エピローグ
「マレイ。マレイ?」
考え込んだぼくにベンが声を掛けている。ぼくがはっとして瞬きすると、
「立ったまま眠ったのかと思ったぞ」
ベンが皮肉を言ったから、ぼくに何度か声を掛けたんだろう。
「ごめん」
ベンはいいよ、と手を振ると、
「おれたちがここに来たのは、天に行くからなんだ」
「そうなんだ」
そうか。やっぱりそうなんだ。
「マレイ。お前も来いよ」
顔の違うベンが真剣な表情でぼくを見ている。一緒に天に行く。このギレと同じ「転向者」になって宇宙で暮らす。でも……
「いや。ぼくは止めておくよ」
「行かないと後悔するぞ、マレイ。お前はあんなに軌道エレベーターにあこがれていたのに」
確かにベンの言う通りだった。光の糸はあこがれの象徴だった。天は素晴らしいところで地上人よりずっといい暮らしをしている。力と科学があって、だから地上人は天に勝てないし監視されている。ずっと、そんな風に思っていた。
実際、監視者の世界は別世界で、普通なら大やけどで死んでいたぼくが簡単に助かったように、地上とは比べ物にならない世界だ。
けれど、それは本来住むべき故郷を失った人々の世界なんだ。
大破壊の日。小惑星が地球と衝突し、それは旧時代、アフリカ大陸のあった場所で、アフリカは大陸まるごと巨大クレーターに変わり、世界の海は海面が急上昇して陸地の半分が海の下に沈んだ。
ぼくらの南米大陸も東側の比較的低い地帯、ガイアナやスリナム、ブラジルやウルグアイ、パラグアイにアルゼンチンと呼ばれていた国々のほとんどが沈んだ。だからぼくらの大陸は西側のアンデス山脈を中心とした「大島」になってしまった。あの二種類のウイルスが(たぶん小惑星が運んで来た細菌が空気に触れて変化したのだろうけれど)さらに追い打ちを掛けて、人間は本当に少なくなってしまった。
監視者は自分たちをエスケイパーと呼ぶ。国際語で逃げ出した人を意味するけれど、それは小惑星との衝突が避けられないと分かった時、地球を逃げ出すことが出来たお金のある人や能力のある人、運のあった人たちが自分たちに捺した烙印だったんだ。
そのエスケイパーという自分たちに対する皮肉が全てを現している気がするんだ。
逃げ出した場所に戻る。それは彼らにとってどういう意味があるんだろう。
ぼくが出会った政府側の監視者たちは、だれも地上を「故郷」と思っていない様子だった。いつか帰る場所と思っているのはグリーンの人間だけで、彼らの数はそんなに多くない。それにグリーンにしろ政府側にしろ、ぼくが尊敬出来る人間はいなかった。監視者の間では尊敬出来るのかも知れない人たちは、地上人のぼくにとって、地上を劣った場所や汚らわしい場所、見捨てられたかわいそうな場所などと考える、歪んだ考えを持つ人たちにしか見えなかったんだ。
軌道エレベーターはあこがれだった。でも、もう乗ったし、天も入り口だけだったけれど経験した。そこはぼくの場所じゃない。ぼくの暮らす場所ではなかった。
長い沈黙の後、ぼくはベンの目を見てもう一度言う。
「ぼくは行かないよ」
ベンの肩が下がる。疲れたように。悲しげに。けれどぼくはさっき考えていたぼくが天に行かない理由を話すつもりはなかった。他に二人の監視者がいるからだけでなく、話さなくたってベンには分かるはずだからだ。
だから、ベンは最初からぼくがシー(はい)と言わないと分かっていたに違いない、と思う。
「そうか」
ベンはそう言うと、ちらっとエミリーを見る。もう一度ぼくを見て、何か言おうとするけれど言葉が出て来ない様子だった。すると、ギレが、
「ベルガー、行くぞ」
「それがベンの新しい名前なんだね」
