一話 演劇部の日常
上気した体を落ち着かせるようにひとつ深呼吸をする。
達成感や高揚感の中、さっきまで舞台にいたみんなが一様に笑顔で横にいる。
結花や美月さんは舞台の真ん中にいた。
隣を見ると蓮が俺のほうを見て笑いかけてきた。
「真、俺。今分った」
閉まっていた幕が開き始め、拍手が聞こえてくる。
「こうやってまたこの場所に立ちたかった。だから目を覚ましたんじゃないかって」
拍手の中、しっかりと蓮の声が俺には聞こえていた。
カーテンコールだ。
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突然の菊男からの告白に君代は唖然としていたが、やっとの思いで口を開いた。
君代「まさか…それじゃあ菊ちゃんは実は女で、しかも私の生き別れたお姉さんで、それにくわえ余命あと数ヶ月だというのに私のために先月のマラソン大会で一位をとってくれたというの?やっと幼なじみから恋人同士になれたと思ったのに!」
菊男「ごめん…」
辛そうな表情で、ただそれしか言う事が出来ない菊男(本名は菊代)。
君代「そんな、そんな…」
ショックで泣き崩れる君代。
菊男「うわぁーー!」
あまりのいたたまれなさに泣き崩れた君代を真夜中の公園に置き去りにし走り去ろうとする菊男。
そのとき、大型トラックが車道に飛び出した菊男めがけて時速百二十キロで…。
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シナリオを読んでいた結花が顔をあげた。読み終わったのだろうか?
予想以上に早かったなと思いながら感想を聞いてみる。
「どうだろう?今回のはドラマチックでかなり自信作なんだけど」
結花はなんと言うだろう?期待と不安がない交ぜになりながら言葉を待つが何も言ってこない。
「やっぱりいきなりクライマックスシーン的な場面を冒頭に持ってくる事でお客さんの興味を一気にググッと惹き付けられると思うんだ、それにこの二人の名前の関連性が…」
「うるさい」
せっかくコンセプトを説明しようとしたのに不機嫌そうな結花の一言で一蹴された。
目の前にいる少女は冴樹 結花。俺の幼なじみ兼演劇部部長だ。
同学年の女子の中では背の低いほうだが子供っぽさは無く、たれ目がちながら意志の強そうな瞳が俺を見つめていた。
髪は腰まで伸ばしているくせに「色々と邪魔」という理由で、前髪だけピン留めしているため広めの額が出ている。 先ほど放たれたようにズバッとした物言いと、すさまじい行動力から同級生はおろか上級生からも一目おかれる存在となっているのだが本人に自覚は無いだろう。
普段は冷静なくせに舞台が関わると口の悪さに拍車がかかってしまう。なぜか俺のシナリオを読んだあとはしょっちゅうだった。
結花がため息をひとつつき口を開く。
「感想、聞く?」
一応確認をとられたがこちらとしてはそのために読んでもらったのだ。正直今回はかなり自信がある。その気持ちが顔に出ていたのか結花はこちらを一瞥し
「わかったわ。遠慮なく行かせてもらう。ちなみに冒頭しか読んでないから」
「えっ何で?」
そう聞くと結花は喋るのを止め、俺の顔をじっと見た。
結花の目には特別な力があるのか、じっと見られると何も言えなくなる事が時々ある。
蛇にらまれた蛙はこんな気持ちなのかもしれない。
「…ごめんなさい。続けてください」
無言に耐え切れなくなり、どうにかそれだけ言うと結花が再び口を開いた。
