第一部第四章
《登場人物》
夏沢茉莉沙 夢叶い、ピアニストに。愛の障害を越えやがて……
フレード・ナツザワ 惑星ルミエールで存亡の危機に!
ディム・ナツザワ 津波が止まったのと何か関係がある?
トピー・ミールズ エクスプレスのチーフパーサー
グラデッサ 女性音楽プロデューサー。茉莉沙のよき相談相手
メリンダ 夏沢家に仕える気のいい家政婦さん
夏沢湖絽奈 茉莉沙の娘。母親似で愛くるしい
夏沢辺我 湖絽奈の弟。そっくりな姉弟
福本瑞江 茉莉沙の母親。孫たちを溺愛
夏沢太陽 もな美より茉莉沙を選び、そして……
第四章
★さよならワンダルキア
「パパ!パパァーー!!」
「危ないからハッチから離れなさい!落ちたらどうするんだ!」
「でも大波をかぶって船が……パパが死んじゃうよう。うわーん!」
「大丈夫だ、乗客はみんな救命胴衣を着けてるから沈んだりしない。今隊員が残りの人達を捜索中だからすぐに見つかるさ。安心しなさい」
奇跡は待ってはくれなかった。
時を止めるタイムウォッチの魔法にかかったかの如く津波はオブジェとなって、その間に海の藻屑になりかけた哀れな船から全員救出される……筈だったのに。
『ディム、遅くなってすまんな。心細かったろう?』
フレードはそう言って笑いかけているディムの想像も空しく、凍りついた波は一瞬にして解凍してしまった。
父親の安否はまだ分からない。
(地球に着いたらエクスプレスの千年祭で楽しむ約束だったのにどうして?そりゃさっきは天国に逝っちゃったのかと本気で思ったけど、ホントにママのところに逝っちゃうの?イヤだよぅ。もうワガママも言いません、パパの言う事もちゃんと聞いていい子になります。だからお願い、死なないでパパ……)
ディムは一心に祈り始めた。
ちょっと厳しいけれど本当は大好きな父親の為に、そしていつも困らせてばかりの自分を戒め、これからは孝行息子として生きられるように。
「ママ、どうかパパを守って。まだ連れていったりしないで……」
「おい、見つかったぞー!残りの乗客は全員無事だ。意識もしっかりしている」
(エッ、ホント?!)
レスキュー隊の声が高く弾んでいる。
天はフレードを見捨はしなかったのだ。
「まぁよかった!奇跡って本当にあるのね」
「おお、神よ。あなたのお慈悲に感謝します……」
ディムや他の乗客達の顔には、パァーッと薔薇色の生気が甦ってきた。
「あっ坊や、どうしたんだい。しっかりしなさい!」
心の箍がすっかり外れてしまうと、ディムの体力も気力もエンプティになり、飛行艇の床をベッドにして、さっきよりも深く深く意識が沈んでいった。
『2番線に停車中のトレインは、21時発の急行・地球行きでございます……』
無事に救出されたフレードは、ホスピタルでも異常なしと診断されて、エクスプレスの出発にも間に合いホッと一息ついていたところだった。
「いやぁ本当に面目ない、お前にまで心配かけてしまってすまなかった」
「もう、ホントにビックリしたんだから!生きた心地しなかったヨ。じゃぁ罰として地球に行ったら僕がどこ行ってナニしても文句言わないこと。いいね!」
ディムよ、これからは親孝行すると心に誓ったのではなかったのか。
「失礼致します。会長、お坊ちゃま。よくぞご無事でお戻りに……クルー一同感慨深く天の思し召しに感謝致しております」
「トピー君ありがとう。君がいなければ私達はどうなっていたか分からないところだった。本当に何から何までよくしてもらって感謝してもしきれないよ」
「いえいえ勿体のうございます。私はただ当たり前の事をしただけですので……」
♪♭♪♯♪―――――
『皆様お待たせ致しました、間もなく発車致します』
「さ、もう時間だから、私達に構わずに業務優先で」
「はい、ではこの先もお気をつけて旅をお楽しみ下さい。失礼致します」
月によく似た惑星ルミエールは、二人にとって生涯忘れがたい星となるであろう。
人生は必ずしも順風満帆のときばかりではない事を教えられたような、そんな気がしてならない。
ゴーグルを装着しなければいけない程眩しい星は、遠目には優しくても実際に降り立つと大変で、水面下の水鳥は足で水を必死でかいているのと似ているようだ。
「あのイルカさんたち、危険を教えてくれたんだね」
「ああ、グリーンドルフィンか。動物は人間には分からない何かを知っているというからな。助けようとしたドルフィンにも感謝しないと……
ところで、あの化け物津波が氷みたいに動かなくなったのは本当に不思議だ。
