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デスプエス~それから、  作者: 小田中 慎
アンデス東脈
19/41

18

 それからぼくら三人は、アンデス山脈のすそ野に広がるジャングルを五日間歩き通した。

 この辺りは人の住む場所が少なく、そのわずかな集落もエミリーが慎重に避けるルートを選んだので、最初は人に会うことも人の通った跡にぶつかることもなかった。お陰で道らしい道を行くことが出来なかったので自ら道を切り開いて進むしかなく、ぼくらは先頭を交代しながら進んだ。風景の変化が乏しかったから、先頭は退屈で単調で気分も晴れない奴隷のような労働だった。

 そうやって四時間歩くと、水辺にさほど遠くないぎりぎり野営が可能な場所を選んで食事と仮眠を取った。それは出来るだけ距離を稼ぎたいと言うエミリーの意見からで、一度に休むのは二時間から三時間、歩くのも三時間から四時間と決め、昼夜関係なく歩いては仮眠を取った。

 食事はエミリーがトラックのギレから渡されていた大量の錠剤で、それまでエミリーが食べていたドロップのようなものと同じ代物だった。それを二、三粒水で流し込めば栄養も十分、満腹感も得られるという。半信半疑で飲み込めばそれは本当で、味を楽しんだり料理をしたりという食事の持っている楽しさこそないけれど、缶詰などの食料が底をついていたぼくらはそれを食べるしかなかった。けれど天の監視者たちはこんな味気ない食事をしているのかと思うと、初めて彼らが気の毒に思えたのだった。

 ぼくがそれまでの行程のようにひどい疲れを感じないで済んだのは、こうしたエミリーのやり方や、若さのせいだったかも知れない。けれど本当のところ、話だけで聞かされた姿も様子も分からない「敵」から逃げているという状況に知らず知らず興奮していたからだと思う。


 途中、今までは幸いにもお目にかからなかった動物にも出会った。ジャングルの生き物は食料になるものより危険なものの方が多い。だから今まで会うことがなかったのは幸運だったけれど、それの反動なのか、それとも元々この辺りには多いのか、次から次へといろいろな生き物と遭遇した。

 最初に出会ったのはワニだった。

 ぼくらは最初の小川から次第に網の目のように広がる名前もない河から河へ、付かず離れずに歩いていたけれど、それは何本目かも分からなくなった河にぶつかった時に起きた。

 前を行くベンが突然立ち止まると、後ろのエミリーに離れろとジェスチャーして背中の銃を取り出した。

「なに?」

 ベンはぼくが近寄ろうとするとこれも身振りで止め、ゆっくり後退りしながら呟くように答えた。

「ワニだ。でかい」

 ベンは木々の間から見えている河を指さす。ぼくがベンの肩越しに先を見ると、そいつは川岸に横たわっていて、こちらに顔だけを横向け、口を半開きにしていた。まるで岩のようなアメリカワニだった。シャー、と怒った声を上げている。人間が自分の縄張りに近付いたから威嚇したんだろう。でも、ワニはよほどお腹が空いていたり、目の前で河を泳いだりしない限り向こうから襲って来る生き物じゃない。ぼくらは慎重にゆっくりと後退りして、昼寝の邪魔をされて怒るワニから離れた。

「油断していたな」

 十分に離れ一息吐いたベンが、銃をしまいながら口を開く。

「今までいなかったから、油断した」

 ベンは言い訳がましく繰り返すと、

「何で教えてくれないんだか」

 と、エミリーにグチった。

「何でも分かる訳ないでしょ。私はシャーマンや超能力者じゃない」

 エミリーはすまして答えると、

「口に飛び込む前に気付いてよかったね」

 ちょっと意地悪そうに付け加えた。ベンはぶすっとした顔で再び先導を始めたけれど、別段怒っている様子は見えなかったから、ぼくは少し安心した。


 アナコンダに出くわしたのはハイウェイから逃げ出して二日目の昼。そこはジャングルが途切れ地面が湿った草地で、そのときの先導は運悪くぼくだった。

 湿地帯に入った証拠に蚊とブヨが勢いを増して襲って来る。腐った植物の臭いがして、淀んだ空気に陽炎が踊る。不快でうす気味が悪い場所だった。ぼくは足下に気を付けながら、森と湿地の境目を回り込む形で先を急いだ。こういう場所には深い沼になった部分もあって、そこは浮き草に覆われその上に草も生えているから地面と区別が付かなかったりする。そんなところに足を踏み込んだらあっという間に水の底へ引きずり込まれてしまう。ぼくは後ろを行くエミリーに注意を促すと、出来るだけ地面がしっかりとしていそうな部分を探して歩いた。

 そんなとき、行く手に太い丸太のようなものが横たわっているのを見つけたんだ。十メートル先にそいつはいて、頭と尻尾を草に隠し、胴体だけが見えていた。鈍く光るオリーブ色の体に特徴のある黒い楕円と小さな白い斑点がそいつの正体を示していた。

