二話 演劇部の幽霊
「おかえりなさい、収穫はあった?」
部室に戻ると結花が声をかけてきたので、俺は数冊の脚本を机の上に置いてみせた。
「そう、脚本だけ?」
結花が言いたい事がうっすらとわかり、先ほどの空耳を思い出す。
「も、もちろん。特に何もなかった」
「それもそうよね。じゃあ今日持ってきてくれた脚本は明日じっくり読むとして、今日は帰りましょう」
それに同意し結花と二人、部室を後にした。
翌日、ろくに眠る事ができなかったためほとんどの授業を睡眠学習するはめになった。
それもこれも昨日の変な空耳のせいだ。
幽霊はいない、断じて幽霊はいない。 忘れかけていた大前提の事を何度も自分に言い聞かせながら放課後の廊下を歩く。
今日は昨日持って来た脚本を結花と読み、実際に使える話があるか検討する予定だ。
いつも通りの校舎、いつも通りの放課後、いつも通りの廊下から見える景色。
そう、いつも通りなのだ。きっと昨日の声もただの空耳だったのだ。
自分に言い聞かせ「いつも通り」部室のドアの鍵を開けた。
だが…そこには「いつも通り」とは違う景色が広がっていた。
部室の奥。窓際に見知らぬ男子生徒が立っていた。
身長は俺よりも高く、髪は肩までくらい長い。
その髪は色素が薄いのか染めているのかわからないが茶色と白色の中間の色で、窓から差し込む陽光を受け、とても綺麗に輝いて見えた。
俺はなぜだかわからないが、その光景とその生徒からなぜか目が離せなかった。
まるで美少女漫画から抜け出たような美少年だからだろうか?
それとも神話から抜け出た神の類いのように神々しい雰囲気をまとっていたからだろうか?
その生徒は一冊の本を読んでいた。いつからそうしているのだろう?
集中して読んでいるようで俺が来た事も気づいていないようだった。
雰囲気からして年齢はきっと上だと思うのだが、三年にこんな人がいるとは聞いた事がなかった。もしかしたら実は大人びた新入生で入部希望だったりするのだろうか。
色々と考えてみたがこのままでは埒が明かない。集中しているところに水を差すのは気が引けるが声をかけてみる。
「あの…」
遠慮がちに声をかけてみたが、まったく反応がない。
「あのっ、もしもし。もしかして入部希望の人ですか?」
そこまで言うとやっと気づいたのか、本をめくる手が止まりこちらに顔がむけられる。
目が合った。 真正面から見るとその生徒の顔はやはり綺麗で、無言のままこちらを見つめ返してくる目には同性でも引き込まれる不思議な力があった。
「お…」 彼が口を開いたが上手く聞き取れない。
もしかしたらすごくシャイで声が小さい人なのかもしれない。
「え?何ですか?」
俺がそう聞き返した瞬間、いきなり突風が吹いた。あまりの風だったため反射的に目をつむる。
風が止み目を開いて思わずギョッとする。すぐ目の前にその生徒は立っていたからだ。
いつのまに歩いて来たのだろう?目をつむっていたのは一瞬だったはずなのに。
それこそ瞬間移動したかの様な錯覚を起こさせる程の速さだった。 彼は真正面からじっと見つめてくる。その視線から逃れるため視線をそらし先ほど彼がいた窓際を見る。窓が閉まっていた。
じゃあさっきの突風は…?
そう考えたのと同時に男子生徒が一歩、近づいてきた。
その一歩で距離は一気に縮まる。広い室内で健全な男子高校生が見つめあうにはあまりにも近すぎる距離だ。
ち、近い。そう思い顔をそむけようとするとふわりと甘い匂いがした。
そんな事を思っていると更に一歩詰め寄られ、綺麗な顔が眼前に迫った。
ドキッ…。
いや、ダメだ!この距離はあきらかに危険だ!胸の高鳴りの擬音も危険だ!
