表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ちょとつ!@異世界にて  作者: 月蝕いくり
第七章~不意打ちシューティング~
100/112

第13話 Xカード1

 ここでフェイル州の成り立ちを振り返ろう。

 基となった国は浮遊岩のみで構成され、資源は非常に少なかった。

 売れるものは知識と技術、幸いにも当時は戦乱のさなか。

 だが、秘匿と競争が常ならばいずれ限界がくる。

 そのため王国側からの和平会談を真っ先に受諾し、土地の併合を経て資源を得た。

 始めこそ安定していたが、人の欲が首をもたげるのに時間はかからなかった。

 より多くの財を、より多くの羨望を。

 戦争技術に関する競合相手はもう居ない。

 争いから真っ先に逃れた彼らがその技術を伸ばすとは、なんとも皮肉なことだ。


「ははっ、これも人殺しの手段じゃないか。よくあの程度で絶句したものだ。」


 いかに効率的に殺すか。

 威圧するためにはどのような戦力が必要か。

 どのように振る舞えば驚異として見なされるか。

 そのためには世界に無理を強いてもいい。

 そのためには捕虜をどのように使ってもいい。

 犠牲を省みない手法は、当然ながら平和な時代に認められなかった。


「戦時から抜け出せなかったのが過ち、とか宣っていたのだったか、あの州長は。」


 ルカン氏が口にしたのは、最初の会議で州長が零したらしい独り言。

 その他にも恨みつらみの愚痴やら嫉妬の言葉やら。

 余すこと無く議事録に記す秘書はいい耳と筆記速度をしている。


「こんな物を残しているくせに、自分たちの道程を誇れないとは臆病なものだ。」


 フェイル州実験島。

 浮遊岩の一つを改造して作られたこの場所が、州最大の工房だ。

 技術の取り掛かり、実験の過程、結果、問題点。

 実験場は、何も王国だけではない。

 この場所にはとても公にできない外道の技が集まっている。


「だが、おかげで俺は楽をできる。――おっと、この報告書が当たりか。」


 資料庫を歩くのは武装を許されぬ青年と州長の秘書。

 側から見れば青年につけられた監視役だろう。

 文官とは言え敵の多い州長の片腕にまで上り詰めたのだ。

 身につけた戦いの心得は護衛の枠に収まらず、並の冒険者に引けは取らない。

 ところが資料を見る男を咎めず、渡されるなり魔法貨物(シェイプレター)を応用した鞄へしまった。


「ルカン様、他の場所には研究員もおりますので、声量は注意していただけると……。」


 普段のバレーナ嬢を知る者が見れば目を疑っただろう。

 機嫌を伺うような言動など、普段の彼女からは考えられない。

 幸い研究員たちは最終調整(・・・・)に追われている。

 見回りに人員を割く余裕はないはずだ。


「俺に意見するか。」


 生意気にも意見され、ルカン氏がバレーナ嬢へ向き直った。

 鷹揚ながら威圧する態度は、まるでこの場の支配者だ。

 萎縮するバレーナ嬢に会議の面影は残っていない。


「も、申し訳ございません。」


 狼狽し、肩を震わせる様は怯えた小動物を思わせる。

 ルカン氏は州長に雇われていた護衛だ。

 バレーナ嬢に対して、こんな態度を取れるような立場ではない。


「今回は許してやろう、お前はよく働いてくれた。」


 彼女(・・)だから、状況はルカン氏に味方した。

 魅了の効果は、女性相手なら最大限に発揮される。

 ろくに男を知らなければなおのこと。

 始めこそ騒がれたが、一晩あれば従順なモノへとなり果てた。


「お前が居なければそれ(・・)を手に入れるのは無理だっただろうからな。」


「ありがとうございます。」


 ねぎらいの言葉をかけられ、今度は嬉しそうに頬を染める。

 何人かに伝手を作ったが、結局ここまで連れてこれたのは彼女だけ。

 同じ省長であっても、情報省の手引きでは入り口までが限界だった。

 名も忘れた研究省の長はよほどバレーナ嬢にご執心らしい。


「……ああ、そうか。褒美が欲しかったのか。」


 告げるやいなや、バレーナ嬢の腰を手繰り寄せる。

 びくりと腕の中で身体をこわばらせるが、逃げ出そうとする様子はない。

 連日会議に引っ張り出されていたため、顔を合わせることも少なかった。


「ここで、でしょうか……?」


 背信行為が明るみに出れば彼女とて処罰は免れない。

