第8話 閑話寮内アングル
2021/03/2大規模修正
「んんー……。」
真っ白な湯気に包まれた室内。
湿気に混じってほんのりと石鹸の香が登る中、力の抜けた声が響く。
澄んだ声色は湯気に混じって程よい湿り気を帯びる。
寮に備え付けられた専用の浴室、予想以上に広い。
シャワールームに付属している程度と思いきや、大きな湯船までついていた。
白磁の如き柔肌は、今やほんのり薄桃に色づいている。
長い髪は広がらないよう結わえて大きめのタオルで覆っていた。
厄介なので切ろうかと相談したことはある。
セラとお母様がこの世の終わりのような顔をしたので断念した。
「やっと身体が伸ばせます……。」
今日一日は大変濃かった。
締めは大出費に関してセラのお小言。
必要経費だ、内面を殺してポーズ付きの映像一枚で手打ちにしてもらった。
認識阻害など知ったことかとばかりに眼鏡着用でやらされた。
なるほど映像であれば魔法も効果を及ぼせない。
そんな諸々で溜まった疲れを癒やすには、湯船で身体を伸ばすに限る。
入浴はお転婆していた頃からの日課だが、寮生活となると侍女のお世話はなくなる。
とは言え徹底的にスキンケアを受けた結果、お嬢様の肌質は既に最上級。
シミもなければアラもない。
滑らかなたまご肌、後はこれをきちんと維持するだけだ。
寮生活を送る準備と称し、セラを筆頭に侍女たちからお手入れ手順を叩き込まれた。
自分磨きを目標としている以上、これはサボれない。
「カイゼルも、やっと落ち着きました?」
「ぎゅううう……。」
腕の中で相方が呻く。
カイゼルは子猫サイズだ。
溺れたり逃げ出さないようお嬢様に抱きかかえられている。
入浴にあたっては大騒ぎ。
断固拒否と燃え尽きた体に鞭打ち逃げようとして、あっさりお嬢様に捕まった。
十年一緒に逃げ回ったり走り回った仲だ、癖は掴んでいる。
それでも隙を伺うので、体を洗う時やスキンケアの間は空いた脚で極めておいた。
安定感を得るために鍛え込んだ下半身はきゅっと締まった腿から続く華奢な曲線。
日に日に丸みが増しており、それが生かさず殺さず動きを止める。
きちんと汚れを落とすまで逃すつもりはない。
たてがみのふかふか維持はお嬢様の趣味だ。
はしたない?
侍女達の目もないのでノーカウント。
「シルヴィさんにお説教を受けたのは自業自得です、謝ってあげませんから。」
今まで逃げようとしたことはなかった。
今日のことでだいぶ不貞腐れているらしい。
湯船の縁にもたれて、気兼ねなく背筋と脚を伸ばす。
固くなった筋や筋肉がゆっくりとほぐれていく。
隅々まで滞りなく血が通うこの感覚はたまらなく好きだ。
「ぎゅう。」
なお口を尖らせるカイゼル。
鳴き声であっても何を言っているのか理解できる。
もう少し寄り添って過ごせば明確に言葉として聞き取れる。
だが、あと一歩彼の方から近づいてくれない。
しかたないのでその分お嬢様から間合いを詰める。
家族の声をきちんと聞いてあげたい。
まずは抱き上げから抱きしめへ。
むぎゅ、と逃げられないように腕を交差させて後ろから密着する。
お嬢様の柔らかい肌に硬い鱗がぴったり張り付いた。
白い肌に痕が残るほどの力は入れない。
「大体洗われて居る時は気持ちよさげだったのに――。」
この世界ではない何処かで散々年下の面倒は見てきた。
指は細くなったが、洗ってあげることに関してはそれなりの腕前だと自負している。
長柄を扱うようになり、そこそこ力のついた腕だが線は細いまま。
二の腕とか結構柔らかい。
素手で握手をしない限り指にできたタコにも気づけまい。
がちがちの筋肉で身を固めるつもりはないが、女体はこういうものなのだろうか。
「ぎゃあ!」
続いてしっとりと湿ったたてがみに顔を押し付ける。
洗うついでにケアもしてあげた、つやつやだ。
鱗の部分は硬いが、たてがみは水を含んでなおふかふかだ。
