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ぼくらはリャマの背に似た丘陵の尾根を進んで、それを見ることになった。距離にすれば十キロほど東にそれが姿を現した。
「ビリャビセンシオ、の跡だ」
さすがのフリオも声を潜め、胸の前で十字を切った。ぼくらも急いでそれに習い、立ち止まって見た。
それは巨大なクレーターで、遠くに霞む海辺からジャングルの中まで楕円形に広がっている。クレーターの中は緑に覆われているけれど木は一本も生えていない。するとフリオが問わず語りに話し始めた。
「ビリャビセンシオは旧時代からある立派な街だった。ボゴタの郊外都市で、ボゴタで働いていた人間が一杯住んでいたんだな。その人口はいまのボゴタの倍ほどもあったそうだ。それが大破壊の日を境に他の街と同じように荒廃してしまった。津波を逃れ疫病にも打ち勝った街の人々が、全く一から再建した。あの場所は元あった場所よりずっと離れていて、旧時代はコーヒー農園だったという。そこに元の街と同じ名前を付けた。人々は熱心に働き、一時はボゴタより栄えて、街のリーダーたちも優秀だったので次々に工場を建て、施設を増やした。しかし、やりすぎたんだ。彼らは犯してはならない鉄則を破った。メキシコ地方や遠くデンバー地方から石炭を購入し、日常生活に必要となる電力量以上を生み出す発電所をいくつも作り、それによって軍需工場を動かし、強力な軍を作り上げた。装甲車、戦車や大砲、誘導ミサイルまで作った。そしてついに細菌兵器や核兵器の製造を試みようとした。ブラジル地方、今はアマゾン海の底に沈んだ旧時代の発電所から核燃料を引き上げ、彼らの街に運んだ。優秀な技術者や科学者が集まっていて、各地から必要なものは奪ってでも用意したから爆弾が出来上がるのは時間の問題だった。そしてそれが彼らの運命を決めたんだ」
その話は「天罰の穴」の教訓として何度も聞かされていた話だったけれど、ぼくらはじっと穴を見つめて聞いていた。フリオは何かに耐えるようなきつい表情で先を続ける。
「それは突然だった。何の警告もなかった。空から光の帯が降り注ぎ、大地を焼いた。一瞬で街が燃え、兵器庫にあった大量の火薬が引火し、完成間近だった核爆弾も吹っ飛んだ。轟音と爆風はボゴタの街まで届き、窓が割れたそうだ。跡形もなくビリャビセンシオは破壊された。核の汚染で破壊を逃れた周辺施設も荒廃した。汚染はしばらく続いたが、五十年以上たった今は多分、短時間見学に行くだけなら安全だろう。だが、誰もあそこに足を踏み入れたいとは考えないだろうな」
フリオはそう言うと歩き出し、もう、クレーターを見ることもなかった。ぼくらも無言のまま、前だけを見て丘を下った。
次の日の昼時、丘陵にまばらに生えた木陰で休憩していると、突然フリオが、
「伏せろ!」
言うなり自分も近くの草むらに身を投げた。ぼくらは一瞬、不意を突かれたけれどすぐに言われた通り、同じように身を投げる。すると直後にパタパタパタと音がして西の方からヘリコプターが一機やって来た。
「動くな、じっとしていろ」
フリオはうつ伏せになったままこちらをにらむようにして言った。
「何?」
ぼくの小声の問いには、
「質問は後!」
それは灰色に塗装された四人乗りのやつだった。ぼくは一度広域交換市で展示されていたものに乗ったことがあった。もちろん地上に置いてあって空は飛ばなかったけれど、それまで見たこともない、色とりどりの配線やメーター類、黒い箱やレバーなどぎっしり詰まった機械に圧倒されたものだ。あれは多分その時のやつか、またはそいつと同型のやつだった。
ヘリはぼくらの上空までやって来るとゆっくり円を描き始める。パタパタという音はバッバッバという腹に響く音に変わり、それがあの日村にやって来たチルトローター機を連想させていやな想いをした。回転翼が生み出すすごい風が木を揺らし、シュロの葉が舞って飛んでいた。
ヘリは何かを探しているような感じでしばらく空を回った後、ゆっくりと離れ、東の方へ飛んでいった。それが黒く小さな点になってもフリオは伏せたままで、ルックが起き出そうとしたら小声で叱りつけた。
フリオが動いたのはパタパタ音が完全に消えてからで、素早く立ち上がるとリュックサックを拾いながら、
「急げ!ここから出来るだけ遠くへ離れなくちゃならん」
それからは強行軍で、比較的楽に歩ける丘の上からジャングルへ降りると、最初の日と同じような森を山刀片手に切り開きながら移動することになった。
「あれはボゴタシティのヘリ?」