 それでも逆らうという選択肢は浮かばなかった。

 魔法は既に魂まで侵食し、本来の彼女を変質させてしまった。


「だから注意したんだろう? 声には気をつけろ。お前は喧しいからな。」


 囁き声だけで膝が砕けそうになる。

 意見を口にした不敬と、この場所まで導いた褒美。

 それに対して与えられるものは最終的に同じものだ。

 バレーナ嬢は恐怖と、それを上回る喜悦の色で瞳を潤ませた。


「せ、せめて加減を――。」


 工房の記録は改ざんされ、何の不都合も生じない。

 足元もおぼつかなく出てきた姿は誰にも止まらなかった。

 その日から彼女は会議を休みがちになり、会議は滞る。


 * * *


 議会都市ステラム、あるいは樹上都市ステラム。

 化石樹によって形成された樹海において、最も古い場所。

 空中に広がる草原に建てられた空中都市は、人々の努力の結晶だ。

 梢の草原の下は、排煙と胞子で人が済むには劣悪な環境下。

 連邦国の国土に対して、居住可能な場所が少ないわけだ。


「到着時刻に狂いはありませんわ。」


「エルシィ様方が魔獣対策に当たってくださったおかげですな。」


 白い雲を一筋作り、蒼天を翔ける私用艇の操縦室。

 バシリス嬢が操縦桿を離さないので、食事も打ち合わせもここで行われた。

 食事はとうもろこしの薄焼きパンに適時簡単に具を挟んだもの。

 熱を通すパイプの上に配置した調理鍋のおかげでポタージュは常備されている。

 濃いめに作っておいたので、水を継ぎ足すだけで三日はゆうに持つ。

 打ち合わせの大半はお嬢様達を紹介するタイミングだ。

 フェイル州や、他州がどう動くか読みきれない。

 準備はしておいたが、想定外の事が起きる可能性は高い。


「空は僕の縄張りだ。今のうちに流れの最終確認をしよう。」


 相方は空帝竜に魔王という災害二つの要素を併せ持つ。

 これ以上頼りになる護衛はいない。

 バレッタ氏の火槍は魔物に対して特攻だ。

 最新艇の速度もあって道中は特に問題なかった。


「オレらは現地で先についてる護衛と合流、情報を受け取った後本格的に行動の準備だな。」


「す、少しは休めるのか……。」


「あ? お前は当分宿でその姿勢続けてろ馬鹿。」


 強いて懸念を挙げるなら、ゼルド氏の地盤が出来ていないことくらい。

 今はお嬢様とフォクシ嬢、二人がかりでセラ式訓練を施している。

 具体的に言うと船内で腰を落とした姿勢を維持し続けること。

 筋を痛めすぎないよう、きちんとギリギリのところは見極めている。

 本人にとっては地獄だ、ゼルド氏のうめき声は聞かなかったことにした。


「私とバレッタさんは議会の控席で呼ばれるまで待機。……ドレスも新しく届きましたし。」


「嫌そうにおっしゃらないでくださいまし、ファウベルト領主様。バレッタさんも、しばし我慢願います。」


「ここまで待ったんだ、最後に手を下せればいい。」


 お嬢様は領主として場にでることになる。

 きちんと解る姿をしておかねばならない。

 バレッタ氏には、議会の場で暴走しないよう何度も釘を刺している。


「今回僕は直接見れないのが悔しいな。そう言えば、王国側の発表もあるのか。……知恵ある聖獣(ナレッジビースト)に変わっておくよ。」


 国内の墓荒らし対策として、議会中に相方(ルゼイア)の養子、婚約発表も行われる。

 うっかり連邦国で姿を見られるわけにはいかない。

 ……思い出したらもやもやしてきたので、胸板へ後頭部を押し付ける。

 これでも出立時より甘える頻度は減っているため、誰もツッコまない。


「お二人の出番が無い事が一番ですけれど。……まず確実に無理ですわ。」


 マギク州そのものを狙った襲撃、その傷跡は今も残っている。

 州長ではなくその娘が議会へ代理で出るのはそれが理由だ。

 他州との貿易、資材の調達など、アトミス氏でなければ出来ない業務は多い。


「追い詰められた人は、思いも寄らない行動に出るのが常です。州都を狙ってきた時のように。」


「ええ、きちんと準備はしましたわ。火砲を全て置いてくることになるとは思いませんでしたけれど。」


 行きはお嬢様達が居れば落ちることはない。

 帰りは更に船団を組めば盤石だ。

 ならば武装は必要ない。

 折角改造、最適化を行ったものだが、再襲撃に備えて州都に残してもらった。


