第1話 風雲絶後のテンペストーゾ
2021/04/10大規模修正
フェルベラント王国、白亜の王城。
夏の日差しに照らされ、中庭では青々とした葉が生い茂る。
平穏そうな様子に反して、回廊では暴風が吹き荒れていた。
必死に防ごうとするのは盾二枚を操る重装兵達。
「おいそっちへ向かった! 早く門を――!」
吹き飛ぶ。
「何でこっちに来るんだよ来るな来るな来るなくるな!」
「馬鹿お前盾が人を盾にすんな! 駄目だ統率にあてられてやがる!」
吹き飛ぶ。
「何処の馬鹿だ、狼の尻尾を踏みつけたのは!」
「隊長はまだか! そろそろ持たんぞ!」
吹き飛ぶ、吹き飛ぶ、吹き飛ぶ、吹き飛ぶ。
黒い旋風が踏み込む度に、進路上を守る鎧騎士達が軽々と吹き飛ばされる。
守りを固めるのは二枚の盾を武器に守りに使用する重盾守備部隊。
王城内を守る人の城壁だ。
「団長、団長落ち着いて!」
「くそ、全員早く連れてこい!」
「あははははは、俺浮いてるぜ、もう笑うしかねーわ!」
黒い旋風の枷になるのは、狼人や獅人を始めとした武勇達者な部下たち。
近衛騎士団近接格闘部隊筆頭。
長ったらしい肩書ではあるが、つまり部隊の中で最強という意味だ。
暴風を止めようと両の腕や足、腰へしがみつかれる。
当の『黒狼』は意にも介さない。
腕を伸ばす度に投飛ばす。
足を踏み込む度に蹴飛ばす。
腰にしがみついたものは動きが激しすぎて地を踏めない。
「ああ、不愉快、非常に不愉快ですわ。少しばかり楽しくなってきたと思った矢先に!」
一応握った拳には直訴状など握られている。
最早ずたずたになったそれは読めたものではないだろう。
お嬢様に下された沙汰を父親から聞いた瞬間から暴走が始まった。
記した文字はただ一文、『ふざけるな』。
その一文を王の横っ面へ、文字通り叩きつけるために白亜の王城を蹂躙している。
大体調査後に隙をついて細工されるなんて対応が甘い。
その上、再調査がまだ終わっていないのに結論を出すとは。
最初からそれが筋書きであるかのような止まることのない一連の流れ。
幸運にも、あるいは不運にも近衛騎士団長は北部山脈の調査へ向かっていて不在。
同じく宮廷魔法団長も隣国との貿易交渉に出ているために不在。
止めるとすれば、同じ部隊筆頭クラスか数の暴力に頼る必要がある。
「あなた達も、群なら諦めてもろとも食い散らかしなさい!」
「無茶言わんで下さいお嬢!」
「俺らお館様から暴走抑えろいわれてるんでさぁ!!」
「なら遂行してみせなさいな!」
王を殴ろうものならシルヴィ嬢を始めとした近接格闘部隊の立場が危うい。
そんなわけで部下たちが死にものぐるいで抑え込もうとしているのだ。
両腕、両足に次の部下がしがみつく。
喉に腕を回されるが一切の枷を気にせずに風が駆ける。
――王城を揺るがすほどの轟音。
黒い風がようやく止まる。
部下たちという枷のお陰で削がれた暴風の眼前に巨大な壁が現れた。
衝撃が波となって広がり、遅れて風が吹き荒れる。
初めて中庭まで余波が届いた。
部下たちは軒並み吹っ飛ばされている。
「……重盾守備部隊筆頭、早かったですわね。」
「それだけ背負ってなお重いか! つーかそろそろ名前で呼びやがれ。」
「名乗り直しから始めなさい、『巨壁』。貴方も邪魔に立つのかしら。」
両の腕に金属製の大盾二枚をもった獅人の男。
忌々しげに唸るシルヴィ嬢にとっての天敵だ。
獅人であるため意志で統率を抵抗される。
邪魔のある今まともにやりあえる相手ではない。
「悪いが職務だ、『黒狼』殿。流石に王を殴らせるわけにはいかなくてな。」
「……ふ、ふふふふ! 楽しくなってきましたわ!」
それでも笑う。
狼の遠吠えと獅子の咆哮が重なったのはほぼ同時。
先んじて重盾守備部隊が動いたため問題は両部隊に移る。
結局シルヴィ嬢は後に続いた増援によって抑え込まれた。
両部隊の預かりであるため、重盾守備筆頭の口添えで軽い謹慎止まり。
とは言え楽観視するには危うい状況と判断された。
王城内はしばらく緊張の糸が張り巡らされる。
