第4話 タオルに救われた
2021/03/06追加
さて、流石に何日も座学で部屋篭もりは息が詰まる。
丁度体調も回復してきたこともあり、本日は先だって話になった運動、もとい護身術の時間だ。
普段は親やセラの手によりふわっふわなドレス令嬢仕立てにされるお嬢様だったが、本日は動きやすい騎士服だ。
黒に見紛う深い青を基調とし、華美にならぬ程度に鈍金色の装飾が施されている。
背中にはフォールンベルト家の家紋の刻まれた専用装束。
やや体のラインが浮かぶこの服装は、動きやすさを重視して作られている。
お父様の仕事着でもあるが、決定的な違いが二点。
一つは騎士服を来ているのがお嬢様、つまり女性であるためスカート形状である。
……内側はペチコート完備なので激しい運動でも安心だ。
足元はサイハイソックスとロングブーツ。
いずれも動きを邪魔しないよう柔らかだが要所要所は丈夫に補強されている。
そしてもう一つ、隙あらばリボンやレース細工、フリルで飾られた特注品である。
騎士の家系としては倒錯気味なこの姿にだって需要があるはずだ。
少なくともお嬢様を飾り立てようと意気込むお母様とセラには。
鏡越しに凛々し可愛い少女の碧瞳で射抜かれ、変な扉が開きそうになったことは心のうちに秘めておこう。
3人目になる気はない。
「カイゼルは……流石に見学かしら。」
「ぎゅうぅ……。」
「ええ。カイゼル様には旦那様の相棒に稽古をつけて頂けるよう相談しておきます。さて、お嬢様。まずは無手の組み手から。」
「ぎゅあ!」
今回学ぶのは人の姿をしたものが、人の姿をしたものに対する技だ。
それ故に幼竜である相棒では学べるところがない。
抗議の声を上げられても、今脱走しようものなら即首根っこを掴まれる。
拗ねて丸まってしまったので、後でご機嫌取りをせねばなるまい。
講師であるセラはいつも通りの侍女服。
その場に構えもなしに立っているだけなのだが、身にまとうのは見たこともない乳白色。
お転婆を叱るときに少しだけ近いが、魂に紐付いた経験が警鐘を鳴らしている。
――何も暴いた経験は悪いことばかりではないはずだ。
性別や扱いとの狭間に生じる心のギャップは晴れてくれないが、知識でしか得ていなかった部分を補完できる。
「でも、柔軟と準備運動後即座に実戦なのは急すぎないかしら?」
「そろそろお嬢様も動き回りたい頃合いでしょう。基礎体力は充分につけておられるはずです。」
「むぐっ……!」
過去を持ち出されると弱いことは見抜かれている。
そもそもこの世界は実戦重視、動きの理は生き抜いて学べだ。
言われる前に構えよう。
右の足を引き、右の腕を引く。
ゆるい握拳の上、心持ち程度にかかとを浮かせるイメージで膝にも遊びを作る。
左前、半身の姿勢。
体の中心を相手に見せず、攻めにも待ちにもなる構えは、経験にあったものだ。
知識だけでは中途半端になっていたことだろう。
流石にセラの眉が少しだけ跳ねた、お嬢様会心のどや顔である。
「座学の方でも目をみはるものがありました。しかし衛兵がたの訓練風景を覗いただけでここまで再現されるとは。」
「ええ、伊達にお転婆はしていません。」
細かくは違うのが説明は厄介そうだし、サボろうとしていると判断されかねない。
なのでそういうことにしておいた。
好奇心から何度も訓練を覗いていたのは確かである、あながち間違いではない。
「構えは一見問題ありません。圧に押されて萎縮している様子もありませんね。よろしい。」
圧とか。
なるほど、この色はセラ自身の体内魔力か。
空気の色が違うのは見間違いではなかったらしい、ふさりと尻尾が一度揺れる。
始まる前に合格点をもらえたのは幸いだが、見たこともないくらい嬉しそうな顔をしているのは何故だろう?
