第9話 覚醒ジャガノート
2021/03/23追加&大規模修正
ドン!(物理音)
大変濃ゆい初日を迎えてから一週間。
幸いにもその後は特筆するような濃厚な時間はなかった。
ミズール嬢に礼儀作法の粗さがしをされたり。
ハルト氏に模擬戦訓練をせっつかれたり。
カール氏に粘つく視線を向けられたり。
モルグ氏がそんなカール氏に政治の話を振って逃げ道を作ってくれたり。
他学科から騎士科の共通講義に人が集中し、定員超えで調整騒ぎになった程度。
認識阻害の魔道具は常に出力全開だ。
波風立てずに知識と経験をすり合わせる日々が続いている。
今日も何事もなく昼休みを迎えた。
午前の講義は基礎体力と礼儀作法で終わらせた。
午後からの授業は何を履修すべきか、悩みと言えばそれくらい。
「そうそう、退学者が三名ほど出たらしいですわ?」
机を囲むのはお嬢様、ハルト氏、それにミズール嬢と竜人のグループ。
シルヴィ嬢は護衛もあるので学園内ではお嬢様から離れない。
机の上に広げられたお弁当は、各々の従者が拵えた品。
ナイフにフォークと基本的な食器も数種類入っている。
本来ならば侍女達が行うべき行動も、学園内では自分たちで行うことが基本だ。
「退学者……ですか。それって――。」
「ええ。初日、エルエルさんが見つけたあの三人ですわ?」
「馬鹿なことを考える、正々堂々正面から打破してこそ誉だろう。」
「ハルトさん? 地位あるものとして力で全てを解決しようと考えるのは暴君のそれです。エルエルさんの手段は及第点でしょう。……護衛の件を除いて。」
だからといって身分を忘れて良いわけではない。
うっかり食器を使う順番を間違わぬようミズール嬢が目を光らせている。
失言があればこうして窘められる。
外側から使うんですよね、きちんと覚え直しました。
「す、すまない……。」
なお、他のクラスメイトは思い思いの場所で昼食時間を満喫している。
カール氏とフュースト氏は屋上で食事を取り、レオン嬢はカリスト嬢と屋台巡り。
ラッティ氏は商会の業務をしつつ食事、モルグ氏は今日は学食に行っている。
クラス専用の教室で食事を摂るのは、大抵この四人だけだ。
「シルヴィさんならきちんと役目を果たしてくださってますけれど……。」
周りへの警戒、話が長すぎる相手への威圧、たまに鉄拳制裁。
あと騎士科訓練で大暴れするのはほぼ毎回。
お陰でクラスメイトたちも随分鍛えられている。
一日の三分の二は動いていないと何をしでかすか解らないのは本当らしい。
「人数が少ないと言っているのです。全ての負担をシルヴィさんにかけるおつもり? 貴方、身分の重さをまだ理解していませんね?」
「う……。」
確かにそう考えればブラックな職務だ。
一方的にミズール嬢に言いのめされる竜人二人。
貴族令嬢として育ち、騎士科で腕を磨いた先輩の言葉は的確に弱点をついてくる。
そういった部分から学ぶところは大変多い。
二人揃って彼女に頭が上がらなくなっている。
これ以上お説教を受ける前に話題を戻すことにしよう。
「ですが、今度は静かすぎるのが気になります……。」
あれから目立った行動や企みが耳に届くこともなかった。
居なくなったのならば聞こえることはない。
だが引っかかる、フォールンベルト家を謀ろうとしたのに退学処分だけ。
おまけにまともな情報が出てこない。
シルヴィ嬢が仕入れてきたのは他学科の掲示板からだろう。
いくら外の世界の影響から独立しているとは言え、それだけで終わるものなのか。
「どうも腑に落ちません。シルヴィさん、あの後面会に行かれたのですよね?」
「一度だけ。以降は加害者ですので拒否されましたわー。聞けたのも若気の至り、暴走という程度。」
情報が足りない。
そもそも彼らには仲間がいると言っていた。