頭の中で警報が鳴るが動けない。このままだと人生一度きりの高校生活がものすごい事になってしまわないだろうか?
ち、近い!やめろー! 俺の心の叫びが届いたのか、彼の顔は寸でのところで止まった。
何の「寸で」かは触れないでおくとしてホッと息をついていると、その生徒はゆっくりと微笑み口を開いた。
「お前、よくノコノコと俺の前に顔出せたな、コラァ!」
空耳だろうか?ひどく綺麗な顔から発せられたのはひどく汚い言葉だった。
部室に入り込んでいたその生徒は外見から想像できないドスの聞いた声でまくしたててきた。
「お前、コラァ。昨日は人が見てないと思って好き放題言ってくれたな」
あわや禁じられた恋を想像してしまっていたのに、まったくの違う展開にどうにも状況がつかめない。
いきなりの事に先ほどとは種類の違うドキドキがもの凄い早さで高鳴っている。
とりあえずこの状況を打破するために距離をとらなければいけない。一歩後ずさり、
「ちょっと、いきなり何を言って…」
その時には彼の長い腕が俺の顔面に向け一直線に向かってきていた。
殴られる! 反射的に目をつむる。だがいつまで経っても鼻先に痛みは走らない。
おかしいな?そう思い目を開いたが、目の前には誰もいなかった。
消えた?そう思い周囲を見回すと真後ろにその生徒はいた。
彼はこちらに背を向けたまま首をかしげている。
それを見て俺も首を傾げたくなる。なんで俺の後ろにいるんだろう?
すると彼はこちらに向き直り、人差し指で俺を指差し高らかに叫んだ。
「今の俺の渾身の一撃、よくよけられたな!」
どっかのバトル漫画から抜け出た様な台詞をはずかしげも無く言える人だとあきれてしまう
というか避けた記憶すらない。避けたと言うかすり抜けた様な感覚だった…などと考えているうちに彼は
「ならこいつはどうだーー」とあきらかに「二発目行きます」と宣言しながら、こちらに上段回し蹴りを放っている最中であった。
いきなりの大技だったが宣言もあったため、反射的に両腕で頭をガードする。
彼の脚は目前まで迫り、両腕のガードと左側頭部には当たらず通過していった。
蹴りが外れたのではない、彼の脚はまるで俺の体をすり抜けていったように見えた…。
今の出来事に混乱しながらも目の前の凶暴な男子生徒を見る。
またも首を傾げていた彼は、答えが出たのか頭上に豆電球が光ったような顔をし口を開いた。
「そっか、俺幽霊だから誰にも触れられないんだ」
そこには恐ろしい程あっけらかんと、重大な事をカミングアウトする笑顔があった。
椅子に座り息を整える。 あぁ、風が気持ちいい。窓から見える校庭は新緑で彩られているし、ランニングする運動部のかけ声も聞こえてくる。
アハハハ、平和だ…。俺の身に起こっている事以外はな! 先ほど遭遇した自称幽霊はいまだに部室に居座って、フラフラしている。 自分の置かれた状況を考えてみる。
部室に来ると自称幽霊が殴りかかってきた。以上。
何のファンタジーだろうか?バカらしい。
たしかに先ほど自分に向けられた暴力は痛みどころか、感触すら無く体をすり抜けた。
それによくよく考えてみると部室のドアはさっきまで鍵をかけてあったのに彼は中にいた。
そこまで考えてみるとおかしい事ばかりだった。だが信じられない、ありえない!
そもそも仮に幽霊だとして、なんでこんな白昼堂々出歩いているんだ?そしてよりによって俺に話しかけて来るんだ。 答えの出ない事を唸りながら考えている俺をよそに、自称幽霊の彼は暇そうに部室のあちこちを見てまわっている。
観察してみるが特徴と言えば憎らしいほど綺麗な顔立ちと色素の抜けた長く綺麗な髪が目立つくらいでそれ以外は普通の高校生だ。 確かに、よく見ると地面を歩いているというより浮いているようにも見える。
でもそれだけで幽霊と認めるわけにはいかない、浮いている以外は普通の高校生なのだ。この際浮いている事への疑問は置いておこう。 今だって普通の高校生らしく掃除用具ロッカーの扉の前にたち、普通の高校生らしくロッカーをすり抜けて…中に入った。
と思ったら頭だけロッカーの天井部から突き出してこっちを見てる…。怖っ!
