六話 パンドラの箱
裏側の空間には数台のパソコンが壁際に並んでいた。予想と違うがここまではまだ普通だ。
ただその壁を埋め尽くしているものがあった。
先程入るときにドアに貼ってあったお札のようなカードだ。
あのカードに似たものが壁一面に貼られている、描かれている模様や大きさは様々だったが共通していることはすべてにおいて不穏な禍々しいオーラを放っていることだ。
他の壁には訳のわからない人体図や見たこともない大陸が載っている世界地図。
パソコン以外の机にも奇妙な色をしたホルマリン漬けの瓶、古びた杭に金槌、作りかけの藁人形…その他もろもろ世界中から禍々しいもの全て集めました!と言っても過言ではない程の物が溢れていた。
異類異形というべきだろうか。とにかく妙なもののオンパレードだ。 しかも恐ろしい事にその中心には宙に浮いた幽霊がいた!…まぁ、それは見慣れた幽霊だったのだが、この空間を目の当たりにしてさすがに呆気に取られているようで、蓮はいつも以上に幽霊らしい雰囲気だった。
隣を見ると先程まであれだけ愛くるしい雰囲気だった仙道も、不気味なオーラを放ち始めたようにさえ見えてくる。
なんてことか、パンドラの箱は二重底だったらしい。開けたら希望しかないと安心したとこで特大の絶望をぶちまけるという非常に効果的な精神攻撃だ、恐れ入った。
「あの、顔色がとても悪いですけど、大丈夫ですか?」
仙道が顔をのぞきこみ心配そうにたずねてくる。その声を聞きふと我に返る。
正直なところ、まったく大丈夫ではなかった。
でも見せてほしいと言ったのは俺で彼女に悪気など微塵もなかったはずだ、それならここで変な心配をさせるわけにもいかない。
もう一度仙道を見る。先程感じた禍々しいオーラはやはり気のせいだったようで、心から心配してくれているようだった。
「だ、大丈夫、なんだか初めて見るものばかりでびっくりしちゃって。にしてもすごいな。これ全部、部の備品なの?」
できる限り明るい声を出し聞いてみる。
仙道は少し考えて少し申し訳なさそうに、
「ごめんなさい、実は私も入部して間もなくて。備品なのかもどういった物なのかもわからないんです…」
「そっか、いいよ。入部したばかりなら仕方ない。」
内心、安堵のため息を三十回ほど吐いてしまうほど安心していた。
これで「実は超絶電波少女で趣味は藁人形作り!」とか言われた日には人間不信で登校拒否になりかねない。
顔を上げると仙道が机にあった本を手に取っていた。
「それって、さっき読んでた本?」
自分が読んでた本に興味を持たれたのが嬉しかったのか一瞬、今までのニコッとした笑顔とは違う、弾けるような笑顔で「そうなのっ。」と言って表紙を見せてくれた。
『ライアー麦畑を捕まえて』 この本は俺も読んだことがあった。通称「ライ麦畑」もくしくは「ムギハタ」。
あまり有名ではないが独特の世界観と個性豊かなキャラクターが売りという、それをとったら何も残らないような作品だ。
町一番の嘘つきの麦畑青年が陰湿な嘘をつき、周りの人たちを少し不愉快にさせるところから始まり、エスカレートしていく麦畑青年の嘘があまりに陰湿だったため怒った町人が総出で麦畑青年を捕まえる話だ。正直あまり面白くもないし役にもたたない内容だったが、
「あっ、懐かしい。俺も読んだよこれ」
と言った瞬間の仙道の笑顔を見た瞬間 、読んでいてよかったと初めて思えた。
仙道は「一番どのシーンが好き?」「どのキャラクターが一番好き?」と先ほどの大人っぽい雰囲気とは違う無邪気な様子で、立て続けに聞いてくる。
好き前提で聞かれているのが気になるが記憶をさぐり彼女に答える。
その答えを聞くたびに「なるほど」「そうなんですね」と嬉しそうに相槌を打ってくれた。
