第5話 街中アングル1
2021/03/18大規模修正
寮に戻ると呆然と目を見開き、膝から崩れ落ちるセラをなんとか支えるお嬢様。
足腰を鍛えておいてよかった、初動は随分と速くなっている。
普段細めている紅瞳をここまではっきり見るのは初めてだ。
初日から濃いイベント盛り沢山ではなかろうか。
「わたくしが……お嬢様のご帰宅までに部屋を整えられなかった……ですって……?」
うわ言のように呟いているが、そもそも本来なら夕方まで戻れないはずだった。
学園長挨拶の切り上げと体力測定後軽い組手で時間が潰れた。
そのせいで帰寮時間が大幅に前倒しになったのだ。
大体見たところ、あと残っているのはベッドメイクくらい。
大量のドレス、専用の身支度品、愛用の抱き枕、雑貨、教科書各種に愛読書の束。
全て配置も掃除も終わっている。
お嬢様にあてがわれた寮室は、上流貴族専用のものでとても広い。
カイゼルとの相部屋とはいえ、寮というよりもはや屋敷の一室だ。
客室、寝室、キッチン、トイレに専用のシャワールームまで完備。
侍女のための控室まである。
寮とは一体、と思わなくもない。
一応は共用スペースとしてサロンやキッチン、食堂、大浴場がある。
思っていたのと世界が違う。
当たり前だ、想像していたのは異世界のものなのだから。
ともあれ、荷物の配備と掃除を既に終えようとしていたのだ。
隣部屋のシルヴィ嬢の部屋など、まだ荷解きすら終わっていなかったというのに。
フォールンベルト家の侍女はスペックと理想がおかしい。
どうやってセラを立ち直らせようかと悩んでいた矢先。
「エルさーん! お忍びいこうお忍び! クラス委員長として街中の案内するよー!」
「えっ、レオンさん!?」
どばーん!
思い切り扉を開けてあちこちに青あざを作ったレオン嬢が飛び込んできた。
あれ、ほんの数分前まで痛そうにうめいていませんでした!?
あとその扉の開け方、絶対礼儀作法担当の人に怒られますよね!
それと距離感が凄く近くありませんか!
そういったお嬢様の困惑を気にした様子はない。
レオン嬢は、ばばーん、と効果音を背負って胸を張ってみせた。
「ほらほら、侍女さんを困らせちゃいけないよ。早く着替えて着替えて。お忍び服はあるよね。……あるよね?」
「もちろんございます。ええ、ええこの時のためのとっておきが。」
「セラ、さっきまでの様子は!?」
着替えが絡むとセラの立ち直りは早かった。
心配して損した気分だ。
「エルエルさん、カイゼルをお返しするわ。……あら、お忍び? ならわたくしも準備をしますわ? あんなことがあった矢先でしょう。」
どんどん人がやってくる。
フラフラと飛んで戻ってくるカイゼルは、そのまま柔らかな絨毯の上で力尽きた。
……セラに頼んで休ませてあげよう。
反省したようなら、後で頭も撫でるくらいはしてもいい。
それくらいの慈悲は残っている。
「かしこましました。これからご準備いたしますので十分ほどお待ちくださいませ。」
「じゃあその間に他の人にも声をかけてみまーす。あっ、学生証は忘れずにね!」
ばたーん!
シルヴィ嬢が部屋に取り残された。
……自由すぎじゃあないでしょうか、彼女。
という顔をしていたらセラに心を読まれた。
とても深いため息を吐かれる。
ごめんなさい、心当たりがあります、反省してます。
「ではわたくしも。ええ、お陰様で予想以上に発散できましたもの。きちんと大人しい護衛をしておきますわ?」
こちらは扉を開けるときも閉めるときも音を立てない。
それはそれでいつの間にか居そうで怖い。
「……セラ、着付けをお願いします。」
「仰せのままに。ですがその前にカイゼル様をベッドにお運びいたします。」
お忍びとは告げたが、先立つ身分は皆学生である。
言うなればこれは、ごっこ遊び。
身分に応じた経験を積む事で円滑に王国内の立ち振舞いを学ぶことが目的。
ならば教育の一環として手を抜くわけには行かない。
ベッドメイクを終え、カイゼルを横たえる。
更にクローゼットから服を選び、身だしなみを整えるための櫛を持ってくるセラ。
あと5分あれば部屋の中を完全に仕上げていたのではなかろうか。
* * *
お着替え完了、わずか十分で簡単なお化粧まで済まされてしまった。
ちょっとお尻の辺りからむず痒いものが上がってくるのは押し殺す。
屋敷から持ってきた愛用の鏡台を前にして、お嬢様は自分の姿に眉を寄せていた。
セラの仕事だ、そこに粗は一切みられない。
だからこそ悩ましい。
「お邪魔します! 準備できぐえー!?」
ぴったり十分後、ばーん!と飛び込んでくるレオン嬢。
簡易な麻服にズボン、足には革の紐靴と一般的な庶民スタイルだ。
服装が簡易的なものになったぶん、凶悪なまでに揺れる。
そんな彼女が奇声を挙げたのは背後からシルヴィ嬢による拳骨が振ってきたからだ。
だがわずか十分で痣すら消えている、どんな回復能力なのか。
「もう少し落ち着きなさいな、はしたないですわ?」
貴方がそれを言いますか、というツッコミはやぶ蛇に違いない。
真っ黒なワンピースに、ウェストを絞る白のサイドリボン。
そこに挿してあるのは撹乱効果のある扇子か。
今回は閉じたままだが効果は発動させているようだ。
「で、できましたけど……。」
「あいたた……、わあ。」
「あらあら、随分と気合を入れましたのね?」
普段身に着けない類の服は何とも心もとない。
前紐の白ブラウスに深い青のケープ、留め具のブローチは夜空色の中星が光る。
薄桃色のスカートは、下にペチコートを履いているが薄すぎて防御力は望めない。
腰まであった髪は後ろで編まれ、白いリボンつきのバレッタで留められている。
普段隠れている首筋がすうすうする。
薄く施されたお化粧のおかげか、ぷるんとした唇に差した朱が映える。
フリルとレースが少ないことに不安を感じ、慣れきっていたことに戦慄を覚えた。
というかお忍びですよね?
