第10話 危険因子のイントゥルージョン
2021/03/25大規模修正&追加
その背には翼への羨望しか残らない。
フォールンベルト家の武勲についてまわる表現だ。
先陣を切って勝利の道を作り出す。
味方からすればこれほど頼もしいものはない。
「宮廷魔法団長殿の予言は、当たりすぎるのがいけませんわね?」
シルヴィ嬢はお嬢様の護衛である。
弾かれたように駆け出した速度に面食らった。
だがこれでも現役の騎士、即座に護衛対象を追いかける行動に切り替える。
どれだけ走っても追いつくことが出来なかった。
全力で追いかけたつもりなのに、背中の紋章を追うことしかできなかった。
途中、速度を増すために邪魔なドレスの魔道具を本来の形に戻したというのに。
現在は体に張り付くような真っ黒なボディスーツ姿。
足部分は動きを見せぬために滑りの良い袴。
近衛騎士団近接格闘部隊筆頭、『黒狼』シルヴィの戦闘装束。
腰帯には言われたとおりに扇子を挿したままだ。
現場に到着すると同時に追いつけなかった理由が判明した。
本能的に近づくことを厭ったのだ。
「面白いと評したわたくしの判断、甘すぎましたわ。」
眼前で行われた蹂躙。
過剰過ぎる力の差だった。
速度は彼女の動体視力でも追いかけるのが精一杯。
華奢な腕で人体があれほど吹き飛ぶものなのか。
もしもの場合、状況を収めるよう宮廷魔法団長から言われていた。
できないと判断したのならば、最悪時間稼ぎだけでいいとも。
初めて馬車で見た時は、この程度の小娘相手に不覚は取らないと思った。
名乗り返しでの不意打ちは、面白いと感じはした。
一週間立ってもその評価は変わらなかった。
今や一転、実力で筆頭までのし上がった己をして逃げろと悲鳴を上げている。
「外界の魔力まで食らい尽くすだなんて、もう笑うしかないですわね?」
離れて見ていたからこそよく分かる。
秒にも満たぬ刹那で組み上げられた魔術方程式の緻密さ、正確さ、隙のなさ。
世界の魔力を己の体内魔力に変換する、ただそれだけに極化した狂人の成す魔法。
本来なら器が小さすぎて内側から破裂するはずのそれを、循環を駆使して抑え込む。
難解な方程式がパズルのように組み上がってゆくさまは最早芸術と言っていい。
魔法使いでもないシルヴィ嬢ですら見惚れてしまった。
眼前の空間は黄金一色、拡張されたお嬢様の体内魔力。
呼び込むべき大いなる魔力の匂いがどこにもない。
魔法の発動に必要なのは世界の魔力。
つまり今のお嬢様相手に、魔法は一切効果を発揮しないのだ。
だからこそ狼人であり、部隊筆頭である自分が選ばれたわけか。
セラではその万能性から対処が難しい。
すうう、と大きく息を吸う。
黄金に染まったあのお嬢様を抑えるための前準備。
外の魔力を呼べないのであれば、内側で燃やせばいい。
『オオォ―――……ン!!』
遠吠えは己を鼓舞するのに最も適している。
紐付いた魔法が内部に作り上げられる。
体内魔力を身体反応の向上へ注ぐ切り札。
自分の命を削るに等しいこの魔法は、文字通り命がけ。
遠吠えに反応し、表情の消えた黄金の瞳がこちらを向く。
ゆうるりと周囲を満たす黄金の竜が首をもたげ――。
音はなかった、前動作もなかった、行動前の力みもなかった。
にもかかわらず、シルヴィ嬢の体が宙に浮く。
遅れて轟音と、腹部やや上、鳩尾に走る無視し難い鈍痛。
咄嗟に飛んで衝撃を逸らせたのは向上した身体能力と、撹乱魔道具のおかげだ。
予言が当たりすぎる、となれば自分の末路も言われた通りだろう。
――これを相手に時間稼ぎですって?
視線を動かした先。
先程まで彼女が居た場所にお嬢様が拳を突き出して立っている。
追撃してこないのは撹乱効果で違和感が生まれているためだ。
この魔道具が及ぼすのは、なにも自身の体内魔力に対してだけではない。
そういう風に宮廷魔法団長、フリグ・シル・フォールンベルト手ずから設計した。
辛うじて着地、初対面のときと違い先手を持っていかれた。
胃がひっくり返りそうだ、構えるので精一杯。
お返しをするだけの余裕がない。
時間を稼いでどうなる、この学園でシルヴィ嬢と並ぶ腕前といえばセラくらい。
どうやってこの暴走娘を止めればいい?
