第5話 迂闊すぎたアンブッシュ1
ファウベルト領に空港ができる。
王国に対する申告が領主代行によって為され、多くの貴族は知っている。
だが、いつ開かれるかまで知るものは少なかった。
初動が解れば召し抱えている商家を動かし、大きな利益を得ることが可能だ。
甘い汁を啜るのは、国を思う一部の貴人だけで充分。
領主代行はその不文律を知っているため、伝えられたのは墓荒らしの一部だけ。
「劣等種を囲う変態の癖に、きちんと分別をわきまえていたではないか。」
地下で開かれた小さな会合。
参加しているのはいずれも高価な装飾で飾る肥えた壮年男性。
これらは自らの権威を誇るためのもの。
身につく肉すら彼らに取っては裕福さを語る尺度に代わる。
暴力など下々の者に任せておけばよい。
「そう言ってやるな。外見だけならあれらも愛でるに足ろう。となれば報酬は使えそうな愛玩物か。」
実に下世話な話だが、彼らにとって純人以外はそういったくくりだ。
特定の才能が開花した純人の能力は目覚ましいものがある。
その他の人種は開花するまでの間、場を代用する道具に過ぎない。
――本来純人は国家運営の停滞を防ぐため、変化を促すための立場。
代を重ね、歪んでいった価値観は本来の役割を忘れさせてしまった。
「ははは、あれはまだ若いのだ。十匹は見繕ってやらんと満足すまい。」
純人至上主義という皮を被せられた呪いの傀儡たちは陰で嗤う。
彼らにとってファウベルト領主代行は駒の一つ。
いささか独断専行が過ぎるものの、領主の帰還や空港など様々な情報が流される。
その中で都合の良い報告の一つ。
大半の予想通り、領主と出来損ないの養子の仲は良好だとか。
「齢千を超えてついに国の守護者も耄碌した結果だ。これが代替わりもせぬ劣等種の限界よな。」
「娘を取り戻そうとして、血筋だけの欠陥品を掴むのだから。代用品の限界だな。」
本来外に出ない学園の情報を得ることなど、彼らにとっては造作もなかった。
当然学内におけるファウベルト領主とその夫の関係も掴んでいる。
フォールンベルト家当主の行動は外から見ても随分無理やりだった。
娘とのために、意識した相手を家に引きずり込んだようにしか映らない。
「あの二匹は、我々をして寵愛に値すると思わせる見目だ。媚びることに長けた、まさに愛玩動物よ。」
好色な笑みが浮かぶ。
見下す相手であろうと、欲を満たすに足る相手であればその部分は認めてやる。
彼らの中にも代われるものならば代わりたいと思う者は居る。
純人至上すら惑わす王国の美姫二人だ、男の方はさぞ浮かれることだろう。
「金の姫に銀の姫、中途半端なはぐれでは理性も持つまい。劣情か痴情のもつれか、付け入る隙は近く現れるだろうよ。」
だが、学園での金の姫ははぐれ以外の異性に対して一定の距離を取っていた。
となれば宛てがわれた銀の姫に対して胸中思うところは大きかろう。
一方で銀の姫も、今の立場に納得するような性格ではあるまい。
――あながち間違っていないが、これは彼ら主観の話である。
「そうなれば、このような生活からようやく解放される。」
「穴蔵など鼹人の住処だろう、こういった場所は実に窮屈で堪らん。さて、残りの問題は――。」
普段と同じように、停滞により切り取られた世界の中で行われる密談。
道のりが見えてきたとしても、未だ王国最恐の目から逃れなければならない。
国家転覆の兆しが見えれば、矛は契約と制約に従い彼らを貫くだろう。
だが、端末たちに大きめの事件を起こさせている間は矛先は違う方向を向く。
連邦国の人身売買組織に接触したのもその一環だ。
あわよくば金の姫を手に入れようとしたが、この際そちらはどうでも良い。
「下等種どもを気にかけ始めた王か。まったく道具ごときに情を抱くとは。ファウベルト領へ視察に向かってからか。あの地が呪われているのは間違いない。」