実を言うとな、我々一族の先祖には代々不思議な力を備えた者が時々現れると伝えられている。
3代前の当主は廃墟になった屋敷を指一本触れずに倒壊させたというし、200年ほど前のロワンドテーリャ群発大地震が起こるその10年位前に、予知能力を持つナツザワ家の娘がピタリと言い当てた話は有名だ。
その他、迷宮入りしかかった事件をインスピレーションで見事解決させたり、自分の惑星から一歩も出ずに遠くの星の出来事を見てきたように寸分の狂い無く話す夫人もいたとか」
「へぇー」
「あの奇跡……あれは私でなくきっとお前の遺伝子が目覚めたのかも知れん」
「え?ナニ?」
「いや、何でもない。ところで、本はだいぶ読んだのか?」
「ええとね……もな美さんが湖に飛び込んじゃったってトコまで」
「それはな、正確に言うと実は湖に飛び込んだんじゃないんだ」
「エッ?!どゆこと?あのあとどーなっちゃったのォ?」
「これ以上言うと面白くないから、あとはじっくり読んでなさい」
「ウウーン、イケズぅー」
「……そんな言葉、どこで覚えたんだ」
「大昔の古代マンガだヨ」
『間もなく安全圏内に入ります。ご乗車の皆様にご案内致します。3両目バーカウンターにおきましては、これより惑星グリンダの“ジュジュ”や地球の“マンハッタン”“ダイキリ”をはじめとした各惑星の名物カクテルフェアーを開催致します。紳士淑女の皆様はお気軽に足をお運び下さいませ』
「おっ、何だか美味そうな催しが始まるな。今から喉が鳴るわい」
「いいなー。僕も飲んでみたい」
「お前はミルクでも飲んでなさい」
「ぶぅーーー」
あれだけ大変な事があった惑星ルミエールも、何もなかったように優しい輝きを投げかけ、窓の外でどんどん小さくなってゆく。
それでも不思議とこの星を恨みたい気持ちが湧いて来ない。
九死に一生を得る思いをしても、また帰りには立ち寄ってみたい気にさせてしまうのは、やはり人は昔、月を見て育ったせいかも知れない。
月によく似た惑星ルミエール―――
淡い光は段々薄れ、列車は次の星へとスピードを緩めずに滑ってゆく。
「さよなら、ワンダルキア。また来るよ……」
★再びあなたから離れて
「パトラちゃん、ご免なさい……許して。私がいけないの。うっ、うっ……」
「茉莉沙のせいじゃないよ。そんなに自分を責めるんじゃない」
「でも…子供の頃からバレリーナを夢見てたのに、足があんな事になって……せめてあなたの優しさに包まれたいと思っていた矢先、あんな裏切り……私も腕が使えなくなってあんな風に裏切られたら、きっと彼女と同じように絶望して湖に身を投げてるわ」
『さよなら………』
もな美は私達に哀しい眼差しを向けたのを最後に、渾身の力を込めて岸壁の縁を蹴って高く舞った。
すると彼女を取り巻くように物凄い風が巻き起こり、白樺につかまっていないと本当に飛ばされてしまうところだったのだ。
彼女の身体はまばゆい光に包まれ、視力を失いそうな程強く光ったかと思えば、風は止み光も消えた。
それからというもの湖は何日も捜索が続けられたが、もな美は何の跡形も残さずに捜索隊の努力も空しい結果に終わってしまった。
もしかして生きているという希望を抱かせながらも、依然行方不明のままでいる。
「私やっぱり、あなたと結婚できません」
「そうか、もな美の事が気になってるのか。でも僕はこれで引き下がったりはしない。君の気持ちが落ち着くまで待つよ。何年でも……」
太陽のこの前向きさがあったおかげで、一生塞ぎ込んでいたかも知れなかった私はこのあと救われる事となる。
しかし、当分結婚はおろか誰ともつきあう気にもなれず、私は再び日本を離れピアノを続けていた。
思えば昔、バレンタインのチョコレートを渡して太陽に告白しようとしたがもな美に先を越されてしまい、あの二人がつき合っていても私がグレたり壊れたりしなかったのもピアノがあったからだと今でも感謝している。
いつものようにピアノに触れていた一日が終わろうとした或る日、私の携帯電話が胸騒ぎとともに鳴り響いた。
「Hello,This ist Marisa Fukumoto, der spricht,」
「もしもし、僕だ。太陽だよ」
本当は待っていた。
私はこの電話を………
何度も自分から電話しようとも思ったが、色々な事が重なり過ぎて、逢うのはおろか話す事さえ罪悪感を感じるのでずっと控えていた。
でも太陽の声だとわかった途端、胸の音が大音量になって向こうに聞こえるのではと思った程だ。
「あら、お久しぶりですこと」
動揺を隠す為平静を装ってはみたものの、かえって冷たく響いたのではないか?