「気を付けて!アナコンダがいる」

 抑えた声でエミリーに警告すると、ぼくは苦手なそいつから目を離さずにゆっくり森の方へ離れる。やつが動き出したらすぐに走って逃げる体勢だ。やつらは水の中が好きで夜行性、おまけにとても重いから、昼間の地面の上では動きが鈍い。そうとは言っても近付くのは危険で、ぼくはワニに出会したベンと同じように大蛇を避けたんだ。昼寝でもしていたのか、アナコンダは全く動かなかった。それ以来、ヘビが活発になる夜の移動は、ぼくに今まで以上の緊張を強いることになった。


 出会ったのは危険な動物だけじゃなかった。

 ぼくらの侵入に驚いたのか、頭がくらくらになりそうなホーホーという声で鳴き交わしていたホエザルの群。黄色と緑が眩しくてギーギーと耳障りに鳴くインコの大群。夜中の移動で出会った黄緑色の揺れる光の柱は、蛍の求愛ダンスだった。

 どれもこれもがサンマルティンの村では出会ったことのない珍しいもので、ぼくらは追われていることや父さんたち村のことも一時忘れ、見入っていた。


 中でも一番驚かされたのはアゲハ蝶だった。サンマルティンでも普通に見かけていた蝶は、黄色と赤紫の模様を黒い糸で丁寧に縫い上げたかのような美しい一枚の布だったけれど、あんまり普通過ぎて小さな子供だって捕まえたりしない虫だ。

 それがここではコバルト色にきらめいて、産卵期を迎えたのか、ものすごい数が行く手の木々の葉にびっしり止まっていて、ぼくらが近付くとそれが一斉に飛び上がった。近付く傍から次々に飛んで行くから、後ろを歩くぼくの目には、その時の先頭だったエミリーが何かの手品を使っているように写った。

 飛び上がり舞い踊る蝶の大群は光を反射すると青い色が変化して、まるで虹の欠片を森と空に散りばめたようになって、ぼくとベンもこんな美しいものは見たことがなかった。ジャングルではいつでも冷静で取り澄ましていたエミリーですら信じられない様子で、きょろきょろと辺りを見回し、その目は驚きで大きく見開かれていた。

 けれどぼくは村の老人から、蝶は産卵場所に迷い込んだ獣に信じられない数でまとわり付き、窒息させることもあると聞いたことがあったから、びくびくしながら歩いていた。結局そんなことにはならなかったけれど、その蝶の森を抜ける頃には三人ともコバルト色の鱗粉を浴びてカーニバルの化粧をしたみたいになってしまい、お互いの顔を見合わせて笑い転げた。


 そのころには、ぼくら三人の仲はとても奇妙で複雑になっていた。決して仲が悪いわけでなく、急な坂では自然に手を取り合って引っ張ったり、河を越えるときもとまどいなく助け合えた。仮眠の後は「おはよう」とか「よく眠れた?」などが自然と口から出たし、相手からも自然な笑みを返された。けらどやっぱりぼくとベンの二人とエミリーとでは違いがあり過ぎた。ぼくらは男で地上人。エミリーは女で監視者。これはいくら同じ道なき道をたどっていても変わらない事実だったから、何かの拍子に頭に浮かび、それが態度となって現れて、それを相手も感じて顔を伏せたりそっぽを向いたり、と、そんな具合にぎこちない緊張感があったんだ。

 ベンとぼくとの仲も変化していた。ベンはああいう性格だから何事も先頭に立って自分が引っ張ることを好んだし、ぼくはぼくで、いつも余計な何かを考えて動くから、ベンが引っ張ってくれることに全く反対しなかった。これまで、村にいた頃まではそれで何もおかしなことはなかったけれど、この旅に出て、そう、エミリーに出会ってからは微妙に変化して、今度はベンがいつも何か考えていて、逆にぼくが行動的になっていた。

 つまりぼくらはお互いのマイナス部分を埋め合ってすごく似た感じになっていたんだと思う。だからそれまでは意見が合わないとき、ぼくが黙っておしまいだったのに、けんかまでは行かないけれど口論にはなったし、逆に考えが合えば物事がすごくうまく行ってとても楽しい瞬間があった。そこにエミリーという異邦人が加わって、ぼくらの旅には友好的だけれどお互いを意識する奇妙な緊張感が漂っていた。

 だから今考えてもあの旅は、ぼくとベンだけだったらもっと気楽だったろうに、と思う。女の子と旅をすることなんか二週間前なら想像も出来なかった。それも監視者の女の子だ。

 そんなぼくらの戸惑いが問題となってしまったのは、あの蝶の大群に会った日、ハイウェイから五日目の夜のことだった。



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