「全く……楽しい職場ですわ!」
自分の動きは散々見せている。
だから限界を超えたのに、今のお嬢様はそれすら上回る。
下り始めた闇の帳を金に染まった瞳が切り裂く。
応じるように黒い旋風が吹き抜ける。
接触、シルヴィ嬢の白髪が沈み、先程まで頭のあった位置に貫手が通る。
髪の毛が数本切り裂かれた。
薄ら寒いものを無視して肘関節を狙うが、警鐘。
重心が崩れるのも厭わず身をかがめた。
手を地につけることで顔に向かって飛んできた膝蹴りを躱す。
すぐ上での風切り音、危うく頭を掴まれるところだった。
「――ガッ!?」
そこからさらに膝先がしなって伸び、横っ面に突き刺さる。
一手しのいだ所で二手、三手、矢継ぎ早に飛んでくる。
無理やり身を沈めたことでまともなガードが間に合わない。
華奢な外見から想像できぬ一撃、地面から彼女を引っこ抜いて再び体を宙を浮く。
カウンターでお嬢様の顔へ蹴りを叩き込んでおいた。
それがなければ下意識を持っていかれただろう。
腹立たしいことにしっかりガードされている。
ついで程度に足首の関節を砕かれた。
浮いた身体のすぐ横を追い抜く風、即時膝と腕を使って全力防御姿勢。
撹乱効果はもう解析された、躊躇はされない。
衝撃――急降下、世界が揺れた、巨竜が踏みつけたように地面が沈む。
受け身を取る余裕もない。
「――っふ!」
まるで大槌を振り下ろしたような踵落とし。
幸いにも骨が盾となり、臓腑は潰されずに済んだ。
だが強かに背を打ち付けられ、肺から空気が洩れる。
目の前が真っ黒になるが、やっとまともな一撃を入れた。
脚が当たる瞬間。
防御に回していた両腕で挟み込み、爪を食い込ませて腱狙いのカウンター。
残念ながら切るまでは至らなかったが、これで機動力は奪えたはず。
速度といい重さといい、災害級の魔物を相手にしたほうが遥かにマシだ。
「……せめて、何か、一言くらいは、何か喋りなさいな。」
これが限界だ、減らず口だってたたきたくなる。
ガードに用いた両手足の骨は砕かれている。
無理やり攻撃に転じた指の骨がどうなったかなんて想像もしたくない。
「わたくし、噛ませ犬では、ないですか。」
片足を奪えたので多少の時間稼ぎは果たせた、あとは来るだろう助けに任せる。
それにしても速度と全体重を乗せてくるくせに、どうして動作に無理が出ないのだ。
まるで人を相手にしている気がしない。
――ああ、そうでしたわね。
ここに至ってようやくシルヴィ嬢は理解した。
竜を相手に対人を挑んで、勝てるわけがなかった。
* * *
厄介な邪魔は念入りに壊した。
やっと本命に取りかかれる。
たかが自分一人のために大切な弟を傷つけたこの場はいらない。
補強のための回路も、今や広がったお嬢様の影響で術式が作動しない。
とは言え石材だ、普通に打っては華奢な拳が壊れてしまう。
だから徹底的に剛として鍛えた虚像に魔力の流れを上乗せする。
先程までの対人は相手から仕掛けてきたもの。
この先の破壊は自由意志。
十の穴を穿たれ血を流す右足は、もう踏み込みに使えない。
だが動けばいい、そのように魔力を纏う。
――はやくぜんぶこわさなきゃ。
この場所のせいでカイゼルが傷ついた。
ああ憎い、憎い、憎い。
打ち込みと共に膨大な黄金の奔流が学舎に向かい――。
ぺしん。
軽い音を立てて受け止められる。
怪訝そうに金の瞳を上げた。
受け止めたのは竜人。
「――本当、言われたとおりになるのは癪だね、シルヴィさん。」
年の頃はお嬢様と同じ程度、風貌には幼さが残る。
身長も頭一つ高い程度。
楽しそうな声色は少年然としているのに、妙に落ち着いている。
顔立ちは違うのに、雰囲気はどことなくお父様を思い出させた。
月明かりを反射する銀の髪と、困ったようにこちらを見つめる青い瞳。
ほんの少し日に焼けた程度の肌の色。
儚げに見えて、その癖譲らぬ強い芯の通った美少年。
色を、取り戻した。
「これ以上はいい、君の立場が危うくなる。」
知ったことじゃない。
カイゼルにしたことを思い知ってもらわなければならない。
だから自分を嗜める言葉なんていらない。
音を、取り戻した。
「目的を見失わないで。」
問答無用の二手目。
受け止められるのならば音を越えて衝撃で破壊する。
ぱしん。
苦もなく受け止められる。
腕を取り巻いていた黄金の魔力が消えている。
あれはお嬢様の体内魔力だ。
撹乱はできても消滅させることはできないはずなのに。
「う……あ……ああぁ!」
暴走してから初めてお嬢様の喉から音が洩れる。
苛立たしい、苛立たしい、苛立たしい!