先ほどの「普通の高校生」説を全否定する。あれは完璧幽霊だ。しかも自己主張が激しいのか、ロッカーから頭だけ出したまま「スゴくね?」とドヤ顔で俺を見ている。
少しの間、無言のまま目が合っていたが仕方なくため息をつき立ち上がる。
心底関わりたくなかったがこのまま放置する訳にもいかない。彼も俺が立ち上がったのに気づきロッカーから出てくる。
「とりあえず、お名前を聞いてもいいでしょうか?」
まずは第一段階、いきなり「帰れ」と言ったり「成仏しろ」と言ったとこで聞き入れてもらえなさそうな相手なので、普通の会話で探りを入れてみる。
「名前?…名前なあ。…戒名でも良い?」
「生前でお願いします」
「あははは、戒名なんてついてるわけないじゃん死人じゃあるまいしー冗談だよ」
いえ、あなたの場合は戒名ついている可能性高いので冗談になりません。
「名前かー……人に聞く前に自分で名乗れっ!!」
いきなりキレられた?何でこんな感情の起伏が激しいのだろう?
納得できないが、筋は通っている気もするので一応謝る。
「すいません、二年四組の羽鳥真です。演劇部の副部長です」
ふむふむと彼はうなづき口を開く。
「うん、よろしくな、羽鳥君。いや、ここは真と呼ばせてもらおう。よろしくな真」
いきなりフレンドリーな雰囲気になり手をさし出してくる。つられて手を出すが握手する事もできず、ただお互いの手が空を切る。
「不便だなー、幽霊ってのも。さて俺は…だな」
急に歯切れが悪くなった。
「えっと…俺は………あれ…なんだっけかなー?」
もしかして生前につらいことがあったせいで、忘れてしまったとかだろうか?
悪い事聞いたかもしれない。罪悪感を感じていると彼が口を開いた。
「うん…これでいっか!志仁木!俺は志仁木 蓮だ!よろしくな。」
人の気遣いをよそに明らかな偽名を宣言された。しかも今考えてたし、ただのダジャレだし。
「えぇと…じゃあ志仁木さんはこの世に未練があって「これじゃあ死にきれん!」って事で幽霊になったという事ですね」
「そのとおり!」
満足げにうなずく志仁木 蓮。
「そして本名を隠したいため、咄嗟に思いついたダジャレ的な偽名で自己紹介をしたと?」
「違う!。下の名前は本名だ!たぶん。そして隠したいんじゃなくて名字は忘れた!ただせっかくだし苗字もあったほうがいいだろうから今考えてみた」
そしたら初めからそう言ってくれれば良いものを、てか下の名前も自信ないのか。
「そうですか…それで志仁木さんは」
「待て待て。さっきからなんだ。俺は真と呼ぶと言ったろ。真も俺の事は蓮と呼んでくれ。それに俺も演劇部だったんだ、OBってやつ。気軽に接してくれ。」
こちらとしてはそこまで親しくもしたくないし、呼び方なんてどうでも良いと思うが…。
「えぇっと…じゃあ蓮さん」
「違う!さん付けなんてしてくれと誰が頼んだ?!」
OBなら年上なんだし、こちらとしては気を使ったつもりなのにご不満らしい。
「じゃあ……蓮」
「なんだ?」
満足そうな顔。
「とりあえず成仏してください」
「そうか…先輩の話が聞きたいのか。確かになかなかOBと話せる機会もないだろうしな」
さりげなく成仏をさせる作戦、失敗。