第5話 閑話テーマソングの演奏者1
2021/03/07追加
フェルベラント王国首都グレイングレイ。
王城の中にある執務室にて、二人の竜人が顔を合わせていた。
双方纏うのは黒とも見紛うほどに深い青の服。
片や動きやすさを重視した騎士服の男性。
片や動きやすさを度外視したドレス姿の女性。
背に抱くのは共に広げられた大きな翼。
まずはきりきりとつり上がった眼差しの女性が口を開く。
「あなた、弁明があるのなら今のうちにどうぞ。」
「ありません、ごめんなさい。」
即座に男性が答える。
下手な弁明は火に油と判断したらしい。
机に両手をついて見事な頭の下げっぷりだ。
ドレス姿のほうが腕を組み、半眼で執務席に座っている騎士服の頭を見下ろした。
ふう、と大きなため息を付くと男性がびくりと肩を震わせる。
「わたしは、別に、責めているわけではないの。」
一言一言、区切るたびに女性からの威圧感が増してゆく。
肩に合わせて切りそろえた髪が逆立つように揺れる。
「わたし達の愛娘を、あの魔窟に、投げ込むことにした、貴族院の決定に対して、何故わたしに相談をしなかったのかと、聞いているのよ?」
女性の圧は、例えるなら形状し難き腕がうねるように部屋の中を侵食してゆく気味の悪さ。
常人であれば呼吸すら止める圧力の中、男性は居心地悪そうに身じろぐ程度。
弁明が無いのなら考えはなかったということだ。
卵を持ち帰った際にでっち上げたほら話と同じ轍を踏むのなら……。
「王室からの打診と、見聞を広めるのなら学園街が良かろう、と周りからの圧力が大きくて……。」
「わたしに相談する時間も与えられなかったと。この国最強の矛であるあなたが。」
女性の指摘に、机から離れない目の位置がずれる。
愛娘の物事を誤魔化す仕草は彼譲りらしい。
解っていた事が、彼は政治の分野には向いていない。
故に基本、女性のほうが代理で発言するのだが――。
今回隣国との交渉に向かっていたため、意思の疎通が密にできなかった。
もう少しばかり時間を稼げると買いかぶってしまったのが敗因だ。
そういう意味では彼女にも問題があったのかもしれない。
「もちろん俺もできる限り時間を引き延ばそうとはした。したが――狐人と鼠人を代理に立てられるとどうしてもその。」
「……そうね、あなたには荷が重いわね。良いでしょう、あちらの手が予想以上に早かったと納得してあげます。」
幸いにも考えなしではなかったらしい。
単純な適材適所、腹芸ができないのであれば分が悪い。
圧を解いて、億劫そうに耳にかかってくる髪を退ける。
男性は近衛騎士団長スフォル・シル・フォールンベルト。
女性は宮廷魔法団長フリグ・シル・フォールンベルト。
お嬢様の両親が、現在王城の執務室で家族会議を行っている場面だ。
議題は屋敷から出たいと要望していたお嬢様の外出先の決定について。
「これも変化の影響かしら? 千年不変が良いとは言うつもりはないけれど……。いつまで頭を下げているの。」
「むぐ……。」
指摘されてようやく顔を上げる。
夫としても無念はあったのだろう、表情に出ている。
相変わらず不器用な男だと何度目かわからぬため息をつく。
決定直後ならまだなんとかできた。
だが確定された事項は、身分の重さゆえに覆すことはかなわない。
それが己たちへ課した契約であり、制約なのだから。
すなわちこの王国を守る剣であり、盾であれ。
以外のことへ過度に干渉するなかれ。
「……不安がらせるようなことは伝えていないが、間違いだったか?」
「いいえ、不安の種になりそうなものはわたし達で一つずつ潰してゆきましょう。」
これからの生活に夢を馳せている愛娘に水を差すようなことなど出来るはずもない。
いくら成績優秀とはいえ、まだ守られるべき子供だ。
環境を整えるのは大人の仕事である。
「セラは間違いなくついていくでしょう? あの子のことをとても気にかけてくれているから。彼女が居るなら私生活はまず安心。」
「学業のことは……ウォルフのところに頼みこんである。」
「あら、意外。あそこも大概、娘を大切にしているでしょう。……でもまだ手数が足りないわ。わたしの方からも細工しましょう。」
机を迂回して、判決待ちの夫の後ろへ移動する。
王室や、貴族院が何を考えているかなど推測するのは容易い。
フォールンベルト家は長らく高い地位に居すぎた。
足元を揺らがせるためには大きな不祥事が必要だ。
……例えば溺愛している愛娘を喪い、国の基盤を揺るがすほど腑抜けてしまえば。
上昇志向は大いに結構。
だが、そのために引きずり落とす手段を選ぶのは暗愚に過ぎる。
それがもたらすものは前進ではなく後退なのだから。
「真正面から来てくれたら楽なんだが……。」
「あなたと真っ向から戦うくらいなら、魔物の群れに突っ込んだほうがましでしょう?」
自分でもなければ。
そう告げるように後ろから抱きついて首へ片腕を絡める。
締めてしまうこともできるが、これっぽっちも警戒されていない。
信頼さていると解ってしまうのがどうにも癪だ。
……個人的な感情よりも対策を講じるほうが先だった。
首を行き過ぎた手で、机に散らばった書類の一枚をこつこつと叩いてみせる。
「こんな事もあろうかと根回しをしておいてよかったわ。」
「……あれっ、もしかして俺の頑張り損では……あ痛ぁ!?」
結果はともあれ、踏ん張ろうとしたことは評価しているのだ。
自分で頑張りを卑下する夫の耳を思い切り噛んでやった。
「あの子を守るにはそれでも不安だわ。念の為、あなたは今からでも相方に頼んでカイゼルを鍛えなさい。大丈夫、あの子はわたし達の娘だもの。」
愛娘の相棒に関してはセラからも相談が上がってくるだろう。
それゆえ先んじて許可を出しておく。
――学園街。
そこは首都に併設された、学生によって営まれる国家運営練習の場だ。
若さから暴走するものが現れたり、既に外の貴族と癒着している者も居たりする。
おまけに閉鎖的なため、何がどう動いているのか掴みづらい。
酸いも甘いも清も濁も味わえるという意味では良い学び舎である。
だがそれは無事に卒業できればの話だ。
目立つような者がいればいざこざに巻き込まれ、退学という話も珍しくない。
廃人になって、失踪して、と頭につくところが魔窟と呼ばれる所以。
その実態を知るのはごくごく一部。
一般的には身分に応じた知識を学べる場所と伝わっているし、目立たなければ確かにその通りだ。
「さて。最後にヘマをしでかしたあなたへの罰は何にしようかしら。」
弁明は聞いたが、それはそれでこれはこれ。
失敗の尻拭いにあれこれ動かねばならない。
「……お手柔らかに。」
必要なのは対策を練ることだ。
可愛い可愛い愛娘を護るためには全力を尽くす必要がある。
そのためにも、まずは英気を養わなければなるまい。
お母様の唇が釣り上がる。
諦めたようにお父様が頭を預ける。
外交から帰って早々この話し合い。
娘成分は当然補充するとして、まずは夫成分を補充しよう。
お父様のほうも慣れぬ事務仕事やら根回しで疲れ切ったぶん、妻成分補充をするつもりらしい。
公務に支障が出ない程度にだが……家族仲は良好のようだ。