胸中では嫌な予感しか沸いてこない。
「では、まず反射神経から試しましょう。今より5つ後、わたくしから接近いたします。寸止めは行いますので、反応することを目指して下さいませ。5、4、3――」
「よろしくお願いします。」
セラが構えもないままカウントダウンを始める。
その間に息を整え最終調整。
魂に紐付いた経験は様々な動きを見てきた、体感してきた、捌いてきた。
世界は変われどもその経験は揺らがぬはず。
相手が人の形をしているのならばなおさらだ。
寸前で変化されても、応じられるよう肩の力は抜いておく。
「――0。」
「えっ。」
セラの姿が消えたと思ったらくるんと空が見えた。
視界の端で長い髪がきらきらと踊っていた。
縛っておけばよかった。
……逃避せずともされたことは解っている。
体幹を崩すよう前方へ体を倒し、力を入れることなく加速。
いきなりセラの体勢が低くなったこと、移動への変移が早すぎたことから姿を見失いかけたのだ。
その意識の隙間に左手を引かれ、踏ん張ろうとした反射にあわせて開放。
体が後ろへ傾いたときには既にセラの足がかけられていた。
後ろへ倒れる前に腰を受け止めるため腕が伸ばされている。
恐るべきはその動きを認識できる動体視力と経験だ。
最も、思考と経験のギャップに体はついてきてくれなかったが。
「ああ、年甲斐もなくはしゃいでしまいました。」
「……セラでもはしゃぐことがあるのね。一緒に走り回っていたら私達、もっと仲良くなれていたと思うわ。」
「ご冗談は行動だけにしてくださいませ。多少なりとも反応されるとは思いもしませんでした。……髪は結んでおきましょうか。」
反射を抑え込もうとしたり、体幹を修正しようとしたことは解ったのだろう。
だが、何事もなかったようなやり取りをしてきちんと立たされる。
セラはすまし顔だが、お嬢様は引きつった笑みを浮かべていた。
確かに前職は何かしら戦いに関係していただろうと思っていた。
これほどの腕とは予想外だ。
当たり前のように息を合わせてくる、訓練を覗き見た衛兵たちより遥かに格上。
毎回捕まるわけだ、お転婆程度が敵うはずもない。
「聞かないでおこうと思ってたけど、セラ。あなたここに来る前は一体何をしていたの?」
「わたくしの昔話よりも、お嬢様の稽古の続きです。その構え、心持ち脇が甘いと見受けられましたが?」
手早くお嬢様をポニテスタイルにしながら、セラからの指摘が飛ぶ。
なるほど対応に手間取ったのは肘が体から離れていたからか。
ところでそのフリル付きのリボンは一体何処から取り出したのだろう。
「むむむ……。」
お嬢様の髪型が変わった後、相対距離はぴったり最初と同じ。
物心つく頃からずっと世話をしてくれている相手だが、中々教えてくれない。
そのうち絶対に聞き出そうと心に決めながら、構えをほんの僅かに修正。
かつては多少腕を引かれたところでたやすく重心が崩れることはなかった。
あるいは失敗後の行動修正も考えることなくできたはず。
これはもしかして――いや、結論を出すのはまだ早い。
もう少し検証が必要だろう。
先程の経験から諸々の差異を調整、修正して備えればいい。
「ではもう一度。今度は速度を抑えますので、思うように反応してくださいませ。」
再びのカウントダウン。
先程の動きを遅くしたものではあるが、それ以外は綺麗に同じ動作。
動きは捉えている、タイミングも掴んだ。
引かれるに任せて腕を伸ばし、力に逆らわず膝を使って前へと体を寄せる。
足を払われる前に前足を軸に体をひねる。
その勢いに乗せて軸足を変え、見えぬように構えていた肘を打ち込――。
「あれっ?」
遅くなったぶん、すぱーん、と綺麗に足を払う音が聞こえる。
想定していた動きは全くできず、再びお嬢様の視界は空を捉えていた。
髪が視界をちらつくことはなかったが、代わりに怪訝そうな表情で覗き込んでくるセラの顔があった。
身についた体験のまま、一度目と同じく体を動かそうとした。
セラほどの腕であればその兆候にも気づけたはずだ。
にもかかわらずお嬢様は動くことなく、全く同じタイミングで何も出来ずに足を払われてしまった。
「…………。」
珍しいことに、セラが言葉を選んでいるらしい。
眉が困ったようにハの字になっている。
「…………。」
こちらはお嬢様。
同じように眉をハの字にして、むぐむぐと何か言いたげにしている。
明確な言葉は出てこない。
結局双方特に何を言うわけでもなく、再びきちんと立たされる。