「まず設定だけどフックがあり過ぎて何が何だかわからない。あと名前の設定がなんか古くさい、わかりづらい。それに女同士だったとはいえ彼女を真夜中の公園に置き去りにするのはダメでしょ。そもそも冒頭で余命わずか、尚かつ時速百二十キロの大型トラックに突っ込まれた時点で生存率は相当低いんじゃないかしら。この後の展開が悪い意味で読めなすぎる。冒頭からいきなりこんなシーンを見た客は、脚本に嫌悪して引きつけは起こすかもしれないけど惹き付けられる事はないだろうし、話しの筋がまったく読めずドン引きされるのは確実。だから冒頭しか読まなかった。総評としてはクソ以下の脚本、以上」
結花としては簡潔に分りやすく評価してくれたつもりなのだろう。しかも満面の笑みで脚本を手渡すというサービス付だ。だが俺はと言えば1回表、ノーアウトなのにコールド負けしたピッチャーのような顔をしていた事だろう。
「そ、そっかぁ。ハハ…まあ好き嫌いはあるしね、うん…個人の価値観て人それぞれだし…ハハ…」
充分にショックを受けながらも「価値観」という言葉で自我を保とうとした。
「確かに価値観は十人十色、でも今まで私の評価が間違っていた事がある?」
「ないです…」
俺も今までの経験上、結花の言っている事に反論はできない。
「今回のは自信作だったんだけどな…」
俺のため息が部室に小さく響く。その言葉を聞き今度は結花の口からため息がでた。
「まぁ、この分だと今度の新入生向けの部活紹介は普通に活動内容を説明するしか出来ないわね」
部長である結花からの戦力外通告を受け、再び俺はため息をはいた。
都心から電車で1時間のベッドタウンに位置する宮坂市。駅から十分ほど歩いたところにあるのが県立宮坂高校だ。
小高い丘に位置する宮坂高校の通学路は桜の並木道になっている。
今年は遅咲きの桜で彩られている校門までの道を大きな期待と不安を胸に今年の新入生が歩いている。
始まりの季節、新入生でなくても何だか心が弾んでしまう。 そんな希望に満ちた雰囲気の中、ただ一人鬱々とした顔で俺は歩いていた。
何故かと言えば春休みを返上して書いた演劇部のシナリオ「秋のルンバ(仮題)」が冒頭シーンで部長の結花に却下されたところが大きい、いや全てである。
春休み初日から気合いを入れてレンタルビデオ屋で借りた韓流ドラマの影響なのか、毎週見ていた深夜アニメの影響なのか、はたまた友人に借りて興味本位でやってみたパソコンのギャルゲーの影響なのかわからない。だがとにかくダメシナリオだったらしい。
俺としてはドラマチックで相当な出来なつもりでいたのだが…
そんな事を考えていると後ろから自分を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると健吾が生徒の間をすり抜けこちらに向かって走ってきいた。
「おはよ、真。お前さっきから呼んでたのに全然気づかないのな」
くったくのない笑顔で微笑みかけてくる。 どうやらさっきから声をかけてくれていたらしいが「秋のルンバ(仮題)」の事で頭がいっぱいで気がつかなかった。
悪い事をしたな…ってそんな事はどうでもいい! 考えてみれば結花は根っからの演劇人間だが健吾はサッカー部エースの根っからのスポーツ人間、そこの差は大きい。
もしかしたら演劇の知識が浅い人に読んでもらえば違った反応があるのではないだろうか?
そこまで考えると、鞄から未だに持ち歩いていた「秋のルンバ(仮題)」を取り出していた。
「なんだー今度はコントの台本書き始めたのか?」
撃沈、もうダメだ。俺の望みは冒頭に目を通した健吾の第一声で大破した。
演劇的観点から読むと「クソ以下のシナリオ」で、先入観が無い一般的観点で読むと「コント台本」になるらしい。
「あれ?間違ってたか?でもありえない話からはじまるからてっきり」
「いや、ゴメン。俺の方こそ朝から悪かったよ。参考になった」
「そっか、それなら良かった」
健吾がくったくのない笑顔で笑う。
落ち込みながらも健吾の言葉を反芻していた。
ありえない話…だけど現実味のある恋愛とはなんなのだろう?