そんな掛け合いが一段楽した頃、不意に仙道が少し緊張した顔で、
「あ、あの!」
と言い顔をふせた。妙に顔が赤い気もするがどうしたのだろうか。
「何?どうしたの?」
そうたずねると仙道は何か言うのをためらっているようだった。
何だか告白でもされるような雰囲気に思わずドキドキしてしまう。
彼女は少しの間をあけ、気合いを入れるように一度ぎゅっと目をつぶり口を開いた。
「あのっ、お知り合いになったばかりで…その、突然なんですが、今度一緒に…。」
「ちょっと待ったーー!」
最悪のタイミングで発せられた大声が彼女の言葉を遮った。
あの阿呆幽霊は本当に空気が読めない…。だが仙道には声が聞こえないので問題ないはずだ。
そう思いながらも彼女の言葉の続きを待っていると彼女も喋るのをやめ、周りをキョロキョロと見渡している。まるで先程の声が聞こえたかのような反応だ。
妙に思い、先ほど蓮がいたほうを見る。おかしなことに蓮は放心状態のままだった。
じゃあさっきの声は…
そこまで考えたとこで肩をたたかれた、いきなりの事で体が固まってしまう。
仙道が何かに気づき、俺の後方に向かって声をかけた。
「局長、お疲れ様です。」
どうやらこの肩に置かれた手の持ち主が二重底パンドラの箱「絶望」のようだ。
局長と呼ばれた男は文化系の部員としては不釣り合いなほど体格のしっかりした男子生徒で、長髪を後ろで1つ結びにしたさすらいの旅武芸者のような風貌だった。というか完全に高校生には見えない。しかも一昔のヤンキーか応援団が着ているような、改造された長ランを着ていた。
部室の表側に戻り、向かいに座った局長を見てそう思う。
ちなみに蓮は放心状態から回復し俺の後ろから局長の事を警戒しているようだった。
「あんな妙なものあれだけ集められるなんて普通じゃない、きっと変人だよ。さっきも急に頭がボーっとして動けなくなっちゃったし。妙に長い学ラン着てるし。」
などとブツブツと言っている。
確かに裏側に入った瞬間、蓮の様子がおかしかったのには気づいていた。
もしかしたら裏側のあの禍々しいアイテムの中には、本当に幽霊に効果のある物があるのかもしれない。
そこらへんの事を知るためにも目の前の「局長」と話をするのは避けられないだろう。
本音を言えば話しをするどころか関わりたくもない。潜在意識が危険だと叫んでいる。
局長と呼ばれているからにはこの部の部長なのだろうが、部員にあえて局長と呼ばせているところなど危ない匂いしかしない。そんな事を考えていると、
「とりあえずだな。」
沈黙をやぶったのは自称局長の男子生徒だ。
「とりあえずお前、責任とって入部しろ!」
話がまったく読めない。
「えぇっと…どこに?」
「わがオカルト心霊超状現象研究部だ、当たり前だろ。」
さも当然のように言う。
「えぇっと…なんで?」
「うちの大切な部員を傷物にした罪は重い。だからだ。」
途方もない勘違いをされている。
会って数分、交わした言葉は非常に少ないが誤解を解くのはすごく面倒くさそうな相手に感じる。
たがこのまま「はい、わかりました」と入部するわけにもいかない、ため息をつき口を開く。
「とりあえず、それは誤か…」
「嘘つけ!」
言い終わる前に返してきやがった。
「なら何故、仙道の顔は先程あんな紅潮していたんだ?夕日のせいか?いや違う。あれだろ、お前が若さゆえに有り余った性欲を仙道にぶつけようとしたのだろう、違…」
「違います」
「人が喋っている途中に喋るなー!」
なんとも理不尽だ。 とりあえず、もう一人の当事者である仙道に助けを求めたほうが早そうだ。
「仙道さんからも説明してもらえないかな、さっきは何もなかったって。」
そう言って仙道のほうを見る。すると彼女は「さっき…」とつぶやくとみるみる顔が赤くなって黙り込んでしまった。