「あらかた話も詰められましたし、私はお母様と最後の打ち合わせをしておきます。少しの間仮眠室をお借りしますね。」


 私用艇には個別の私室を設置するだけの面積はない。

 幸い今の時刻は船員全員が動いているため、仮眠室が空いている。

 王国側の段取りもあるため、早いうちに話をしておく必要があった。


 * * *


 実家(フォールンベルト)は同日中に養子の件を発表する手はず。

 お嬢様の位置が王国に伝わる直前に下準備を済ませるらしい。

 今日の定期連絡はその最終打ち合わせだ。

 王国側のあれこれはお母様達が済ませている。

 議会開催の日時に変わりが無いことを伝えて終わりだ。


「……七コールを過ぎたのに、出ませんね。」


「いつもならすぐ開くのに。」


 だと言うのに、窓が開く気配はない。

 お嬢様の機嫌急降下待ったなしとはいえ、声を聞く機会を逃すような親ではない。

 なにか不具合が起きたのか、もしくはあの時と同じくらい顔を合わせづらいのか。

 きゅ、とお嬢様の眉がつり上がった。

 なんとなく後者のような予感がしたのだ。


『――ああ、起動はここでしたか。』


「え。」


 はたしてその予感は的中する。

 開いた窓の向こうに居たのは、息を呑むような白磁の少女。

 儚げな輪郭を裏切る力強い蒼瞳と真銀すら色褪せる銀の髪。

 透き通るような可憐な声色の芯には通った固い意志。

 その側に寄り添うのは鳥の翼を持つ風水竜。

 ちょっと今対面するだけの心の準備はできていない。


『エルエル様、まさか通信を切ろうとはされてませんわよね? ……結構。』


 幼馴染はこちらの動きなど見抜いていた。

 咄嗟に切断のボタンを押そうと指を伸ばしたところで牽制された。

 よくよく見れば画面端にお母様とセラが揃って見切れている。


「お、お久しぶりです、ミズールさん、ズーラさん。」


 ミズール嬢は王国側の発表における主役の一人、居るのは当たり前。

 養子として迎え入れられる男子の婚約相手という役割がある。

 ……胸の中のもやもやを押し殺すには多大な労力が必要だ。


『お久しぶりです、エルエル様。息災だとは伺っておりましたが、文の一つもありませんでしたので心配しておりました。』


 そう言えば、彼女とは国境で軽く遭遇したきり。

 領地のこともあってカール氏やカリスト嬢とは連絡を取っている。

 ミズール嬢も手伝っていたのだから、どこで何をしていたのか知っている。

 それでも世話になった以上、お嬢様から無事を知らせるのが礼儀というものだ。

 今の今まで、完全に忘れていた。


「忙しかったもので、申し訳ありません。あの、ところでお母様達は……。」


『話す気概が無いようですので、わたしが代わりに受け取りました。』


「な、なるほど?」


 ごまかそうとして失敗したが、どの道これ以上追求するつもりはないらしい。

 画面向こうの可憐な少女は、些事とばかりに頭を振った。

 貴族の面を纏っているが、彼女も非常に不機嫌であることは何となく解る。


『……本題に入りましょう。エルエル様が議会に立つとのこと。身分と居場所が知られるため、同時に王国側でも大きな告知を打ちます。議会の日程は滞りありませんね?』


「はい、巻き込む形になって申し訳ありません。」


 その告知に巻き込まれるのがミズール嬢だ。

 墓荒らしの矛先が彼女に向けられることを見越した対策。

 逆を言えば自分は守られる立場であると言われているようなものだ。

 守護にこそ本領を発揮するローズベルト家としては屈辱だろう。


『わたしの力不足が招いた結果です。謝る必要はありません。……では、ルゼイア・ファウル様。いえ、カイゼル様と呼ぶべきですか。』


「ええと、僕? な、何かな。」


「……何ですって?」


 ミズール嬢の言葉がいつもにまして高圧的だ。

 名指しとともに、側に控えていた相方へ蒼い瞳の切っ先が向く。

 その迫力に、相方は思わず身構える。

 お嬢様のもやついた心に亀裂が入り、表情がすっと抜け落ちた。


『本人へ正式な挨拶をしておりませんでしたので。不本意ながら、あなたの婚約者となりますミズール・シラ・ローズベルトと申します。地位あるもの(ノブレス)()責務を負う(オブリージュ)に従い、あなたの伴侶となるよう定められましたのでどうぞよしなに。』


