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先導をエミリーに任せるのに不安がなかった、と言えばうそになる。まだ信用したわけじゃない。見えないこと、知らないことが多過ぎる。彼女は監視者なんだ。それは地上のぼくらにとって宇宙人とほとんど変わらない意味を持つ。それにあの死んだ飛行機の乗員のことも頭から離れなかった。それでも行き先を決めた今、任せるしかなかったんだ。
エミリーは最初からジャングルの中、西に向かって歩き始める。南からやって来たぼくらは、北に三日も歩けばボゴタシティ、東は海岸まで同じく三日の所まで来ていた。そして西は険しい山並みが続くジャングル。
歩き始めて一時間ほど経った後で彼女が進路を説明した。
「この先、アンデスの東側の脈沿いに歩いて行く。アンデス東脈の西側は迷路のように枝分かれしたマグダレーナ河が流れているわ。そこに向かいボートを手に入れて南へ下るつもり」
簡単そうに言うけれど、それが大変なことだというのはよく分かる。第一、水路を下ったら歩くより数十倍早いけれど隠れるところは少ないし、空からだって目立つだろう。学校で習った地理ではここから南、エクアドル地域までに点々と大きな街がある。そのどれもが水路沿いにあって、街の多くはその水路の便を使い成長したと教わった。当然、水路を行き来する舟も多いだろうに。それより何より……
「ボートを手に入れる?ずいぶん簡単に言うんだな」
ベンが代弁してくれる。
「方法はいくらでもあるわ」
エミリーも負けていない。と言うか、自信があるように見えた。
「まあ、いいさ。任せると決めたんだから」
ベンは意地悪そうに言うと、ぷいっとそっぽを向く。エミリーは眉根にしわを寄せると、再び先導を始めた。
その日は休みらしい休みも取らないで、歩きに歩いた。後ろが気になったし、空も気になった。追われるということがとっても疲れると言うことが次第に分かり始めていた。それでも捕まるよりはましだ、そう思ってがんばり続けた。
夕闇がジャングルの地面をすっかり見えなくすると、ようやくエミリーは立ち止まる。
「そろそろ野営をしないと」
それぞれの顔を見るのも難しいくらい暗くなった。ぼくはもう少し明るいうちに考えておくべくだった、と思ったけれど逃げるのに夢中なばくらにそんな余裕はなかった。フリオから奪った暗視双眼鏡はあったけれど、この日疲れ切ったぼくらはそれを使ってまで歩こうとは考えなかった。
エミリーは返事のないぼくらに構わず、その辺りを探っている。やがて、今まで歩いて来た方向から少し外れて歩き出すと、柔らかい下草の生えた場所を見つけて、
「ここで構わないと思う」
「外だと、獣の心配をしないと。火を焚いて大丈夫か?」
ベンが言うと、
「火はだめ。獣除けがあるから大丈夫」
そう言うと、リュックから何か小さな箱を出し、
「これが守ってくれる。野獣ばかりでなく、人からも」
「なんだそれ?」
「人間の耳には聞こえない超音波を出す装置。大抵の獣はこれが作動していると近付かないわ。それに、これは電脳化した人間にも有効。通信や探査機能に障害を及ぼすの」
「ふうん」
ベンは疑い深そうに返事をした後で、
「ここはどの辺りか、分かるのか?」
「出発したラマル村から二十三キロ西南西でネイバ市の北東八十九キロの地点」
「地図やコンパスなしでよく分かるな。それも監視者の術なのか?」
エミリーは眉根にシワを寄せる。もうぼくにもそれが彼女の不機嫌な印だと分かっていた。
「そうよ。エスケイパーの電脳化率は九十パーセント以上。私もそう。あなたたちとは違う」
ちょっと気まずい空気になった。エミリーはそう言ったきり後は無言で、獣除けの装置を木の枝に吊るす。そしてリュックから筒状のものを出すとキャップを外し中味を振り出す。コロコロと丸いカプセルだった。それを口に含むと水筒の水で流しこんだ。そうしてさっさと寝袋を外すと潜り込み、あっという間に静かになった。
ぼくらは呆気に取られてしまい、互いの顔も見るのも暗い森の中で突っ立っているだけだった。
「電脳化した人間にも影響するなら、あんたにも影響するんだろうが」
まだこだわっているベンの問い掛けにも返事はなかった。
「ぼくもちょっと疲れたから、もう寝るよ」
ぼくはそう言うとリュックを下ろし、座ってそれにもたれた。
「飯食わないのか?」
「いい」
お腹は多少空いていたけれど、この先を考えると我慢出来なくなるまで食べない方がいいと思った。いざとなれば、ジャングルや水路で何か獲ればいいけれど、ちゃんとした食料はぎりぎりまで持っていた方がいい。
「確かに、少し節約した方がいいな」
ベンもそう言うと、がさごそやり出す。ルックもそれに倣い、しばらくの間暗闇でがさごそ音が聞こえた後、静かになった。後はジャングルの夜の音が不気味に聞こえるだけになる。その音に耳を傾けながら、疲れ切っていたぼくはいつの間にか夢も見ない深い眠りに誘われていた。