ベンが頷く。とても悲しそうな顔で、こんな顔のベンは初めて見た。それは「顔」が別人になったからそう見えただけなのかも知れないけれど、それが原因ではないとぼくは信じていた。
「じゃあ、元気でな」
「うん、元気で」
もう、言う言葉がなくなった。これ以上何を言ってもぐちゃぐちゃになるだけだ。
三人が後ろを向くと突然、空から光が降りて来た。一瞬、天のすごい移動手段かと思ったけれど、違っていて、光を振り仰ぐと、そこに大きな楕円形のものが浮かんでいた。
「いつの間に……」
ぼくがびっくりしている間に、その黒い楕円の真ん中が開いて、上からワイヤーが降りて来る。おもりも付いていないのに真っすぐ降りて来ると、まずギレがワイヤーから飛び出した突起に足を掛け、頭の上あたりにある突起を掴む。すると一瞬でギレの体が三メートルくらい上がって、その下にするするとワイヤーが伸びた。そこにエミリーが手を掛け、同じように上がって、ベンの番だった。
ベンは最後にぼくを見ると力なく頷いた。ぼくも頷くと、
「頑張れよ、ベン」
ベンがもう一度頷くと、それを合図にワイヤーが三人を吊り下げたままするすると上がって行く。
「頑張れ、ベン!」
ぼくがもう一度言う間に、ワイヤーは楕円の中に消え、三人の姿も消えた。そして光も消えると……
楕円の乗り物は最初はゆっくりと昇って行く。夜空に黒々とした塊りがシミのようになって行く。
「頑張れよ、ベン」
繰り返すぼくが見上げる間にそれはどんどん小さくなり、星を隠す時だけ存在が分かって、でもやがて……
夜空は雲ひとつなく、銀河がぼくの頭の上を横切っている。
あの星々は何万何十何百万光年も彼方にあると言うけれど、その中にはすぐそこ、月の周りにある人工の星もある。
ベンは顔も体も名前も変えて、あの人工の星へ去った。
そこで、なにか素敵なことを成し遂げてくれよ、ベン。
ぼくら地上の人々のためになるようなこと、監視者と地上人が平等に暮らせるためになるようなことを、空の上で。
ぼくは波打ち際まで歩いて、波に足を洗われるままにさせた。少しぬるい、優しいサンマルティンの海だ。ぼくはそのまま北に向って歩き出し、波に入ったり、出たりを繰り返す。
ずっとずっと歩き続ける。そんなことをすればホリットたちのパトロールに捕まるかもしれないけれど、構いはしない。
やがて朝が来る。新しい一日が始まる。
ぼくはこの村で何か新しいことが出来るのか、やってみるつもりだ。
あとがきとして
作者は事あるごとに、後書きで作者の意図や感想を述べるのは蛇足の最たるもの、と公言しております。後書きは脚注以外読みたくないとするその本人が、最後に一つだけ書かせて頂きます。
空想科学祭という企画に五年間休まず参加出来たことは、作者の喜び以上何物でもありません。読んで頂ければ分かる通り、作者は科学や物理の素養に乏しく、単なるSF好きな一読者に過ぎません。そんな作者が五年間も作者として参加出来、尚且つオチなかったのは、企画主催の努力とバイタリティがあったからで、彼女を思えばどんな忙しい事も言い訳に過ぎなくなる、という一種ロジックからでした。
改めて主催者に感謝致します。若きも老いも関係のない環境を与えて貰い、自分の娘息子と同年代の人たち(このすべてが作者より才能があり未来がある人たちですが)そして作者と同年代の人たち(プロにもなれる才能を隠し市井で愉しむ愉快な方々です)と楽しいひと時を過ごすことが出来ました。この企画がこれで終わってしまうことは大変残念ですが、またいつか、同様の企画でお逢いしたいものです。
乾杯と〆の挨拶は短ければ短いほどよい、と言います。蛇足はここまでと致しましょう。
最後に、皆様のご健勝とご活躍を祈念して、結びましょう。
ありがとう。さようなら。
小田中 慎




