命の危機に遭遇した
冷たい石の壁に床。目の前にはバチバチと電気を放っている鉄の棒。そして、鎖によって縛られている体。あの後、長い旅路を経て投獄された俺が確認できる現状はこんなとこだ。
「……詰んでるよな。確実に」
「なんか言ったか?」
呟くと、さっきからずっと俺を監視している赤髪の美男子――紅蓮さんはそう返してくれた。愛想笑いで誤魔化し、鎖をじゃらじゃら鳴らしてみる。その行動を哀れに思ったのか、彼はご丁寧に教えてくれた。
「その鎖はバインドスネークって言ってな。伸縮自在で絶対に砕けない、世界に二つと無い激レア魔法具だ。脱獄しよう、なんて考えない方がいいぜ」
魔法具とはまた、ファンタジチックな名前が出てきたな。恐らくこの世界には、俗に言う『魔法』というやつが当たり前に存在しているのだろう。
所謂、剣と魔法のファンタジー。その世界観がピッタリだ。紅蓮さんは今度は牢屋の説明を始めた。
「ちなみにこの牢はミスリル製で、魔法の力を通しやすいんでな。ありったけの雷魔法で電気を纏わせてある。少しでも触れようものなら――」
その続きは遮られた。部下と思われる男が、話しかけてきたからだ。その声は小さいので聞き取れなかったが、紅蓮さんが向き直って教えてくれた。
「バッドニュースだぜ。変態たちの準備が整ったらしい。今からお前を実験室に移すから」
わぁお。確かにバッドニュースだ。生命の危機って奴だ。紅蓮さんが何かの綱を手に取った。
「じゃあ送るぜ」
「――待った」
「……何だ」
「その棒に触ったらどうなるのか、続きが聞きたいなあ……なんて」
そう問いかけると紅蓮さんは少し考えるそぶりを見せ、
「却下だ」
の一声と同時に綱を下へ引っ張った。瞬間、俺が座っていた床が抜ける。しばらく空中を下降し、ドスンという音と共に着地したのも束の間、どうやらそこは滑り台だったらしく俺は長い長い滑走路を進むことになった。
たっぷり数十秒の旅を、現実逃避しながら終えると、俺は診察台のような場所へ到着していた。そして、そんな俺を囲むはずらりと並んだ十数人の白衣を着た悪魔。
「これが例の……」
「驚いた。ホントに人間と同じような姿をしている」
「やつら痛覚が無いけど、コイツは持ってるかも。……楽しみだねぇ」
「ホルマリン……ホルマリン……ああホルマリン」
「フ、ヒ、ヒヒ……」
特にヤバそうなのが何人かいるが、とにかく俺のやることは一つだ。めいっぱい息を吸って大声を出す。
「何か勘違いしてるようだけど、俺は人間だ! 俺を調べても何にもならねえから解放してくれ!」
俺のやるべきことは、自分は人間だと主張すること。意味の分からん実験で殺されるなんて真っ平御免だ。体は動かないが、言葉と気持ちで何とか説得しようと試みる。
すると、俺の熱弁に心を揺り動かされたのか、マッドサイエンティストの中から一人が声をかけてきた。
「一度だけチャンスをくれてやる。奴らバグにはどういう事か心臓が無い。つまり、貴様の体内を調べ心臓が存在すれば人間。存在しなければバグだ」
「いくらでも見てもらっていいぜ。それで俺が人間だって証明できるならな」
男は後ろの台を弄ると、眼鏡を取り出した。
「魔法具、スケスケゴーグル。任意の物を透かして観察できる。この場合、お前の皮膚を透かして観察する」
場違いだが、小学生が考えるような名前だと思ってしまった。効果は十分に凄いのだが。そんな無駄なことを考えている間に、結果は出たようだ。男は眼鏡をしまっていた。
「ッチ……ある」
舌打ちしたな。ッチって舌打ちしたよな。見れば他の全員が心なしか肩を落としている。そんなに実験したかったのか。別に申し訳なくも思わんが。
「とにかく、これで俺は人間だって証明できたろ。早いとこ、この鎖外してくんねえか」
マッドサイエンティスターズが渋々といった感じで外しにかかる。すっかり自由になった俺は軽く伸びをして、どうやって戻るのか尋ねると、一人がちょいちょいと床を指差した。刺された先を見れば、何かの魔方陣が描いてある。
これに乗れという事か。指示通りに、足を踏み入れてみる。すると、俺は一瞬で元いた牢に戻っていた。魔法の力で瞬間移動した、ということか。少し遅れて、あの鎖も送られてきた。
「あん? もう終わったのか。……おい何で鎖が外れてんだ」
未だに牢の前に残っている紅蓮さんが訝しげに声をかけてきた。
「あいつらに人間だってお墨付きをもらったからだよ。っつう訳でここから出してくんねーか」
「人間だと? おい、それは本当か」
「あ、ああ。それと、これ返しとく」