擬音語が二つ揃えば最強。
また暴れ出されてざぶざぶと波打つ。
長い尻尾がばったばったと揺れて湯をかき回すため、お臍や脚がくすぐられる。
「今更拗ねてみせたって遅いですよぅだ。」
止めはふにゃふにゃに蕩けた口調。
仕草も言動もお転婆時代に戻りかけている。
取り繕ったり、異性視点を有したが結局こちらが素。
自分を磨くと決めたが、相方と二人きりの時くらい力を抜いたっていいだろう。
無意識だが異性からの見た目を知った今、振る舞いへ差異が生まれている。
からかう声色ではなく甘えた声色。
ただでさえ攻撃力の高い声の威力が数段跳ね上がる。
「きゅああ。」
大人しくなってくれた。
明日からの授業、カイゼルはお嬢様たちと違う授業を受ける。
人と竜では必要とされる教養が変わってくるからだ。
一緒に居られる時間は随分限られる。
お互いの授業が無いときや部屋に戻ってきた時くらいだ。
今までは一日中一緒だった、お嬢様としては少し寂しい。
なので今のうちに甘えておくことにするのだ。
お母様が娘成分補充と称して抱きしめてくるように、相方成分補充。
なるほど血は争えない。
姉なのか妹なのか、同い年なのでどちらでもいい。
「ぎゃう。」
「今日のお忍びの時? ……何ですか、妬いてくれるんですかカイゼル。」
話題を変えるようにカイゼルの一鳴き。
これも不貞腐れている原因か。
ぱしゃんと湯を跳ねさせて顔にかけ、ついでに鼻の頭を指先で優しく撫でる。
全く仕方のない相方だ。
確かに着替え終わった姿を最初に見たのは相方だ。
その後ハルト氏に対して赤面したのは羞恥心に引きずられたため。
十一年寄り添っている相方を前にどうして恥じらえというのか。
「大体、普通は私みたいな体つきよりレオンさんのような体型の方に視線が――。」
思い返せば、凄く弾んでいた。
一方お嬢様の主張は慎ましい。
とは言え体つきから考えればこれくらいが丁度いい。
そもそもまだ最年少、焦るような年齢ではない。
その辺りを考えるのは後回しだ。
「いくはず……ですよね?」
湯気で染まる天井を仰ぎ、今日一日を思い返してみる。
一瞬レオン嬢で止まった視線はその後軒並みお嬢様に集中していた。
認識阻害の魔道具を身につけてからは随分とましになったが。
体型を気にしたお嬢様が言うのもなんだが、あの視線は慣れそうにない。
これも考えなかったことにしよう。
ぶくぶくぶく。
「ぎゅうう。」
「じゃあ、あなたがもうちょっと大人になったら私も意識してあげますね?」
兄なのか弟なのか、無理難題を吹っかける。
ちょっとこれはフラグではなかろうかと脳裏をよぎるが、そもそも種族が違う。
種族が違えば色恋の対象として見ることは、基本的には難しい。
そもそも生まれてから十一年、ずっと傍に居た家族なのだ。
おかげでこういった冗談が言える。
他人相手に口にしようものならお嬢様の背中が凍りつく。
最もカイゼルの姿が、並の雄竜よりも整っていると思うのは贔屓目ではないだろう。
番ができたら祝うべきかからかうべきか、今のうちから考えておこう。
伸ばしていた膝を寄せて、改めてぎゅう。
ばっさばっさと暴れだした翼が胸を叩いてくる。
だがここまで密着してしまえばろくに動けまい。
完璧に鍛錬を再現できるわけではないが、ある程度なら融通できる。
柔らかく稼働する体は都度的確にカイゼルの体をホールドして離さない。
くすぐられ続けるのは勘弁と暴れる尻尾を腿で挟んでたてがみに鼻先をぐりぐり。
何となくじゃれつきたくなった。
「ふふ、ふわふわです。」
「ぎゃあ!」
腕の中で悲鳴が上がる。
不意打ちに弱いのはお嬢様と同じ。
じたばたと逃げようとするカイゼル。
お嬢様と同じように本当の落ち着きを身につけることはなさそうだ。
結局お嬢様の猛攻は、相方と一緒に床につくまで続いた。
お風呂シーンが書きたかっただけです、後悔はしていない。
よーい




