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昨夜のことだ。
昨日は女の噂と前の晩の避難騒ぎで学校はお休みとなった。ぼくはベンとルックの三人でフリオの作業場で一日、暇をもてあそびながら通りの向かいの集会場で行われている評議会や、方々から村長を訪ねやって来る使いの人たちや偉い人たちの到着を見守っていた。
ぼくらの村は、十字架そっくりの形をしている。十字架の縦棒、てっぺんは東の方角を向いてアマゾン海に突き当たり、そのまままっすぐな道が西へ、最後はジャングルに消えるまで続いている。短い横棒に当たる道は海と平行に伸びて村のメインストリートになり、両端はそのまま南北に延びる街道に変わってそれぞれ隣村まで続いている。ちなみに監視者が見つかった浜辺は村の北側、十字架の横棒の端、海に面した「商人の丘」の先だった。
夕方となり、外出禁止の時間が迫るとぼくは二人と別れ、十字架の交差する南西側に位置するフリオの作業場から西へ向かった。
ぼくの家は村の中心から見てジャングル側、つまり西側の外れにある。その辺りに住んでいるのは、ほとんどがジャングルの縁で農業を営む家族ばかりだった。ぼくの父さんもその一人で、「西先端地区」の評議委員に選ばれていた。
家はその辺りに点々と建っている建物と全く同じ構造で、古いコンクリートの塊を日干し煉瓦とモルタルでつないで壁を造り、シュロやトタンで造られた屋根が乗った平屋だった。父さんは十年ほど前に評議委員になった時、家の南側に小屋を建てていて、十数人が話し合ったり飲み食い出来るようになっていた。
ぼくはその「会議小屋」に入って床に寝ころぶ。壁がぼくの腰までしかなくて吹き抜けで気持ちがいいからここはぼくのお気に入りだった。高床になっているから、蛇が上がってくることもない。
低い壁とシュロ拭き屋根の間から夜空が覗く。満月の月夜だったから木々の頂や隣家の屋根が青く染められていて、犬の遠吠えやジャングルの夜の音が繰り返しの呪文のように聞こえてくる。ぼくは女のことを考えていた。
女は珍しい存在だ。村にも年寄りが数人、あと村長の奥様や漁師頭の女将さんなど十数人しかいない。
ぼくの母さんもいない。ぼくは父さんがボゴタシティに行って作って来た子供だ。女は貴重な存在で、奥さんを持つことが出来るのは有力者だけだった。
普通、子供はぼくのように上級市に行って作る。子供を作る工場のようなところがあって、そこでこしらえるらしい。
ルックはとてもいやらしい想像をして、男たちが時たま通う上級市の「その手のところ」(皆そう呼んでいる)の大きな奴だろうと言うけれど、ぼくはマンクス先生が教えた精子と卵子を機械に入れて作るところだと信じていた。そういうところで作っても女はすぐに死んでしまうのだという。それだから女の子供が十五歳を過ぎたらその子は上級市の「もの」になって大切に育てられ、やがて村長のような人たちが大金を積んで買いに来る。それは上級市の大切な資源だと聞かされていた。
監視者もそうなんだろうか?天でも女は貴重な存在なのか?
確かに、監視者の女など聞いたことがなかった。あの白い顔。そして月光に輝いていたまるで金細工のような長い髪の毛。
慣れ親しんだジャングルの臭いと青白い光に包まれた光景のなか、あの女のことを考えていると、次第に夢の出来事のように思えた。そして、ぼくは……
「マレイ。起きろ」
ぼくはガバッと跳ね起きた。いつの間にか眠ってしまったんだ。父さんが難しい顔をして見下ろしている。
「お帰り。どうなった?」
ぼくの問いに父さんは気乗りしない様子で、
「そのうちに分かる」
そして手を横に振って、
「今は言えない。父さんはもう一度集会所に行かないといけない。今夜はもう戻れないだろうから、しっかり戸締まりをして寝るんだぞ」
戸締まりをすることは大事件進行中の証しだった。普段は戸締まりなんかしない。この辺りではハリケーンがやって来た時とか物騒なことが起きた時しか戸締まりなんかしない。
「明日は学校も開く。いいかマレイ。ちゃんと寝て、一人で起きて学校へ行くんだぞ」
父さんはそう言うや早足で去った。
ぼくは一人残されると会議小屋を出て、母屋と小屋の間にある物置の脇にある水瓶から柄杓で水を汲んで続けて三杯飲み、ついでに頭から水を浴びた。そうしてすっかり目が覚めると、もう寝る気なんか起きない。母屋のぼくの部屋から麻袋のリュックを取ってきて背負うと、ぼくは村の中心へ陰を伝いながら戻って行った。
その後に起こったことを今思い返してみると、ぼくがあんな冒険をする気になったのも偶然が引き起こしたことだと分かる。