今度はセラが距離を取ることも、お嬢様が構え直すこともなかった。
「きゅあぁー……。」
拗ねるのにも飽きてきたのか、相棒は暇そうにあくびをしている。
あるいはわざと空気を読まなかったのか。
なんとも言えない状況を崩したのはセラからだった。
「念の為確認しておきましょう。お嬢様、まだ体の調子が悪いということは?」
「……な、ないです。」
すっかり調子を取り戻した体を張り切って動かせる、と意気込んでいたばかりです。
あわよくば経験を活かしてセラをびっくりさせようと目論んでいました。
「……朝食をこっそりカイゼル様に分けていたということは?」
「し、していません……。」
今朝も栄養たっぷり手間暇たっぷりの朝食ごちそうさまでした。
ふかふかのパンとたっぷり野菜のポタージュをおかわりまでしました。
「……お召し物のサイズがあっていないということは?」
「す、すごく体に馴染んでます……。」
締め付けず、形を歪ませず、予想以上に動きを邪魔せず、いい具合だと思います。
強いて言うなら慎ましい体つきを際立たせているのが恥ずかしいです。
「解りました。」
誤魔化すのは悪手だ、気まずそうに視線を泳がせながら全て正直に答える。
わずか二手。
それだけではあるが、早々に結論が出てしまったのだから。
結果を否定すれば、蓄積してきた鍛錬は無駄なことだったと断じることになる。
「……どうしたって隙というものは生じるものです。最終的にはその際に、股間を蹴り上げるだけで事足ります。」
「は、はい。」
結局伝えられたのは最終手段。
淡々とした口調と内容にちょっと背筋がひゅんとした。
とはいえ、まだ反応速度を見ただけだ。
ここで授業が終わるはずもない。
……少し考えれば解ることだ、どうしてこうなったと嘆くまでもない。
鍛錬を積んできたのはこの体ではなく、魂に記憶されている体だ。
当たり前ではあるが性別、体格、筋肉の付き方、柔軟性、反射能力全てが異なる。
にも関わらずお嬢様はその経験を引きずり出した。
結果として大きすぎるギャップが、身に合わぬ癖として焼き付いてしまった。
前言撤回、超撤回する。
知識はともかく経験部分はよく足を引っ張ってくれる。
「基礎体力は問題ありませんし、ゆっくりと固まっている部分をほぐしてゆきましょう。……そうですね、武器での訓練は長柄のものを重点的に扱います。」
無手での早々に訓練は切り上げ、武器の訓練に移るらしい。
だが、それは矯正は難しく時間がかかると言われたようなものだ。
そしてその癖を出さないために、距離を詰められぬ武器で立ち回ることが必須という結論。
なるほど、さすがセラである。
お嬢様の心理へのフォローを除いては切り替えが早い。
「ええと……セラ、がっかりしています?」
「いえ、むしろ安心いたしました。」
開始前の笑顔を思い返したため、控えめに問うお嬢様。
対して今度は幾分和らいだ笑顔で返してくれる。
最初の期待を裏切られたときの落差は解っているつもりだ。
だが、セラの表情からはそういった色は見られない。
むしろ俄然やる気を出している。
「得手不得手は誰しもあります。ならばそれを埋めるのは定石。お嬢様ならば、身を守る魔法を覚えるのも一つの手段でしょう。――ですが、今は座学ではなく体術の時間です。」
「そ、そうね。運動の授業です。」
セラの中で何かのスイッチが入ってる。
放たれる魔力の色彩は衰えていないことに気がついた。
相変わらず警鐘が鳴り続けているが、逃げ出そうとしても意味が無いことは先程の二手で嫌というほど教え込まれている。
……もしかしてそれが狙いだったのではなかろうか。
セラならやりかねない。
「時間は待ってくれません、さあ次の段階に移りましょう。まずは基本的な長柄の扱いと重さを体に覚えさせるところから。」
「セラ? あまり聞きたくないんだけど、具体的には?」
「こちらに訓練用の棒がありますので、それを用いた基本動作、突き、薙ぎ、払い、受けを4時間ほど。昼食後は棒を持ったまま足さばきの基本練習を礼儀作法の時間前まで。」
お嬢様の身長をやや超える訓練用の棒、何処から取り出したのだろうか。
最近は復習が多く、お嬢様もお転婆を控えていたためすっかり忘れていた。
「刻限は入学日まで。槍であれ杖であれ、使えるようにいたしましょう。」
最終目標を聞いてお嬢様は微妙な笑みを浮かべた。
セラは基本的に、とてもとてもスパルタだった。
次に閑話を2話はさみます。