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デスプエス~それから、  作者: 小田中 慎
パンアメリカンハイウェイ
18/41

17

 エミリーが話し終えた後、ぼくはしばらくの間呆然としたまま何の反応も出来なかった。ベンは額に汗を浮かべたまま、じっとエミリーを見つめるだけだった。沈黙を破ったのは運転手のギレだ。

「ここで降りてもいいんだぜ、坊主」

 てっきりエミリーは反論するかと思ったけれど、その時は何も言わず、ただあの無表情でベンの視線を受け止めていただけだった。

「耳を塞ぎ目を閉じて、三本のバオバブに星を乗っ取られるこった」

 ギレという男は転向者になる以前、地上に住んでいた頃から一言が多いんだろう。うちの村にもよくいる、働き者だけれどちょっとお調子者で皮肉ばかり言っている親父さんたちと同じだ。けれど、エミリーの話を聞いた後では、ギレの態度も何となく分かる気がする。

「サン・テグジュペリ、二百年以上前の作家だよな」

 ベンがぽつんと言う。

「星の王子様とかいう絵本だ。読んだことがある」

「分かってねえなあ。ありゃガキの絵本じゃねえよ」

 ギレが鼻を鳴らす。

「サンテクスはおれたち冒険屋の偉大な精神的祖先ってやつだよ、坊主」

 ギレはベンを挑発するかのように上から下まで舐めるように見て、

「大人しくボゴタかカリに捕まるか?それとも運を試してジャングルを這いずり回るか?おれの知ったこっちゃねえけどよ」

 ぼくはまだ混乱していたんだと思う。その時口をついたのはどうでもいい些細な疑問だった。

「フリオもそうだったけれど、『シティ』を抜かすんだね」

 一瞬何のことか分からなかったんだろう、ギレは「はあ?」とあきれた表情を浮かべた後で、

「ああ、ボゴタとかカリのことか?あのな坊主。ボゴタ『シティ』のシティってえのはな、旦那様の『さま』と同じ意味なんだよ。他の街とは違うお偉いサンの街、そういうつもりでついてるんだ。おまえ、尊敬しない奴を様つきで呼びたかねえだろ?」

「ああ、そうなんだ」

 ぼくはそのどうでもいい情報を聞いたことで逆に頭が働き始め、色んなことを知らない自分を感じ始めていた。そしてさっさと自分でも驚くような決断をする。

「ぼくは、降りない」

 そう言ってベンを見る。

「ぼくはエミリーと一緒に行って世界を見てみたい」

 ベンはぼくの顔をじっと見つめた後で、

「信じられるのか?さっきの話は全部嘘っぱちかも知れないんだぜ?」

「信じられなくても、もういい。ギレさんのように地上人も天に上れるのなら、ぼくは見てみたいんだ」

「そうか」

 カチッ、と音がして、ベンが銃の安全装置をかけたのが分かった。銃を背中に戻してエミリーを見た。ぼくもあわてて銃の狙いを外し、ベンに見習って背中のズボンとシャツの間に挟んだ。

「信じたわけじゃないよ」

 ベンが言う。

「マレイと同じだ。おまえたちの嘘が本当か、地上とどうつながるのか、地上をどうしようと考えているのか、この目で確かめたいだけだ」

 一瞬、その場の空気が緩くなった気がした。でも、すぐに安心するにはほど遠いと気付かされることが起きたんだ。

 ベンの言葉に困った顔をしたギレが、次の瞬間すっと突然背筋を伸ばして前方を見ると、落ち着いた声で言う。

「残念だったな、ベンとやら。おい、エミリー!」

「ええ、気付いてるわ」

 エミリーも前を見ていて、

「ギレ、時間を稼げる?」

 ギレの顔に不適な笑みが浮かぶ。

「ああ、いいぜ。さあ坊主ども、臨時の停留所だ。この先に歓迎会が用意されているぜ」

 

 そこは緩やかに曲がるカーブの連続区間で、同じような風景が続き、進行方向はジャングルの樹木に隠されていた。物事がぼくらの考えるスピードより何倍も早くどんどん先に進んで行く。一体何が待ち受け、何が始まるのか何も分からないままに。

「スピードを落とす。飛び降りるんだ、順番に」

 今までになく緊張した面持ちでギレが言うとエミリーが頷き、

「頼むわ、ギレ」

「時間は稼ぐがそんなには無理だぞ。ユットナーの野郎がカリの南側に網を張っている。道はだめだ。河を行くんだな」

「了解」

 ギレはぼくらの顔を交互に見ると、

「坊主ども、用意しろ。エミリーが降りたら間を置かずに続いて降りろ」

 何がなんだかさっぱり分からないまま、ぼくらはただ頷いた。

「死ぬんじゃねえぞ」

 ギレが言うとベンが、

「ミゲルさんもな」

 ギレは一瞬あれっという顔になって、

「おれの名前はギレだよ、ベンとやら」

「いや、ミゲルさん。ココにいたときはそう言う名前だったんだろ?」

 ギレはクククっと押さえて笑うとベンの方に拳を突き出し、すぐに表情を改める。

「用意だ!」

 トラックのスピードがだんだんと落ち、そして。

「GO!GO!GO!GO!GO!」

 ギレが叫ぶとドアを半開きにして待っていたエミリーが思い切りよくダイブ、続いてぼくが助手席を倒して乗り越え、飛び降りた。

 トラックはまだかなりのスピードで走っていたから飛び降りる瞬間、思わず体が固まりかけたけれど、目を閉じて思い切って体を投げ出すように外へ出た。ぼくは体を右にひねって飛び降りたので、地面に落ちたときには激しい勢いでころころと回転していた。あの懐かしい『商人の丘』にある大ブランコで遊んだときの要領だ。ブンブン振って一番高いところから飛び降りる。その下に続く緑の斜面にケガをしないで降りるには、飛び出した瞬間体を半身にして丸め、勢いつけて地面に側面から接する。そのままだと頭や足にケガをする。とっさにその動きが出来たおかげで、息が止まるほど激しくぶつかって何ヶ所か打ち身を作ったけれど他には大したけがもなく済んだんだ。トラックは、と見ると、既に砂埃を残してカーブの向こうへ消えていた。