もう少し自然に振舞えば良かったのだろうか?
私の後悔をよそに、太陽は気にも留めてない様子だ。
「どう?相変らず元気にしてるかい?」
「ええ、おかげさまで」
「ところでどうだろう?あれからもう2年以上も経ってるから少しは冷静になれたとは思うのだけれど……」
「あら、何の事かしら?」
重々百も承知のくせに、故意ととぼけるなんて空しい。
そうしなければ歯止めが利かなくなるのが恐いからなのに。
「前にも言ったプロポーズの事だけど……」
「あら、ソレでしたら別に無かった事にして頂いても宜しくてよ。私はピアノがある毎日が楽しくて気に入ってますから、あなたはあなたでご自分の人生を思う存分謳歌して下さいませ」
いくら苦し紛れとはいえ、こんな心にも無い科白をしゃあしゃあと吐き捨てられるなんて………
もしピアニストになり損ねていたとしたら、女優ができるような気が本当にしてきてしまう。
「いや、今日は返事をどうこうという話じゃないんだ」
「では何のお話?」
「実は報告がひとつあって」
「え?」
「今度、WASAに正式に採用になった。アメリカ行きが決まったんだ」
「まあ……!」
これは驚いた。
想定外の言葉にさらに動揺して携帯を落としそうになったが、2年前の湖の悲劇が私の頬を叩く。
思えば、小学生のとき太陽ともな美と3人で星を観て夢を馳せたあの頃が一番幸せだった―――――
『遠いところにある星に行けるようになったら……夢みたいだなぁ、すばらしいヨ』
『そうね、遠くの星へ行きましょう。3人で』
『ウン行こう!この3人で』
あのときは夢が無限大に膨らんでいて、そんな不可能な事さえ叶うと信じられたものだった。
あれから3人とも将来の夢を実現させてはみたものの、本当にこれで良かったのかとひしひしと考えさせられる。
(人は夢を叶えても、心からの喜びが無ければ幸せといえないのでは?)
私達三人の姿をかえりみて、時々そう感じざるを得ない。
「……もしもし茉莉沙、どうした?」
「あっいえ、ま、まぁそれはおめでとう。お祝いに駆けつけたいけれど、あいにく私は今コンサートで忙しくて……」
「いや、それには及ばない。コンサートはどこでやってるんだ?」
「イタリアよ。でもわざわざ来なくていいわ。あなただって準備とかで何かとお時間ないでしょうし」
「でもアメリカに発つ前に是非とも一度逢っておきたい。もしかしたら、君に逢うのは……これが最後かもしれないから」
ゴン!
今度は本当に携帯を床に落としてしまった。
鈍器で思い切り頭を殴られたようで、これ以上の通話はもう無理だ。
「もしもし茉莉沙、聞こえるか?もしもーし!」
これが最後、これが最後……これが最後!