ものすごい勢いで草を刈りつつ進むフリオの背中に声を掛けると、
「そうだ」
「見つかったのか?」
ベンも問い掛ける。
「大丈夫だと思うが、信じちゃいかん」
バキッと枝を払うと、
「空からは案外よく見えるものだ」
まるで空から地上を見たことがあるような口振りだったので、ヘリに乗ったことがあるのか聞こうと思ったけれど、寸前で止めた。聞いてはいけない、そんな気がしたからだ。
「音なんか気にしなくていい。速度の方が大事だ。少しきついだろうが、後一時間は休まずに進むからな」
その後は無言で、ぼくらは息をハアハアさせながら、必死でフリオの後をついて行った。
ようやくフリオが休もう、と言って止まる。ぼくらはただ肩で息をしていて、汗でシャツが体に張り付いて気持ちが悪かった。一度水浴した時にざっと水で洗って干しただけのシャツはそろそろいやな臭いがし始めていた。
ぼくら三人は何の備えもなく村から逃げ出したわけで、着替えもなく、猟師小屋から持ち出せるものを、これも猟師小屋に備えてあった体に合わない大きなリュックサックに詰め込んでいたから、その重みでいつもの元気が半分くらいになっていた。身軽だったら、まだまだ元気でいられたのに、とちょっと悔しくもあった。へたばってフリオに同情されるのがいやだった。それはベンもルックも同じと見えて、ぼくらは辛くても弱音を吐かないでがんばっていたんだ。
そこはジャングルの中でも木の少ない場所で、カズラが一面に生えていて視界を遮っていた。するとルックが独り言のように、
「何の臭いだろう」
立ち止まって息を整えると、確かにその臭いが気になり出す。つんと鼻を突く臭いで、それはフリオの工場にこもる機械の油に近い何かだった。
「おい!ちょっと待て」
くんくんと鼻をうごめかせ、カズラのツルを引きちぎりながら動き回るぼくらをフリオが制止する。しかし、遅かった。
「痛!」
思わず声をあげていた。ぼくが踏み出したカズラの茂み、そこに何か硬いものがあって、それにつま先をぶつけたぼくは前のめりに倒れた。すると。
「フリオ!あれ!」
ぼくはぶつけた足の痛さも忘れてフリオを呼んだ。転んだお陰で視線が地面と同じ高さになり、それを見付けたんだ。密生したカズラの緑色とオレンジの花に隠されて、十メートル先にそいつの先端が見えている。
最初は何か複雑な機械に見えた。フリオは走って来てかがみ込むなり呆気に取られた声で、
「こいつか!」
何か興奮し出したフリオは、
「やつら、こいつを捜してやがったな!」
黒と灰色の金属のかたまり。ぼくが蹴つまずいたのも黒くて重い金属の破片だった。覗く金属をよく見ると折れたり曲がったり、ひびが入っていたりしている。そちらから例の刺激臭がしていた。
「近付くな!」
よく見ようと動いたベンをフリオが制する。
「漏れ出た燃料の臭いだ。火花が散ったら爆発するぞ」
ぼくらがはっと立ち止まると、
「見てくる。おとなしく周りを見張ってろ」
フリオはリュックサックを下ろすと山刀だけを手に、金属に向かう。そこは少し窪みになっていて、全体は見えなかった。フリオもすぐに視界の外に消えてしまった。
やがて銀色に黄色の線が入ったケースを下げてフリオが戻って来る。
「ここには誰もいない。めぼしい物はこいつだけだった。搭載銃は残っていたが、それ以外持ち出して移動したんだ」
そう言うと、
「さあ、とっとと離れるぞ!こいつはいつ吹っ飛んでもおかしくない」
ぼくらは慌ててそこを離れた。
臭いがしない場所まで離れると、もう我慢が出来なかった。
「ねえ、あれって、飛行機?」
「そうだ」
「村に来ていたヤツだよな?」
ベンがせき込むように聞く。
「そうだ」
「乗っていた人はどうなったの?」
ぼくの問いにフリオは首を振るだけ。
「それは何?」
と、これはルック。
「救命キットだ。医薬品や粉末の食料が入っている」
フリオはそう言うと、中身を出して配り始めた。
「リュックに入れておけ。おれが許可するまで勝手に使うなよ?」
ぼくはビニールのパックに入ったガーゼやシップ薬、傷薬などを受け取ると、
「いつ落ちたんだろう」
「あの様子だと一日は経っていない。多分、昨夜のことだと思う」
空になった救命キットのケースを草むらに放り投げて歩き出すと、
「カズラの陰で割と涼しかった。直射日光を浴びていたら気化した燃料が発火してとっくに吹っ飛んでいたはずだ。それにしても爆発は時間の問題だな。あれは一日と経ってない」
フリオはまるで自分を納得させるかのようで、うんうんと頷くと、
「気をつけて歩けよ。あいつに乗っていやがったボゴタの奴らと出くわすかも知れないからな」