 先に降りたエミリーが早くも路肩にいて手招いている。ベンは、と見るとぼくと同じようにコロコロ転がっている最中だった。勢いが止まると顔をしかめながら埃を払い立ち上がった。

「急いで!」

 エミリーの切迫した声にせかされて、ぼくらは路肩に走り寄った。

「こっち!」

 そこは道の右側で、すぐ下は斜面になっていた。見上げればアンデスの西側の峰が遠くかすんで見える。エミリーはぼくらが走り寄るのを見ると、急いで下の斜面に消えた。ハイウェイへ降りる時に下った斜面より急だったけれど木は少ない。白い衣をまとった黄色の花芯を持つ、葉が大きく背が低いサトイモの親戚がびっしり生えていて、ほとんどそれの上を滑り降りる感じだった。その時。

 ドッカーン!

 激しい爆発音が右手、あのハイウェイの南からして、ザワっと木や葉が揺れた。ズシンと響く揺れが同時で、そちらを見れば空に真っ黒な煙がモクモクと持ち上がっていた。

「急いで!」

 思わずそちらを見ていたぼくらをエミリーが叱る。

「ギレの行為が無駄になってしまう!」

 必死の表情がぼくらを突き動かした。ぼくらが動き出すと、もうエミリーは振り返ることもなくどんどん斜面を下って行き、ぼくらはその後ろ、サトイモの親戚の葉っぱや白い花が倒れた跡を滑って行った。これでは追跡された場合、すごく簡単に追うことが出来そうだったけれど、エミリーの慌て振りを見ると一刻の猶予もないことが分かったから、今は考えないことにした。爆発に続いて銃声が響き始め、それがこちらを狙ったものなのか違うのかも分からないまま、ぼくらは茂みに見え隠れするエミリーの後ろ姿を必死で追い続けた。


 必死で下った先は小川だった。少雨期に入ったというのに水量はそれなりに多く、ジャングルの間を蛇行しながらゆったりと北へ流れている。エミリーはリュックサックからストックを出して、それに頼りながら水に入り、足下を探りながら渡り始めた。ぼくらはこの手の河をよく知っていたから無茶だと思ったけれど、すぐに彼女も知っているんだ、と気付く。ゆっくり一歩ずつ、足を踏ん張りながら歩いていて、がむしゃらに進んで足を取られることもなかった。ぼくらも河に入り、足下を探りながら泥や水草に足を絡ませないよう気を付けて対岸を目指す。水は思ったより冷たく、ほてった体には具合が良かった。服を着たままでも泳ぎたくなるくらいだ。ここ二日ほど水浴も出来なかったからその思いは結構本気だったけれど、こういう河にはヘビやワニがいるかもしれない。追われてなくてもお遊びは禁物だった。

 多分、少雨期だったのがよかった。本格的な雨期だったら水の量も勢いも違って渡ることなんか出来なかっただろう。エミリーは腰の辺りまで濡らしながらも転ぶこともなく、対岸を這い上った。続いてぼくらも追いついて、そこでようやく一息付けることになった。

「静かだな」

 耳を澄ませたベンが言う。もう銃声も聞こえない。聞こえるのは鳥の声と水の音、そしてぼくらを見つけて集まり始めた蚊の羽音だけだった。

「一分だけ」

 そう言うエミリーもさすがにハーハー肩で息をしていた。リュックサックから例のキャンディーを取り出しぽんと口に入れ、水で流し込む。ぼくも残り少ない虫除けを体に吹きかけると水を飲む。そろそろ補充しなければならないけれど、河の水は茶色く濁っていてだめだ。でもこのまま水辺を行くなら汲める場所も見つかることだろう。

「さっきのあれは一体?」

 ようやく尋ねる間を得たベンがエミリーにいう。

「検問があったの」

「ボゴタの?」

 エミリーは頷いて、

「向こうはこっちが行くのを知っていた、と思う。そのまま知らずに行ったら問答無用で撃たれていたはずだわ。多分、私の敵対者がボゴタの勢力に暗示したんだと思う」

「ベオウルフってやつらか?」

「そう。ベオウルフは私たちを追い詰めるまでは姿を現さないはず」

「ギレさんは、大丈夫かな」

 ぼくの問いにはエミリーははっきりと、

「平気よ。ギレは危険を何度もくぐって来ている人だから」

 エミリーはそこで言葉を切ってストックをリュックサックにしまい、

「山刀を」

 と手を出す。

「いいや。おれが先導するよ」

 ベンはそう言って、

「また後ろから指示してくれればいい」

「信用してくれないんだ」

 エミリーはそうは言ったけれど、悲しげな雰囲気やふざけた様子はなかった。ただ事実を確認する、そんなつまらなそうな態度だった。ベンはエミリーに肩をすくめて見せるなり、こう言った。

「信用する、しないの問題は少しの間お預けにする。エミリーも慣れているのは分かったけれどおれたちはこういう森で遊んで育ったんだ。あんたこそおれを信用しろよ」



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