第11話 世界ブックの裏側へ
2021/05/15大規模修正
「それにしても、エルシィさん可愛さが倍増してたね!」
さて、ここからは浴場で中断した雑談だ。
肌のケアは怠っていないし、髪の方だって徹底している。
暑さに屈しても、侍女達によって叩き込まれた慣習は染み付いたものだ。
一方魂の記憶と現在の肉体の差異を埋める鍛錬も続けている。
その結果華奢ながらも弱々しくは見えないくらいになっていた。
「レオンさんは、また育っていませんか。」
一方碧瞳が不満そうに見つめるのは学友の胸部装甲。
お忍び服の下から声高に主張する二つの丘は、その標高が上がっている。
そんな二者へ届く氷点下の視線。
「私から見れば、エルシィさんも充分ある方だけれど?」
二人共偽名に慣れるため、そちらで呼んでくれている。
冷気の視線が胸に突き刺さり、二人して思わず腕で庇った。
サイズで言えば一番控えめなのがカリスト嬢。
「で、でもカリストさんは背も高いですし、手足がすらりと長くて綺麗ですし!」
「そうそう! 一週間に一回は告白されてたよね!」
「ええ、同性からね!」
肩ほどに切りそろえた髪に凛々しい顔立ち。
モデル体型で面倒見が良くて快活。
カリスト嬢は男女問わず人気があった。
特に身分を鼻にかけない所が大きい。
中でも男装じみた騎士服に心を撃ち抜かれた令嬢は多かった。
最も本人にそういう趣味は全く無い。
好かれることはともかく、恋慕まで行かれると困るようだ。
「この会話の温度差……、さっきまでのは何だったんだ。」
一人置いてけぼりのフォクシ嬢。
真面目な会話は置いてきたとばかりに別話題で盛り上がる。
貴族特有の意識切り替えにはまだついてこれそうにない。
「そう言えばフォクシさんも言い寄られてるとか。」
「ああ、クリムゾンクレイの衛兵な。」
「その話、あたし聞きたいかも!」
レオン嬢が食いついた。
カリスト嬢も目を爛々と光らせている。
姉弟子が思い切り後ずさる。
「毎回袖にしてるってぇのにしつこいってだけだぜ? 大体オレのどこが良いのか――。」
「来た時の格好見たけど、すごい胸強調されてたよね。あとカリストさんみたいに格好いい路線で同性にも人気と見た!」
「エルシィさんが膝の上で動いた時の反応、すごく可愛かったわ。」
「はあ!?」
しっかり頭をクローされながらも言い切るレオン嬢。
レオン嬢の頭を締め上げながらも追撃をかけるカリスト嬢。
阿吽の呼吸と言うべきか、矢張り仲がいい。
お嬢様たちと同じように姉弟子が胸元を隠す。
シャツの襟がほんの少し緩んで肌色が覗く。
目立たないだけで随分な膨らみが押し上げる布地の緩み。
「……この人、ハルト君と同じ様な拗らせ系ね。」
カリスト嬢の冷静かつ無慈悲な考察。
華奢で柔らかそうなお嬢様、凛々しい癖にたまに可愛らしい反応をする姉弟子。
快活でスタイル抜群なレオン嬢に、モデル体型で面倒見の良いカリスト嬢。
四者四様、魂からの判断はいずれも魅力的である。
なお乙女心が絡んでくると、相方が目移りしないかと無駄な心配が湧き上がる。
『僕はエル一筋だからね。』
絆を通して相方から思考が向けられる。
表情に出したつもりもないのだが、ずっと側にいただけのことはある。
お嬢様の内心など筒抜けらしい、大変恥ずかしい。
「やっぱエルシィはあれだな、彼氏ができたのが大きいよな。影でしょっちゅうイチャついてるし。」
ぐるん、と好奇心の視線がそのままお嬢様に向けられた。
相方のことを許さないと言っていたはずなのに、それはそれ、これはこれ。
少し意識を逸らしていたらこの有様だ。
「ええと、確かにお付き合いはさせて頂いてますが、特に報告するようなことは進展はなく……。」
思わず口調が変わるお嬢様。
直感的に二人は悟る、これは嘘だと。
ならば次は負い目のある魔王を問い詰めるべきだ。
弱いところから切り崩すのは定石。
「……認めたく無いけど、こっちはこっちで美青年やってるわね! 本当に十三なの!?」
「ええと、生まれてから十三年で間違いはないはずだけど。僕の場合エルの成長に合わせるから、この器は大体十八くらいかな?」
お嬢様との身長差は見上げる程度。
だが、相方の面持ちは少年と言うよりは青年に脚を踏み入れていた。
体つきだって、すっかりと大人びている。
手入れの行き届いた銀髪に小綺麗な服を適度に着崩し、鍛えた身体を覗かせる。
深く青い瞳の色と口調は落ち着きを含んでいる。
ちなみに引き締まった胸板とかお嬢様にとっては凶器以外の何物でもない。
「私、それ初耳ですよ!?」
お嬢様が悲鳴をあげた。
成長に合わせたということは、お嬢様の身体は既に十八相当ということだ。
これ以上身長の増加は望めない。
小柄なのは竜人の性だが口惜しい。
「それでー、エルシィさんは報告することも無いって言ってるけどー?」
「実際の所どうなのかしら。」
「……な、にもない、かな。」
怖い女子二名からの圧力とお嬢様からの絆越しの訴え。
幸いにも訴えの方が勝ったらしい、当然ではあるが一安心。
とは言えこの反応、何かを隠している事はバレバレだ。
普段は落ち着き払って楽しそうな声色が浮ついている。
どうやってこの局面を乗り越えようか思案する矢先。
「まあ接吻してたくらいかね。特に寝る前とか。流石にそれ以上はオレが止める。」
「フォクシさん!?」
不意をついてきましたね、この裏切り者!