確かに貴族や騎士には見えないが、何故こんなお洒落をしているのだろう。
実際レオン嬢とシルヴィ嬢は随分と簡素な出で立ちだ。
そんな主張をしても、やりきった顔で控えているセラには届くまい。
「その、お二人はこの格好、派手だと思いませんか?」
お嬢様の言葉は聞いてくれない。
ここは客観的に第三者からセラの暴走を窘めてもらう必要があった。
そんな必死の訴えは、しかしあっさりと裏切られる。
「大丈夫、商家の子ならそれくらい普通! ほらほら、来てよかったでしょハルト君! 騎士科で女の子に囲まれるなんて滅多にないよ!」
「ま、負けるものか。そもそも可愛らしさなど騎士には不要……!」
「素直に似合っているのは認めるのですわね?」
まさかの三人目が乱入。
染まった頬を隠すように拳で顔を隠し、そっぽを向く同編入生のハルト氏。
散々敵意ありありの視線を向けてきたのに随分初心な反応だ。
それにレオン嬢と同じく叩きのめされたはず、こちらも復活が早い。
いや、膝は笑っているので対抗心で立っているだけだった。
あちこちの痣はガーゼなどで隠している。
服装はレオン嬢と同じく麻の服とズボンに革の紐靴と矢張り簡素。
髪型などは頓着していなかったためだろう、手を付けなくとも違和感がない。
礼服から着替えれば、なるほど鍛えこんだ男の子の体つきが解る。
確かに案内をするなら編入生三人を同時に行ったほうが合理的だ。
……だがしかし。
「……は、ハルトさんもいらしたんですか。」
不意打ちでそういう照れ方は困る。
仮面を被る暇を与えて欲しい。
初心な反応をするハルト氏に影響された。
おまけに可愛らしいというワードがこれほど羞恥心を引きずり出すとは。
お嬢様は年相応に、ぽふっと耳の先まで赤くなっていた。
誤魔化すように顔の横に垂れた髪を掴んで頬を隠す。
「うわー。男の子に可愛いって言われてその反応。エルさん可愛いー。」
「セラさん、貴方直接褒めたことはありませんの?」
「わたくし共にとっては当たり前のことでしたので失念しておりました。」
「セラ!?」
しれっと告げる専属侍女を半泣き顔で振り返る。
何時ぞやと違って体調は万全だ。
体幹もブレることなく安定して動き、ふんわり手にした髪がなびく。
謀りましたね、この裏切り者!
心の叫びは察しただろうに、ふ、と温かく微笑みで返されてしまう。
その手にはいつの間にか映像保存の魔道具が握られていた。
お嬢様の持ち込みリストにはなかったはずだ、となればセラの私物か。
カシャリと映像保存の音が響く。
「軽く香も含ませておきました。ウォルフ卿がいらっしゃるので不埒な輩は近づけないでしょう、問題はありません。」
なん……ですって……。
こうして振り向くことすらセラに誘導されていたらしい。
ベストショットを提供してしまった。
ついでとばかりに髪に含まれていた香りが柔らかく広がる。
風がその様を存在しない色彩として見せてくれる。
「ふむ、わたくしの鼻に不快ではない程度の甘い香り。敏くないものであれば気づきもしないでしょうが無意識には追うでしょう。見事な調香と言わざるを得ませんわ。」
「オレはこんな所で負けはしない、打倒フォールンベルト家、だと……ぐふっ!」
「おっ、ハルト君そっちが素なんだね。でも女の子を前にしてその反応は騎士としてどうかな!」
「お忍び! なんですよね!?」
本当に止めてください、恥ずか死します。
今の表情や仕草がどれだけ嗜虐心を煽るか解ってしまう。
更なる追撃が来る前に落ち着かなければならない。
ハルト氏はお嬢様の仕草を受けてついに膝が砕けた。
その初心さに影響を受けて赤面が収まらない。
問題は獲物を狙う目をしているセラ、レオン嬢、シルヴィ嬢。
「奥様とわたくしの悲願がまた一つ、達成されました。」
お母様、貴方もか……!
おのれどうしてこうなった。
今までできなかったぶん取り戻してるんですね解ってます!
お嬢様は随分やけっぱちになっていた。
自分磨きの道は、まだまだ遠そうだ。
「さあ、早速エルさんを見せび……お忍びに出よう! へっへっへ、逃げたラッティ君からラディ商会の優待券を人数分もらってきたからね、ついでにお昼食べてこよう!」
「レオンさん今何を言いかけました!?」
「いってらっしゃいませ。わたくしは至急映像を現像し、奥様へ送る使命が生じましたので。」
あくどそうな笑いをしてみせるレオン嬢。
ここまで庶民になりきれる貴族令嬢はそういない。
決してお嬢様を直視しようとしない死に体のハルト氏。
体を鍛えることは頑張っていたが、その代わり異性との接点は少なかったらしい。
裏切りの影響と赤面が収まらずうーうー唸っているお嬢様。
こんな様子で街中を楽しめるのだろうか。
シルヴィ嬢はお忍びメンバーを改めて見た後、呆れたように息を吐いた。
どうやらまともなのは自分だけだと思ったらしい。
人は、自分のことほどよく見えないものなのだ。