八話 蛍の教室
翌日、部室に行くとさっそく、
「おおーやっと来たー!さぁ行くぞ!美月ちゃんを困らせた悪霊退治に!膳は急げだ。」
蓮が相変わらずのテンションで飛んできた。
俺の記憶では報告書にその幽霊が悪霊だとも、仙道を困らせたとも書かれていなかったと思う。まぁどちらにしても局長に出す報告書の事もあるし、行かないわけにもいかない。
だけど蓮、お前が前に言っていた幽霊ネットワークはどうした?そして今言っていた事は同じ幽霊に対してのセリフでは結構最悪だぞ…。
そう思いはしたが言っても面倒になるだけだろう、何も言わないでおく。
鞄を机に置くと結花が顔をあげ、
「行くの?」
と少しだけ心配そうに話しかけてきた。もしかして心配してくれているのだろうか?
「うん、蓮もああ言っているし。それにシナリオに使えるネタが見つかるかもしれないし。」
そう言うと、
「わかった。気をつけてね。」
いきなり女の子らしい顔で言われたので思わずドキッとしてしまう。
照れつつも「行ってくる。」と言いドアに手をかけると再び結花に呼び止められる。
振り返るといつのまにか立ち上がり目の前に立っていた。
久しぶりに面と向かって見た幼馴染の顔が予想以上に可愛かったせいか、先ほどの胸の高鳴りがさらに速度を増す。
「真…。」
「な、何?」
意識しないようにするほど変に意識してしまう。
「相手は幽霊、呪われたりするかもしれないわ、蓮みたいな友好的な幽霊ばかりとは限らないし…それこそ大怪我するかもしれない。もしかしたらそれ以上の……。」
結花がうつむく。「呪われる」とか「大怪我」とか「それ以上」といった不安を煽るようなキーワードがたくさん出たのは気になるが心配してくれているのはわかった。
ゆっくりと結花が顔をあげ、口を開いた。
「だから面白いこととかあったら逐一私にメールして。いざというときは真の代わりに私がシナリオを書くから。」
「……。」
幼馴染、仲間、友達ってなんだろう?
そう思いながら無言で演劇部のドアを閉める事しかできなかった。
落ち込んだまま部室を出ると「大変だ!真!事件だ!」と存在自体が事件の蓮が騒いでいた。
先ほどのショックが癒えていないのに一体なんだというのだろう。
幸い周りに生徒はいないので聞いてみる。
「何だよ、何が事件なんだ?」
蓮は興奮した様子で、
「マッドサイエンティスト!マッドサイエンティストがいるんだよ。」
そんなマッドサイエンティストを連呼されてもよくわからない。
「ここは普通の高校だぞ。百歩譲って幽霊はいてもマッドサイエンティストはさすがに…。」
そう言ったところで廊下の向こう側から誰かが歩いてきた。
蓮に話しかけているのを見られて「妙な独り言を言う生徒」のレッテルを貼られてはまずい。
そう思い、黙ったままその生徒をやり過ごそうとする…と。
「フフフフ…やはり最高のサンプルだった…いい買い物をした…。」
そう独り言を言いながらその生徒は歩いてくる。
ひょろ長い体型、分厚い眼鏡、もともとは白かったのかもしれないが薬品か何かで汚れた白衣…というかもはや黒衣だ。
その生徒はブツブツと呟きながら俺と蓮の横を通り過ぎていった。
固まったまま動けないでいた俺は、その生徒が去った後にかろうじて、
「確かに、マッドサイエンティストだ。」
と蓮に言うのが精一杯だった。
幽霊以上に危険そうな人物に遭遇もしたが、とりあえず本来の目的である旧校舎の一年の教室まで来てしまった。
かすれた文字で「一年三組」と書かれたプレートの下に立つ。
ふと、さきほどの結花の言葉を思い出す。
「呪われる」「大怪我」「それ以上」。
少し前までならそこまで気にも留めない、それこそ冗談みたいな会話だった。
だが蓮の事があった事でありえないと思っていた非科学的な事でも実際に起きるという事を身をもって体感したせいか、結花のあの言葉もありうるなぁと思ってしまう。
普段であれば行くか戻るか悩む場面なのだが、昨日の局長との約束もあって今更戻るわけにもいかない。だから違うことで悩んでいた。
