四話 幽霊部員
翌日の放課後、部室に向かうため廊下を歩いて行く。
周りはこれから部活動に向かう生徒や、友人とどこに寄り道をするか楽しそうに話す生徒で溢れている。 平和だ。そして青春だ。
あれ?何故だろう?目から分泌物が出てきている。
昨日まで自分も同じ場所にいたはずなのに、ひどく遠く感じてしまう…だがここでくじけてどうする?あの蓮が幽霊だろうが未確認生物だろうが、自分の残り少ない青春を奪われてたまるものか。
部室の前で自分に喝を入れるため、両手で自分の頬を軽く叩いた。よしっ!
鍵を開け中に入った。その瞬間、顔面に激痛が走る。
状態を把握しようとする俺の耳に犯人の声が飛び込んでくる。
「遅いっ!いったい何時間待たせれば気が済むんだ!思わず待ちくたびれて成仏しそうになったじゃないか。」
本当に、本当に成仏していてほしかった。
蓮のノートを顔から振り払い部室のドアを閉め、蓮に手を差し出す。 何?というような顔をしている蓮に一言、「ノート。」とだけ言う。
蓮はよく分からないという顔をしながらも素直にノートを渡してきた。
部室を見渡し手頃な場所を探すと部室の奥にある資料用の棚が目に入った。たしか結花がシナリオ等を整理するのに使っている棚だ。鍵は結花の机の上に置いてある事も把握していた。
蓮は状況がつかめずこちらの動きを見ているだけで何も言って来ない。
鍵を使い、ノートをしまい、鍵を閉める。完了。
「あれ、没収な。」
鍵を結花の机に戻し、一応蓮に伝える。その途端、蓮の顔色が変わる。
青くなるならば幽霊らしくてよかったのだが赤くなった。お怒りのようだ。
「いきなり何すんだよ、バカ!人の物に!」
怒りながら急いで結花の机の上に飛んで行く、が鍵を手に取る事はできない。
そこらへんは想定内だ。
無理だと気づいたのか「ああーくそっ!」と苛立たしげに棚の前に行く。
扉がガラス製なので中のノートは見える状態になっている。
ここで若干想定外の出来事、蓮が手を伸ばしノートを手に取った。
確かにノート以外の物がすり抜けるならガラスも例外ではない。
だがいくら蓮の体がすり抜けてもガラスをノートがすり抜ける訳でもなく、当然ガラスにノートだけ引っかかってしまった。
そして更に想定外。蓮はノートを無理矢理にでも棚からノートを出そうとしている。
ノートの角がガラスに当たり、ガラスが軋む音がする。
嫌な予感に思わず立ち上がり蓮のもとに駆け寄る。
「ちょ、ちょっと待て!」
「待てるか!これが唯一の外との繋がりなんだ!真にわかんないだろうけどな!」
「わかった。いやわかんないけど。開ける!今これで開けるか…」
鍵を手に取ったのとガラスが割れる音はほぼ同時だった。
「それで?私の棚を壊した事に対する言い訳は以上?」
その棚は学校の備品だと思います。なんて言える訳も無く、演劇部の部長からのお説教は十五分続いた。
「「すいませんでした。」」
蓮と声がそろい、お互いムッとした顔で相手の顔を見る。
そもそも蓮がいきなり人の顔を、いやいや人の大切な物をいきなり没収して手が届かない場所に…。
先ほどまでの言い争いに再度火がつきそうになったとこで結花が机をバンッと叩く。
「はい!終了!」
「「すいませんでした!」」
またもや声がそろってしまった。
俺が段ボールとガムテープで棚を補修している後ろでは補修を手伝えない分、蓮が一人で説教を受けていた。いい気味だ、とほくそ笑んでいると結花の声が聞こえてくる。
「大事なノートなのは自分でもわかっているでしょう?もしこのノートが無くなったら消えちゃうかもしれないわよ?」
確かに、あのノートが消滅したら蓮が消えるという可能性も十分にあるように思えた。
「そもそもシナリオとかって演劇をやる人にとって大切な物なの。人の事を殴ったりする物じゃないんだから。」
そうそう、もともと結花の信念でもあるところだしな。
「次やったら燃やすわよ。」
えっと…聞き間違いだろうか?背筋が冷たくなるような台詞が後ろから聞こえてきた。
恐る恐る後ろを見ると結花と目が合う。とても上品な笑顔だ。
なのにその前に正座をしている蓮がぶれて見えるのは何故だろう?よく見ると小刻みに震えているような…なんだか同情してしまう。
「真も、蓮とは仲良くしてね。」
有無を言わせぬ迫力にただ首を縦に振るしかなかった。
騒動が一段落したところで結花と俺が並んで座り蓮と向き合う。昨日の話しの続きだ。
「それじゃあ、昨日話した事を書き出してみましょう。」
結花が口を開く。こういった時に必然的に場を仕切れるタイプの人間がいるが、まさに結花はそういったタイプだった。それに冷静に物事を見て判断する。部長としても頼れる存在だ。
その結花が俺を見る、そして後ろにあるホワイトボードを見る。 結花の言わんとする事がわかったので席を立ちホワイトボードの前に立つ、晴れて今回の議会の書記に任命されたようだ。
結花が昨日パソコンに打ち込こんだ内容を読み上げ、それをホワイトボードに書いていく。
途中で不確かな部分があれば蓮から聞き、10分程でホワイトボードには現状でわかっている蓮の情報がまとまった。
・名前は志仁木 蓮(名字は不明、名前はたぶん本名)
・年齢は不明
・宮坂高校の演劇部OB、卒業生?
