第9話 ギアトップの狂想曲
2021/04/04追加
カール氏が貴族科最難関単位を獲得できた。
つまり彼は卒業の権利を得たことになる。
それは良いことだ。
クラスメイトの花道、栄光の道を行くなら拍手を贈ろう。
「ぁぁぁ……。」
「ぎゅええ……。」
だがそれも余裕があればの話。
ちょっとしばらくは、特にレオン嬢とミズール嬢には顔を合わせたくなかった。
そして何よりも、ルゼイアにどんな顔をして会えばいいのか。
夜会での情報のすり合わせも忘れて頭から布団を被り、カイゼルのたてがみに顔をぐりぐりして呻いている不審者、お嬢様。
何気に首に回した腕がいい感じに気道を抑え込んでいることに気づいていない。
カイゼルは必死に訴えているのに。
「ぅぁぁ……。」
「ぎゅ……あ……。」
「お嬢様、締まっております。」
セラの指摘も聞いていない。
あの後つつがなく終わりの挨拶も済ませ、帰って身を清めて一段落。
さて細かい作戦会議を、という手前でふと夜会での一幕を思い出したのだ。
テラスでルゼイアとワルツを踊ったあの場面。
完全に失念していた、流れに身を任せすぎた。
今日の出来事だが若気の至りと言っても良い。
「……確かに淑女としては些か手が早いと思われます。それに身分に関しましても――。」
「あーあーあー!」
聞こえない、聞こえません!
こんなことは庶民でも知っている。
テラスで踊るのは、本命相手にすることだ。
見られていなくて本当に良かった、初歩的かつ致命的なミスをやらかした。
何よりも、途中から楽しくて夢中になっていたことが傷口に塩を塗る。
布団の下では涙目で耳まで真っ赤にしたお嬢様、折角整えてもらったシーツを脚でばたばたかき回している。
べっちべっちとカイゼルが前脚でタップしているのにまだ気づかない。
「では勝手ながら進めさせていただきます。繋がりがあると思われた貴族はあの中の八割。ほぼ全員と思っていただいて構いません。」
「うぅー……。」
ひょこっと布団からお嬢様の金髪が出てきた。
自分で買ってきた喧嘩だ、報告はきちんと聞いてくれるようだ。
だが、ここまで狼狽するとは珍しい。
セラとしては娘の成長を見るようで感慨深かった。
「数名はこちらに引き込むことができましたので、以後学園内の一派は円滑に情報が集まるかと。」
「……よく……引き込めましたね……。」
学生とは言え、外の世界の息がかかっている。
壁の中だけで完結しているのならまだしも、それを知った以上は簡単に鞍替えなどできるはずがない。
お嬢様の疑問に『万能』は事もなさげに答えた。
「色仕掛けに引っかかってくださいましたので。」
「聞きませんでした!」
ひゅぽん、とお嬢様の頭部が勢いよく引っ込んだ。
色仕掛け。
その言葉でワルツで体が密着した時に、背の高さを意識してしまったり。
手を引かれたことで、想像以上に大きな手をしているとに気づいてしまったり。
無邪気に自分だけを見つめながら楽しむ顔を独占したことを思い出してしまったり。
違う、色仕掛けなんてしていないし、されていない。
紐付け記憶のせいで連鎖自爆を起こしている。
この様子、なんとかして奥様に送れないだろうか。
一人で堪能するには勿体なさすぎる。
真剣な表情で思案するセラだが、報告の続きも忘れない。
「グレイ卿は残念ながら黒です。フェルブ卿も。……ただ、様子を伺いますと本格的に染まっているというわけではなさそうです。変わらず警戒止まりですね。」
これで完全に敵方なら塩を送りまくっていた。
踏みとどまってくれるとありがたいが、外からの圧力がある。
望みは薄い。
それに矢張り、あの視線は苦手だ。
うぐぐ、うぐぐと呻きながら乱されるシーツは最早直しようがない。
「当初の目的はフォールンベルト家を蹴落とそうとしていたようですが……ところでお嬢様、そろそろカイゼル様が限界です。」
「ぎゅ……う……。」
「えっ、カイゼル!? ごめんなさい!」
相方を絞め落としてしまったので今晩の反省会は終わりになった。
明日から数日に渡って報告を続けよう。