――つまり、お母様達の目論見は上手くいった。
* * *
諸々の身分剥奪を受けたが、一朝一夕で外に放り出されるほど現実は簡単ではない。
持ち込まれていた家財は屋敷に送り返さねばならない。
仮にも危険人物と認定されたのならば監視役だって必要だ。
その匙加減を計るための王室や貴族院が現在働いていない。
だから、動くなら今しかない。
「カイゼル。」
「きゅう。」
寮につくなり出迎える相方を抱きしめる。
来た当初は期待していたのに、次第に泥沼へ沈んでゆくような感覚だった。
鮮烈な出来事は思い出として記憶に残り、それ以外は時間によって風化する。
相手の作戦変更は、相方を傷つけてからだ。
固定魔法に制約と契約を用いたため、フェルベラント王国との繋がりが途切れた。
排除するには難しく、手放すには外観と能力があまりに惜しい。
ならば羽を毟ればいい。
短絡的だが、その考え方は非常に厄介で陰湿だ。
手の届く範囲に居てはいずれ絡め取られることは必至。
甘えるようにたてがみへ頬ずりしたが、長く堪能していられない。
混乱させたとはいえ、末端は下された指令通りに動く。
夜会での告発など氷山の一角に過ぎない。
「お嬢様、お召し替えを。」
「一人でできます。セラも準備があるでしょう?」
「……では後ほど。」
大丈夫、段取りは覚えている。
髪を解き、髪飾りやドレス、オペラグローブを足元へ落とす。
下着に関しては即時行動することが解っていたので先んじて着用済。
洗顔魔道具で顔を撫で、化粧を落とすのは肌の保護として叩き込まれた癖だ。
薄闇の中、白く華奢な少女の体が浮き上がる。
行動用の着替えも既に準備済みだ。
ホルターネックのインナー、白いベアトップの編上げシャツを身に着ける。
続いてペチコート、深い青色のフィッシュテールスカート。
相変わらずフリルのついたそれを、細帯でサイドリボン状に結び留める。
更にスカートと同色のレース付きケープを羽織った。
長いフィンガーレスグローブとニーソックスは落ちないようガーターリングで固定。
あとは補強されたローヒールの革靴に履き替え、ベルトの最終調整。
フリルとレースを外さないのはお母様のこだわりだ。
後は認識阻害の眼鏡と、帯に魔力撹乱の扇子を挿して準備完了。
「きゅ。」
「うん、持ってくれるのですか?」
着替えが終わったタイミングでカイゼルが話しかけてくる。
口に咥えているのは着替えや小物、連絡魔道具が入ったお母様作の外出鞄。
取捨選択はしてあるが、相当詰め込まれている。
中型犬サイズでは運ぶのが辛いため、今や相方の背丈はお嬢様の胸くらいまである。
縮小から拡大まで、難しい魔法を身に着けたものだ。
荷物持ちは自分の役目と渡してくれない。
もう一度首に抱きついてお礼を伝えておく。
「エルエルさん、お戻りになられていますか。」
部屋の外からルナリィさんの声がする。
時間ぴったりだ。
「今出ます。」
認識阻害の機能を起動。
扉を開けた所で冒険者の本免許、冒険者証を差し出された。
若干目の下にクマができているのは相当作業に難航したらしい。
見た目は学生証と変わらないが、記載されている情報は名前だけと随分寂しい。
登録の際に指を押し当てた右下には、一枚の葉が浮かんでいた。
一ツ葉は駆け出しの冒険者を意味する。
「何とか、学生証から本登録が済みました。噂はこちらまで広がっておりません。……セラ様に伝言願います。これで恩を返せました、と。」
認識阻害が働いているおかげで目についたとしても気にされることはない。
出歩いている学生は少ないが、念には念を入れておいたのだ。
十年前に引退したセラは、様々な地を訪れていた。
その折、腕試しと称して様々な人を助けてきた。
それが巡り巡って、こんなところでも返ってくる。
『万能』とはそんな縁も含んだ二つ名なのだろう。
「承りました。ルナリィさんはお気をつけて。」
目礼して戻る彼女は事務方担当、学園に居続ける。
下手に目を付けられないよう気をつけてほしい。
扉を閉じてから、セラにあてがわれた部屋へと向かう。