あの夜、家でおとなしくしていたら、ぼくは今頃ボゴタシティの従属農場でイモかコーヒーをこしらえる労働を強いられていただろうし、「光の糸」なんか相変わらず想像の隅っこにある素敵な場所に過ぎなかっただろう。もちろん今、その後の運命を知ることなく同じ時間に自分が戻ることが出来ても、ぼくは父さんの後を追って村の中心部へ向かっただろうし、不思議な出来事を目撃もしただろう。
けれど、エミリーの顔を見ることが出来たのかどうか、そしてアンデスのジャングルを五百キロも旅をすることになったのかどうか、それは疑問だ。
ぼくは父さんから二十分くらい遅れて村の中心に着いた。すぐにフリオの作業場の壁に立て掛けてあるハシゴ伝いに作業場の屋根へと登った。屋根は縁の部分がトタン張りで、残りは太陽光発電パネルとシュロの葉葺が半々と言ったところだ。
まずは屋根の東側の端から村の集会所を覗く。ここは周辺の建物の倍くらい高さがあって、集会所と隣の村長の家以外、周りの建物が見下ろせた。その二つの建物は三階建てで、こちらの屋根が三階の高さになっていたけれど、今は両方とも三階の窓は鎧戸を閉じていた。
ぼくが見ている間にも評議委員がいく人もやって来て二つの建物に入って行く。すぐに気付くことだったけれど、自警団を中心に父さんたちの農家や漁師たちの「ホリット派」は集会場へ、村の中ほどに住む機械を扱う人たちや小間物、雑貨などを売る商人たちが中心となる「村長派」は村長の家へと消えて行く。何か事があるとこうして二つのグループは夜を徹して話し合うことがあり、今夜もあの女監視者のために話し合いが持たれるようだった。
何が起こるか分からないまま、ぼくが屋根の上から腹這いになって下を見ていると、やがて十数人の人が集会場から出て来る。棺を二つ担ぎ出し、タイミングを合わせたのか具合よくやって来た二台の幌付き二頭立て馬車に乗せ、みんなそれに乗り込んで南へと去って行く。死んだ二人の監視者を「夜光虫の岬」へ運んでともらうんだな、と思ったけれど、外出禁止のこんな夜中にこそこそとやるのは何かおかしなことだった。
その後は、数人の評議委員が遅れてやって来てはそれぞれ属するグループの建物に入って行った以外、もう見るべきものがなかった。窓越しに何か見えないかと両方の建物を見ていたけれど、一階も二階もしっかり鎧戸が閉まっていて何も見えないし明かりも漏れていない。ぼくは長い一晩に備えようと村長の屋敷の前まで移動し、居心地がよくなるようシュロの屋根の上にイモを入れる黒い麻袋を広げ、その上に寝ころんだ。ひしゃげた皮細工の水袋から時折水を飲んで、ぼくは辛抱強く待った。
そして多分、三時間は過ぎた後。それが起こったんだ。
うたた寝をしては目覚め、またうたた寝を繰り返していたぼくは最初、目の錯覚かと思った。ぼくの自慢は目のいいことで、こんな夜でも月明かりさえあれば昼間のジャングルと変わらないくらい先を見ることが出来た。だから、それが見えたとき、見たことがないおかしなものだったから錯覚かと思ったんだ。
そいつはまるでハチドリそっくりな飛び方をして村長の屋敷の屋根から現れた。大きさもちょうどハチドリくらいで、最初は本物のハチドリかと思ったくらいだった。屋根の上の宙にぴたり止まると、クルックルッと「首」を回す。その時月明かりを浴びているのに真っ黒に見えたし、夜にあんな風な飛び方をするハチドリなんて聞いたこともなかったから鳥たちとはまるで違う「生き物」だと思ったわけだ。
それはまるで何かを探しているように見える。ぼくはもっとよく見ようと身を持ち上げたけど、そいつが急に三メートルばかり跳ね上がったので慌てて黒い麻袋に伏せる。何だか得体の知れない奴に身をさらしてはいけない気がしていた。
するとそいつはぼくの方に向かって来た。ぼくは慌てて顔を伏せ、出来るだけ屋根の太陽光発電パネルに似せようと張り付いていた。耳元に微かなブーンという音がするとカチカチッと何かが鳴った。そして音がプッツリ途絶えると、後は遠くジャングルから虫とカエルの鳴き声が聞こえて来るばかりだった。恐る恐る顔を上げると、もうそいつはどこにもいなかった。
ぼくは今の出来事を思い返し、夢かと思って首を振る。だけどこれが夢であるはずもなかった。何かぞくっとするような不安が息を荒くする。ぼくは深呼吸して気持ちを納めようとした。すると。
ガタン。ギィー。パタン。
向かい側、屋敷の三階。並ぶ窓の一つ。鎧戸が開き、窓が開いた。コロニアル風とかいうアーチ型をした両開きの窓で、高価な飾り彫りの付いたガラスがはまっている。部屋の明かりはついていない。ぼくは伏せた格好のままじっと目を凝らした。すっかりハチドリのことなんか忘れたまま。