「挿げ替え時かもしれんな。王室の誰ぞかを選べばよかろう。初めから、正しい教育を受けたものをな。」
「そうさな、綻びは見え始めた。ようやくこの国がまともな姿に戻――。」
かつり、と石床を叩くヒールの音が響くと同時に声が途切れた。
彼らのいる場所は音が漏れぬよう秘密裏に作られた地下の一つ。
上級貴族の敷地内でもあるので、誰か訪れるなら事前に連絡が届くはずだ。
考えられるのは、守護者が何らかの方法でこの場所を突き止めたか。
突然静寂に包まれた地下は、先程とはまるで別の空間と錯覚させる。
「ご歓談の最中失礼します。王国の皆様方におかれましてはどうぞ警戒なさらずに。」
果たして姿を現したのは彼らの予想を大きく裏切った。
おおよそ王国では考えられない、体のラインを見せる純人女性。
片手に下げた硬質の鞄も、王国内では流通していないものだ。
冷たく引き締まった表情は、一切の詮索を許さぬ氷壁を思わせる。
場の静寂を無視し、メッセンジャーを名乗った女性は言葉を続けた。
「しかしながら、警備に関しましては今少し信頼関係を結んだほうがよろしいかと。金銭の関係は、金銭によって上書きされるものです。」
己の益と感情によって滅びへ導くのが墓荒らしという呪い。
主を裏切ることが自らの身を滅ぼすと解っていても、逃げ切れるだろうと高を括る。
警備を担っていた衛兵はこの後首を跳ね飛ばされるだろう。
――地位こそ違えど、その結末は彼ら自身に返ることに気づかない。
「フェイル州秘書官のバレーナ嬢か。フェイル州の重役が、何故そこまでしてここに来た。復讐だというのなら筋違いであろう。」
先陣きって口を開いたのはこの場の主催。
腐っても上位に位置する貴族、外交知識は相応に有している。
発言の癖から国籍を察し、服装から更に範囲を絞り込む。
実力によってその座を得た才女を特定するまで時間はかからない。
だがフェイル州は既に解体されている。
衛兵をたぶらかす資産など早い段階で限界がくるはずだ。
無理をしてまでこの場に来る理由となれば、彼らには復讐以外浮かばない。
「いいえ、ご安心を。言伝を届けに参上したまでです。私達は敵ではございません――、と口で言っても信用は得られぬでしょう。どうぞこちらを。」
特に反応もせず、彼女は硬質の鞄を開けて一同へ中身を晒した。
ぎっしりと詰め込まれていたのは、小さな箱上の魔道具。
それが何であるのか、解析せずとも解る。
今この空間において展開しているものと同系列のものなのだから。
「お収め下さい。旧式のものを使っているようでしたので、こちらは主からの誠意です。今後も技術の提供は致しましょう。」
「……そうかフェイル州の技術は、うまく逃げ延びたのだな。」
停滞を扱う禁忌の技術。
表向きは唾棄すべき世界の理に背く行為だが、裏ではそれを欲する組織が多い。
州の解体と共に失われたと思っていたその技術が残っていたのだとすれば。
大金を払ってでも買い取りたいと願う者が現れるだろう。
「闇組織の混乱に乗じることができましたので。」
最も、それらの効果が副産物でしかない。
停滞の結界は人工勇者を生み出す過程における試作品の一つ。
最重要機密であった件の論文は、遥か彼方へ奪い去られた後だ。
世界を滅ぼすための研究など、この先どの国でも認められまい。
「よかろう。謝意に免じて我が領地を犯したことは不問にする。それで元州長殿は見返りに何を――。」
「一点訂正を。私の主は州長ではございません。今やあなた方と同じ名を冠する者です。」
我の強そうな光を宿す瞳が、場に集った墓荒らし達を眺める。
その一方で焦がれるように頬が紅潮し、声色に熱と艶が滲みはじめた。
まるで理性を挑発しているような有様だが、手を出そうとする者は居ない。
下手に動けば眼の前の財産は消え、二度と手に入らない事は解っている。