今まで恋愛と呼ぶにふさわしい経験がない俺にとっては難しすぎる話しだ。
「健吾さ、恋愛ってなんだ?」
参考までに隣を歩く健吾に聞いてみる。
「おお、いきなり恥ずかしくでかい質問だな」
確かにそう言われると相当恥ずかしい質問だった。
「真も知ってるだろうけど今まで誰とも付き合った事無いし、そう改めて言われるとよくわかんないな」
そう答えた友人を改めて見てみる。 スポーツ万能で親しみやすい性格。身長は170センチの俺より10センチほど高く、短く切られた髪が非常に爽やかだ。
顔立ちはその性格を表したようにさっぱりとしていて、所属しているサッカー部でもエースとして活躍している。
本人は知らないが俺が知る範囲でも相当数のファンがいる。
そんな健吾もわからないのに俺に恋愛のなんたるかがわかるのだろうか…。
そんな事を考えているといつのまにか始業式もホームルームも終わり放課後になっていた。
目の前には真っ白の紙とマジックが数本散らかっている。悪戯にマジックを転がしながら、先程のクラス替えを思い返した。
二年のクラスでは結花や健吾とは別のクラスであったが、知っている顔も何人かいた。
ただそれだけ、特にこれといった感想も無いクラス替えだった。
「羽鳥 真。演劇部です。よろしく」
自己紹介では名前と部活名を言っただけ、というよりそれ以上言うことが思いつかなかったのだ。
実際、変わった事と言えば窓から見える景色と周りの顔ぶれが少しだけ変わっただけで、本質は何も変わった気がしなかった。
まぁクラスが替わったくらいで、映画や小説にあるような特別な事など起こるはずも無い、そんな事はわかっていた。
手元のマジックを手放して大きく伸びをする。
何か特別な事でも起きないものかな…そんな漠然とした事を考えながら部室の中を見渡す。
宮坂高校演劇部。 もともと人数不足のため二年前に廃部してしまった部だったが、幼馴染の結花が陣頭指揮をとり三ヶ月前に新生演劇部が創られた。
中学時代の頃から結花に感化され演劇に興味があった事と、どの部活にも入っていなかった事で当たり前のように俺も部員としてカウントされ、しかも副部長の椅子に座らされていた。
演者というよりはシナリオを書く方に興味があったのだが、実際に書いてみてわかった事がある。
それは自分の才能の無さだ。
その事に気づくまでの間、たった三ヶ月で結花に切り捨てられた脚本(あらすじや冒頭で切り捨てられた)はなかなか立派な数になっている。
正式な部員は俺と結花、結花が一年の時に知り合ったの女子の三人で、どうにか部としての最低人数をクリアしている現状だ。 ただその女子も今まで一度も部室に姿を現した事がなく、名前も一度聞いただけで忘れてしまった。
この状態では部としての存続も危うい。
だから今回の新入生を勧誘する部活紹介は重要だった。
そのため現状の部員である二人、それか助っ人を健吾に頼んだとしても三名ほどで演じる事ができる舞台の脚本が必要だったのだが…。
昨日の時点でそれも実現できそうになくなったので、部を存続させるため校内に貼るポスターを脚本の代わりに作成しているわけだ。
才能。ひどく凡庸な自分自身の事と結花や健吾と比較するとため息が出てくる。
そして当の本人の結花はといえば自分の席で新入生の顔写真付のリストを入念に眺めながら赤ペンで何やら書き込んでいる。
どこかで手に入れた資料で新入生の中からめぼしい生徒をピックアップしているのだろう。 そんな事を考えながら結花を観察していると突然顔上げこちらを見た。
「真」
感情が読み取れない声のため怒っているのかただ呼ばれたのかも判断しがたい、もしかしたらポスターを描く手が止まっているのがばれたのだろうか。
慌てて、白々しく一生懸命ポスターを描くふりをしてみる。
「何?いやぁ、ポスターを描くのも一苦労だなぁ」
「真、これ」
再び呼ばれたので結花のほうを見ると小さな鍵を持っていた。
「鍵?どこの?」
「旧校舎の演劇部室」
この宮坂高校は新校舎と旧校舎がある。
旧校舎は昭和の中ごろに建てられた建物で、新校舎に比べれば三分の一ほどの大きさしかない。
生徒数が増えたため新校舎が建てられたが、特に老朽化が進んでいるわけではなかったので、今では部活動に使う機材や古い資料の倉庫として使われている。
「それで?演劇部の鍵をなぜ俺に?」
結花はにこりと微笑み、