腕を引く、殴りつける、ぺしんと受け止められる。
腕を上げる、叩きつける、ぱしんと受け止められる。
まるで癇癪を起こした妹と、それをあやす兄のようだ。
だが、一撃一撃の速度は衰えていない。
どうして対応できるのかが解らない。
「最速で最短。単純なら打ってくる場所も予想がつく。」
「は……な、し、な……さ、い!」
ついに両腕をしっかり抑えられた。
ぐずるお嬢様は無理やり引き剥がそうとする。
片足が傷ついているとはいえ魔力で補強した体だ、決して非力ではない。
それはシルヴィ嬢を一瞬で下したことからも証明されている。
だというのに片っ端から黄金が消えていく、散らされていく。
黄金の竜が一人の竜人に戻ってゆく。
感情と、言葉を取り戻した。
「嫌だ。」
離すどころか、ぐい、と抱きしめられた。
逃げるように胸板を押すが、強化の切れたお嬢様の力では敵わない。
体勢を崩させようとしても、体についた癖を再現するための魔法が起動しない。
「どうし――」
邪魔をする理由を問うことはできなかった。
視界が少年で一杯になる。
強引な動きで柔らかな唇を奪われた。
感触を、取り戻した。
「――んんっ!?」
触れ合った唇が妙に熱い。
一方で体内の荒ぶりが消えてゆく。
ど、ど、ど、と心臓が激しく脈打っていたことに今更気がついた。
よほど体に負担を強いていたのだろう、ろくに力が入らないわけだ。
魔力の流れが収まりはじめると同時に瞳が碧色を取り戻す。
少しだけ潤んでいるのは暴走前に激怒した名だ。
散々な暴れ方をしたせいで折角のドレスなあちこちフリルが破れ、泥で汚れている。
制圧は一瞬の出来事だったが、既に夜の帳はおりている。
お陰で汚れや肌の露出が目立たないのは幸いだ。
――やっと自分を取り戻す。
「……っはぁ!」
こちらが落ち着いたことを確認したからか、唇が開放された。
カイゼルを医務室へ連れて行かねばならないのに、何をしていたのだろう。
急いで相方の倒れた場所を確認するが姿はない。
心がざわめき出したが、安心させるように少年の言葉が振ってくる。
「真っ先に医務室へ連れて行ったよ。シルヴィさんは想定外だったから、今から運ばなきゃいけないけど。」
「……あなたは?」
今更状況に気がついた。
お嬢様は今、見知らぬ少年の腕の中に収まっている。
そう言えばさっきまで唇を奪われていた。
背筋がぞわっと……する余裕はまだ取り戻せていない。
この場所はカイゼル以外に許したことのない超々至近距離。
胸を押して離れようとすると、今度は素直に応じてくれた。
「騎士科所属、魔法科在籍。レフス帝国からの留学生、ルゼイア・ファウル。平民なので多少の無礼は大目に見て頂けると幸いです。少し興味のある文献に目を引かれ、初日の挨拶に向かえなくて申し訳有りません。」
綺麗な騎士礼に合わせ、言葉遣いも変わる。
発言から推測するに同じクラスだったのだろう。
魔法科在籍者は物事の探求に力を入れる。
ならばラッティ氏とは別の意味で初日に居なかったことの納得はいく。
だが何か腑に落ちない。
お嬢様の所属クラスは十人だとツァーボ先生が言っていたはずだ。
「……カイゼルを医務室へ運んでくださったことは感謝します。」
唇を手の甲で守りながら、形式だけでも謝礼の言葉をかける。
二度目はさせない、絶対にだ。
「缶詰帰りとは言え見過ごせなかったからね。……ああ、遠吠えを聞いたツァーボ先生が来てくれるみたいだ。シルヴィさんはそちらに任せよう。」
「痛っ……!」
一度離れた体が急接近。
身構えた瞬間に、右足に激痛が走る。
見ればくっきりと指の形に穴が空いている。
白かった肌が青白く変色し、だらだらと血を流していた。
こんな状態でよく今まで立っていられたものだ。
体勢が崩れた瞬間に、手早くルゼイア氏がお嬢様を横抱きにする。
