13
ぼくらはジャングルの急な斜面を下っていった。シダとキョウチクトウが競うように生えていて行く手を遮っていたけれど、がむしゃらに分けながらどんどん下って行く。しなる葉が顔を打って擦り傷をいっぱい作ったけれど気にならなかった。ぼくは、ついさきほどエミリーが話した内容に高揚していたんだ。
崖っぷちに腰を下ろしていると、ベンが、
「これじゃあ、丸見えだぞ。大丈夫なのか?」
と言う。けれどベンは引っ込んで隠れる素振りも見せないでいて、それは心配と言うよりエミリーへの質問だった。エミリーは、
「今のところ、敵の気配はない」
そう言うと、例の小さな筒を出して丸いキャンディーのようなものを口に含み、水筒で飲み込む。
「ふうん」
ベンは興味を失ったかのようで、今度は下のパンアメリカンハイウェイを指さした。
「あいつはどこからどこへ通じているんだ?」
エミリーはしばらく赤土がむき出しの道を眺めた後で、
「北はベネズエラのノヴァ・マラカイボから南はチリのサンティアゴまで。南米大島を縦断している」
「聞いたことある」
と、これはルック。
「トラックで運ばなくちゃならない大きな荷物はこの道を使うんだってね」
「そう。これは地区を越えた道で南米を一つにつなぐ、例えるなら動脈よ」
「動脈」
ぼくはオウム返しを言ってから道を目でたどる。なるほど赤い道は血管の例えがよく似合う。道はジャングルの間をくねくねと走って、遠くかすんで見えなくなるまで続いている。エミリーは遠く西を眺めながら、
「あの山脈の麓に見え隠れしている水路がマグダレーナ河の支流」
「その河を下るんだね?」
「……そうね」
答えるエミリーの声がなぜか自信なさそうに聞こえた。すると、
「車が来るわ!」
「あっちだ!」
エミリーが言うのと同時にルックが言うと、すかさずベンが、
「隠れるぞ!」
みんな一斉に後ろに倒れる格好でごろんと横になり、うつ伏せで草の陰から崖の下を覗き見た。
確かに土埃が北、ボゴタシティの方向からやって来る。
「見ろよ!反対からも来るぜ」
ベンのささやきに目をやると逆の方向からも土埃があがっていて、そちらからも車がやって来たのが分かった。ぼくらが見ている前でその車は森の陰に見え隠れしながら近付き、ちょうどぼくらの真下辺りですれ違う。両方ともサンマルティン辺りでは滅多に見ることのない大きな幌付きトラックで、液化石炭を使う立派なやつだった。
二台がそれぞれの行く先にかすんで消えるまでぼくらは見続けた。やがてルックがぽつりという。
「この道を歩いていけば、ボゴタシティまで行けるんだな」
ベンが頷くと起き上がって、
「逆の方に行けばエクアドルだ」
エクアドル。赤道の地。ぼくらとはまた別の、生き残った人たちが大きな街をいくつか作っていると教わった。
「あの道を行けたら楽なんだけどな」
ベンは苦笑いしながらエミリーを見る。すると意外な答えが返って来た。
「行けないことはないわね」
「なんだって?」
ベンの声にエミリーは目を細め、ハイウェイを見つめる。そしてぽつり、ぽつりと、
「見張りはいない……トラフィックもそれなりにある……商用道だから『ベオウルフ』も活動出来ない」
「ベオウルフ?」
エミリーはぼくの疑問に首を振り、
「ごめんなさい。独り言だから」
そして、失言を取り繕うように秘密を一つ明かした。
「私の目的地はあのハイウェイの先にある。キトの郊外」
「それエクアドルの街だよね」
「そう」
「そこに何があるんだ?」
ベンの問いに、エミリーは吐息を交え答える。
「軌道エレベーター」
ぼくはびっくりすると同時に興奮して、
「え!あの光の糸?」
ベンは落ち着いて、
「やっぱりそうか。そこから天に帰ろうと言うんだな」
エミリーは何か悲しげに俯いて、
「そんなに簡単じゃない。そういうことならこんなに逃げ隠れしない。そこで駆け引きをするわ。失敗すれば、私は収監される」
ベンはまた意地悪な顔に戻って、
「まあ、おれたちはそこまでは行かないよ。でもその前にまずいことになったら、ちゃんと教えてくれよな。おれたちがトンズラ出来るくらい前にな」
皮肉たっぷりなベンの言葉だったけれどエミリーは受け流さないで、
「もちろんよ。あなたたち地上人を巻き込んで平然としていられるほど落ちぶれたつもりはないから」
その声に含まれる堅い決心はぼくにも分かったし、同じくベンやルックも気付いたんだろう、自然と三人顔を見合わせる。
「私を信用し、みんなが賛成するなら」
エミリーは前置きしながら顔を上げる。
「あのパンナメリカンハイウェイを南へ下る車に乗せて貰おうと考えているのだけれど」
本物のハイウェイとは時速百キロ以上のスピードで走る車が行き来する舗装道路だったと聞いた。今では百キロもスピードが出る車など見たことがないし、舗装道路だって上級市の中心街くらいしか見ることがない。それは百数十年以上前の話で、コロンビアが属する南アメリカ大島が大陸だった時代の話だ。学校に保存されていた本に白黒の印刷で残された画像だと、おとぎ話のような空中回廊をつるりとした卵形の車が並んで走っていた。それに比べて現代のハイウェイときたら。ボゴタシティのメインストリートとサンマルティンの小路以上開きがある。