最終的な結論、墓荒らし達はお嬢様を手に入れようとしているらしい。
一体どうしてそんな面倒な手段を選んだのか。
言うまでもない、墓荒らし達は魔性に魅入ってしまったのだ。
* * *
騎士科最難関と言われる科目、実地訓練。
ようやくお嬢様たちにもその許可が降りた。
結局あの日以降、数名と若干距離感ができてしまったが、時間は偉大だ。
何とか平静を装うまでに関係は戻っている。
ルゼイアが有耶無耶にして踏み込まなかったお陰もある。
「さて、改めて説明するぞ。今回は宝食獣の討伐だな! 一つのパーティにつき一体でいい! 討伐の証として、鉱石を持ち帰るように!」
時刻は早朝。
久方ぶりに学園街から離れ、北部山脈の麓にある廃坑前だ。
引率はツァーボ先生、補佐はレイツォン先生。
護衛待機にシルヴィ嬢が二人の後ろで威圧している。
昨晩のうちに近くに設置されたコテージで基本的なミーティングは終えている。
班員はカール氏、フュースト氏、ミズール嬢、カリスト嬢が第一班。
第二班がお嬢様、レオン嬢、モルグ氏、ハルト氏。
第三班は人数があぶれてしまったため、カイゼルと別クラスの3名。
シルヴィ嬢は既に騎士のため参加できないし、ラッティ氏は先んじて他クラスの数合わせに潜り込んで終わらせている。
全員割り当てられた騎士礼服を着用し、持っていない者は学園支給の戦闘服。
装備も流石に鉄製で刃もある、何かを殺すための道具だ。
「連絡用魔道具は無くさないように! 先だって騎士団による調査は終わっている、魔物に関しては心配しなくていい。」
それぞれの班は各々が別々の入り口から内部へ入る。
制限時間は本日一日、その間に廃坑内を探索し、目標の魔獣を討伐すること。
外との連絡は魔道具を用いる。
内部遭難をした場合助けを呼ぶ事に使用しても良い。
竜人は相方を連れて行くことを許可されている。
だがお嬢様はカイゼルに対してやや過保護だ。
今回はルードやズーラも留守番ということで、まとめてセラに任せてきた。
「ただし魔獣に関しては話は別だ。皆怪我をするなとは言わん。死なずにこの課題を超えてくれ!」
ツァーボ先生の発破の後、各々事前に割り当てられた入り口へと移動する。
閉所における魔獣の脅威、最も気をつけなければならないのは影潜み。
薄暗い中では風の動きに気をつけねばならない。
念の為全員首に防護用のチョーカーを身に着けている。
「うー、緊張してきたね! 楽しんでいこう!」
「レオン、発言の前後が滅茶苦茶だ。」
拳を打ち合わせてから腕を突き上げる。
どう見ても遠足ムードな様子にハルト氏からツッコミが入る。
「あたしはほら、クラス委員長だから! 皆の指揮を高めようかなってー」
「そう言えばそうだった。すまない、編入組の個性が強くて手前は失念していた。」
「あったなあ、そんな話も……。」
「モルグ君、ハルト君!?」
幸いにもこのやり取りのお陰で、お嬢様の肩から力が抜けてくれた。
情けなくも力んでいたのは自分だけ、最年少とはいえちょっと恥ずかしい。
学園初日は実に濃厚だった。
ここまで来るのも相当ドタバタした感じが強い。
……中でも一番記憶に残っているのは矢張りカイゼルを巻き込んだ事件だ。
思い出したらまた腹が立ってきたが、意識を切り替える。
風は味方してくれるが、式に沿ってしまえば魔力はそちらに引っ張られる。
「それじゃ、あたしが先導。モルグ君とエルさんは中衛で、ハルト君は後衛、地形把握お願いね。」
「今回は開催場所が悪かったと諦めるさ。」
隊列もミーテイング通り。
ハルト氏の得意武器は狭い場所ではろくに扱えない。
お嬢様も中衛なのはまだ槍ならば多少の融通が効くからだ。
本来なら固有魔法を展開して前衛に立つべきかもしれないが――。
「……私も、ご迷惑おかけします。」
下手に展開しようものならば、外部との連絡手段が断たれる。
魔道具の発動は体内魔力で補うが、その後の連絡経路は世界の魔力を用いる。
食いしん坊な魔法など自殺行為。
扇子型の撹乱魔道具は固定魔法を抑えるために最大出力中だ。
願わくば浅い所で遭遇して、素早く倒せますように。