仮に相手が攻撃的だった場合どう対処するか、だ。
効果があるかはわからないが念のため清めの塩(食卓用)はもってきている。
だがそれでけでは正直なところ心もとない。
目の前の扉には「ここの中に幽霊がいます」と言っているかのように、しっかりとゲートが貼られている。実にわかりやすい。
これを剥がせば中にいる幽霊も自由に校舎を移動できるようになるのだろう。
かと言って剥がさずに行くとなれば蓮は中に入れない。
まずは俺だけ様子を見に行ったほうが良いだろうか?そう思って隣にいる蓮を見てみる。
「真には当たらなかったからなー。今度は回し蹴り当たるかなー!」
そう言いながら蹴りのモーションを確認している。
初めて蓮の事を頼もしいと思ってしまった。それにとりあえず俺だけ見に行くと言ったとしても絶対にごねるだろう。
いざとなれば蓮だけ置いて逃げるという方法もあるな等と考えていると蓮は俺のほうを見て。
「何ぼんやりしてんの?!さっさとそれ剥がしちゃってよ。ベリっとさ。」
そう言ってゲートを指差している。早く中に入りたくてウズウズしているようだ。
「まぁ、どうにかなるか…」
覚悟を決め、ゲートを剥がす。
特別な音がするわけでもドアが光るわけでも無く、呆気なくゲートは剥がれた。
剥がしたゲートをどうするか迷った挙句、二つ折りにしポケットに入れようとしていると、
「突撃―――!!」
と言いながら蓮がドアをすり抜けていった。
反射的に「待て。」と声に出したがその時には背中は見えなくなっており、目の前には汚れた教室のドアだけがあった。大きくため息をつく。
今度、結花に蓮のしつけ方を教えてもらったほうがいいかもしれない。
ドアを開ける音が教室内に響いた。教室の大きさは俺が普段、授業を受けている教室とさほど変わらなかった。
教室内を見渡しフライングしていった蓮を探す。静かすぎる、そう思った。
予想ではあれだけのテンションで入って行ったのだから標的を見つけたら分りやすいくらいの台詞で大立ち回りを始めていてもおかしくない。
蓮は教室の黒板の前にいた。足元を見ながらぼうっとしている。
いったい何があるというのだろうか?俺のほうからでは教壇が邪魔で何があるのかは見えない。
取り合えず蓮の方に歩きながら声をかけてみる。
「蓮、どうした?」
その瞬間、蓮がビクッとし、俺に向けて「シーーーッ。」と言いながら口の前で人差し指をたてる。
昨日も同じしぐさをした人を見たが、可愛さの差が天と地ほどあった。
そのリアクションを怪訝に思いながらも蓮の横まで行き足元を見る。
そこには一人の女の子がいた。
長い黒髪は窓から差し込む光を受けて輝いている。まるで作り物のように小さな顔で瞳は閉じていた。同じ学校の制服を着ているがずいぶんと幼く見えた。そして体は微かにすけていた。
今まで見たことのある幽霊は蓮だけだったがその透けている体を見て一目でわかった。蓮とは少し違うがこの子も幽霊だという事が。
様子を見てみるが目を開ける気配は無い、眠っているのだろうか?
蓮が俺のほうに顔を近づけ小さな声で話しかけてくる。
「ねぇねぇ。この子、本当に悪霊なのかな?」
知ったことではない。
「勝手に悪霊だと決め付けていたのは蓮だろ。」
一応小声で反論する。
「えー。でも展開的には悪霊とバトル!って燃える展開になるんじゃないの?」
いったい何の展開を期待しているのかわからない。
蓮の事を無視し女の子の顔をもう一度見る。相変わらず目は閉じたままだが寝息は聞こえてこない。そもそも幽霊というのは眠るものなのだろうか?
「取り合えず起こしてみようか。」
蓮がそう言うとしゃがみこみ、
「もしもーし。朝ですよー。」
とベタな起こし文句を口にする。ちなみに「起こしてみようか。」と提案じみた事を言ったにも関わらず、俺の意見を聞くまもなく起こしにかかった事に本人は気づいていないのだろう。
女の子のまぶたが少しだけ動いた。
「おっ!起きた、起きた。」
蓮が満足そうな顔で言う。人の睡眠を害しておきながらそこまで愉快そうなのはなぜなのだろう?