「主はあなた方の狩りを楽しみにしておられます。それと――。」
ふつ、と女性の右手が霞み、薄闇めがけて銀光が走る。
バレーナ嬢の唐突な動きはこの場に居るすべての者にとって予想外だった。
石壁しか存在しないはずの空間から、刃の弾かれる音は戻ってこない。
「羽虫払いは今回限り。格下だからと侮り、狩人から獲物になられませんよう。」
再び静寂に包まれた地下に、ぱたりと雫が落ちる音が響く。
彼らはようやく、彼女より前から予定外の客が居たことに気が付いた。
王国守護者の一人、宮廷魔法団長の手の内の者であることは疑う余地もない。
相談内容は言うまでもなく危険な発言ばかりだ。
「すぐに衛兵を手配せよ! 賊は手負いだ!」
「グリース卿、息子だけならまだしも貴公までこの体たらくか!」
「言い争っている暇はなかろう! まずいぞ、王の耳に……いや、他の貴族の耳に入りでもすれば……!」
失態に気づき、保身に声を荒げる。
もはや秘密の会合もあったものではない。
対応し始める一同向けて、バレーナ嬢は軽く一礼して。
「では皆様、血湧き肉躍る狩りに興じてくださいませ。」
最新の魔道具を残して去った。
彼女はわざわざそれを開示してから、招かれざる客を指摘した。
国の寿命を奪い、自らの益を求める者たちはそれに気を配る余裕はない。
彼女の伝えた伝言は、諜報の裏に居るものに向けられていたのだ。
* * *
嫌な予感がする、という雇い主からの依頼に従って潜り込んだ会談。
なるほどあの魔法団長が見えづらいと口にするわけだ。
いつもと同じような簡単な仕事で終わるはずがない。
「うーん、余裕だと思ってたんだけどなあ……。」
明かりも灯らぬ最低限の家具しか置いてない掘っ立て小屋。
獅人の少女が薄闇から抜け出すように姿を現した。
うぐぐ、と喉の奥で呻きながら、左腕に深々と刺さった短剣を抑えている。
追っ手を巻いた後、幾つかあるセーフハウスの一つに潜り込んだところだ。
「大地の北限に向かったはずだよね、これは完っ全に想定外だよー。ご丁寧に宣戦布告までしてくれて。」
わざわざ伝言を聞かせてからナイフを投げたのはそういうことだ。
立場が立場なので、潜り込んだ時に何度か確認をしておいた相手だった。
事務仕事だけではなく、戦いの腕も高いことは知っている。
予想外だったのはグラウンド一派特有の魔法を見破ったところ。
急激な成長は純人の特性だが、発現する兆候はなかったはずだ。
「こりゃ、あたしとしたことが、手の内見せすぎちゃったかな。」
とは言え、こうして左腕に突き刺さっているのが現実だ。
考えられるのは諜報の手管を覚えられた可能性。
連邦国では散々好き勝手させて貰ったのだから、対策されても仕方はない。
反省点を上げる思考に霞がかかり、体の節々に違和感が生じはじめる。
「う、ぶっ……、やばっ。これ傷だけじゃないやつだ。」
がくんと膝を付き、こみ上げてきた吐き気に口元を抑えた。
急ぎ出血だけは抑え込んだが、抜かり無く毒まで塗られていたらしい。
今のところ現れているのは吐き気、発熱、痺れ、平衡感覚の乱れ。
放置すれば死に至る激痛へ変わる毒だと経験的に察知する。
なるほど発言を伝えずとも、死体は充分なメッセージになる。
「解毒、抗毒のピースは……。」
死んでやるつもりはこれっぽっちもない。
震え始めた言葉を吐くと、滅茶苦茶な構成の術式を起動。
症状から毒素の種類を特定、抗体の作成、無毒化、術の空欄を埋める。
フェイル州で扱われる毒物の種類に関する資料は頭の片隅に残っていた。
「あの腕前なら、ミリィの頭を貫かれていたし、あたしで良かったと考えよう。……抜いたら痛いだろうなあ。」
グラウンド一派直伝、不可視の魔法の弊害だった。
下手に動けば魔法が解けるため、可動域に限界がある。
血痕も短剣も、追跡を考えれば残すわけにはいかない。