「ほら見ろーー!」
自称局長が決定的証拠を見つけたとでも言う様な顔で大声を出す。 自分でも認める、あの反応では誤解されてもおかしくない。そして後ろの幽霊も。
「何々?俺がいない間にそんな事してたのか?最低だな。ずるいな。羨ましいな。」
あぁぁぁ。もう嫌だ。自称局長の相手だけでも疲れるのに、この幽霊まで入ったら手の打ちようが無い。
本気で泣きそうになったところで、
「あ、あの、違います。」
と仙道の声が響き、局長と蓮の声がピタッと止まった。
「あの、さっきは本当に何もありませんでした。ただ羽鳥君と本の話をしていただけです…。」
最後に俺のほうを見てこくんとうなずいて席に座った。やはり可愛い。
「わかった、今回は仙道に免じて許してやろう。だがな…それじゃあお前は誰だ?!なぜここにいる?」
はじめは落ち着いた喋り口調だったのに途中からはもとの変なテンションに戻っていた。
「俺は死仁木 蓮!幽霊だ!ここには何か面白そうだから来てみた!ちなみに幽霊だ!」
ホントうるさい。そしてなぜか幽霊って二回言ったな。
蓮は無視しておくとして、とりあえず目の前の局長には何か言わなければいけない。
「なんでって、それは…。」
そこまで言っていつのまにかすっかり忘れていた事に気づく。本来の目的。
念のため蓮のほうを見てみるが「えっ?なに?」といった顔をしている。
案の定、蓮も忘れていたらしい。 目の前の二人は俺が何か喋るのを待っているらしいし、とりあえず自己紹介をする。
「えぇと、俺は二年の羽鳥真で、隣の演劇部の副部長やってます。」
とりあえず必要最低限の事だけ伝える。
「ほう、演劇部か。俺はここの局長だ。それで?演劇部員さんがどうしたんだ?」
人に自己紹介をさせておいて自分は名前すら言う気が無いらしい。
「とりあえず本題の前に一つ質問を。」
「なんだ?」
「その、局長ってのはなに?」
「この部の局長ってことだ。」
当たり前の事を聞くなと言う顔で答える。
「…部なのに?」
「それがどうした?」
暖簾に腕押し、これは何度聞いても意味がなさそうだ。
とりあえずまた変なテンションになられても困るので差し当たりなさそうに返す。
「ま、まぁ部長みたいなものですよね。」
「いえ、部長さんは他にいらっしゃいます。」
仙道がニコッと笑い、あまり良いとは言えないタイミングで教えてくれる。
「あぁ…そうなんだ。」
局長は俺と仙道のやり取りを聞き、思い出したように仙道に聞く。
「そういえば今日はあいつは来てないのか?」
「えぇっと先程、神崎室長がいらっしゃいましたが良いサンプルが採れるとかおっしゃりながらすぐ出ていかれました。」
今の話のなかにも色々と気になる言葉があったが聞かなかったことにする。
二人の話しはすぐ終わり、俺の話す番になった。
その類いの話を結花以外の人間にいざ話すとなると、若干ためらうかとも思っていたが話し始めると以外と普通に話せた。
相手が何を言ってもちゃんと聞いてくれそうな仙道と、どんなリアクションをされてもどうでもいいと思える局長だったからだろうか。
一通り今までの経緯を話すと仙道は目を輝かせ聞いてきた。
「その蓮さんという方はここにいらっしゃるのですか?」
信じてもらえてすごく嬉しいが逆に仙道の今後が心配になってくる。
こんな簡単に信じてしまうとは、ライ麦畑の愛読者とは思えないほどに純粋だ。 かたや局長は先程からずっと黙ったままだ。意外な反応に拍子抜けしてしまう。
もっと興奮して色々聞いてくるか鼻で笑うか、どちらにしてももっとリアクションが大きいかと思っていたからだ。
改めて局長を観察してみるが体格が良いのもあり、このように黙って座っていると試合前の格闘家のようなオーラさえ感じる。
