。
行きがけの駄賃、すれ違いざまに相方のボディを打っていったらしい。
ロウエルでの一件ではまだ許してもらえないようだ、覚悟の念が伝わってきた。
相方には大変申し訳ないが、今は時間が惜しい。
櫓の上へ梯子を使って移動し、最後の解析を始める。
「……見えました。」
結びついていたのは二千と五つの強化刻印。
確認したお陰で動かす順番を修正することができた。
一気に移動する算段も同時に完了。
街のあちこちで小競り合いが発生している。
渡るなら、それこそ早いほうがいい。
何十キロも駆け抜けていられない。
『飛び降ります、受け止めてください!』
絆を通して相方へと知らせる。
なお、この場合の飛び降りるは櫓から真下へ落ちることではない。
防衛装置の暴風を利用して、国境門の方向へ吹き飛ばされるという意味だ。
幸いにも翼を広げれば、風を受ける表面積をかさ増しできる。
察した相方が着地予想地点を算出し、全力疾走を開始した。
彼なら間違いなく、地面に叩きつけられる前にお嬢様を受け止める。
抱きとめられる状況に憧れを抱いてしまう年頃なのだから仕方ない。