・目覚めたのは一ヶ月前で旧演劇部の部室
・自分のノートに触れる事はできる
・自分のノートをさわった人間には見えるようになり、声も聞こえる(誰にでもかは不明)
・生存時の記憶 演劇部だった事以外はほぼ記憶無し
・できる事なら成仏したいらしい
改めて見てみると成仏させるための手がかりどころか、蓮自体の情報があまりにも少なすぎる。 結花もそれに気づいたらしく俺に「何でもいいから質問とかしてみましょう、もしかしたらわかる事があるかもだし。」と提案した。
「いいよー何でも聞いて。わかる範囲でバンバン答えるから。」
その範囲が恐ろしく狭いからこんなに困っているのに本人は気づいていない。
まぁ、とりあえず先ほどホワイトボードに書き出している時に思った事を聞いてみる。
「蓮は旧校舎から新校舎まで普通に来れたんだよな?俺が行くまで来れなかったのに。何でだ?」
「知らん。」
即答…考えもせずに答えやがった。イラッとしたが続ける。
「じゃあ試しに今から学校外に出られるか試してみるってのはどうだ?学校の外には出られないとかよくあるし、漫画とかで。」
「真…ここは漫画の世界じゃない、現実世界なんだよ?」
蓮が心底あきれたような、可哀相な子を見る様な目で言う。
お前だけには言われたくない!そう反論しようとすると横から結花が、
「でも、どの範囲まで動けるのかわかると手がかりになるかも。時間は有限よ、行って来て。」
「了解しました!」
言うが早いか幽霊はかなりの早さで部室を出て行った…
俺の時と態度が百八十度違うのは非常に気になるが、仕方ない。相手が相手だ。
逆らってはいけない相手には逆らわない。あいつなりの処世術なんだろう。幽霊の処世術とは妙な響きだが。
「ところで真。」
二人きりになったところで結花が話しかけてくる。
「なに?」
「どうして、こうやって蓮の事調べたりしようと思ったの。」
どうして?と言われても、確かにどうしてなのだろう?少し考え口を開く。
「まぁ、何だか知らないうちに見えるようになって部室に居座られてたしな。成り行きといえば成り行きけど。まぁ色々と調べれば成仏する手がかりも見つかるんじゃないかと思うし。」
そう、一番の目的は成仏させて平和な日々を取り戻す事だ。
「やっぱり未練とかあるのかしら…。」
結花はぼんやりと言い、何かを考えているようだった。
未練。確かにこの世に留まりたいと願う思いが強くて幽霊になるといった話しもよく聞く。
あのあっけらかんとした幽霊に未練? ピンと来ない組み合わせに首を傾げたところで早々と幽霊は戻ってきた。
「ダメだった!まったく、結花さんの言う通り。校庭には出られるんだけども敷地内からは出られなかった。」
「そう、やっぱり私の読み通りね。」
えっ…、言い出したのは俺なんだけど、てか結花も読み通りって。そうだったの?
俺を置いて二人の会話は進んで行く。
「さすが結花さん。読み通りだったんだ!」
「うん、前に読んだ小説や漫画でも似た話し合ったし。」
「さすが結花さん、まさに現実は小説よりも奇なりだね。」
数分前の俺と蓮のやり取りはなんだったのかと思う様なやり取りが目の前で続いている。 とりあえずツッコミをいれずに二人の話しが終わるのを待つ。 それにしても蓮…結花になつきすぎじゃないか?
