第三クレシェント支部
アリスの生い立ちは、少しずつ出していきます。
残酷な描写が入るかもしれません。
カラリ、カラリ。
都市と町を繋ぐ道を、紋章の入った黒い馬車が走っていた。それを引いている二匹の馬の四肢が、忙しなく動いて舗装された煉瓦の道を蹴っている。白銀色と緋色で描かれた紋章は、この世界では小さな子供にも知られているもので、清らかな気品を醸し出している。
白銀色のハープを持った、背に翼のある緋色の長髪の少女──それは、古の世界を救った伝説のウォークライムだと言われている天使で、『聖女アリア』と呼ばれている。
『──その者、美しき音色と清らかなる歌を以て、死に絶えし者の迷える霊魂を救わんとす』
世界中に言い伝えられているこの伝説は、確かに聖女アリアが存在していたことを証明しており、ウォークライムの地位を確たるものにしているのだと言われている。そして何よりも、彼女の持つハープ──その精霊が、ウォークライムが扱う楽器がクライムと呼ばれる由来を作っている。
そんな紋章の入った黒い馬車の中で、黒髪の少女・アリスは、壁に凭れてぼーっと宙を眺めていた。膝の上には、両腕で抱き締めるように白銀色のハープを抱えていて、まるで母が我が子を大切に守っているかのように見えた。宙を眺めている鮮紅色の瞳が瞬きをしながら、絶え間なく流れていく景色をそれに写していた。
サンリアーナの町を出てから早数分、クレシェントの都がすぐ目の前に迫っていた。『都市』といわれてはいるが、正しくは都と言って、ウォーカー第三クレシェント支部が在ることで有名だ。
それによって商業・傭兵・医療といった大きな専門ギルド等が集まっていて、朝も夜も、都は眠ることを知らない。流通の多い町は、いつも賑やかで喧騒に包まれている。
「・・・・・・・・はぁ」
随分と疲れたような彼女の溜め息に、白銀色のハープが一瞬だけ煌めいて、ぽふんっという音がした。
『アリス、どうした?』
アリスが隣を見れば、そこにはちまっとした人形のような白銀の狼がちょんと座っている。言わずと知れた、ルキだった。彼女だから分かるが、知らない人間が見れば猫に見えるだろう、手のひらサイズで、可愛らしい姿からは狼だと推測できるものは少ないだろう。そんな彼に対して、彼女は何でもない、と力なく言った。すると、
「お嬢、もうすぐ着くぞ」
『今日は速いな』
「所長サンに怒られちまうからナ。お嬢ってバ、まーた弦爺ン所でうだうだしてたんダロ?」
言葉の語尾が少し変わったイントネーションの運転士の青年は、ウォーカー専属の運転士をしているエルフだ。
金髪に、灰色の目、尖った耳が特徴的なエルフの彼は、第三クレシェント支部のウォークライムたちに『エルさん』と呼ばれている。そして、アリスを『お嬢』と呼ぶ者の一人だった。
「所長はお嬢が大好きなんだナ。良かったじゃねぇカ」
「よく分からないです、そう言われても」
アリスは馬車の運転士席の後ろにある窓から顔を出して、運転士のエルを見た。人に好かれるということに対して、耐性がない。経験がない。自覚がない。自分が他人に好かれているなんて、あるわけがない。それが、アリスの持論であり、自分に対する評価だ。
本当に分らない。そんな少女に何とも言えない表情をして、エルは顔を覗かせている彼女の黒髪をわしゃわしゃと乱して、彼女が驚いている間に前に向き直った。クレシェントの都は、もう目の前に迫っていた。
* * * * * * *
ウォーカーの第三支部があるクレシェントの都。人口は約一万二千人、ギルドは商業・傭兵・医療とウォーカーの大きく分けて四種類存在しており、その数は都の広さゆえか四十ほど。その中で、ウォーカーの数は一つ。都心にある地方自治統制局の近くにある教会の隣に位置している屋敷のような建物がウォーカーだ。
人の背よりも遥かに高い入口の門柵を通り、次に見えてくるのは第三クレシェント支部――通称・第三に所属しているウォークライムや職員たちの居住棟が左右にあり、その奥に彼らが働いているギルドオフィスが建てられている。
魔法と科学が共に進化しているこの世界では、どちらの長所も短所もお互いに交わって支えあっている。ウォーカーもそれを利用している。居住棟とオフィスの建物内外の入口となるような場所には、魔法による認証魔法が掛かっていて、魔法が認識していない人間が入ろうとすれば、すぐさま警備装置が発動する。
勿論、正しい入口である正面扉から入った場合には、魔力認証システムと守衛による確認が入るので、警備システムが作動することはない。見えないが存在している警護だと、噂されている。
そんな場所の入口である門柵の前に、エルは馬車を停めた。アリスが降りた後に、元の大きさに戻ったルキがひょいと、馬車から軽やかな身のこなしで降りた。
「着いたゼ、お嬢」
「ありがとうございました。ご足労かけてすみませんでした」
毎度のように深々と頭を下げると、エルは律儀ダナと言いながら笑った。アリスはまた首をかしげながら、頭を上げて、去っていくエルを姿が見えなくなるまで見送ってからオフィスへと足を進めた。隣にはルキが、ぴったりと張り付いている。
左右に居住棟がある道を歩き、オフィスの前に立っている守衛に持っているハープに刻んである例の紋章を見せる。この紋章は、ウォークライムの持つ楽器にそれらの製作者が特殊な技術によって掘り込んだものなので、一般の匠が似せて作っても決定的な違いがあるらしい。アリスが紋章を見せた守衛は、それを見分けることのできる者だ。そんな守衛はアリスに強く頷いて見せた。認証が終わったらしい。