「来ないね」
ぼくらは斜面を下った後、ハイウェイの路肩に生える斑入りアオイの茂みに身を潜め、車を待った。エミリーが言うには、事前に危険な車かそうでないか調べるから、大丈夫な車を止めて乗せて貰うという。どうしたらそういうことが分かるのかエミリーは教える気がなさそうだし、ぼくらもあえて聞こうとは思わなかった。彼女が言ったようにぼくらとエミリーの能力差は、この偽物のハイウェイと昔のハイウェイくらい違いがあったからだ。エミリーが出来ると言えば出来るんだろう。
「来ないね」
ルックが再び言う。ベンはそれを無視して、
「どうして気が変わった?」
問われたエミリーはじっとベンの顔を見た後で、
「ジャングルを行ったのでは間に合わない、そう思ったからよ」
「締め切りでもあるのか?」
ベンの言葉には相変わらずトゲがある。
「あるわ。追われているんだから」
「あのさ」
ぼくは話に割って入る。
「天のエスケイパーとエミリーとの関係って、どうなの?今一つ分からないんだよ」
それはずっとしたかった質問のトップリストだったけれど、打ち解けるまでは、と胸にしまってあった。エミリーが色々と話し始めた今なら答えてくれそうな気がしたんだ。
「簡単に答えられる話じゃないから、大まかに教えるけれど」
エミリーの緑の目がぼくをじっと見つめている。
「地上と同じで天にも派閥があるわ。私が属する派閥とそれに対抗する派閥。上級市と上級市、地方と地方の関係と同じと考えてもいい」
「じゃあ、エミリーを捕まえようとするやつらとは別に、仲間もいるんだね?」
しかしエミリーは首を横に振る。
「仲間と呼べるかどうか。少なくとも、マレイの考える仲間とは違うわ。彼らは積極的に私を助けることはしない。私も助けてとは言わない。そう言う関係」
ますますわけが分からなかった。それにもう一つ聞きたいことーーあの飛行機の乗員がなぜ死んだのか、死んだのは彼女のせいなのか、という疑惑があったけれど、それを続けて聞ける雰囲気ではなかった。ぼくは話してくれたエミリーに、
「ありがとう」
エミリーはぺこりと頷いて、
「私からもありがとうを言っておくわ。信用してもらって」
「別に信用しているわけじゃない」
と、ベン。
「利用させてもらっているだけさ」
「でも、信用出来なければ利用も出来ないよね」
ぼくはちょっと意地悪なベンに反撃したくなっていた。
「確かにさ、全部を教えてもらったわけじゃない。でもぼくはエミリーを信用することにしたから」
本心からそう言えたらいいのに。けれど、ベンの態度に何かいらだってそんな気のいいことを言ってしまった。
エミリーは何かとてつもない変化を、ぼくらの将来を全く変えてしまう大きな変化を起こそうとしているように思えた。それは本当はぼくの期待に過ぎなかったんだ、と思う。村から逃げて、父さんや村の人たちと離れ、信用し始めていたフリオが本当の意味で味方ではなかった、と分かった後に出会った監視者の娘。ぼくは、ひょっとしたら平気で人殺しをするかも知れない宇宙人に等しい彼女を信用しようとしていた。
そんなぼくに対して、ベンはそっぽを向きながら捨てセリフを言う。
「勝手に信用していろ。おれはきっちり見ているからな」
ルックは何か考え込んでいるし、エミリーは例の無表情に戻っていた。ぼくはため息交じりに空を見上げる。気まずい空気がぼくらを支配し始めていた。
その雰囲気の中、ようやく変化がやって来る。三十分も待っただろうか、エミリーが、
「隠れて」
みんな素直に従ってアオイの茂る草むらに身を沈めていると、例の大型トラックがボゴタシティの方向からやって来た。けれどエミリーが小声で、
「あれはダメ」
と言い、トラックはぼくらを発見することなく轟音をあげて目の前を通過してしまった。
その後、そういったことが三回連続で続く。南から来たトラックをやり過ごし、北、ボゴタシティの方からやって来たトラックをやり過ごす。三回目は南から二台のトラックがやって来て、それは無蓋の荷台に人を一杯乗せていた。ぼくらは荷台から見つからないように地面に顔を付けて伏せなければならなかった。
そして、待ち始めてから一時間が過ぎて。
「来た」
エミリーが今度は立ち上がり、
「乗せてもらうわ、みんな立って」
その時、ある疑念がぼくの心に突然わき上がったけれど、それをベンやルックに伝える時間も、エミリーに聞く余裕もなかった。ただ、ぼくはいつでも森に逃げ込めるように一歩引いて立ち上がる。
そのトラックは最初に崖上から眺めた大型トラックと同じ型の車で、ボゴタシティの方向からやって来た。エミリーがどんどん道に出て行って、遂には道の真ん中に立つ。ぼくらは道端に突っ立ったまま、大胆なエミリーの行動にあっけに取られた格好になっていた。
やがてトラックの姿がどんどん大きくなり、ファーン、という大きなクラクションが鳴る。エミリーは両手を上げて左右に激しく振った。そのままピョンピョン跳ね回りそうなくらいの激しさだった。するとトラックは甲高い音のブレーキ音を響かせて、エミリーから数メートル手前でぴたりと停まった。