「……ああ、そういう口上なら波風も――。」


 嫌々ながらという面を押し出した婚約の挨拶。

 何せすぐ側に本物の恋人であるお嬢様が居る。

 しょせん仮初の関係だ。

 今のうちに自分の立ち位置を伝え、面倒を避ける意図があるのだろう。

 ――その配慮はありがたいが、言い方は許せない。


「……聞き捨てなりません。私の相方の、一体どこが不満だというのですか? そも、ミズールさんの挨拶すべき対象はカイゼルではなく、ルゼイエ・ショウ・トウ・ファウルです。勝手に私の相方(ひと)と婚姻を結ばないでください。」


「あれえ!?」


 表情こそ余裕の笑みを身につけたが、碧瞳の奥に烈火が灯る。

 画面向こうの相手と同じほど、お嬢様も不機嫌なのだ。

 すぐ側に特大級の危険物が生まれ、相方の息が止まる。

 

『……エルエル様、貴族なのですから言葉の裏というものを――。』


「解った上で問うています。」


 好きな人を目の前でこき下ろされ、黙っているほど淑やかなつもりはない。

 ぱちり、と画面を通じて目線の間で火花が散る。

 譲るつもりは微塵も無いが、侮らせるつもりもない。


「僕にとっての唯一はエルだけだよ。」


 不穏な空気を察して相方が宥めてくれた。

 だが、時には引けない戦いというものもある。

 今がまさにその時だ。


『そもそも、振り回された過去はそう容易く忘れられません。苦手意識を植え付けられて当然でしょう。』


「うっ。ご、ごめんなさい。」


 過去の出来事が流れ弾となって魔王を貫いた。

 一般的なご令嬢だったのに、さんざん振り回した事は事実。

 とっくに超えているはずだ。

 それを言い訳として認めるつもりはない。


「学園では言及しなかったではありませんか。」


『あの頃とは違うのだと知っていただくためです。』


「カイゼルだってあの頃と違います。ちょっと脚の露出にはうるさいですけど、相手を大切にできる方です。侮らないでください。」


 淡々と告げながらもその内容は半ば惚気に近い。

 ミズール嬢が強く目を閉じて瞼を解し始めても仕方ない。

 わざわざ強い言い方にしたのは、こうなることを避けたかったため。

 予想以上にお嬢様の相方に対する愛は重かった。


『……ルゼイア様とも接していたので、成長に関しては理解しましょう。』


 ミズール嬢はひとまず話に乗ることにした。

 暴走している相手と正面から打ち合う必要はない。

 軌道修正を計るために頷いたミズール嬢は速攻後悔する。


「そもそも、あの口上はなんですか。地位あるもの(ノブレス)()責務を負う(オブリージュ)を謳いながら伴侶(いえ)を見下しています。」


「あっ。その言い方は。」


 お嬢様が無意識に致死級の地雷を踏み抜いた。

 地位あるもの(ノブレス)()責務を負う(オブリージュ)という言葉を出された以上、ミズール嬢は応えざるを得ない。

 日々彼女自身が説き、自身に化した掟なのだから。

 お嬢様の言葉が正論だったことも災いした。

 気弱だったご令嬢はもはや居ない。

 お嬢様に影響を受け、出来上がった導火線へ火が灯る。


『……そうですわね。謝罪の上、再度挨拶をさせていただきます。』


「……あっ。」


『み、ミズールさん。婚約はあくまで形式上のものですから――あ、ごめんなさい。』


 静かに澄んだ声が冷水となって頭から掛けられた。

 先程のお嬢様の言葉は、正式な婚姻の言葉を促すに等しい。

 青ざめたお母様の言葉はミズール嬢の一瞥で封じられた。

 巻き込んだ負い目があるとは言え、稀有な光景だ。


『ルゼイエ様、あなたの伴侶となるミズール・シラ・ローズベルト、未熟者ではありますが、我が身、我が心をあなたに捧げます。一夜も早くご寵愛頂けるよう――。』


 きちんとした婚約の挨拶に沿った口上。

 貴族における家の繋がりは血筋のつながり、つまり世継ぎが大切だ。

 当然ながらそれを意識したものになる。

 それだけなら耳をふさげば良いのだが、言葉に含まれる魔力がそれを許さない。

 淀みのない言葉が取り返しのつかない契約(・・)を伴うものだと気づく。


「契約と制約!?」


 竜人が本来の力を発揮するために必要な契約と制約。

 カイゼルが驚きの声を上げたとしても不思議はない。

