7
寝苦しい夜が明けた。ほとんど一睡も出来なかったぼくは、床に寝転がったままずっと天井を見つめて一晩過ごした。色んなことを考えたけれど、頭は村の行く末と父さんたちのことで占められていたから、結局考えは堂々巡りで終始した。ぼくらだけでボゴタシティの奴らをどうしたらやっつけられるのか、とか、収容されるキャンプのこととか、そういったことだ。
小屋は遮光が完全だったから、朝の光も入ってこなかったけれど、鳥のさえずり声で朝が来たことが分かる。やがてフリオが目を覚まし、同時にベンとルックも起き上がった気配がする。ぼくも起き上がるとフリオの方を仰ぎ見た。ランプは寝る前に消していたから真っ暗だったけれど夜目が利いていたし、何となくものの輪郭が分かる程度の明るさがあったから、フリオが木戸に行き開けるのが分かった。
さっと朝の光が入り込み、フリオがするりと木戸をくぐり抜けて光の中へ消えた。まもなく戻って来たフリオの片手には、いつの間にか拳銃が握られていたから、ぼくはぎくりとしてしまう。そんなぼくの態度に気付いたか、フリオはさりげなく拳銃を背中に隠すと、
「外は安全だ。みんな顔でも洗え。この先に湧き水がある」
皆、無言で立ち上がって、小屋の裏にあった泉で顔を洗ったり口を濯いだりした。ぼくらはおはようも言わないで、自分の世界に入り込んでいたんだ。
ニシンの缶詰で朝ごはんをすますと、フリオがこれからどうするかを説明する。
「ここは村の南西側だ。昨夜の内にボゴタの連中は街道を北に向かったことだろう。村の人間を根こそぎ連れて行ったとすれば、全員車で移動など出来たもんじゃない。自動車は貴重だからな。サンマルティンを襲った兵力は百名前後、トラックも十台がいいところだ。いくら監視者を確保すると言っても武装していない村を占拠するにはそれくらいで十分だからな。重要人物だけ先に車で連行し、残りの大多数は徒歩移動になったはずだ。本隊はまだ十キロ位しか進んでいないと考えた方が自然だな」
フリオはそう言って、ぼくらはその跡をつけて最終的にどこへ向かうのか調べる、という。
「村人がどこに落ち着いたか分かったら、その後は上級市に助けを求める」
「え?」
「ボゴタ以外の上級市だよ。ククタ、メデジン、カリシティ。そのどれもが一度はボゴタと争い、今も決して仲がいいわけじゃない」
「それはわかるけど、それらの街は本当にサンマルティンみたいなちっぽけな村を助けようとしてくれるのかな?その……何の見返りもないのに?」
ぼくが疑問を口に出すと、フリオは口の端に笑いを浮かべて、
「取引を持ちかける」
「取引とは?」
と、これはベン。
「あの女監視者だ」
フリオは何か自信たっぷりに言う。
「でも、たぶんあの子も捕まったんでしょ?ボゴタシティの連中に」
「間違いない」
「じゃ、どうやって取引なんか出来るのさ?」
ぼくの疑問にルックも大きく頷く。すっかり無口になってしまったルックの目は真剣だった。
「まあ、それは、まだ言えないな」
フリオはふんと鼻で笑うと、
「知らなければ奴らに捕まっても何も言えないしな」
「ぼくらが?奴らって、ボゴタシティの兵隊に?」
「そうさ。この先まだ何があるか分かったもんじゃない。おれ一人だって大変だ。それでもお前たちを助けたのは、村には恩義があるからな」
フリオはそう言って肩をすくめ、
「足手まといになることが分かっていても連れて行くんだ。少しは役に立ってもらいたいな」
「おれはあんたを信用してないよ」
ベンだった。
「あんたがおれたちを信用していないのと同じくらい」
フリオはやれやれと首を振り、
「そうだな。おれはお前たちを信用していない。お前たちがおれを信用していないことも知っている。じゃあ、どうする?このまま別行動するか?」
フリオは腕を組んでぼくらを見下ろした。ベン、ルック、そしてぼくの順に見て行くと、何も言えないで見つめ返すぼくらに、
「いいんだぜ?ここで別れても」
ここでフリオと別れ、どうする?父さんの後を追い、そして一緒に捕まるか?それとも、何とか村人を助けるため行動するのか?でも何が出来る?ぼくは一体、どうしたいのか。
「分かったよ」
ぼくが答えを出す前に、ベンが言う。