頭の中でその言葉がわんわん回り続けて、いつしか私はフローリングの床へと意識を沈めていった。
★ありがとうマドンナ
コンコンコン☆
「マリサ、ちょっといい?」
ホール楽屋のノックの主はグラデッサという私のプロデューサーの女性だ。
彼女も若い頃は世界中を席捲したピアニストで、音楽的才能はさる事ながら、素晴らしい音楽家を何人も育てて世に知らしめた実績を持つスゴ腕で、私は敬愛をこめて”母”の称号で呼んでいる。
今日のコンサートでは演奏しながら(あ、これはきっとあとで大目玉だ)と思ったが、予想通りムッター・グラデッサがやって来たので、私はグッと覚悟を決めた。
「さっきのは何?!“セレナード”の後半、モタモタしていつもの切れが無かったわ。それに“ムーンライト・ソナタ第三楽章”あれは空中分解寸前ね」
観客は騙し騙しに通せても、妥協を拒むグラデッサの耳は流石に誤魔化せない。
この人に言葉で嘘をついても演奏をすればたちまちバレてしまう程、微妙な心の隙間まで表れるからピアノってこわい………
「ほかにも色々あるけど、キリがないわ。とにかく、今日のあなたは気持ちというのがありません!音楽を愛しむ気持ちがね。自分の心ひとつコントロールできないようならピアニスト失格よ!!」
グラデッサの厳しい言葉は普通なら応えるだろうが、今の私には柳に風でしかない。
それよりももっと深刻な想いを抱えるのが重くて、私は申し出ずにはいられなかった。
「ムッター、今日の仕事はいい加減で本当に申し訳ありませんでした。でも、聞いて欲しい事があるの………」
私は今迄の経緯を語り始めた。
小学校の頃から太陽が好きだったけれど、彼はもな美とずっとつき合っていて、私は口惜しさをバネにピアノをがむしゃらに頑張ってきてやっと認められた事、子供の頃仲が良かった3人はそれぞれ夢を叶え、宇宙に行った太陽は私への気持ちに気づいた事、もな美はこれからという時に足が病魔に冒されて、しかも太陽の気持ちを知って湖で行方不明になってしまった事、そしてそれが私の心にのしかかっていて忘れようと努力してるが、先日太陽からアメリカ行きを聞かされてこのままだともう逢えないという事も隠さずに話した。
グラデッサはなんと言うか分からないが、私ひとりで抱えるにはキャパシティーも限界に来ているので、少しでも楽になりたかった。
「そう……モナミ・イチノハラだったら私も知ってるわ。若いのにお気の毒。で、あなたはどうしたいの?」
「私は………もな美の事がどうしても引っかかって……彼の気持ちを素直に受け入れるのがためらわれるんです」
「でも、タイヨウが好きなんでしょ?」
「ええ」
「彼女は死んでるかも知れないわ。もういないのよ!居もしない人を気にかけてどうするの!それより自分の幸せを考えないと、あなたはいつまでも地獄の中よ」
「ええ、頭では分かるのですが……」
「ピアノは、ここでなくてもいいのよ」
「は?!」
「まぁアメリカは変わった人が多くてやりづらいかも知れないけど、あなたなら十分通用するわ。私が保証する。だって、類稀な才能を天から譲り受けたのは、シュドルフも一発で見抜いたでしょう?さぁ、アドヴァイスはあげたわ。人生は一回だけ。あとは決断するのよ」
「……分かりました」
「幸せは誰かがくれるものじゃなく、自分で選び取るものよ。幸運を祈るわ」
音楽に関してはデーモンみたいな人なのに、この時のグラデッサは背中に透明の羽が生えてるようで後光差し込む聖母のように崇めてしまった。
流石、カリスマは違う。背中を押してくれた母に私は感謝してもしきれない。
「ムッター、ありがとう……」
私の目頭はいつしか熱くなり、グラデッサはそんな私の頭を撫で、やさしく抱きしめてくれた。
★最良のとき
「茉莉沙!」
「太陽君、やっぱり来てくれたのね……」
私の迷いは、雨上がりの露と共に消えていくようだった。
もな美は気の毒な事になってしまったが、これも彼女の運命。きっと幸せな時期もあった筈だから、もしこの世にいないとしたらその想い出を胸に安らかに眠って欲しい。
そう思うとずっと悩んで来た自分が馬鹿馬鹿しい程哀れだ。
人は心ひとつでいくらでも幸福に生きられるのに、その事に気づかず自分を牢獄に閉じ込めていたのだ。
(でも今日からは、鉄格子を破るわ。明るい光のもとへ行くのよ!)
その光の中に太陽がいる。
彼はいつだってキラキラ輝いて私の目には眩しすぎるのだ。
そんなあのひとに、私は俯いてても嫌われていなかったのだろうか?