学園の掲げる理念は確かに理想的だ。
だがどの時代、どの世界にもそれを曲解する者はいる。
平等だというのならば、庶民であっても貴族と同じ暮らしをするべきだ。
垣根がないというのならば、種族問わず苦手な分野も押し付けるべきだ。
区別と差別は別のもの、それでも目の前に違いがあれば悪と感じる者も居る。
己が正義と信じれば、人は何処までも愚かしく純粋に他者を破滅に追い込む。
「……ところで、今日はまだカイゼルが来てませんのね? 食べ切れますの、それ。」
「講義が長引いているのではないでしょうか。ハルトさんや、ミズールさんのところの子も戻ってきていませんし。もう少し待ってみましょう。」
「逆に速く終わったので、またうちの子達と連れ立って街に出ているのではなくて?」
竜と人ではあらゆる面で立場が違う、同等ではあるが同一ではない。
ゆえに学ぶ内容も区別されている。
なおこの両名、お嬢様を比較的ライバル視しているが相方同士の仲は良い。
時間の合間によく三体で遊びに出かけたりしている。
それは良いのだが、この時間には居られないと困るのだ。
「……ルードの裏切り者……。」
同じ机を囲んではいるが、学生服相手にはまともな反応が出来るハルト氏。
だがその対抗心、食事時くらいは抑えないと肩が凝るのではなかろうか。
恨めしそうにつぶやいた所で相方がやってくるわけでなし。
「目下問題なのは、エルエルさんの持ってきたお弁当の処理ね。毎回思うのだけれど、学園の厨房に入り込まないようにというセラさんからの警句かしら?」
現在四人の眼前には、ひと目見てサイズがおかしいお弁当箱が鎮座している。
巨大な四段弁当。
いつもでなら大半をカイゼルが平らげるのだが、流石に一人では無理だ。
健啖家の自負があるお嬢様でも半分で限界、今日一日何も入らなくなる。
「そ、そもそも最近カイゼルがよく食べるのです、大半はあの子のぶんです!」
「それはこの一週間見てきたので解ってます。」
過去のお転婆を知られていると居心地が悪い。
巻き込んだ相手なのだから三割増しだ。
お嬢様がイタズラを見つかったような顔をした瞬間、ハルト氏の視線が横へと泳ぐ。
騎士服なのに、初日のお忍びがトラウマになっているらしい。
「へえ。快活だと聞いていたけど、実際はそれ以上だったのか。」
それでも挑発してくるとはいい度胸だ。
こちらを直視しても良いのですよ?
その瞬間に魔道具の機能を切りますから。
目一杯磨いた仮面を被る準備はできているので、一人自爆するでしょうね!
「それはあの頃のエルエルさんの性質を七枚の城壁で隠した表現です。お転婆、という言葉でも足りませんでした。」
「……都度謝りましたよね?」
隙あらば切りかかってくるミズール嬢。
彼女の得手は両手剣、攻防一体の戦い方だ。
その性質がこんなところにも現れる。
重い一撃はお嬢様の仮面など粉砕する。
「ええ、一日で両手の指を超えるほど。」
受け流し、重さを活かしたカウンター。
お嬢様と同様の細い体にも関わらず、その爆発力は苛烈の一言。
擬態するたび切り捨ててゆく攻勢。
自業自得なので真正面から受け止めざるを得ない。
「今でもそうだったら良かったんだが……。」
ハルト氏が心の底から絞り出すような声を出した。
ミズール嬢の矛先がそちらへ向く。
「ハルトさん。わたしは教えましたよね? 地位あるものは責務を負えと。貴方は領民が苦しむことになっても良しと言うのですか?」
騎兵として戦場撹乱を得手とするハルト氏。
こんな場面でも敵視を逸らしてくれた。
得手は騎兵槍、突撃速度ならクラスメイト随一だ。
「そもそも僕の目標は打倒フォールンベルトだ。目に見えた弱点があればつきやすい。」