「我が部の脚本担当が残念な脚本しか書いてくれないでしょ?それで旧校舎のほうに行けば衣装や機材と一緒に過去の演劇部の脚本も置いてあるはずなの。さすがに今後新しい部員が入った時に1冊くらい無いと話しにならないし。だから取って来てほしいの。私は手が放せなくて」
最後の方は有無を言わさぬ力がある声だった。
それを言われて反論する言葉が浮かぶ訳も無い。
「了解」と言いながら鍵をとって部室を出ようとする俺の背中に結花が声をかけてくる。
「あ、でも昔あの部室でなんか人が死んだとか死んでないとか、噂だけど。だから悪霊的なものが出るかもしれないし出ないかもしれないから、気をつけてね。噂だけど」
踵を返し結花に抗議する。
「その情報はこの夕暮れ時にその場所に行こうとしている俺に伝える必要性はあるのか?」
「だから、あくまでも噂よ。気にしないで。でも脚本に使えるような刺激的で面白い経験が出来るかもしれないわよ。私、ホラーでも怪奇殺人でも面白ければ良いから」
笑顔なのが余計怖い。
「やっぱり…明日昼間のうちに行…」
「時間は有限よ、いってらっしゃい」
俺の言葉を遮り結花が笑顔で言う。
「だから、今日は…」
「いってらっしゃい」
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負けた。
最後の「いってらっしゃい」の前に一瞬、結花が素の表情になったのは気のせいじゃない。
旧校舎の演劇部室の前でため息をつく。
幽霊の類いを信じている訳ではないが夕暮れ時の旧校舎、しかも不吉な噂がたっている場所に一人で来るのはさすがに嫌だった。 さっさと脚本を見つけて帰ろう。
そう思い鍵を開けようとすると手元のところに妙な紙が貼ってある事に気づいた。
絵なのかマークなのか文字なのかわからない、妙な物が描いてある。
誰かのいたずらだろうか?そう思って何とはなしに剥がし丸めてポケットの中に入れた。
気を取り直し鍵を開けて中に入る。
部室内は少しカビ臭かったが前に来たときに比べると片付いているように感じる。
もしかしたら結花が一人で片付けていたのかもしれない。
さすが部長だ、そんな事を考えながら部室の中を見渡す。
不気味な程の静けさと、異様に綺麗な夕焼けが部屋を満たしている。
「でも昔あの部室でなんか人が死んだとか…」
なぜか先ほどの結花の話を急に思い出し、少し寒気を覚える。
「ゆ、幽霊なんているわけないさーアホらしいなあ」
わざわざ声に出しながら積んである段ボールの山に向かい、衣装や小道具がつまった段ボールを次々と開けていく。
結花の話では昔の演劇部は活動が盛んだったらしく、部員も結構な人数がいたらしい。 確かに衣装も小道具も相当な量で随分と凝っているものもあった。
探し始めて十数分、やっとの思いで脚本が入った段ボールを見つけた。
箱の中身を確認すると比較的新しいものから、かなり古いものまで結構な量があった。 その中から古びた表紙の脚本を何冊か手に取り、簡単に目を通してみる。
ラブストーリーや青春もの、コメディなど色々なジャンルの脚本があり、その中には真と同年代だった生徒が書いたと思えないほど面白い作品もあった。
夢中になり目を通しているとふと一冊のノートが目に止まる。
表紙には何も描かれていないが妙に気になり開いてみると、そのノートは舞台の内容やアイディアを書き留めたノートのようだった。 比較的新しいノートなので廃部直前の部員の物かもしれない。
自分の部が無くなってしまうとわかりながらも書き貯めていたアイディア。廃部になると言う事はかなり部員も少なかったのだろう…
せっかくなので他のシナリオと一緒にこのノートも持って行こう。そう思いついてノートの中身をあらためて確認する。
…
……
「こ、これは…!」
思わず声を上げてしまった。
「こ、こんなつまらい脚本があるなんて…だから廃部したのか!」
そう言った瞬間、突風が吹いた。
その風の音の中、人の声が聞こえた気がした…『何だと?!』と…怒鳴り声のような声が。
だが先程から俺はずっと一人だ。
風の音がそう聞こえただけだろうか?そう思って見てみるが窓は閉まったままだ。
そもそも風が吹くわけないはずだ。
ふと、結花が言った「悪霊がいるかもしれない」という言葉を再び思い出す。
「ハ、ハハッ…」
かすれた声で思わず笑うと、嫌な汗が顔を流れた。顔の引きつり方も半端無いはずだ。
とりあえず手近にある数冊の脚本を無造作に取って、ダッシュで旧校舎を後にした。