いや、そんな心配より太陽に気持ちに応えるほうが先だ。
さぁ言うのよ茉莉沙、今度彼に逢ったら絶対口にすると決めた言葉を!
「あなたのお申し出、お受けします。私も、あなたと……結婚したい」
言葉の分からぬ異国の鳩が一斉に飛び立ち、二人を祝福してくれているのだろうか?
昔観た映画のワンシーンの中に、私達が入り込んだ錯覚に陥ってしまう。
人目も憚らず抱き合う私と太陽を、スペイン階段に座って笑いながら羨む人たち、道端で売ってるジェラートもあまりの熱さに溶け始めている。
映画のヒロインは短くて哀しい恋が終わってしまうのに、本当に私の始まりはこれからなのだ。
思えばとても長い道程だった。今度こそ逃がさない、私の幸せ―――
「ありがとう、やっと言ってくれたね。一度日本へ帰ろう。そして式を挙げよう!」
何度も見た、もうひとつの密かな夢。それが今ようやく叶う。
鏡の中、白いドレスの私、もう夢じゃない。
どこをつねっても目覚めて独りぼっちなんて事はないのだ。
「夏沢太陽、アナタハコノ者ヲ健ヤカナル時モ病メル時モイツクシミ、愛スル事ヲ誓イマスカ?」
「はい、誓います」
「福本茉莉沙、アナタハコノ者ヲ健ヤカナル時モ病メル時モイツクシミ、愛スル事ヲ誓イマスカ?」
「はい、誓います」
(今度こそ本当ね。気がつけば変な人と入れ替わってたなんてイヤよ!)
「デハ、指輪ノ交換ヲ」
太陽が私の手をとり、薬指にはめてくれたプラチナリング。
指にずっしりと“これは現実だよ”と教えてくれている。
(この重さ、やっぱり夢じゃない)
私の目が、ほんのりと滲むのを感じる。
「ソレデハ、誓イノ口ヅケヲ」
私の顔を覆っていたヴェールをたくし上げたのは、この世で一番愛しい顔で間違いがなく、私の睫毛は堪え切れずに温かな真珠の粒を放っていった。
誰かが言っていたが、花嫁を一番美しく飾るのは、どんな宝石よりも清らかな涙だと―――
太陽の唇、これも本物だ。
私が忘れる筈が無い、この感触を………
夢のように美しい現実は滞りなく進んで、悪夢には無かったシーンを次々と迎えることができた。
私達は今、ライスシャワーを浴びている。
ここまで来ればもはや疑ってはいない。
そして後ろを向いて、碧空に向けて思い切り投げるブーケ。
もう邪魔をするものは何も無い!
あまりの気持ちよさに、心はブルースカイのむこうまで突き抜けてゆくような気がする。
「キャーーッ」
「私がもらうのよ!」
「いーえ私よ!」
「やったーーゲット(^^)」
「あーイイなぁー」
私は振り返り、はしゃいでいる女の子達を見てふっと淋しさが横切った。
(ホントなら、ここにパトラちゃんがいた筈なのになぁ。ブーケだって彼女にあげたかったし……
ううん、やめよう。幸せが逃げるわね)
今日は悪い夢の通りにならないよう、一日笑顔を絶やさないつもりでいたのだ。
絶対悪い意味で泣かないと決めたから少々のことでは意地でも顔は崩さない。
しかしそんなたった一日限りの決意も脅かすような事があるなんて……
私も不意をつかれて戸惑い、あとは無事に早く終わる事しか考えられなかった。
「さ、次の披露宴の準備もあります。どうぞこちらへ」
一度控え室で休憩してメイク直し。
開宴前のリラックスも束の間、始まればお色直しもあるしお開きになっても見送りもしなきゃいけないし、終わるまでバッタバタだから一日花嫁やるのも楽ではないが、そんなたのしい苦労もブラックホールへ呑み込まれるほど、私は恐怖のどん底へと突き落とされてしまう。
窓辺で同級生達と写真を撮ったりして昔話に花を咲かせているまではどこの結婚式場にもある風景だった。
「ついにやったわね、茉莉沙。まさか夏沢クンが相手とは思わなかったけど」
「このこの、ニクーイ!あとで暴露話でもしちゃおうかナー」
「えーヤダーやめてぇ」
「ハハハハハ」
私がふと、何の気なしに窓に目をやってみた時だった。
「!」
「?、茉莉沙ちゃん、どーしたの?」
「ううん、どうもしてない」
(そうよ、そんな筈ないわ。絶対あり得ない!)
