第11話 閑話クールダウン&ヒートアップ
2021/03/26大規模修正&追加
少しだけ時を遡る。
音が消え、色が消え、感情が消えたあの瞬間。
お嬢様が見ていた世界は外ではなく内だった。
体内魔力を縛り付ける巨大な封印を前にしていた。
人の身に収まることが不自然な超密度は、まるで脈打つ巨竜の心臓だ。
なるほどこれをそのまま開放しまえば自分自身が崩壊する。
だからこそ竜人には契約と制約、二つの枷が必要となるのだろう。
それは世界の法則との約束事だ。
契約により、行使する力の方向を制限する。
制約により、その力の届く範囲を制限する。
内側での足し算と引き算、枷を外す代わりに何かを縛り付ける。
そうすることで世界の形を崩さない。
欲しい力はもう決まった、後は自分の色で世界を塗りつぶしていくだけ。
物理法則は世界の表側を支配し、魔力の法則は『i』で表された虚数側を支配する。
見えないわけだ、聞こえないわけだ、触れられないわけだ、感じられないわけだ。
守りたいものを守るために。
自分を拡張しよう。
絵の具は潤沢だ。
凪いだ頭は次々と方程式を組み上げる。
幸いにも備わった頭脳は、かつてのそれを上回る処理速度。
華奢な肉体の補強、輪郭の補強、反射に対応するだけの神経系の増築。
小さな体ではどれだけ細かく記載しても収まりきらない、外の世界へ指が這う。
自身の魔力が広がる範囲、消えてしまっては意味がない。
経路を折り曲げ、循環させる。
まだ足りない、まだ足りない。
積み上げろ、立体化しろ、絵の具はまだまだ余っている。
取り込み口が一箇所だけでは到底足りない。
複数箇所に分割して足りない経路を補おう。
かくして作り上げたのが、お嬢様という輪郭を越えた黄金の竜。
この世ならざる知識が、この世の理に応じて理屈立てた偽りの奇跡。
内側を流れる体内魔力の全てがその形で固定される。
輪郭を形成するのは無数に重なる方程式、内側を満たすのは法に則った魔力の経路。
外からの干渉を一切良しとせず、ただ我儘を貫き通すための術式。
息を吸うように周囲の魔力がお嬢様の体内魔力に変換される。
取り戻さなければならない。
大切な弟を。
結果は既に見てきた通り、目的は果たせた。
代償として固定させた魔力の経路は最早拡張する遊びはない。
周囲の魔力を自分に変える術式だ、外部からの魔法を阻害する最大級の撹乱魔法。
この身体はかつてのものより基礎的な動体視力がよく、しなりがある。
組み合わせることで難しかった動きも容易に再現できた。
最も奇跡の代償は支払わなければならない。
「痛い……熱い……寒い……!」
ふくらはぎに空いた十個の穴は相当深かった。
しかも割と内側で化膿している。
一段落おいた後、ぶっ倒れてうんうん唸る羽目になった。
「きゅう……。」
お見舞いに来てくれたカイゼルのもふもふにしがみつく。
少しでも痛みから意識を逸らしたい。
なんだかふかふかする場所が増えてるのは、意識が朦朧としてるからだろうか。
「ああ。また熱が上がって……すぐに薬をお持ちいたします。」
「ふふふ、自業自得ですわ? どうしてそんな極端な魔法にしてしまったのかしら。」
とても嬉しそうに笑みを浮かべる加害者、シルヴィ嬢。
例の魔力撹乱効果を持つ扇子、お母様から預かっていたもの。
今のお嬢様に必要だろうと押し付けるように渡された。
この魔道具で固定した魔法を撹乱すれば、わずかながら回復魔法が作用する。
最もお嬢様がそれを頭で理解できたのは激痛がましになった一週間後。
「シルヴィさんもう動けるんだねー。エルさん、座学のプリントここにおいていくね!」
回復魔法がまともに効かない以上、治りきるまで鎮痛剤と解熱剤で凌ぐしかない。
この世界、薬学も進んでいて本当に良かった……!
* * *
少しだけ時を遡る。
音が消え、色が消えたあの瞬間。
偶然がしでかしたことに対する後悔が感情を塗りつぶす。
対面した自分の内に潜む昏く深い感情は、巨竜の亡骸を思わせる。
これを開放し、握りつぶすことが出来ればどれほどに愉しいだろうか。
だがそうはいかない。
忌々しいが利用するための優先順位は立てねばならない。
暖かさを覚えている。
――だから手を伸ばせない。
柔らかさも覚えている。
――だから離れない。
――だから傷つけない。
優しさを覚えている。
――だから甘えない。
――だから許せない。
――だから諦めない。
彼女はこんな世界よりも遥かに大切だ。
――だから壊せない。
――だから泣かせない。
――だから見過ごせない。
――だから、好かれたい。
方針は決まった、心は定まった。
否定で染まる思考の中、一点の光と共に世界を改変しよう。
絵の具は無いが、パレットナイフならばいくらでもある。
衝動に任せてはならない。
丁寧に添わせ、這わせ、切り裂いていけばそれを経路に如何なる魔力も流れ込む。
削ぎ落とせ、削ぎ落とせ。
徹底的に無駄を、危険を削ぎ落とせ。
正確無比な形を作り上げて初めて自分は否定から肯定へ変わる。
望んだ形はかくありて、金の光へ手をのばすために。
世界を殺す凶器だからこそ、カンバスをバターのように切り分ける。
かくして彼は形を得る。
この世在るべからざる存在が、世界の理に沿ってしまった本当の奇跡が成立する。
ああ全く本当に、本当にこの世界は。
こわれてしまえばいい。
安堵すれば激情が渦を巻く。
取った方法は最善だが最低最悪、反吐が出る。
彼女のためでなければこんなことをするものか。
彼女に仕込んでしまった爆弾を処理したくなかった。
だが、彼女の本質を歪めることは何より自分が許せない。
銀髪に指を埋めるようにしながら、見開いた青い瞳は底知れぬ暗さ。
忌々しげな舌打ちをして、彼は再び日常に擬態する。
気づくものが現れるのなら、最後の仕上げだ。
がちん。
世界の一部が、音を立てて変質する。
これにて第一章の基本改稿は閉幕です。
誤字脱字に表現をちょくちょくいじりながら第二章進めています。