ランタンを片手に先導するレオン嬢に従い、第二班も坑道の中へと足を踏み入れた。
――廃坑と言えども訓練として使われるくらいだ、整備はされている。
視界は暗いが、時折壁に明かりの魔道具が配置されている。
お陰で動きが阻害されるほどではない。
横幅もおよそ四人分と密集しすぎずにすむのもいい。
「さっすが、本職の騎士さん達が見回った後だねえ、綺麗に魔力も循環してるっぽい。」
廃坑に入ってはや四半刻。
既に入り口の光は見えないがクラスメイトのお陰で不安はない。
レオン嬢の言う通り、坑道内の色彩に乱れはない。
その上――。
「……おっと。」
風が動いた、と思えばモルグ氏の盾が投げられる。
飛んできた刃を散らし、やや遠くでぐぎゃ、と何かのうめき声。
「これで影潜み四体目、モルグ君目がいいねえー。」
「暗所は手前らの領域だからな。」
この調子だ。
流石墓所を守る一族、僅かな光があれば充分に見渡せるらしい。
少し進んで潰れた影潜みから円盾を回収する。
「だが、影潜みばかりというのも気になるな。捨てられたとは言え坑道なら、宝食獣だって同じくらい見かけても良いはずだろう?」
地図を記しながらハルト氏。
宝食獣は食事に意識を割くため、騎士団も率先して退治はしていないはずだ。
今回の討伐対象とも聞いているはず。
「んー、まだ四半刻くらいでしょ? もっと奥に行けってことじゃないかなあ」
「……確かに、それはあると思います。まだまだ時間もありますし。」
最難関と呼ばれる試験だ。
カール氏は貴族科で一週間かけ、それでもお嬢様が助け舟をだすほど緊張していた。
それと同等と考えれば、行って帰ってくるのに丸一日かかっても当然の難易度と見るべきだ。
幸いにお嬢様の認識阻害の魔道具は、時刻表示もされる。
入ってからどれくらい立っているのかもよく分かる。
念の為持ってきておいてよかった。
「――この先は休憩所かなにかか? 広間に出るようだ。影潜みも複数居る。手前だけでは全滅は難しい。皆警戒を。」
モルグ氏からの注意が飛ぶ。
暗闇の中、彼の視界には大変助けられる。
「それじゃ、魔力で逆感知しないとね。間違っても首跳ねられないでよ?」
「こんな所で躓いていられませんので。」
「やっと手を休められるな……。」
こきり、こきりとレオン嬢が指を慣らし、お嬢様が提げていた槍を外す。
ハルト氏は騎槍を持ってこれなかったので、刺突用に強化を施した片手剣だ。
暗闇の中であれ魔力が動けば色が動く、音が動く、匂いが動く。
それを察知して動く事は騎士科の基礎授業で学んでいる。
「じゃあ、いっせーのー、せっ!」
一人で入れば集中砲火、複数で入ればそれだけ標的が分散する。
これも打ち合わせ通り。
レオン嬢の掛け声と同時に一同は薄暗い広間へと踏み込んだ。
風の軌跡に逆らうように円盾が投げられる。
気流を穂先で操り、一気に距離を詰めて突き抜く。
駆け抜け際に握りしめ、別の方向へ投げつけて共倒れを狙う。
急加速とともに全員を抜き去り、一番奥に居る個体を刺し貫く。
そこからは各々の得手による一方的な制圧だった。
時間がかかろうともこの調子ならば目的は達成できそうだ。
――全員がそう思った。
「エルエル、時刻はどれほど立った?」
「そろそろ、二刻……ですね……。」
影潜みは相手にならない。
暗闇はモルグ氏の視界のお陰でなんとかなる。
なので、甘く見ていた。
現在口を開けるのはモルグ氏とお嬢様が辛うじて。
常時周囲から死を向けられた状態で進み続けるのは想像以上に精神へ負荷がかかる。
それが二刻、およそ四時間。
彼が平然としていられるのは普段から身を置いていた環境のお陰だろう。
全く宝食獣と遭遇しないまま、数度影潜みの群れを撃退した。
「そうか、ようやく帰れそうだ。」
そう告げて手槍の方を構えるモルグ氏。
やっと、討伐目標と遭遇できたらしい。
影潜みなどの小さな相手ならば円盾のほうが当てやすいが、大きな対象ならば威力が大切になる。
「本当ですか! やっと……ぇ……ぅ。」