「とりあえず、蓮は学校内から出られない。と言う事は学校の中に成仏ができない原因があるのかもしれないわ。」
先ほどの検証から結花はそういった仮説を出した。
確かに本人が学校から出られないならその中で何か原因、例えば未練などがあるという可能性はありそうだ。まぁ「わからない。」や「知らない。」と即答されるだろうが念のため本人に確認してみる。
「一応聞くけど、未練があるとか心当たりはあるのか?」
そう聞くと蓮はうつむき黙り込んでしまった。
予想外の反応に俺のほうが驚いてしまった。もしかしてこの世への未練だけは胸に刻みついてしまっているのだろうか?消したくても消せない様な悲しい過去の…。と考えたところで蓮が顔をあげ、ため息をついた。
呆れた顔でだ。
「あのさ、さっきまで話してたよな?俺が覚えている事があるかどうか。その時に未練があるとか一言でも言ったか?言ってませーん、ちゃんと人の話しも聞けないのに成仏させるだなんだ大口を叩いちゃってーホント困ったちゃんだな。プププ」
いら立ちとかを超えてここまで人の神経を逆なでる事ができるヤツがいた事に感心すらしてしまう。
何故か勝ち誇ったような顔をしている蓮に向けて鋭い言葉が発せられる。俺ではなく結花の口から。
「私も未練があるんじゃないのかと考えていたわ」
蓮はというと、文字通り固まっている、まぁ間接的にとはいえ結花に困ったちゃんとまで言ってしまったのだ。俺でも固まるかもしれない。
そんな中、結花が続ける。
「私も真も蓮の事については何もわからない、でも同じ考えなの。もし蓮が成仏したいのなら協力はするわ。だから変に私ばかりに同意したり真の意見ばかり否定しないでほしい。真もこう見えて真剣に蓮の事を考えているの」
綺麗にまとめた。俺が真剣かどうかなど細かい事は抜きにしても結花の言葉には強さがあった。そして当の本人はというと…泣いていた。おおげさなまでに。
意外と感動屋なのか「しょごまでぼれを…」などと人間には理解できない言語を喋っている。
「わかってくれて嬉しいわ。とりあえず何か見つかるまでは蓮も部員の一員になって一緒に活動してもらうわ。手始めに蓮には真と一緒にシナリオを書いてもらうから、宜しくね」
笑顔の演劇部部長はさらっと妙な事をおっしゃった。
「えぇと…結花、なんて?」
「蓮が入部。」
「それは、まぁ理解した。その次。」
「真と蓮でシナリオを書く。」
「うん、それ。なんでまたそんな事に?初耳だ、てかそんな事いつ考えてた?!」
「今。」
即答だ。骨髄反射のような早さで即答だった せっかくまとまりかけていた空気だったが、それについては異議有りだ。そもそも蓮のシナリオを読んで感想を悪く言ってしまったせいで今のような事態になっているのだ。
その蓮と共同で書くのはどう考えても不可能に思える。きっと蓮も同じ意見だろう。 蓮の方を見てみると蓮は泣き止んでおり、何か考えているようだった。
とりあえず意見は一致するだろうし、代表して結花に向かって口を開く。
「それは無…」
「よし、書こう!」
俺の声を遮って蓮が叫んでいた。 いやいやいや、ちょっと待て。なんでそう俺の考えと反対方向に進んでいくんだ?
俺の困惑に気づきもせず蓮は続ける
「正直なところ真にシナリオを悪く言われたのは今でもショックだし、許せない気持ちもある。でも結花さんに会ってわかった。昨日ずっと考えていたんだよ、結花さんの指導のもとでシナリオを書いてる真はシナリオを見る目が相当肥えていたんじゃないかって。それであんな辛口だったんだろ?」
なんか妙な方向に勘違いされつつある。だがそれを否定する間もなく蓮は喋り続ける。
「そこで気づいたんだ。そんな真が書いたシナリオだ、きっと独創的ですごい物に違いない!って。だからそんな真と一緒に書けるなら絶対良いものが書けると思うんだ。俺も勉強になると思うし。何より…ペンも握れない体になったのに、またシナリオを書けるならそれだけでも俺は幸せだと思う!」
そこまで言い終えると蓮はニカッと笑った。 結花はというと、ちらっとこちらを見て「どう?」という顔をしている。
どうやら俺の負けのようだ。これで嫌だと言えるほど俺も鬼じゃない。
蓮に向かって手を差し出す。
「わかった…。蓮がこの先どうなるかもわからない、でもとりあえず同じ部員としてお互い満足できるシナリオを書こう。」
蓮は握手に応じようとして、手を退いた。
蓮は手の代わりに事の発端となったノートが差し出された。 意味を理解しノートの角を持ち、応じる。
結花に目配せすると結花もまたノートの角を持った。
「「「よろしく。」」」
三人の声が心地よく重なった
四月。始まりの季節に吹く突風のようにそいつはやって来て、物語が始まった。