こうなることは解っていたらしい。
身も蓋もなく言えばお姫様抱っこだ。
拒否権はなさそうだし、実際歩くことは難しい。
むむ……、せめて唇を尖らせて要求はしておこう。
「カイゼルの居る医務室までお願いします。顔を見なければ安心できません。」
「それはそうだ、あんな場面を見たばかり。それじゃあ向かうから、今度は暴れないでほしいな?」
「……口付けないのであれば。」
「ああでもしないと我に返らなかったと思うよ。」
乙女の唇を強引に奪っておいて悪びれる様子すらない。
美形なら何をしても許されると思わないでほしい。
だが、不本意ながら。
非常に、非常に不本意ながら。
暴走を止めてくれた彼との距離は苦手意識を感じなかった。
幸いにもカイゼルは傷も深くなく、精神的な疲労が主だったらしい。
既に寮の部屋で眠っていると、道中ミズール嬢が駆けつけて教えてくれた。
大人しく抱かれている様子に奇妙なものを見た顔をされたが忘れておこう。
診断結果、お嬢様は全治二週間。
制約のせいで回復魔法に使おうとする片っ端から魔力がお嬢様に奪われる。
一方シルヴィ嬢は重症にも関わらず、全治一週間ですんでいる。
両手足をはじめとした全身の骨、内蔵に至るまで完治とは。
回復魔法の効果は絶大だ。
暴走に巻き込まれた生徒たち?
死んではいない。
無意識に手心は加えていたが許すつもりはなかった。
* * *
医務室にて。
全身治癒効果のある包帯魔道具で巻かれたシルヴィがツァーボと顔をあわせている。
意識があるのも不思議な重症だが、自身を統率して何とかするのが筆頭たる所以。
今回は教員と学生ではなく、元騎士団員とその上司としての会話だ。
大体の流れはツァーボから聞いて把握した。
「貴方、その留学生のことは知っていましたの?」
「ええ、うちのクラスですからね。だいぶ腕の立つ学生でさぁ。とは言えレフス帝国ですからねえ……、卒業後はあちらに戻るでしょうね。」
「そう。なるほどね……?」
聞きたかったのはそこではない。
十一人目がいたことだ。
ツァーボはシルヴィの腕前を知っているはずだ。
彼女ですら抑えきれなかったお嬢様を学生が抑えたことに疑問を感じないのか。
ルゼイアという名は記憶に無い。
冶金技術で有名なレフス帝国が持つ軍事力は、主にその武具に依存している。
魔法を弾く防具、魔法防壁すら容易く切り裂く武器。
芸術品はそれらの発展の副産物にすぎない。
一方、兵士の実力は決して高くない。
個の実力者がいるのならば近衛騎士の一部隊を任されている自分の耳に入るはずだ。
宮廷魔法団長の指示した時間稼ぎとは彼が来るまでだったのかもしれない。
だが、この情報の齟齬は残してはならない。
詳しく問いただそうとした時――。
――誰も気づけなかった、がちん、と世界が変質したことに。
「……墓荒らしと名乗っていましたわね? ツァーボ、貴方教員でしょう。心当たりは?」
「墓つながりでうちでもモルグがいますが、気取った不良の呼び名じゃねえですかね。魔物の分類に居たでしょう、墓荒らし。」
「口調が騎士時代に戻ってますわ。それに、せめてウォルフとお呼びなさいと言ったはずでしょう。」
「そういう流れじゃありませんでしたかい!?」
彼から有益な情報は得られそうにもない。
学園の外に増援を求めることはできない、それがこの場所の決まりだ。
シルヴィは今の状態であってもお嬢様の護衛として離れられない。
ならば適材適所。
もう一人の実力者に情報収集を頼むしか無いだろう。
「――仕方ありませんわ。『万能』のセラさんを頼りましょうか。」
彼女がこの場にいたのは、このためなのかもしれない。
シルヴィが口にした名は、十年ほど前に引退した有名な腕利き冒険者のものだ。
次回閑話を1話はさみ第一章は終わりです。