「正々堂々と仰られたのは何処のどなたですか、舌の根の乾かぬうちに。他領の事であれど安易に民を切り捨てるとは。矢張り暴君を目指しているようですね、嘆かわしい。」
「ぐっ!」
が、それも騎乗していてこそ。
重量級カウンターの前に切り捨てられる。
等とじゃれている間にも昼食の時間は過ぎてゆく。
見ているだけではお弁当の塔は小さくならない。
残すという選択肢は存在しない。
貴族の食事とは様々な犠牲の上に成り立つものだからだ。
「よ、四人がかりで戦いましょう。大丈夫、味は確かですから……。」
そしてお嬢様の得手は槍。
最も射程が長く、接敵した折には文字通りの一番槍。
今回手にするのはナイフとフォークだが、戦場へ向かう気概は皆同じのようだ。
一人で戦うことが難しければ、仲間の手を借りればいい。
「それがせめてもの救いかしら。時間を守れなかったほうが悪いとはいえ、状況に引っ張り回されてひどい目にあった過去を思い出しますね……?」
ミズール嬢の目に暗い炎が宿る。
これ以上時間猶予はないとお嬢様、ハルト氏両名が直感する。
仕方なさそうにため息をついてシルヴィ嬢もフォークを持って参戦だ。
圧倒的物量戦に四人揃って午後の一講目は休むことになった。
それでも難攻不落に思えたセラのお弁当攻略に成功する。
* * *
想定以上に食べたため、午後から夕方の講義はすべて騎士科の訓練にあてた。
ちょっと横っ腹が痛くなったが、摂取した分の栄養はきちんと血肉にする。
間違っても余分な脂肪にするつもりはない。
事件が起こったのはその夕刻、放課後に入ってからだった。
「カイゼルがまだ帰ってきていない?」
相方成分を補充したいと思った矢先にセラから告げられた。
既に学生服から私服に着付け直されたお嬢様。
できる限りドレス姿にも慣れる必要があるため、動きにくいフリル満載の私服。
外に出る予定もないので、認識阻害の魔道具も外している。
もしかして良い竜を見つけてこっそりデートだろうか。
等と思いはしたが、時間を忘れるようなヘマをすれば再びシルヴィ嬢に締められる。
無風の一週間、じわりじわりと胸中に嫌な色が広がりだす。
「お嬢様なら行方をご存知だと思っていたのですが……。」
「お姫様に心配をかけるとは、また締めなおす必要がありますわね?」
「――いえ、何でしょうこの……。」
どくどくどくといつもよりも鼓動が早い。
不安――、だけではない奇妙な違和感。
何処かで誰かが呼んでいる。
状況は刻一刻と移ろう。
「エルエルさん! ズーラが医務室に運ばれました! ルード、カイゼルと一緒だったと――」
ミズール嬢が寮部屋に駆け込んできた。
医務室、どうして?
ズーラはミズール嬢の動きを補うよう相当機敏に動くはずだ。
医務室に運ばれるほどの怪我を負うことは滅多に無い。
それこそ何かを守りでもしなければ。
「夜分すまない! ルードが帰ってきた、襲われたらしい! ズーラは逃がせたが、カイゼルはまだ貴族科の学舎――」
ハルト氏が駆け込んでくる。
私服姿の女性が何人も備えて居るのに、緊急事態だと動揺が全く無い。
情報を持ってこれたのは流石地上最速の地竜。
これから如何にして助け出すか、という相談だ。
教員に助けを求めることが手っ取り早くて合理的なはずだ。
何せ貴族の相方を傷つけたのだ、被害者が出ている以上無罪とはなるまい。
――なんてことを考える余裕はなかった。
貴族科の学舎で、どうして?
ぐらぐらと足元が揺れる。
どうしてあれから不穏な声が届かなかった?
――初めてシルヴィ嬢が学生をのした時、風が教えてくれたと伝えてしまった。
どうしてこの一週間、行動が一切なかった?
――情報が漏れぬよう水面下で動かれては手が打てない。
どうして突然今日に至って行動を起こした?