そんな視線はセラと同様スルーされる。
見つからなように気をつけていたはずなのに。
こちらを見る視線が大変痛い、好奇心がぐさぐさ刺さる。
「いやー、先を越されちゃったねー。あたしもう十七だよ、適齢期だよー?」
「家の方に縁談は来てるみたいだけど……、私もそろそろ考えるべきかしら。」
各々の身のふりを考えるような発言をしているが、これらはブラフだ。
その証拠に意識はお嬢様から一切離れない。
流石騎士科の貴族、この辺りのさじ加減は絶妙だ。
ここからどんな質問が飛んでくることやら。
お嬢様でなければ気を抜いていた。
「さ、さておきまして。この先ベイル村へ向かうまで、どうやって魔獣の群れを退治していくか……。」
「魔法団長さんに聞けばいいでしょう、身内を頼ってあげなさい。」
「ううぅ……。」
話をそらそうとするが一瞬で引き戻される。
口づけの話が出たため、感触が思い返されている。
ガサついていない柔らかな唇を重ねられたときとか。
最中に腰を抱く腕に力が篭もる所とか。
一方でお嬢様も首に絡めた腕に力が入ってしまったり。
優しく口を割られて入り込んでくるものとか。
頭の芯に響くような水音がとか。
お嬢様の魂にある記憶の技を、相方は余すこと無く身につけていた。
無駄に、全部、身につけていた!
お陰でことこれに関しては一方的に翻弄されている。
「……うわあー。」
「これは破壊力あるわね、ルゼイア君?」
「……まあ、うん。」
気づけば耳先は赤く染まり、へたんと下を向いていた。
両手で髪の房を掴み、頬を隠そうとしている。
折角のぼせた状態から落ち着いたのに、それ以上に紅潮している。
おまけに逸らした碧の瞳は涙でも浮かんでいそうなほど潤んでいた。
妙な艶めかしさに学友二名が慄く。
これ以上突くべきではないと学友二名の直感が告げる。
興味はあるが、馬に蹴られる趣味はない。
「じゃあフォクシさん、私達からの情報共有はこれで。」
「ちょ、おいどうすんだよこれ!」
そそくさと部屋から逃げ出す学友二名。
姿が見えなくなると、途端にうめき声を上げて崩れ落ちた。
学友に彼氏との仲がどれだけ進んだか知られるのが、辛い!