その女の子はゆっくりと体を起こし小さなあくびをすると、目の前にいる蓮とその横に立っていた俺を交互に見て首をかしげる。一挙一動が外見どおり幼い。
「どうもー志仁木蓮でーす。実は幽霊!」
と空気の読めない自己紹介をいきなりしている。もしかしたら昨日、美月にも局長にも自己紹介できなかったせいで誰かに言いたくて仕方なかったのかもしれない。
その証拠に蓮は「言ってやった。」といった満足げな顔をしていた。
初対面なのに無理やり起こされ、しかも寝起きにいきなり自己紹介をされた少女のリアクションはというと、先ほどまでかしげていた首とは逆方向に首をかしげただけだった。
頭の上に疑問符が三個ほど浮かんでいるのがなんとなくわかる。そしてその気持ちがとてもわかる。
このまま放っておくわけにもいかないので助け舟を出すため蓮の横に俺もしゃがむ。
「いきなり起こしてごめんね。俺は二年生の羽鳥真。君の噂を聞いてここに来てみたんだ。」
そう言うと彼女はやっと状況が把握できたのか、
「あっ…はい。わ、私は蛍…です。」
いきなりの事で驚いているのかもしれない。蛍と名乗っただけでその子は顔を伏せてしまった。
これからどうしようかと思い蓮のほうを見てみるが目が合った途端、俺から顔を背けた。
薄情な幽霊だった。どうせ悪霊と決め付けて回し蹴りを入れることしか考えていなかったのだろう、予想外の事態に意見を求める相手ではなかったという事だ。
取り合えずこのまま帰るわけにもいかない。なんとか事情を話さないと。
「蛍…ちゃん、俺たちこの学校にいる幽霊について調べているんだけど。協力してもらってもいいかな?」
そう言うと彼女は顔を上げ、少しだけ躊躇いながら口を開く。
「ほ、蛍…。」
ボソッと言われて「えっ…?」と聞き返すと、
「ち、ちゃん付けは…こ、子供っぽいので…蛍でいいです。」
恥ずかしそうにそう言う姿は十分に子供っぽく見えたが少しだけ心を開いてくれた気がした。
「わかった、蛍。よろしく。」
そう言うと蛍は頷いて、初めての笑顔を見せてくれた。
蓮の時と同じ方法で蛍の記憶がどこまであるかを確かめる事から始めることにした。
回し蹴りの事しか考えておらず、チョークも持てない蓮は何の役にもたたなかった。俺がする質問に相槌や異論を唱えるだけでまるで朝のニュースに招かれた評論家のような立ち位置でふるまい、蛍の返答がある度に「そう!ここの教室!」等と蛍の返答を馬鹿でかい声で復唱したりして正直うるさい。
そんな蓮を軽く無視しながら教室の黒板に情報を書き出していく。
蛍の声は小さく、たどたどしい喋り方と蓮の横槍のせいで予想以上に時間がかかった。
すべて書き出した時には教室の中は夕焼け色に染まっていた。
黒板の文字も見えにくくなってきてしまった。このまま続けてもこの調子では、終わる頃には夜になってしまうだろう。
あっという間に時間が過ぎてしまった。チョークを置いて蛍の前に行き顔を覗き込む。今日一日話していたが相変わらず少しおどおどした様子で、伏し目がちだった。
「蛍、今日はもう遅くなっちゃったから帰らなきゃいけないんだ。また明日来るから続きは明日にしていいかな。」
そう言うと蛍は顔をあげ俺の顔を少しだけ寂しそうに見たが、また顔を伏せ、
「わ、わかりました…。」
そう言うと黙り込んでしまった。
その姿を見て心配に思わない人間はそうはいないだろう。
「よーし、じゃあ帰ろう!」
ただし、例外もいる。横で大声を上げているのは幽霊なので人間にカウントされるかは微妙だがそれにしても空気の読めないやつだ。帰るといってもお前は演劇部の部室に行くだけだろ…。
そこでふと思いつき、顔を伏せたままの蛍に再び話しかける。
「俺は帰らなきゃだけど今日は蓮が一緒にいてくれるから。」
そう言うと「えっ。」と声をあげ、驚いた様子で蛍が顔をあげる。
その声を掻き消すように、大きな声がかぶさってくる。
「えーーー!何で?何で?」
ため息をつきながら蓮に顔を寄せ、耳打ちする。
「夜の校舎に一人きりにするわけにいかないだろ、可哀想だし。それに蓮も一人より話し相手がいたほうがいいだろ?」
それを聞いて蓮も同感だったようで、
「確かになぁ、一人じゃ寂しいよね。俺も暇だしね。」
そう言って蛍に向けて蓮がニカッと笑いかけた。
横からその笑顔を見て、本当に空気は読めないし思い込みは激しいし疲れるやつだけど、素直で気持ちいい性格しているなと思った。
蛍もそんな蓮の笑顔に返すように控えめに笑い、
「あ、ありがとうございます…。」
と嬉しそうに言った。