彼女はぺこりと会釈をしてから、再び歩みを進める。――しかし、彼女の歩みはどうしたというのか。オフィスに近付くにつれて彼女の歩みは徐々に遅くなって行き、その建物の入口にあたる扉から数メートル手前でとうとう止まってしまった。
ルキが少女の表情を見てみると、とてつもなく嫌そうな表情をしていた。――もしや。そう思って耳を澄ませると、建物の中から大きな音を立てながら何かが徐々に近付いて来ている。しかも、アリスが一番苦手な人間の、足音であることにルキは気が付いた。
「・・・ルキ」
『どうした、アリス』
「僕はここが苦手です」
『ふむ』
「何より、あのような人間はどう接していいか解らない理解不能な人種です」
間近に迫った大きな音を聞きながらアリスは、ルキにそう言った。そして、目の前にある扉がバタンッと乱暴に蹴り開けられて、誰かが飛び出してくる様子を他人事のように眺めていた。その誰かが、自分に飛びついてくると分っていながら。
毎度のことで避ける気にもなれなかった彼女は、大人しくされるがままになった。勢いよく飛びつかれて倒れたりはしなかったが、若干息が苦しい。というのも、飛びついてきた人物が彼女をぎゅうううぅっと圧迫しているからだ。腕によってならまだしも、彼女は、その人物の柔らかなものに圧迫されているのだ。
「お帰りなさいっ、アリスちゃん」
「苦しいです、所長・・・」
「あら、ごめんなさい」
上を向くと、飛び付いてきた人物は離れてくれた。息苦しさから解放された彼女は、ふう、と呆れとも疲れとも取れる溜め息を吐いた。やはり、彼女のことはよく解らないと、アリスは思った。
目の前を見てみると、きっちりと第三に所属している証である服に身を包んだ女性が立っている。緋色のラインが特徴的なロングコートに、白銀色の膝上まであるブーツ。そして、左腕に付けられた金色の腕章――『聖女アリア』の描かれたウォーカーの支部所長の証。
「コホン、改めまして。お帰りなさい、アリスちゃん、ルキ」
「ただ今戻りました、レイーシャ所長」
『熱烈な迎えは如何と思うぞ、レイーシャ所長』
苦手で理解できないと思いながらも律儀に頭を下げて挨拶を交わすアリスの横で、上から目線なことを偉そうに言ったのはルキだった。それを見た彼の女性、レイーシャ・セイン=セルウィネートこと第三所長は、うふふふと笑った。
二十三にしてウォーカーの支部所長の座に就いた有能な女性といえば、と言われているのがレイーシャである。男性の誰もが思わず二度見をてしまうほどの魅惑的な、出るところは出る、引っ込むところは引っ込むという理想の体型。なにより彼女の胸はでかい。現に、アリスは毎回彼女のそれに圧迫されて窒息状態にさせられているのだ。
そしてこの、彼女の気分の高さがアリスには不可解なものであった。所長という立場にありながらも、支部の中を自由に歩き回っている。仕事は真面目にしているし、第三所属のウォーカーのサポートもしているし、クライムのメンテナンスも丁重にしている。もったいない、といわれてもしかたがないのも頷ける。
「弦爺様のところへよっていたのよね?ルキの声が少し変わって聞こえるのは、弦を新調したから?」
「はい。今回の任務で向かった先で、久しぶりに時間が掛かってしまって・・・。ルキの弦もメンテナンスが近かったので、サンリアーナへ寄って来ました」
報告などをしながら、アリスたちはオフィスの中に入った。
第三は支部の中でも、際立って大きいオフィスとして有名だ。クレシェントの有益な部分を生かしたその規模と機能は、本部にも匹敵するといわれている。そこのウォーカーたちもまた、その腕を、その能力を、その素質を見込まれてここに呼ばれたものばかりが所属している。
アリスもまたその一人で、レイーシャのお気に入りの少女であった。また、彼女は第三にいる理由が他者とは異なっていて、それが原因なのか多くの所属者に気に入られている。
「おー、アリスとルキじゃん」
「お帰りなさーい、二人共」
「まーた、弦爺んところに行ったんだって?」
「久し振りー!!」
すれ違う人々が、アリスに笑顔で声をかけてくれる。
しかい、アリスは少し困ったようにぎこちなくも笑いながら一人一人に挨拶を返していく。多少、言葉に突っかかっても、気にするものは一人もいない。ウォーカーの中には勿論、ここで働いている者には何かしらの理由があってここで働いている。
引きこもりの者、対人恐怖症の者、人間不信の者、ウォーカーの身内の者、重病の者、元退魔師の者、孤児の者、犯罪者の者・・・。本当に、様々な理由がある。アリスはその中でも際立った存在だ。だからこそ、ここにいる者たちはアリスを、そして彼女の相棒であるルキを歓迎していた。同じ痛みを持って生きているからこそ、理解することができるその痛みを、少しでも和らげることができれば・・・と。
アリスとて、気付いていないわけではない。彼女は、その身に宿る力によって苦しい人生を歩んでいた。優しくされることが嬉しくないわけではなくて、慣れていないからであり、経験がなかったからだ。
ルキは、声を掛けられる度に身体をビクリと震わせながらも返事を返している少女を見て、一人思いふけっていた。
レイーシャさんはアリスを気に入ってます。
性格上、放って置けないのです。