それでも左腕を犠牲にして、逃げ出すことには成功した。
少なくとも今のところ、それ以外に手はなかったと思っている。
とは言えまずは傷の手当てが最優先。
歯を食いしばって一気に短剣を引き抜く。
「づっ……、ぎい゛ぃッ!?」
真っ直ぐに引き抜いたはずなのに、びび、と繊維と術式が引きちぎられた。
新しく裂傷が生じ、肉が引きずり出されて鮮血が噴き出す。
予想を超えた激痛が走り、堪えきれずに喉から悲鳴が溢れた。
思わず短剣を取り落とし、広がった傷口を抑えてうずくまる。
強ばる身体に対して、左腕がだらんと力を失った。
じんわり浮かんできた脂汗と荒くなった息遣いがひどく不快だ。
「はっ……、はっ……、これえっぐい……。」
複数の返しまでついているとは恐れ入った。
その一つ一つに回復術が編まれているため、刃に肉が癒着している。
こんなもの、最早拷問用のそれだ。
「わざわざ手がかりくれるなんて、随分余裕じゃん……。」
こういった道具は大抵が特注品だ、出どころを探れば動向を探れる。
衣服に編み込んであった回復用の術式は機能を停止している。
撹乱や逃走、誤魔化す魔法は得意だが、傷の治療は人並み程度。
広がった裂傷を完全に治すためには術式の密度がもっと必要だ。
お仕事のためにも最前線からそうそう離れていられない。
「でも確かに腕がこのザマじゃ、諜報撹乱はキツいか……うーん、ううーん……。」
葛藤に呻くこと暫し。
焼け石に水程度に回復術式を施しているが、滲む血は止まらない。
浮かんだ脂汗がたらりと流れ、暑いくせに寒い体温は思考を奪う。
頼りたくなかった最終手段を選ばざるを得まい。
ふはあっ、と大きな息を零す。
やけくそ気味にばん、と効果音が入りそうな勢いで胸を張った。
「……工作は他の皆に任せて、まずはカリストさんに治療を頼もう!」
勢いが良いのは声だけで、耳は思いっきり伏せられていた。
現時点でフォールンベルト家に接触するのは得策ではない。
見つかった以上、このタイミングでは家に対して間諜の疑いが向けられる。
まずは死体をでっち上げ、状況を収める工作も行わねばなるまい。
時間をかければ墓荒らし達の動きが余計に見えなくなってしまう。
そのため回復役に浮かんだのは、魔法に関する才能が急激に開花した学友。
「た、高いお菓子でも買っていこう。」
懸念点があるとすれば、大口叩いて侵入したので雷が落ちる可能性が非常に高い。
そして彼女は、本気で怒ると獅人であるレオン嬢が逃げ出したくなるほど怖い。
玉の肌とまで誇るつもりはないが、目に見える傷は負い目になる。
貴族としての外聞もあるが、何よりわかりやすい証拠は消した方がいい。
「そ、その方がいいよね。友人とのお茶会なら、不自然じゃないし……?」
方針を定めるや、心が折れないうちに即時行動。
世の中には良かれと思って取った行動が悪手になることもある。
最初こそ心配され、怒られる兆候もなく綺麗に治して貰えたが――。
「レオン、どうして呑気にケーキなんて持ってきているの? 私では手が出せない高級品を用意するなんて、随分と余裕だったのね?」
「ひゅっ……。」
全く抑揚のない言葉で、全く笑っていない笑顔だった。
血を失った時以上に血の気が引き、毒以上の脅威に背筋が寒くなる。
獅人の本能が、裏世界の経験が全力で逃げろと告げていた。
――だが、部屋全体に張り巡らされた魔法が、逃げも誤魔化しも許さない。
「カリストさん落ち着いて! か、買ってきたのはミリィだから……あっ、隠れるな!」
「だ、だって姉御が一番高いのにしろって言った!」
給仕役として同席した猫人が、主を盾にしながら泣き声を上げた。
グラウンド家は上級貴族で収入も大きい。
地方領主のロベリア家との資産差は文字通り天と地ほど。
余裕をかましてこのザマで、ご機嫌取りに高級品の賄賂を贈る。
カリスト嬢の怒りは至極ご最もである。