「ようっし、それじゃあ早くこなして帰ろう!」
レオン嬢がランタンを掲げ、その方向へお嬢様達も視線を向ける。
うぞうぞと巨大な滑る体をうねらせながら地面を食い、壁を食い、天井を食う巨大なミミズの群れ。
不思議と食事音は大きくない、見つけ出すのが難しいわけだ。
ぬたりと口周りから出している粘液に周囲をふやかして柔らかくする術式が編み込まれている。
「き……っ!!」
すごい速度でハルト氏に口を抑えられた。
ハルト氏の咄嗟の判断は正しい。
悲鳴を上げられたら標的になる恐れがあるし、なにより逃げられる。
――なんですか、これ。
背筋が過去最大級に逆立ち、頭の中で警鐘ががんがん鳴らされる。
釣りやら土いじりで触った記憶のある形状の生物が巨大化しただけだ。
箱庭育ちだったお嬢様ならば、確かにこういう反応にもなるだろう。
――違う、悲鳴をあげようとした原因は宝食獣ではない。
「……なるほど、広間はああしてできるのか。」
モルグ氏の冷静な分析が入るが、忌避感と嫌悪感は晴れてくれない。
抑え込んでもらえたお陰で、ふーふーと息を荒げるだけで済んでいる。
今はまだ気づかれていない。
膝を震わせながら、小さく頭を振る。
落ち着け、落ち着かせろ。
必要なのは悲鳴ではない、早く言語化しなければならない。
「あれ、エルさんかわいー。こういうのそんなに苦手なん――。」
レオン嬢がからかう言葉の途中で表情を引き締める。
魔力の逆感知、宝食獣の居るところに影潜みだって存在する。
だが、それでもない。
――気づかれた。
「標的は手前が」
「しっ……!!」
討伐するのは一体だけでいい、一番手前に居る個体へ向けて手槍が投げられる。
その影を駆け抜けるレオン嬢の拳が同時に二体の影潜みを撃破する。
そこでようやくお嬢様がハルト氏の手を振り払う。
「しゃがんで、ハルトさんも!」
一同が即時行動を取れたのはお嬢様の声が今まで聞いたことが無いほど切羽詰まっていたからだ。
全員が同時に地に伏せる、同時に――、ず、と空間が横にズレた。
魔法ではない、空白の刃が通り過ぎていった。
震えの、嫌悪感の原因はこれだ。
暗闇が濃いせいで分かりづらかった。
「……影狩り、魔物だと!?」
真っ先に反応したのはモルグ氏。
領地柄なこともあり、一目で種族を看破。
同時にレオン嬢は宝食獣から討伐証明の鉱石を引き抜いて来ている。
影潜みは魔獣に分類されるが、これが魔物となれば影狩りと呼ばれる。
「魔物って、何でよ!」
レオン嬢の声が響く。
騎士団により魔物の心配は無くなっているはずだ。
彼が墓荒らしに通じていた?
シルヴィ嬢を前にしてそれはあり得ないし、実際道中の魔力の流れは流動的だった。
空間のズレに沿って宝食獣が切断され、生き残りは我先にと逃げてゆく。
影狩りの姿は大きなコウモリ。
だが、首の角度が明らかにおかしい、口がいくつもある、翼の骨格も異常だ。
何よりも目つき、雰囲気。
世界そのものを憎み、許さない憎悪の塊。
魔物と遭遇したときには、精神力が試される。
その意味を理解した。
「ハルト! 早く体勢を整えろ! エルエルもだ!」
大したものだ、モルグ氏は全く動じた様子がない。
レオン嬢も即時戦闘態勢を取る、獅人は単独で無謀に挑める生粋の戦士。
現状一番体勢が不安定なのはお嬢様とハルト氏だ。
ハルト氏はお嬢様の悲鳴を抑え込んでいたため、無理な形で身をかがめた。
お嬢様だってそれに合わせて動いたので尻もちをついている状態だ。
魔物の行動手順は至極単純、最も狩りやすいものから殺す。
ひ、と後ろで息を呑む声がしたのでお嬢様は思い切りハルト氏を突き飛ばす。
反射だった、自分の行動で誰かに迷惑をかけるのはもう嫌だ。
こちらに向かってくる刃は、影潜みのような魔法ではない。
お嬢様の目に映るのは『穴』が刃の形を取り迫ってくる絵。
間に槍を挟み込んだが、ただの木では憎しみを受け止めることはできない。
「ぁ……。」
小さく息が漏れる。
世界という絵画に空いた色の存在できない場所が無防備な胸元に食い込んだ。
自爆系乙女お嬢様の大ピンチ。