もう一度窓を見てみた。
庭がきれいに見渡せるだけで、今私が見たものはもうどこにもない。
私は挙式で緊張して疲れたのだ。きっとそうだ。そう思いたい。
しかし幻にしてはあまりにリアルで、鮮明に瞼に焼き付いてしまった。
思い出すのもおぞましいけれど………
それは、真っ逆さまの女が土色の顔で窓ガラスにベットリとはりついていた。
瞳孔の開いた眼が充血しながらこちらを睨みつけ、血が流れて呻き苦しんでるようにも見える。
しかもそれは見たこともない女の顔ではないようなのだ。
(誰かに似ている……そうだわ、あのひとはきっと、パトラちゃん?!―――)
そのあとの披露宴は平静を装うのが精一杯で、幸せとか楽しいだとかの言葉など頭の中からぶっ飛んでいたのは言うまでもない。
★とてつもない予感
「……というのがダディーとマミーが結婚するまでのお話よ。結婚式が終わったら、ダディーのお仕事の都合ですぐにアメリカに渡ったの。それから湖絽奈が生まれて、辺我が生まれたのよ」
あれからもう10年。
独身時代は様々な山河を越えてきたけれど、結婚してからは一姫二太郎、二人の子供に恵まれ恐いほど平穏無事に毎日を送っている。
ピアノは辞める事なく続けていて、長女の湖絽奈、ひとつ下の弟の辺我も手がかからなくなってきたので、最近では子供達はメリンダというベビーシッターの時から世話になっている女性に任せてコンサートツアーにも行ったりしている。
ついこの間もカナダから帰ってきたばかりで、今日は久しぶりに子供とゆっくりした時間を過ごしていた。
「フーン、すごいなァ。マミーたちの恋って、恋愛小説みたいネ」
「ま、この娘ったらおマセさんね」
「ハハハ……コロナお嬢様もお年頃なんですよ。ねぇ」
「あらメリンダさん、もうゆっくりしてていいのよ。宜しかったら一緒にお茶でもいかが?」
「そうですかぁ?じゃお言葉に甘えて。いまクッキーのおかわり持ってきますね」
ずっと待っていた幸せが、ここにある。
夫がいて子供がいて笑いと愛に溢れた日々――
ただ時々思い出すのは、行方知れずのもな美の事。
彼女が見つかったという話は聞いていない。
胸の痛む想い出だから忘れてしまった方がいいとは思うのだけれど、あの結婚式の日、私だけが見た身の毛もよだつ恐ろしい幻………
あれは幽霊だったのか?
それとも太陽を奪った罪の意識が見せたものなのだろうか?
ほんの一瞬の事だったが、自分を睨んでいた眼が『私を忘れないで……一生記憶から消さないで』と言っていたようで、どうしても気のせいでは済まないように思えてしまうのだ。
「ただいま」
「あらあなた、お帰りなさい。早かったのね」
「ダディーお帰りなさーい。ねぇセブンブリッジやろーよォ」
「あっこれ、ダディーは疲れてるのよ。お遊びはあとになさい」
「ハーイ」
「お仕事早く終わったの?お腹すいてる?お食事の支度すぐにするわね」
「いや、あとでいい……」
「そう?」
太陽の様子がいつもと違うようだ。
顔色がすぐれないように見えるが疲れがたまっているのだろうか?
それとも体調が良くないのか?