下手に表情を武器にする方法を知っているだけに破壊力は五割増し。
認識阻害が無いせいで、フォクシ嬢にまで赤面がうつっている。
「とりあえず、部屋戻るぞ部屋。そこで落ち着いてから連絡魔道具で相談だ。」
「……はい。」
* * *
部屋との往来の際には全身認識阻害効果のある長着を羽織って移動する。
そのため廊下ですれ違ったりしても誰かと目があうことも、注視されることもない。
お忍びのための施設とはよく言ったもの。
取っておいてもらった食材や水の補給も問題なく終わっている。
割り当てられた部屋の床は、帝国特有のイグサで編まれた畳だった。
知らないはずなのに懐かしいような匂いがする。
当然履物は入り口で脱いである。
「道中に現れる魔獣の数が多くて……。」
既に夕食の膳が引かれた後。
その際に布団も三人分敷かれている。
ベッドではないところも帝国式、王国とは違うのだと思い知らされる。
現在は連絡用の魔道具を起動して相談しているところだ。
『そうね、エルの固定魔法だと周囲の魔力は使えないわ。自分の魔力で回路を組むことも難しいと考えておきましょう。』
冷静になったお母様が困ったように告げる。
なお最低でも二日に一度は連絡をしている。
おかげで最初ほど暴走はしなくなっていた。
『でも刻印魔法に目をつけたところはお母さん、評価したいわ。』
「結局、任意の魔法をと欲張ると大きさも密度も大変な事になりそうですけど。」
お嬢様が格闘術や槍術ではなく、魔法を使うとなると結局それが問題だ。
肉体の技で相手取れるのは多くて十人まで。
魔獣相手となれば勝手がまた違ってくる上に、連戦ならば消耗が激しい。
それこそフォクシ嬢に魔法を使ってもらえば良いのだが、今後のこともある。
きちんとした対策を考えておく必要があった。
「廃坑で使ったみたいな打ち方は時間がかかるよね。その間僕が守れば良いけど。」
「毎回それでは、貴方に負担がかかるじゃないですか。」
「エルを守りきれるのなら我慢するよ。」
ちょっとその言葉を嬉しく思ってしまうのはいけない。
立場はあくまで対等なのだ。
暑さに弱いのは相方も同じ。
守るとなれば運動量が跳ね上がる。
そもそもお嬢様の竜の息は主に魔力へ作用する打ち方だ。
物理への作用へ変えることもできるが、推測上地形が変わる。
必要なのは任意対象への攻撃手段であって、無差別破壊の手段ではない。
『孫は帰ってきてからよ?』
『奥様、最早聞いてもらえていません。』
慣れとは恐ろしいもの。
冷静なセラのツッコミが入る。
学友相手には取り乱したが、お母様からは言われすぎて聞き流すようになっていた。
『むう……。そうね、エル。それじゃあお母さんから宿題を一つ出してあげる。』
「宿題、ですか?」
お母様が何か課題を出すとは珍しい。
というか初めてかもしれない、後ろでセラが驚いた顔をしている。
既にお母様は答えに辿り着いたのだろう。
『既に手札は揃っているわ、わたし達の愛娘。わたしがあげたもの、スフォルがあげたもの、セラがあげたもの、カイゼルがあげたもの。』
つらつらと詩を歌うように言葉が流れる。
柔らかい微笑みに聞き惚れるような澄んだ声。
こうしていればお母様も随分と洗練された花だ。
普段接している時との差異が大きすぎる。
「お母様に貰ったもの、お父様に貰ったもの、セラから貰ったもの、カイゼルから貰ったもの……。」
続けるように暗唱する。
いずれも多くを貰っている。
まずは候補を上げるところから始まる。
目指す目的は決まっているため、絞ることはできる。
『さあ、後はパズルの時間。固定魔法を組んだ時とは違うもの、これは貴方が望む本当の魔法。好きなように組み立て、思う存分楽しみなさい。答えが出来上がるのを待っているわ。……あ、もちろん定期的に連絡はちょうだいね!』
『エルからのつうし――。』
告げるだけ告げて、珍しく通信はあちらから切られる。
あのままだと絶対答えまで言ってしまっていた。
フェードアウトしてしまったお父様には申し訳ない事をしてしまった。
深呼吸を一つ。
「……相変わらず嵐みてーな人だよなあ。」
「今回はまあ……随分抑えたんじゃないかな? スフォルさん、あれが惚れた弱みなんだね。」
外の世界で姉弟子と相方が会話をしている。
意識は内面へ、内面へ。
魂に紐付いた緻密な体内魔力の回路を辿る。
よくまあこんな複雑怪奇なものを組み上げたものだ。
一切の遊びがなく、ただ異世界の動きを再現するためだけのもの。
華奢な身体では扱いきれない技も多い。
そのための拡張体を外付けするものだ。
一人一人の記憶を魔力で再現している、少ない魔力では到底足りない。
だから周囲から魔力を吸い上げるのだが、覚醒を用いて癖を馴染ませだした。
