第2話 フェイント交じりのストレート
2021/03/04大規模修正
唐突ではあるが、お嬢様の価値を挙げてみよう。
まずは容姿。
触れれば溶けてしまいそうな儚さを伴う白肌。
見るものを飲み込むような深い碧の双眸。
日差しを形にしたような輝きを放つ長い金の髪。
小さな唇を開けば少し高めの甘く澄んだ声。
儚い外観に反し、眩いほどの生命力を放つ存在感。
その外観に惹かれて恋文を送ってくる者もいるだろう。
両親が自慢した結果、割と送られてくるとか。
続いて知識。
幼少より、まるで知っていたかのように各種学問の成績は良好。
実際に知っていたのだ。
魂に紐づけられていた知識は実によく働いてくれた。
ところ変われば常識も変わる、世界が変わればなおさらのこと。
地学、数学、物理学、嗜む程度に雑学。
基礎知識的のスタートラインが違う。
ある意味劇物だが、お嬢様は深く考えず便利な道具として使っていた。
最後に家柄。
建国の際多大な貢献を果たしたフォールンベルト家は、今日でもその力が健在だ。
武を、あるいは知をもって周辺国家を牽制し、この国を作り、維持している家系。
それゆえに影響力は貴族の中でも高い。
次に短所。
真っ先に挙げられるのは、貴族としての立ち振る舞い。
どれだけセラが教え込もうと、一時的にしか身につかない。
ノブレス・オブリージュ、地位ある者は責務を負う。
その考えが身につかず、部屋を抜け出しては屋敷の者たちを振り回す。
厨房に入り込んではつまみ食いをする。
授業が退屈だとサボろうとする。
身だしなみに気を配らない。
細かくは挙げればきりがないが、これらは前述の価値を覆すには至らない。
――ようは政略結婚のいい駒だ。
愛されてはいるが、地位というものはそれに応じた責務を負う。
そんな未来は訪れないとは断言できない。
自分自身の振る舞いが周囲を困らせていることを自覚し、後悔はした。
だが、都合のいい道具として自由を奪われるのは勘弁してもらいたい。
それ以上に誰かに侍る未来を想像すると肌が粟立つ。
ならば、どうすれば良いのか?
家出をする。
これは実現不可能だろう。
今まで外へ抜け出せたことはあれど、敷地から出られたことがない。
出ようとしなかったのではなく、気配を見せればセラに捕まるのだ。
敷地内で遊ぶ分には許容してくれているだけだ。
これをかいくぐって逃げられる可能性がちっとも見えない。
では縁談が来なくなるほど暴虐の限りを尽くしてみては。
屋敷に仕えてくれている者たちの首を物理的に飛ばす覚悟があるのならそれも手だ。
そんな覚悟ができるようなら、そもそも迷惑をかけていたことを気に負っていない。
ならばいっそ自身を徹底的に磨き上げるのはどうだろう。
高嶺の花に、あるいは自身の縁談に口出しできるほどに。
家同士の婚姻に口出しすること自体が貴族令嬢として異例だが、歴史上前例はある。
どのみち今までの自分を変えるのであれば、この道を突き詰める事が最良か。
胸中の違和感がいつ収まるかはわからないが、犠牲になるのはお嬢様の精神だけだ。
考えること数時間、お嬢様は最終案を採用した。
決断が早い?
長々と考えてもいいことがないと悟ったのだ。
……どうしてこうなった。
* * *
お嬢様が結論を出してから、実のところ本日で二日目になる。
三日前、きっかけとなった授業を終えると同時に騒ぎがあった。
その夜に価値観が変わり、翌朝からお嬢様は随分と大人しくなった。
お嬢様は身の振りを考えているだけだが、セラにとっては随分と仕事が楽になる。
今でこそ素直に髪を整えさせてくれるが、以前であれば考えられない。
じっとしてくれない、話しかけてくる、文句を言う、邪魔をする。
そのくせ甘えるべきところでは相応に甘えてくるのだから質が悪い。
おねだりされて、思わず授業から抜け出すことを許容したことだってある。
――手が掛からないことを寂しく感じるわたくしもどうなのでしょうね?
よもや自身の心がこうも操れなくなるとは。
セラの内心など知らず、普段より大人しいお嬢様は一人百面相などしている。
表情に出していないのだろうが、セラにとって機微を辺りを察することは朝飯前。
現在何かに葛藤していることも把握している。
彼女がフォールンベルト家に雇われたのはその能力も買われたからだろう。
国内最大規模の力を持つ家系ならば、当然目の敵にしてくる者も多い。
外敵からお嬢様を護るためには、単純な力や表面から得られる情報では足りない。
始めこそ仕事として行っていたが、十年という時は情を持たせるには充分すぎた。
さて、髪を梳き終えればクローゼットに向かうついでに窓と、カーテンを閉める。
この部屋はそこそこの高さだが、大事な箱入り娘の体を外へ晒すなどもっての他。
「お嬢様。本日のお召し物はこちらを。」
クローゼットの中から取り出してきたのは体をあまり締めないもの。
フリルも少ない深緑色のドレス。
流石に汚す可能性があるのに色が薄かったり、装飾の多い服は選べない。
「ありがとうセラ、お願い。……あ、リボンは緩めにしてちょうだい。」
「解っておりますとも。」
お嬢様としてはこのまま鏡台前から動きたくないが、そういうわけにもいかない。
一日のリズムに乗ることで、なんとか今日も乗り越えなければ。
立ち上がったところを、セラが手早く着替えさせる。
お嬢様がすることといえば、袖に腕を通すことくらい。
「お嬢様は初めてですので今回のところは目を瞑りますが――、来月からはもう少ししっかりして頂きませんと。」
「……解っておりますー。」
狐耳が角に見えた、と内心思うが口には出さない。
これこそが全ての元凶。
ついでに言うなら真っ赤な下着を着用している理由だ。
二次成長期の始まり、それはもう大騒ぎのお祝いとなった。
音が頭に響くわ気怠さからのムカムカは増すわ。
頼むからそっとしておいてほしかった。
もちろん自身が女であると実感した矢先、男性の目を自覚したのだ。
その気まずさが精神の余裕を奪ったことも否めない。
ともあれ本日三日目ということで、授業の慣らし運転から再開と相成った。
なにもしていないと思考が混線してしまうのでありがたい。
ある程度自重してはいるが、生来お嬢様は大人しくするのは苦手なのだ。
「茶化すところもいけません。やはり礼儀作法の授業時間を増やすべきでしょうか。」
それはむしろ望むところだ。
だが、そうなると懸念を抱くとすれば――。
鏡に映ったお嬢様の体つき、今のところ無駄な肉はついていない。
自分を磨くとして、礼儀作法中心で良いのだろうか。
本格的な習得をと願えばセラは喜んでカリキュラムを組みなおすだろう。
そうなればろくに動くことも叶わない。
教養としての舞踊だけでこの体の維持ができるだろうか?