翌朝。早くに目が覚めたぼくが起き出して周りを探ると、近くに沢が見つかった。試しになめてみると飲める水だったのでほっとする。ぼくらの村の周りでは滅多にないことだったけれど、少雨期のジャングルでは水が涸れている場所もあると聞いていたし、鉱物の毒で汚染された小川もあると聞く。もうこの辺りはぼくにとって未知の場所だった。
戻ってくるとみんな起き出していて、ぼくは「おはよう」とあいさつすると、水を見つけたことを伝え、ついてくるように言う。それぞれが水筒や皮袋を持って沢に行き水を汲んだけれど、その間、みんな無言のままだった。
沢から戻るとニシンとチリビーンズの缶詰二個を取り出して、そのまま四人で分ける。ぼくが四等分にしてアルミのカップに入れて配ると、みんな無言で受け取って黙々と食べた。エミリーも食べたので少しほっとする。彼女は自分から話すことはしないと決めた様子で、視線を合わそうともしない。ベンも何か不機嫌で、思い出したように舌打ちを繰り返していた。
食べ終わると食器を草で拭ってしまうなりエミリーが立ち上がり、
「行くわよ。今日は四十キロは進みたいから」
それはちょっと無理な注文だったが、ぼくは黙っていた。道があっても徒歩の四十キロは休みなしで半日はかかる。起伏もあるジャングルではまるまる一日歩いてもどうだろう?しかしエミリーは挑戦的に腰に手をやって笑みを浮かべる。
「それとも、三十キロくらいに手加減した方がよろしいかしら?」
これにはベンが噛みついた。
「手加減とか一切無用だ」
エミリーは眉を上げて不適な笑みを浮かべたが、何も言わずに先導を始めた。すると、
「今日はおれが先に行くよ。お前は後ろでどっちへ行くか教えていろ」
「お前じゃないわ。エミリーよ、ベン」
ベンはエミリーが手にしていた山刀を奪うように取った後で、皮肉っぽくお辞儀をする。
「はい、賢く美しい監視者のエミリー様。こちらでよろしゅうございますか?」
エミリーは冷笑を浮かべたまま、
「ええ、どうぞそのまま、まっすぐに行ってくださいな、ベン」
ぼくは内心やれやれと思ったけれど、怒ったように草をなぎ払って行くベンと、その後ろから背筋を伸ばしてついて行くエミリーの後ろ姿を見ると、声を掛けるのがばからしくなった。
この辺りはアンデスの起伏が険しく、ジャングルも山あり谷ありで最初の勢いは数時間しか持たなかった。それでも意地を張り合うベンとエミリーのせいで休みもせずに半日はがんばってみたものの、さすがのベンも昼下がりになるとくたびれ果て、ぼくの三度目の「代わろう」にようやく応じた。しかしぼくも余裕があるわけでもなく、何とか一時間はがんばったけれど、その後はまるで夢の中のようにぼうっとなり、のろのろ進むようになってしまった。その頃にはルックが遅れ始め、ベンも荒い息が隠せなくなっていた。エミリーは、と言うと、息も荒げず歩調も変わらずで舌を巻いたけれど、それでも浮かぶ汗と少し丸めた背中で疲れているのが分かった。ここに来て、空腹を意識するようにもなって来た。おなかがグウグウ鳴り、毎日の平凡な食卓がとても懐かしく思えた。
そんな状態のぼくが、さすがに止まろうと思った頃合いに都合のよい場所に出た。
ぼくらの進路の先、ジャングルが坂になって目の前が明るくなっていた。足下も草が減り、落ち葉もなくなっている。ぼくは後ろを行くエミリーに、止まって、と声を掛け列を止める。
「エミリー、この先だけど」
「そう、分かってる。ここで南へ曲がるの」
「見て来るけど、いい?」
「お願いします」
ぼくは慎重に数歩進んでから、草を刈るのではなく分けて更にゆっくり進む。すると予想通り、その先数歩で地面が終わっていた。
そこは崖の上で、土がなくなって岩がむき出しになっていた。そこからの眺めは、疲れていたぼくには幻のような絶景だった。
遮るもののない風景は、遠く青く見える山並みまで一気に見渡せる。それが視界一杯、北の方から南に続き、その手前は森と赤茶けた大地が交互に続いていて、その自然の模様は村長の応接室のタペストリーを思い起こさせた。そこにひび割れみたいな水路が見え隠れする。強い日差しを反射して、ぼくの目には銀色の稲妻がいくつも走っているように見えた。
風はぬるかったけれど、強く吹き上がって顔をなでてくれる。それまで息苦しく蒸し暑いジャングルの中にいたぼくは、むさぼるような深呼吸を繰り返した。体にしみつくようなジャングルの腐敗臭が吹き払われて、自分まで生き返るみたいだった。
「あれがパンアメリカンハイウェイ、ね」
いつの間にかエミリーが横にいて、足下をくねくね曲がりながら横切る赤茶色の道を指さした。ベンとルックもやって来て景色を眺めている。
「ねえ、エミリー。ぼく、さすがにさ、疲れたよ。ちょっとだけでも休憩しない?」
ぼくは先ほどから考えていたセリフを言ってみる。深呼吸のお陰で息は整っていたけれど、少しオーバーに息をハアハアやってみる。
「そうね。思ったより稼げたから、十五分だけ。どう?」
とこれはエミリーがベンに。
「いいんじゃないの?」
ぶっきらぼうに答えるベンに、ぼくは笑いをこらえる。みんな一斉に崖の縁に足を投げ出して座り、早くもルックなんか食料のビスケットを食べ始めたから、ぼくの作戦は大成功だったわけだ。