お嬢様の準備は終わった、完璧を信条とするセラも準備ができたはず。
「セラ、入ります――。」
「おいこら! 騎士勲章使った伝令よこしたと思ったらなんでオレはこうなってんだ!」
……ぱたん。
扉を閉じた。
思った以上に精神が疲弊しているのかもしれない、幻覚が見えた。
見知ったメイド服の女性が麻縄片手にうら若い着物姿の狐人少女を踏んづけた上に縛っていた気がする。
年の頃は十五かそのあたり、妙に細かいところまで見える幻覚だ。
ぎゅう、と強く瞼を落とし、目元を抑えて深呼吸。
弱っている時間はない。
目を開いて気がついた。
何故かセラの部屋に遮音の魔法が展開されている。
「……ええ。」
「きゅあ……。」
時間は有限だ、現実を受け止めなければならない。
今度はきちんとノックから入ろう。
信じたくないが準備が出来ていなかっただけかも知れない。
「――失礼お嬢様、すぐに。」
遮音の魔法が消えると同時にセラが扉を開ける。
先程までの騒々しさはそこにはない。
いつもどおりの澄まし顔をしたセラだ。
彼女は退寮にあたり家財の運び出しを指揮する。
ここから離れるには時間がかかる。
なので担当するのは的確に退路を確保できる水先案内人の工面とその打ち合わせ。
及びお嬢様が抜け出した事を化かす役割だ。
「娘を紹介します。」
「えっ。」
「きゅあ。」
表情を変えぬままセラが何か言った。
矢張り疲れているのだろうか、幻聴まで聞こえた、わけではないだろう。
何せ床にはがんじがらめに縛り上げられた狐人の少女が
「……きゅう。」
とカイゼルのような声を上げながら目を回しているのだから。
よくよく見れば髪の色は白銀。
高くでポニーテールにしているが、解いたら肩下くらいまでだろう。
耳や尻尾は薄い黄金色、顔つきはセラを随分と若くした有様だ。
着物はレフス帝国で見られる普段着だが、要所要所を革鎧で覆っている。
下に短いズボンを履いているのは大立ち回りを想定してのものだろう。
間違いなく荒事を生業としている。
「セラ。」
「はい。」
硬めなお嬢様の詰問口調。
下手人であろうセラに悪びれる様子は全く無い。
「流石に強引に意識を刈るのはどうかと思うの。」
「恥ずかしながら、この子はお嬢様以上に人見知りでして。こうでもしないと落ち着かないのです。」
「……そこはかとなくからかってますね?」
「お嬢様と離れると思いますと、つい。」
頷いた、今回は頷きましたね!
だが流石に騙されない。
これはその後の追求から逃れるための発言だ。
「……娘さんがいらしたのですね。」
すっと目を逸らされた。
と同時に間が悪くも、床に転がされていた少女がカッと目を見開く。
セラと同じ真っ赤な瞳だ。
「だから毎回意識持っていきゃ何とかなると思うなっての! 流石にオレだって耐性がつくわ! だいた――」
「黙りなさいフォクシ。」
その言葉が文言となり、再びセラの部屋を遮音の魔法が包み込む。
呪文として成立してしまうほど反射的に使ってきたらしい。
あと今までに聞いたことがないくらい底冷えするドスの利いた声だった。
言うなれば裏の世界の偉い人が粗相をした手下に向けるようなものだ。
「ひえっ。」
何時もなら息を呑むのはお嬢様だが、今回はフォクシと呼ばれた少女のほうだ。
身内に対する対応が妙に厳しい。
カイゼルと揃って息を吐き、肩を落としながらフォローにまわる。
「時間は有限です、セラ。深くは問いません。その方に案内を頼んだのですね?」
「このような無作法ものではありますが、腕は確かで信は置けます。先だって商会護衛の依頼を受けさせ、入り込ませておきました。」
「騎士団からの直接指名なんて目立つもん出されたら行くしかないだろ!? こっちは平和に冒険者やってるんだぞぉおう!?」
ずたん、とフォクシ嬢の眼前にセラの脚が突き刺さる。
首を逸らしていなかったら後頭部に刺さっていた。
お嬢様の中のセラの印象が最高記録で塗り替えられていく。
思慮深くて内心を読ませなくて、それでいて頼りになる毒舌家のセラは何処へ?
