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ちょとつ!@異世界にて  作者: 月蝕いくり
第〇章~序章前のテーマソング~
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第1話 まずは手始めジャブ一撃

2021/03/04大規模修正

 開け放たれた窓から風が入り込む。

 白いカーテンを遊ぶように揺らした後、こちらに寄ってきた。

 そのついでとばかりに小鳥のさえずりを耳へ落としてくれる。

 揺れる色に乱れはない。

 彩り豊かな世界は、なるほど今日も平和らしい。

 部屋の主の苦悩などつゆ知らず。

 知ったところで自然現象が慮ってくれるはずもない。


 そう、苦悩しているのだ。

 快適な目覚めなど何処かへ行ってしまった。


 室内の装飾は地味だが、一室を一人で占有しているということが裕福さを物語る。

 最低限の家具は、その実一品一品がとても高価であること。

 また適当に扱っても壊れないほど頑丈であることをよく知っている。

 脆いなど置いた日には速攻壊してしまう自覚はあったし、自信もあった。

 自分のためにと様々なものを用意してもらえる当たり、随分と愛されている。

 そして今、甘え続けた経験が苦悶の一つになっていた。


「うう……。」


 小さなうめき声。

 部屋主の視線の先、こちらを恨みがましそうに見つめる少女の姿があった。

 真っすぐ水平に伸びた耳。

 全体的に色白で華奢な体つき。

 だが、しなやかさを内包した肢体は脆さとは無縁。

 白いシーツや枕の上に広がった金色の髪は腰まである。

 こちらへと向けられた深い碧色の瞳は、長いまつ毛に隠されている。

 ほんのり色づいた唇は、笑みの形になれば実に愛らしいことだろう。

 今は不機嫌そうにへの字になっているが。

 ため息をつくと同時に、視線の先にいる少女もため息をつく。


 ……なるほど。知識と実感、自覚には大きな差異がある。


 彼女こそが部屋主。

 つまり鏡に映った自分である――勿論、この鏡も特注の易々とは割れない鏡だ。

 見慣れたはずの姿がまるで別人のように見える。

 その現実を受け入れるのは億劫だった。

 おまけに気怠くて辛い、何時ものように動こうものなら倒れそうだ。

 これはしょっちゅう厨房に忍び込んでは調理人たちに頭痛の種を配っていた結果か。

 あるいは庭を駆け回っては庭師の傑作品に頭から突っ込んで卒倒させた罰か。

 はたまた退屈だからと家を抜け出そうとするたびに振り回される衛兵たちの恨みか。

 もしかすると授業を毎回サボろうとすることに対する――いやこれはほぼ失敗に終わっているので関係ないだろう。


「ううう……。」


 頭を抱えたくなるが、髪が乱れるためできない。

 そもそもの発端がその授業。

 内容は魔力と魂に関する記憶領域との関係性だ。

 曰く魂とは記憶を留める領域。

 その根底には魔の理なる魔力により経験が記録されているとか。

 ……それは果たして十歳の子に教えるようなレベルなのだろうか。

 大体礼儀作法や基本的な学術ならともかく、専門分野を詰め込もうとするのはどうかと思う。

 いくら教えることが少なくなってきたとはいえ、張り切りすぎだ。


 閑話休題。


 彼女は、自分は、エルエル・シル・フォールンベルト。

 貴族とされるフォールンベルト家のお嬢様である。

 その行動力は貴族令嬢から逸脱してはいた。

 それはこの場所ではない何処か知識があったためだ。

 生きることに対する先入観と言い換えても良い。

 身分に応じてかくあるべしという教えよりも自由を尊び、一方で責任という二文字に対する自覚は薄い。

 それが彼女をお転婆な少女にしていた。

 この刷り込みじみた理念は一体どこから来たのか?