「一緒に行くさ。どうせおれたちはガキだからな。何も出来やしない。そんなことは分かってる。ここで別れても捕まるか、どじって死ぬか。それもごめんだよ。おやじたちともう一度サンマルティンで暮らす、それが適うなら、とりあえずついて行く。あんたの後を」
ぼくが思わず立ち上がって頷くと、ルックも同時に頷いて、
「何とかするんだよね、フリオ?」
ルックの切羽詰まった声に、フリオは腕を組んだままにやりと笑って、
「いま、何とかしようとしている。お前らと一緒にな」
猟師の小屋で身じたくを整えると、まだ朝もやの晴れないジャングルの中、ぼくらは出発した。
あれから何日もこうして朝もやの中、出発することになったけれど、あの朝のことははっきり覚えている。父さんたち、村の人たちの安否の不安、上級市の力への不安、謎や隠し事が多く今一つ信用することが出来ないフリオ。そしてこの先に待ち構える未知のものへの不安と、かすかな期待と。そんな色々なことで頭が一杯で、ぼくらは無口なまま歩き続けた。
乾期のジャングルは案外歩き易かった。フリオがマチューテ(山刀)で切り開く草木は簡単に折れてなぎ倒され、地面もぬかるんだところが少なく、落ち葉がカサカサ音を立てる。
森の中では音が驚くほど遠くまで聞こえることはぼくも知っていたから、フリオに言われるまでもなく、ぼくらは横たわる朽ち木や枝などを避け、やたらポキポキと音を立てないように気を付けて進んだ。
二日目のこの日の昼、村から遠くに見えていた丘を越え、見知らぬ土地に入ると、光景が一変した。ジャングルは低木が増えて湿気が増し、少雨期だというのに蒸し暑さは息苦しいほどになった。こういう森に慣れているぼくらも、自然と息が上がり、水を飲む回数が増える。フリオは三十分ごとに休憩を取り、その度に指示してそこら中にふんだんにある水たまりから上澄みを汲んで皮水筒やペットボトルに詰めさせた。
その日は湿地帯を避けて高台に上がり、またもやフリオが知っていた猟師の小屋を借りて寝た。湿気は床を腐らせていて板が反り返り寝辛かったし、下の沼から変な臭いも上がってきていたけれど、ぼくは疲れていたからこの日はぐっすりと眠ることが出来た。
三日目は気持ちが悪いカエルの鳴き声で朝が開けた。ヌマカエルは変なトゲがある大きなやつでさわるとトゲの毒で手が腫れる。足下もぬかるんでいて、真っ黒なヒルもいるから気を付けて歩かないと血だらけになる。大蛇アナコンダも好きな場所だ、なんて言ってフリオが脅かすから、蛇のことが少し苦手なぼくはびくびくしながら進んだりした。
こんなジャングルで最悪なのは蚊で、ぼくらは猟師の小屋に必ず置いてある蚊よけのスプレーや、それを付けていると蚊が寄ってこないモヒーネ草の葉を腰に付けたりしたけれど、完全に追い払うことなんか出来ない。森歩きは遊びや材木を取りに行く時にさんざん経験していたけれど、これは本当にきつかった。特にルックは蚊に気に入られたようで、顔のあちこちにニキビのような刺された後が残ってかわいそうなくらいだった。
この日は随分進んだ様子で、森が斜面になったのが感じられると、湿気が嘘のように引いて行き、地面が再び乾いてきたのが感じられた。
その夜は猟師小屋ではなく、昔の人間が焼き畑をして草原になっている場所の縁に毛布を敷いて寝た。草原の中の方が気持ちが良さそうだったけれど、フリオが空から丸見えだと言うので、ジャングルと草原の境界線となった樹木線で休んだんだ。
満天の星は見慣れたものだったけれど、こんなにゆっくり見たのは久々の気がした。銀河がぼんやりと見え、南十字が輝いている。見慣れた空が何か懐かしく、ぼくは村のことや父さんのことを思って思わず泣きそうになった。ジャングルを歩くときはそれに夢中だったから思い出すこともそんなになかったけれど、こうして気持ちがいい夜風に吹かれ、草地から空を眺めていると、色んなことがごちゃごちゃと頭の中を駆けて行く。すると隣に寝ているベンの寝息が聞こえて、ぼくも明日に備えて寝なくちゃ、と思う。星を眺めてひとつふたつと数えると、やがてぼくも眠りの底へ落ちていった。
そんな日がいつまでも続くのか、と思い始めた四日目の昼、大きな変化が訪れた。それは今だから言うけれど、本当に偶然の結果だった。ぼくらの未来もそれで決定されてしまったんだ。