鎖を牢の隙間から差し出す。紅蓮さんはそれをひったくるように取ると、急に頭を掻き毟りぼそぼそと独り言を喋り始めた。
「んな馬鹿な。確かに空間の歪みは観測されたはず。まさか、誤作動があったってのかよ」
しばらくそんなことを喋っていると、突然「面倒な!」と吠え俺を実験室へ送った時とは別の綱を引っ張った。すると、どうやらそれは開錠用だったらしく、全ての鉄の棒がゆっくり上がっていく。
「着いてきな。話を聞かせてもらう」
無数の階段を登り、紅蓮さんの後を追う。身体能力が上がっていて助かった。今までの俺ならとっくに根を上げているであろうというほどの道のりだった。
やがて階段を上り終えると、よく刑事ドラマなどで尋問を行う際に使うような場所へ通された。バタン、と戸を閉め座るように促される。向かい合わせになるように座った所で、紅蓮さんが話し始めた。
「とりあえず、済まなかったな。国を代表して、言わせてもらう」
紅蓮さんは頭を下げた。いきなりそんなことされても戸惑うだけなので、止めてほしいのだが。
「えーと、頭をあげてください。いきなり謝られても困るんで。まずは自己紹介から」
「……そうだな。じゃあまず俺から。俺はリオン。この国、グリア国の対バグ専門戦闘部隊隊長。そして、余り言いたくないんだが……グリア国第十六代国王の血を引く王女でもある。ちなみに、紅蓮ってのは異名だ」
紅蓮さん改めリオンさん。今、かなり凄いこと言わなかったか。グリア国第十六代国王の血を引く何と言った?
「……王女?」
「ああそうだよ」
「えっと、リオンさん……女性の方?」
「さんは付けなくていい」
「じゃあリオン。お前、女なの?」
「逆に聞くが、女だと何か不都合なことがあるのか?」
微塵たりとも御座いません。すると何。俺は女の子にぼろ負けしたわけだ。
「自身なくしちゃうよなあ……」
「どうでもいいから、早くお前も名乗れよ」
「ああ、俺の名前は――」
待てよ。この場合苗字まで言った方がいいのか。音無の性はこの世界だとかなり違和感があるんじゃなかろうか。それなら、下の名前だけでいいか。
「アラタだ。よろしくなリオン」
「アラタ、か。よし、じゃあアラタ。本題に入るぞ」
リオンは短く息を吸い告げた。
「俺の軍に入らねえか。アラタ」
「……極々最近、似たようなフレーズを聞いたような。まあいいや。何でだ」
「お前のあの身体能力。一般人としておくには勿体無い。バグ殺しの貴重な戦力になる。で、どうなんだ。入るのか入らないのか」
「それを答える前に、教えてほしいことがあるんだけど」
リオンは眼を細めた。重要なポジションらしいし、ストレスが溜まっているのかもしれないな。
「バグってのは一体なんなんだ」
「お前、まさか知らないのか!?」
「いや、そのえっと……俺の故郷、めちゃくちゃ田舎でさ」
「まだそんな場所があるってのかよ。まあいい。教えてやる」
よかった。上手く誤魔化せたみたいだ。リオンは分かりやすいよう、ゆっくりと話し始めた。
「始まりはおよそ十五年前。ある村からのSOSからだ。殺される、助けてくれという短い言葉だけで途切れたSOSの真相を確かめるべく、グリア国は調査隊を組んだんだ。結論から言うと、意気揚々と出て行った調査隊は全滅した。この事態を重く見た王政府はすぐさま腕利きばかりを集めた討伐隊を組んだ」
リオンはそこで一端切ると、息を深く吸い再開した。
「討伐隊は激しい戦闘の末何とか勝利。しかし、事態はそれで終わりじゃなかった。その後、各地で何体もの同じような生物が確認されたんだ。黒い翼に血走った眼、爪は鋭く尖っており矢をも弾く堅い皮膚を持ち、空間の歪みから次元を超えて襲来するそれらを、いつしか人々はこう呼ぶようになった。――『バグ』と」
なるほど。つまり、十五年前のある日出てきた未確認生物。バグとはそれらの事を指すのか。
「なるほどな。とりあえず、事情は分かった。けど、答えはもう少し待ってくれ」
「……そうか。まあ、大事なことだしな。今すぐ決めろとは言わねえ。しばらく、一人で考えな」
そう言うと、リオンは退室した。それを見届けてから、俺は大きなため息を吐いた。当初の目標、強い使徒を集めるためには、軍に入った方がいいのかもしれないがどうしたものか。
『相変わらず決断力がないのう、お前は』
「――っ誰だ!?」
突然脳内に響いた声に、俺は飛び上がった。
『分からぬか? ちょっと前まで話していたというのに』
「まさか、ミコト……か?」
『ご名答。どうやって話しているか、とかいう疑問は後にしてまずは本題に入るぞ』
本題? はて何だろうか。
『あの女子を第二の使徒にするぞ。アラタ』