 魂なるものに経験が紐付けられているのであれば、魔力を手繰って根源へ行き着けるのではないか。

 そうして彼女は退屈しのぎに自身の魔力を鍵として、己の根源を辿ってしまった。

 結果、知識を超えた経験を得るにいたる。

 最も――


「どうしてこうなったの……!」


 その世ならざる知識、あるいは先入観、思い出した様々な経験こそが苦悩の根本。

 見慣れたはずの自身が妙に可愛らしく映るのもそのはず、魂に紐付いていたのは異性のものだったのだ。


 * * *


 紐付いていた性別はお嬢様の世界を変えたが、決して在り方を変えたわけではない。

 男性の記憶と経験を思い出した所で女性として育てられた十年間は消えない。

 とはいえ心境の変化がもやとなり、辛い体を苛んでいるのは確かだ。

 同時に今までの自身の行動を振り返り、迷惑をかけてきた面々への申し訳無さがのしかかる。

 この辺りは時間が解決してくれることを祈ろう。

 さて、ひとしきり苦悶した後エルエル・シル・フォールンベルトことお嬢様は現実に戻らねばならない。

 時間は止まってくれない、お嬢様に残されている時間は残酷なまでに少ない。

 最低でも、この長い髪を整えなければ――ヘアブラシは鏡台の横おいてあるはずだ。

 寝起き声などもってのほかだ、喉を湿らさねば――水差しは少し遠い、重い体を動かさねば。

 どのみち鏡台まで向かわねばならないのだ。


「準備が、面倒くさい……。」


 弱音が漏れる、心が折れそうだ。

 ゾンビのようなありさまだが、ここで倒れるわけにはいかない。

 言うことを聞いてくれない足を無理やりベッドから降ろし、履物へ足をおさめる。

 鏡台へ向かうついでに、水差しから水分を一口。

 髪を整えるために改めて大きな鏡台を見直した。

 立ち上がったこともあり、見慣れた全身を改めて観察することになる。

 白い夜着のため、下に付けた赤い下着が透けて見える。

 げんなりした表情がさらに濃くなる。

 派手な下着は別段お嬢様の趣味でもなければ、無理強いされたものでもない。

 必要なのだからしかたがない。

 鏡前に座り、諦めに思考を切り替えて支度をはじめること少し。

 こつこつこつ、木製の扉をたたく音が丁度三度。

 定刻であり、お嬢様からすれば時間切れを知らせる合図だ。

 幸いにも最低限の準備は間に合った。


「――お嬢様、お目覚めですか?」


 扉の向こうからの女声に、思わず背筋が伸びる。

 体に染み付いた条件反射だ。

 この声だけで覚醒する自信がある。

 声の主は、お転婆で暴れん坊だったお嬢様の首に鈴のついた首輪をつけてみせた。

 今では侍女長にまで取り立てられているが、変わらずお嬢様の専属侍女を続けてくれている。

 深呼吸、喉はきちんと潤っている。


「……勿論、セラ。どうぞ。」


 先ほどまでのうめき声から一転、平静を取り繕った声で入室を許可する。

 ぎぎ……、と重く軋んで開けられる扉はまるでホラーのようだ。

 軋む原因を作ったのがお嬢様自身であるため聞かなかったことにする。

 入ってきたのは三十代後半、年季と貫禄を纏った、佇まいに隙のない白髪の女性だ。

 ぴんと立った耳は、間違いなく身支度をしていた音を拾っていただろう。

 やや神経質そうに細められた目が部屋の中を見渡す。

 ベッド、乱れなし。

 枕元、細工なし。

 だが愛用の抱き枕はそろそろ綿を詰め替えなければならない。

 窓、カーテンを破って縄にした様子なし。

 テーブル、鏡台、水差しをぶん投げた跡なし。

 クローゼット、逃げ込もうとした形跡なし。

 鏡の前に座っているお嬢様、髪の整え具合は……咎めるほどでもなし。

 ぴたりとそこで視線を止めて――ふむ、と頷くと同時に、ふさりと薄い黄金色の尻尾が揺れる。

 イタズラを見つけられた時のように髪の一房を掴んでいるところは徹底的に整えねば、それは侍女の仕事だ。


「おはようございます、お嬢様。本日は及第点と致しましょう。後の支度はわたくしめにお任せくださいませ。」


 セラと呼ばれた女性が告げてようやくお嬢様は安堵の息を吐き、肩から力を抜いた。

 この侍女の事が怖いわけでも、嫌いなわけでもない。

 嵐のようなお嬢様に涼しい顔をして真正面から付き合うことのできた数少ない身内なのだから。

 ただそう……ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ苦手なだけだ。


「それにしても、ああ。お仕えしてからまさか、連日やり直し以外の言葉をかけることになるとは……。このセラ、歓喜に堪えません。そろそろ星でも降るのではないでしょうか。」


「……貶しているのかしら?」


 感じる世界や価値観が変わろうと、十年間過ごしてきた経験もまた魂に記されている。

 自身の口から自然とこぼれる少女然とした声色、口調には全く違和感を感じない。

 それがまた内面で違和感として拍車をかける。

 ……心配をかけるわけにも行かないので押し殺しておこう。


「まさか。」


 唇を尖らせるお嬢様の声色にも、セラは全く気にした様子がない。

 こういった問答はいつものことだ。

 不貞腐れながらもヘアブラシを鏡台に置いて役割を引き継いでもらう。

 慣れたものとセラはお嬢様の髪を整えはじめる。

 これが終われば次はあのクローゼットの中に入っているドレス着つけだ。

 着せ替え人形になる覚悟はできている……諦観と表現したほうが的確か。


「お嬢様に淑女としての自覚が芽生えたことを喜んでいるだけでございます。」


「うぐっ……!」


 それは間違いなく悪意なく告げた言葉だ。

 そう察せられるくらいには付き合いが長い。

 だが、だからこそ半日ぶりに聞いたセラの言葉は二重の意味でお嬢様の心に突き刺さる。

 視点が変わったことで、今まで散々迷惑をかけていたことを思い知らされた。

 そして何より異性の感覚に影響された今、淑女と言われるとすごく背筋がむずかゆい。

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