「きゅ。」
「ん、んん……。あの、ご本人は嫌がられているようですが……。」
カイゼルからの指摘で再び現実に引き戻される。
少しでも気を抜くと眼前の衝撃的な情報に意識を奪われる。
だが、嫌々させてしまっては道中禍根とならないだろうか。
「問題ありません、正式な依頼として書面は作成、受理済ですので。……そちらでもルナリィさんには恩返しをしていただきました。」
外でのやり取りは遮音魔法の中に居たのに聞こえていたのか。
契約として縛り付けたらしい。
だがそれは公的文書偽装なのでは。
「一応は、お嬢様の姉弟子にあたりますが教えた分野が違います。あまり気になさ――。」
「隙あり!」
フォクシ嬢、一体動やったのか結ばれていた麻縄を解ききる。
体をバネに浮き上がり、仕返しとばかりに腕を伸ばす。
セラは半身を捩って髪一本ぶんの距離で回避。
追撃が来る前にその腕を巻き込むようにぎゅるんと背負投げ。
クッションの上に叩きつけたのはせめてもの温情だろうか。
「――気になさらずとも結構です。」
「がっふ!」
「喜びなさいフォクシ、昔はしょっちゅう妹が欲しい、妹がほしいと言っていたではないですか。」
「……セラ、やっぱり私達、お転婆していた頃のほうが気が合ったと思うの。」
「今の関係を気に入っていただけていると思っていたのはわたくしだけでしょうか。」
「小気味よくはありますが、そうではなく……。」
目元を抑えて天を仰ぐお嬢様。
これは現実、これは現実、と心の中でつぶやき続けることで逃避時間を短縮。
狐人は観察力、心の機微に敏感だ。
つまり早熟で子離れ、親離れの時期も非常に早い。
セラが娘であるフォクシに向ける態度は、独り立ちした者に向けるものだ。
一方竜人は巣立つまで比較的長い時間を要する。
彼女にとって、十三年のお世話は新鮮な体験だったのだろう。
「わたくしはお嬢様がお嬢様である以上、それに沿う覚悟でおります。」
お転婆であれ、令嬢であれ。
それがお嬢様自身の選択であるのならば尊重する。
言葉は嬉しいが、麻縄を持っていなければもっと良かった。
素早く動くためと着替えを急いだのに、まさかこちらで問題が発生しているとは。
「きゅう。」
「……私、今晩中に立たなければ危ういと聞いているのですけれど。」
時間が立てば立つほど噂は広がる。
そうなってしまえば動き出そうにも目をつけられる。
動くのならば今晩のうち。
レオン嬢の従者が手配してくれた者に壁の外へ出してもらう手はず。
肝心の学友の状態は相変わらず心配だが、自身の安全を優先しろと言われている。
「仕方ありません。さてフォクシ、依頼はわたくしから。報酬は事前に伝えた通り。内容は先程から言うようにお嬢様を――、ああ、貴方の妹弟子を守り抜き、国外へ亡命させること。」
妹弟子、と強調したのは皮肉だろうか。
そもそも思い切り背中から叩きつけられて縄で縛り直されている。
依頼は成立しているそうだが、まともに引き受けてくれるのだろうか。
「……そっかぁ、妹弟子ならな、仕方ねーなぁ。あ、でも役立たずなお荷物をどれだけ連れていけるかはわからねぇ。ちょいと試させてもらうぐぁ!」
「セラ。たびたび武力に訴えるのは止めて下さい。見ていて痛々しいです。」
今度は鳩尾に拳が突き刺さった。
ちょっと直情が過ぎるのではなかろうか。
あとフォクシ嬢、妹という言葉に反応しすぎではないだろうか。
「では、こちらが奥様から預かってまいりました護身用の手槍です。」
頼んでおいた護身用の武器も問題ないようだ。
槍ではなく、短めの形状を頼んだのはモルグ氏を忍ぶためでもある。
まともな埋葬が望めず、持っていた手槍も葬儀の形代として使われた。
本来ならしばらく喪に服すのだが、その最中に墓荒らしからの招待状が届いたのだ。
タイミングとしては随分と非常識。
お嬢様が告発しなくてもミズール嬢あたりによってあの夜会は失敗していただろう。
「……ありがとうございます。」
長さにして一メートルと少し。
お母様作にも関わらず石突から穂先にかけて一切飾りがない。
鍛錬や模擬戦の時に使っていたものと同じ重さになるよう調整されている。
急な変更からわずか数日で仕上げてくれる、流石お母様。
「そんじゃ、さっさと抜け出すか。どうもこの街の中はきな臭え。」
フォクシ嬢の復活速度がレオン嬢のそれを思わせる。
セラの様子を見るに打撃も縛り上げも本気を出していたわけではないのだろう。
補強済の着物を整え、細帯に太刀を佩いた。
『万能』が最も得意とした武器が太刀であることはシルヴィ嬢から聞いている。
とんだツンデレ母親だ。
そしてその機微を読むのが狐人。
なるほど、独り立ちが早いわけだ。
日常的に読み合いは気が休まらない。
「それでは、フォクシさんお願いします。」
「ん。お袋は二度とオレを頼るんじゃねーぞ。」
「そうですね、貴方がヘマをする程度の腕ならわたくしが現役復帰いたしましょう。」
「セラ。」
母が母なら娘も娘。
この後はグラウンド家の従者と合流する手はずだ。
だから別れ際に剣呑な雰囲気を作らないで貰いたい。
第三章、改稿スタート。