すると局長は突然立ち上がり、部室の裏側に何も言わず入っていった。
「怪しい、もしかしたら古文書か何かで俺を封印する気じゃないのか」
信じたかもわからないのにいきなり封印されるかもとはかなり飛躍した発想だ。 そもそもそんな大層なもので封印する必要があるほどの悪霊なのか、お前は。
内心でツッコミを入れ局長が戻るのを待つ。
程なくして局長は一冊のファイルを手にとり戻ってきた。ファイルには「校内心霊現象 報告書 」と書かれている。相変わらず何も言わないがとても真剣な顔だ。
ファイルを開きペンを取り出し俺の前にそっと置く。仙道が緊張した面持ちで見守っている。
ゆっくりと局長の口が開いた。
「書け」
「嫌です」
その瞬間、先ほどまで無口だった反動なのか局長の声が部室に響いた。
「なぜだ?!そんな不思議体験をしておきながら記録にも残そうとはしないのか?馬鹿なのか?そもそも俺があれだけ熱望していた幽霊との遭遇、などという人生の一大イベントを迎えておきながら何をそんなノホホンとした顔をしている?!馬鹿なのか?!さぁ今すぐ書け!書かないなら俺にもその幽霊を見せてくれ!お願いします!」
高圧的な口調が最後は随分と下手に出ていた。気のせいかベソをかいているようにも見える。
要するに自分で見てもないのに書くのは嫌だ、だから書けという事だろう。
この雰囲気だと今まで見たいと思いながら幽霊などの類いを見たこともないのかもしれない。
「それなら試しにその原因になったノートを持ってきましょうか?」
そう提案すると、
「なるほど!それは名案だな。そうすれば俺にもその蓮とかいう幽霊が見えるようになるな!よし、早く持ってこい!ほれ行け!すぐ行け!」
なんとも分かりやすくテンションが上がっている。
「じゃあ、とりあえず持ってきます。」
そう言って席をたつ。
演劇部のドアを開けると先程と同じ場所に結花が座っており、目が合った。
その瞬間、持っていた本をいきなり閉じ机の引き出しに入れ「おかえり」と言う。
焦って何かを隠したように見えたので一応「今の何の本?」と聞いてみるが 「昔のシナリオ。」とだけ返ってきた。
それだったら隠す必要もない気がしたがそれ以上聞いたとこで、ちゃんとした返答も得られなさそうなのでスルーする。 とりあえずオカルト部での今までの経緯を話し、蓮のノートを手にとると、
「私も行くわ。」
と結花が立ち上がった。
オカルト部に戻り結花の自己紹介を済ませ、四人でテーブルを囲む。
テーブルの上には蓮のノートが置かれている。四人とも無言だが蓮だけは、
「嫌だなーあのおっさんにも見られるの、面倒くさそうだなー。」
とブツブツ言っている。
じゃあ両方に認知されている俺はどれだけ面倒くさい立ち位置なんだろうなぁ…。
「長かった…。」
局長が感慨深げに喋りだした。
「幽霊が見えない体に生まれて十数年、いつになったら見えるのか?今日か、明日かと思っていた……遂にだ!遂に時は来た!!ボーイズ ミーツ ゴーストーーー!」
正直もうどうでもいい、勝手にやってくれ。
局長が蓮のノートを勢い良く手に取り、顔をあげる。
「さぁどこにいる?隠れてないで出てこい!」
その瞬間、俺には局長の悲願が達成できなかった事がわかった。
結花を見てみるが、結花もただ首を振っただけだった。 蓮は隠れるどころか局長の目の前に、それこそ顔が触れるか触れないかの超至近距離にいたのだから。
「なんだ見えないのか、せっかく驚かそうとしたのに。」
つまらなそうに蓮はつぶやく。見えてほしくないと言っていたと思えばつまらなそうにする。一体どうすれば満足なんだろう?
その後、仙道が自分も触ると言ったときは全力で反対したが、局長の妨害によりノートを触ってしまった。結果的には局長に続き仙道も蓮を見ることはできなかったのだが。