家柄的に当たり前だが環境も食事も良い。
そもそも厨房に入り込むくらいに栄養を欲しがるほうだ。
今までは走り回ったりすることでカロリー消費ができていた。
だが、うっかりすればぷくぷくと余分な肉が――やめよう。
考えるべきは対策だ。
「んん、セラ、お願いがあるんだけれど……。」
今まで特に考えていなかった体型維持は必須事項。
宝石は手入れを怠れば濁るもの、それでは目的を達成できない。
とはいえ迷惑をかけていた負い目がある。
今までのように好き勝手はできない。
いっそ授業内容に取り入れてもらうのはどうだろう。
「無理のない範囲でお願いいたします。」
それも淑女の嗜みだ、多分きっと。
もちろん体が楽になってきてからだ。
だが、要望を伝えるなら早いうちの方がいい。
「苦手科目の時間を増やしてもらっていいかしら? あと、体を動かす時間も――」
「でしょうとも。仰られると思っておりました。」
再指導希望の餌にセラが素早く食いついた。
丁度コルセット代わりとなる大き目のリボンを背中で結ばれたところ。
要望通りの緩さでありながら、絶妙な体のラインの見せ加減はプロの仕事だ。
だが、お転婆を推奨するようなセラの言葉には違和感を覚える。
普段からそのしわ寄せを受けているのが彼女をはじめとする屋敷仕えの者なのに。
一拍。
遅れて可能性に思い至った。
待ってほしい、少しばかり補足説明の猶予を。
告げる暇すら与えない。
「フォールンベルト家は貴族なれど騎士が生業です。既に子を授かれる体になりましたもの。ご自身の身を護る術は必須でしょう。」
「うぐっ!」
お嬢様の心にクリティカルヒット。
心構えをする前にぶち込んでこられた。
そうですよね、子供が作れるようになったとなれば自衛は大事ですよね!
既成事実とか作られたら困りますものね!
ヤケクソ気味のお嬢様に向け、更に畳みかけるように衝撃発言が続く。
「では早速本日から。」
「今日から!?」
目を見張って侍女長の方へ振り返る。
と同時に急な動きにぐらんと視界が揺れる。
何とか倒れずに踏みとどまれた。
狐耳が角に見えたのは錯覚ではなかったのか。
セラは鬼ではなかろうか?
「思い立ったら行動を。普段のお嬢様ではありませんか? 礼儀作法の時間以外を削れば問題なく時間は作れますので、朝食後早速時間を取りましょう。」
授業時間の見直しをこの場で全て算段を整えるとは。
セラの能力は想定を超えていた。
動き出したら止まらないことは重々承知。
ならば早々に発散の場を作ってしまおうと堀を埋められてしまう。
前言撤回、セラが鬼なのではない、身から出た錆だった。
とは言え、全身のだるさは引いていない。
うっかり激しい運動などしようものなら即座に倒れる自信がある。
着替え一つとっても立っていることすら辛いだ。
そんな状態でどれほどの動きができようか?
「……流石にすぐにとなると私、間違いなく倒れます。」
「まさかそんな。ご冗談を。」
豆鉄砲食らったような顔をしないでほしい。
何か企んでいるのかと不審そうに耳を動かすのもやめて頂きたい。
急に振り返った影響か、手足の感覚が遠くなりはじめた。
知っているし記憶もしている。
高熱を出して倒れた時、こっそり部屋を抜け出して走り回ったこと。
数度ぶっ倒れて悪化させたことも覚えている。
あの時は衛兵さんに庭師さんにセラをはじめとする侍女の皆さん、お父様お母様全てに大変迷惑をかけました!
だがあの頃とは状況が大いに違う。
知識に実感をともなった今、そう言った無茶は過去の失敗を苦々しく振り返るようなものだ。
「セラは私のことを一体なんだと……ああ、いえ。自覚はあります、ありまし――」
何を言っているんだという視線が心に刺さる。
報告して、連絡して、相談しようと行った自分改革の第一歩。
こんなところでつまづいていては先に進めない……、床が近づいてくる。
柔らかそうな絨毯だけれど、セラに体を支えてもらえなかったら大変だった。
「……お嬢様!?」
最後に聞こえたのは、本当に星でも降ってきたかのように驚いたセラの声。
血が足りない時に急な動きなどするものではないなあ。
折角整えた身だしなみを振り出しに戻してしまう。
早速しでかして反省するのだった。
お嬢様の意識は暗転したが、結局本日は座学のみで許してもらえそうだ。