――日常に慣れはじめ気が緩んだからだ、現に昼休みのことを深く考えなかった。
だがまさか、シルヴィ嬢の警護を容易く破るほどとは。
――カイゼルに一番近かったのはお嬢様のはずだ、心に刃が突き刺さる。
「――嬢様!」
「お待ちなさ――!」
動揺に音が揺らぐ。
はるか後ろでセラとシルヴィ嬢の声が聞こえた。
待てない、聞けない、止まれない。
動きにくさなど知ったことか、礼儀作法なんてかなぐり捨ててしまえ。
何処の誰だか知らないが、自分ではなく大切な家族に手を出すというのなら――。
* * *
貴族科学舎の何処かは解らない。
胸中呼ばれるまま目的地のない全力疾走。
何処をどう走ってきたか定かではない。
だからこそたどり着けた。
これ見よがしに鎖で穿たれ、力なく吊り下げられている大切な弟の元へ。
取り囲むように身なりの良い男子が七人。
「――安易に突っ込んでくるとは想定通りだ、拘束術!」
いつも寄り添ってくれている風が編まれた式を経由し、変質する。
動けば肌を割く、言葉通りの拘束用の魔法だが狙いが甘い。
悲鳴を上げる刃をこの体で完全に避けることは不可能だ。
一撃くらい掠めさせ、その間にカイゼルを取り戻して離脱すれば――。
金属音が響く。
鎖を引きちぎる音だ。
「ぎゅあああ!!」
飛んでくる風を追い越し、黒い弾丸が軌道上に入り込む。
相方の身が傷くことを良しとしなかったのだ、この弟は。
口の中に、鉄臭い液体が飛び込んだ。
どす、と今度こそ力を失った弟がお嬢様の足元に伏せる。
「この邪魔者が……第二射から五射、同時に囲め! ここまで来れば用済みだ!」
ぷつん、と何かが切れた。
音が消えた。
色が消えた。
感情が消えた。
疑問だけが残る。
大切な騎士に何と言った?
「たかがお姫様一人、数で押せ! ただし傷つけて良いのは手足だけだ! 墓荒らしの名を示せ!」
――千年も立てば人は忘れるものだ。
消えた色へ魔力の指を添わせる。
足りない、この体に染み付いた癖を全て活かすには足りなさすぎる。
魔法とは世界と自分の四則演算、思い願えば奇跡を起こす。
ならば作れ、今すぐに作れ。
真っ白な虚数の空間を望む式で埋め尽くせ。
契約は、外敵を退けるためにこそ力を振るう。
制約は、組み上げた方程式を以後この効果で体内魔力とすること。
世界を相手に二つの枷がお嬢様の存在を縛り付ける。
堰を切った体内魔力はまたたく間に空間を方程式に経路を吹き込む。
大いなる魔力を取り込め、自分という世界を拡張しろ。
式は成立し、魔法が発動する。
色彩を失った世界は金色に塗りつぶされる。
牽制なんていらない。
「馬鹿な、魔法が発動しな――」
ひとりめ。
一息で飛び込み着地の足で地面が陥没、速度を乗せた掌底が腹部を撃ち抜く。
衝撃波と共に大柄な男が後方へ消え、遅れて金の髪がぶわりと広がる。
悲鳴もうめきも残させない。
ドレスの背に大きな翼が覗く。
小細工も必要ない。
「なに――」
ふたりめ。
距離が遠いので踏み込みを利用して飛び上がる、走るには髪が邪魔だ。
落下する勢いに体の回転と脱力を乗せて、頭部から地面に沈める。
ドレスのスカートが広がり、フリルが揺れる。
背負った大きな翼の意味を、彼らが思い出す暇もない。
前線に出たこともない彼らは圧倒的な暴力に耐性がなかった。
止めの一撃だけでいい。
「お――」
「くそ、逃――」
「なん――」
さんにんめ
体が沈むままセラの縮地。
すれ違いに足を刈り取り、顔へ手を添えて地面へぶつける。
よにんめ
既に眼前だ。
急停止から魔法行使に伸ばしていた腕を掴み、渦を巻くように背負い投げ。
ごにんめ
投げた相手をぶつけたが、勢いは削られることなくまとめて壁へ叩きつける。
ろく、ななにんめ
投げた際に方向転換は終わっている。
駆け抜け手首を利かせた一撃、顎を揺らして意識を刈り取り蹂躙完了。
「――。」
残るは静寂。
縦横無尽に暴れていた金のたてがみがようやく追いついた。
フォールンベルトの家紋を隠す。
仕上げられていた髪型はあれ程の動きをして乱れもなくたおやかに収まる。
彼らは最後まで何が起こったのか理解できなかった。
最速で組み上げた術式は周囲の魔力をお嬢様に吸いあげられた。
けれど停滞することなく世界はお嬢様の体内魔力として循環する。
拡張された虚像体はあらゆる体格を模倣する。
染み付いた経験は障害と接敵する最短ルートを選ぶ。
身につけた鍛錬が最適な討伐手段を取る。
世界そのものを自身と化した膨大な魔力の渦。
それはあたかも黄金の竜がとぐろを巻いているような有様だった。
フォールンベルト家。
それは巨人からこの地を侵略した際、最も武を誇った家系である。
挟み込みは予約掲載ができないのでこの時間に。