 彼女はシアンフローにおいて、たった一人で大立ち回りをしている。

 それどころか覚醒までしてみせた。

 どうやら彼女はお嬢様と同じく、一般常識から離れている存在らしい。


「だ、駄目です!」


 だが、恋人(じぶん)を前にそんな契約を成立させてなるものか。

 黄金の魔力は契約前に世界へ願い、空間を無視して白銀の言葉を阻む。

 外敵を退ける場合のみ全ての力を振るうのがお嬢様の契約内容。

 相方を本気で狙うのであれば最優先で対応すべき敵になる。


「許しません認めません。カイゼルは渡しません。」


『カイゼル様ではなく、ルゼイエ様に申し上げてます。』


「同一人物です!」


 ぐいと相方の腕を抱きしめ、自分の存在を誇示する。

 ズーラから大変面倒くさい人を見る目が向けられた。

 自覚はある、今更怯むはずがない。

 仕方なく視線は同格(カイゼル)へ移った。


「エル、代役をたててもらうんだからまずは落ち着いて。」


 熱くなった頭を冷やすよう手のひらが宛てられる。

 お嬢様は少しだけ冷静になったが、幼馴染はそれで良しとしない。

 銀の姫が向けてくる迫力が増していた。


『セラ! スフォルとロウズ、ミスティを呼んできて!』


『すぐに!』


『エルエル様。先程の諫言を受けて言い直したのですが。そもそも責務ある立場、家のために自らを捧げるのは当然でしょう。』


「それは、その……。」


 仮にも王国の守護(ローズベルト)、自らの身のふりが非常に重い。

 不服ながらもお嬢様の立場を考え、一歩引いた立場で居ると宣言した。

 幼馴染のためにノブレス・オブリージュを一度だけ脇に置いたのだ。

 だと言うのに配慮した相手から直々に、きちんと挨拶しろと指摘された。

 責務を負った者が、二度も手のひらを返すことは出来ない。


「二人とも深呼吸して。僕たちが王国側に戻ることはそうそうないし、レオンさんのご両親が誤魔化してくれる予定でしょ。」


「解ってます。でも仕方なく受けてやるという態度が腹に据えかねたと言いますか、本気の口上はやっぱり許せないと言いますか……。」


『……そう、そうですか。今でもお二人でわたしを振り回すのですね。』


 紛いなりにも婚約関係になる相手を軽視したやり取り。

 ノブレス・オブリージュを持ち出したのだ、もはや手心はない。

 二人のやり取りにミズール嬢が割って入った。


『解りました。今一度、地位あるもの(ノブレス)()責務を負う(オブリージュ)を学んで頂きます。ルゼイエ・ショウ・トウ・ファウル……いえ、カイゼル様。』


 半分は聖獣を模した相方だ、距離を無視して見えた銀翼にひゅっと息を呑む。

 学園時代、カイゼルであることを隠して接してきたことも負い目の一つ。

 わざわざ公表される名を前置きしたのは、それを思い出させるためだろう。

 同時にお嬢様は短い呼気で意識を切り替え、臨戦態勢。

 契約と制約は行ってこないが、明確に眼前の幼馴染を驚異と定める。


『地位あるものであるならば、幼少の頃にわたしを辱めた責任、きちんと取っていただけますね?』


「ミズールさん? ちょっと僕、心当たりがないかなあ。」


「事実を捻じ曲げた表現はどうかと思います。」


 告げられた内容は幼少期のものだろう。

 わざわざ悪意ある言い方を選んだのは、責任感を引き出すため。

 それを放棄することは、それこそ墓荒らしと同じ立場に落ちてしまう。

 即時フォローに回ったものの、同じ加害者側なので効果は薄い。


『ミズと呼んでください。数え切れないほど振り回されましたもの、あなたが覚えていなくともわたしにとっては忘れられない出来事でした。』


「……なんで愛称を求めたのかな?」


「呼ばせませんから。」


 お嬢様を思い出させる柔らかな笑顔(かめん)が、逆に背筋を凍らせる。

 なるほど指摘された通り、きちんと婚約相手を意識した言い回しだ。

 引っ張り回された黒歴史も言いようで変わってくる。

 だからと言ってそれを理由に相方へ近寄ることはさせないし、許さない。


「そもそも昔の話を持ち出したところで――。」


 挑発で矛先をずらし、その間に間合いを詰められる。

 再び構えを取ろうにも、相手にペースを握られたまま。