全力で解放する機会は少ないだろう。
「これは、私自身の工夫……。」
お嬢様が必要に応じて組み立てたものだ。
下地にお母様の遺伝があるかもしれないが、また別。
ならば魔力阻害の扇子はどうだろう。
刻印魔法に着目するのであれば、魔道具から考えねばならない。
この魔道具に使われているのはヴィオニカ連邦国で作られた魔力停滞の技術。
その停滞効果はお嬢様の固定魔法を阻むほど。
「とりあえずそろそろ寝ようぜ、明日からまた――。」
外から声を掛けられるが、集中するお嬢様は意識を向けない。
どうすれば文言魔法のような自由が効く魔道具を作ることが出来るだろうか。
持ち運び出来るサイズでなければならない、そのために複雑すぎてはならない。
文言魔法は自らの体内魔力で回路を組む、言わば想いの効率化だ。
お嬢様は契約と制約によって体内魔力を縛り付けている。
回路を組むならば外部の何かが必要だ。
――そういえば、覚醒は魔法とはまた別の体系。
そのくせ文言と刻印両方の特性を持つ。
身体に魔力を焼き付け、体内魔力の形を圧縮するだけの技。
「ううーん……。」
突破口はその辺りだろうか。
魔法に関する知識はセラから。
魔道具に関する知識はお母様から。
覚醒に関する知識はお父様から。
そして、停滞に関する理解は相方から。
情報の手札は揃っているらしいが、決定打に欠けている。
「……あれっ。」
思考から戻ってきたら、いつの間にか布団の中に入れられていた。
消灯まで済んでいる。
明日からまたあの地獄のような道を歩かねばならない。
仕方がないので思考は一時中断。
お母様にも言われた、楽しんで考えろと。
相方が誘拐され、激情のまま組み上げた魔法とは違う。
『エル、夢中になりすぎ。』
すぐ隣の布団に居る相方から拗ねた感情が伝わってきた。
どうやら彼が布団まで移動させてくれたらしい。
流石に王国外で宿の中、フォクシ嬢も普通に眠っている。
『ごめんなさい、考え始めたら楽しくなってきて。』
だから起こさないように絆を通して会話する。
うっかり声を出そうものなら即座に起こしてしまう。
ここまで姉弟子には散々苦労を掛けてしまっている。
ベイル村で喧嘩を売られる前に売りつけて、その後は急ぎ国境超え。
そこから先はフォクシ嬢の管轄外だ。
『向こうに渡ったら、まずは冒険者としての格を上げる? それともどこかの州に後ろ盾になってもらう?』
『後ろ盾を作る方が良さそうです。できるだけ墓荒らしとの関係がなさそうな所で。』
望むなら力のある州が良い。
当然ながらフェイル州は論外だ。
レオン嬢から墓荒らしと繋がりがあると聞いたばかり。
他の州となると、あまりに多すぎて情報の収拾が難しそうだ。
『フリグさんに聞いておけばよかったね、懇意にしている州のこと。』
もぞもぞと布団が動き、こちらへ向く気配がする。
力を蓄えねばならない。
国の上層部に拳を叩きつけるだけの力を。
王国自体をひっくり返したいわけではないのだ、そうなると力加減が難しい。
『カールさんも仰っていましたけれど、純人至上主義だとか。』
碧の瞳が青い瞳と絡み合う。
こうしていたほうがより明確に意識が伝わる。
だから少し心臓の鼓動が早くなった。
揶揄されたせいだ、どうしても意識する。
『そうなると、他の人種が多い州かな。今となってはどこも王国と関係はあるけど……。』
こっそり布団から腕を出して、相方と指を絡ませる。
これくらいならフォクシ嬢も起きない。
先の事を考えなければならない、闇雲に力を振り回すだけでは足りない。
それこそ、お父様と同じくらいの力がなければ。
成長した魔王であっても、あの力量に真正面からは挑めない。
『……着いてから考えましょう。なるようにしかなりません。』
思考放棄、とは少し違う。
そもそもお嬢様は小難しく考える事が苦手だ。
計画と趣味は別物、突っ走ることで済む範囲ならばまずは突っ走る。
考えるのはなにかにぶち当たって止まってからだ。
音を立てないよう気をつけながら身体が近づく。
背中側のフォクシ嬢が起きた気配はない。
あるいは気付かないふりをしてくれているだけかも知れない。
もうどちらでも良い、そろそろ眠らなければ。
「ん、ぅ……。」
柔らかく包まれてどちらともなく声が漏れる。
口づけたのはどちらからだろう。
寝そべっているお陰で首を反らす必要がない。
だから、簡単に銀の髪へ指を添わせることができた。
金の髪が優しく撫でられる。
瞼を落として、睡眠に付くための儀式。
儀式と定めたのだから、魂にだって文句は言わせやしない。
フォクシ嬢から指摘が入るのもやむ無しだ。
彼女は事実を述べたまで。
この距離が一番安心できるのだから仕方ない。