 手綱を取り返そうと目を光らせるが、ミズール嬢の揺さぶりは終わらない。


『絆を通せば相方の知覚を共有できます。』


「――カイゼル?」


 学園時代は部屋に備え付けられた浴室ばかり使っていた。

 異世界(だんせい)意識の影響だが、他人の裸体を目にする機会はなかった。

 とは言え更衣室レベルなら話は別、模擬戦訓練もあって何度か共にしている。

 見たんですか、とハイライトの消えた碧瞳が恋人を捉えた。


「見てないよ!」


 冤罪で吊るし上げられそうになり、魔王が慌てる。

 絆はお嬢様と対等である関係の証だ。

 間違っても覗き目的で使われるはずがない。


『度々フォールンベルト家で湯を借りたことは覚えております。ええ、あの頃と今は違います。あなたが人を象るのであれば、わたしはあなたに全てを見られました。責任を取っていただかねばなりません。』


「そう……来ますか……。」


 家族以外の異性に身体を見られることは傷物にされたということだ。

 少なくとも王国での価値観ではそうなっている。

 身分差が大きければ無礼討ちも視野に入るが、同等の身分であれば無理な話。

 経歴に傷をつけてしまったのだから、生涯かけた償いを要求できる。

 相方は家族として扱われるのが一般的。

 同じ条件ではミズール嬢の言葉のほうが正当性はある。


「私なんて学園で毎晩同じお風呂で、ベッドも一緒でした。さ、最近は同衾だって、その……。」


『婚前だというのに、そこまで……。』


 ならばそこから更に踏み出す一打が必要。

 お嬢様は発言と同時に後悔した。

 これでは学園での生活や現状を赤裸々に告白しただけだ。

 全力で目を背けていた過去、封印していた記憶が蘇る。

 意識していなかったとは言え、あんな姿やこんな姿を晒していただなんて!


「だから毎晩遠慮し(にげ)ようとしてたのに!」


「その節はご迷惑お掛けしました!」


 顔が染まりそうになる。

 逃げようとするたびに足や体で押さえていた。

 つまり、あんなところやこんなところまであわわ。

 変に意識するとキスもできなくなるのでもう一度封印しよう。


『わ、わたしも婚約いたします。時期の前後でしかありません。』


「い、いま、一緒に居るのは私です。」


『そこです。領主として領民の前に出ず、どの口で地位あるもの(ノブレス)()責務を負う(オブリージュ)を謳いますか。』


「今は彼らの生活基盤を整えることが最優先です。下手に場を設けてしまえばその分復興が遅れるでしょう。」


『それを判断するのはあなたではなく領民です。』


「それは……ええ、そう、です。」


『ならば議会が終わり次第、ルゼイエ様と共に戻ってきてください。契約はその時に。』


「それが目的ですね!? させるものですか!」


 油断ならない、危うく納得するところだった。

 ことこの件に関しては先んじて社交の場で場数を踏んでいるミズール嬢が優位。

 なお、二人して墓穴を掘りあっていることに気づいていない。


「二人とも、熱くなりすぎだよ!」


 金の姫は自身の最愛と感情を貫くため。

 銀の姫は自身の矜持と信念を守るため。

 混乱した乙女心と対抗心はもはや止められない。

 澄ました顔をしながら、両者の間で激しい火花が弾けだす。

 一方カイゼルはズーラからの蔑む視線で致命傷を負っている。


「だいたい僕はエル一筋って言ってるよね! ほら、打ち合わせは!」


『「とっくに終わってます!」』


 異口同音、場を収めようとする魔王の言葉は一蹴された。

 発表のタイミングは変更なしと始めに伝えている。

 その時点で打ち合わせは終わっているのだ。


「……どうしてこんなことに。」


 始まってしまった不毛な戦いは、その後一刻に渡って繰り広げられた。 

 セラに呼ばれたフォールンベルト、ローズベルト両家の当主が仲裁に入る始末。

 三人揃って過去の古傷やら墓穴を掘り、気まずい沈黙で通信は締められた。

 なお、仮眠室の防音装置はそれほど高性能でないため筒抜けである。

 何も言ってこない皆の優しさが辛い。

 暫くの間、お嬢様は布団の中に引きこもった。

(……どうしてこうなったんだっけ!)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