子供達が寝静まったあと、私は太陽に訊いてみた。
「あなた、具合でも良くないのですか?」
「いや、大丈夫だ」
「そう、でも何だか元気がないみたいよ。何かあったのなら話して」
「うん……」
太陽はためらいがちに口を開いていった。
「実は、天体観測をしていた時の事なんだが……エルディック彗星は知っているか?」
「いいえ、私は星の事はあんまり……」
「そうか。そのエルディック彗星というほうき星だが、もうすぐ地球に再接近する。予定では二週間後の土曜日だ。再接近時には大西洋の上を通るからアメリカほぼ全土から観測ができる……筈だ。しかし今日観測したところによると、どうしても腑に落ちない事態になってきているんだ」
「ねえちょっと待って、お酒でも飲みましょう。落ち着いたほうがいいわ」
眼を大きく見開いて脂汗を滲ませている太陽を見て、私は本当に只事ではないと直感した。
このまま興奮させておくと血管がどうにかなって倒れかねないような勢いだ。
少しでもリラックスして欲しいと、私はキッチンに行って氷と水、そしてブランデーを用意した。
「慌てないでいいのよ。さ、飲んで。私もいただくわ」
とりあえず2〜3杯飲んでみた。
ふぅーっと吐息が熱くなってきた頃、再び太陽の口がさっきよりも饒舌に開かれた。
「どこまで話した?」
「ええと……そのナントカ彗星が大西洋の上を通って、アメリカからきれいにみえるんでしょ?」
「そう、そのナントカ…じゃないエルディック彗星なんだけど、今日見てみたらァ、そのぉ、星には軌道ってモンがあるでしょ?!あるじゃな〜いハハハ」
(ゲ……もう酔ってる)
結婚してから気づいたのだが、このダンナは酒に酔うと骨なしフニャフニャ男に変身してしまうのだ。
私は爽やかで背筋のスッと伸びた太陽に惚れたつもりなのに……
まぁ、さっきの血の気の失せた顔よりはいいけど。
病院送りになっても困るし。
「ソウ、星には軌道ってモンがありまして〜その軌道に沿ってどの惑星も動いてるンでありますよ。水・金・地・火・木・土・天・海・冥〜ア、土・天・冥・海の時もあるか。ソレはネ、冥王星の軌道が楕円形だからでェ、その順番の覚え方を暗誦するとトシがバレちゃうのだ〜。アレ?冥王星って太陽系惑星だっけ?ボクちゃんわかんなーい」
そういえば幼い頃、冥王星は惑星だと教わったが、のちに惑星といえる星がいくつも発見された為に、変更が大変なので小さな星冥王星が除外されてしまった。
しかし今はそんな事どうでもいい。
「はいはい、それで?さっきから同じ事何回も言ってるわよ」
「あーオバサンゴメンゴメン。えーとぉー」
(お、オバサンだとお〜!!!)
はっきり言って絵に書いたように毎日が幸せだが、時には「離婚よ!」と頬にビンタを張ってやりたい事もある。
「ボクちゃん、わかったからとっとと次をお話し!」
「うえーん、こわいよう。ママぁ〜」
(はぁー、駄目だこりゃ)
今日のところは諦めたほうがよさそうだ、話はまた折を見て訊き出す事にしよう。
それにしても、太陽は私には勿体無いくらいのいい男と思っていたのに、どこの世界にも完璧な夫などやはりいないものなのだろうか?
「ママぁ〜あの鬼ババがいじめるヨォ〜」
「だから鬼ババじゃないっちゅーの!!!」
★ココナツのハートビート
『間もなく発車致します……』
様々な星への輸入・輸出を司る宇宙流通センターは、とくに観るところがある訳でもなく、停車時間も短いので乗客は皆、せいぜい買い物を楽しむぐらいなものだ。
しかし、どんなに物価の安い星よりも商品がリーズナブルなので、土産物や贈り物、普段使いのものまで鬼のようにここで購入しまくってゆく人も多い。
フレードとディムも、御多分にもれていないようだ。
「お前も随分買い込んだみたいだが、一体どれだけ買ったんだ?」
「遊びに行く時の服10着でしょう、靴が15足、それからシャンプーに香水、全宇宙時計、カッコイイ鞄にお菓子たくさん、あとデスキーヌ……」
「デスキーヌだとお?!そんなもん地球に持っていって何するんだ!」
(しまった!)
うっかり言い放ってからディムは後悔して、顔からどんどん血の気が引いていくのを感じた。
何しろデスキーヌとは地球でいうコンドームの事だから。
「あ、あの……デスキーヌ、デスキーヌデスキーヌ〜ラララ〜♪って歌ってたんだよ」
「うるさい!歌って誤魔化すな!お前は一体地球に何しに行くつもりなんだ?!そんな不埒な事ばかり考えるんだったら、次でロワンドテーリャに引き返させるからな!」
「会長、どうなさいました?!」
フレードの剣幕に、トピーは慌ててコンパートメントに駆けつけてきてしまった。
しかし、事の事情を話すにはフレードも流石にためらわれて、今まで蒼い顔をしていたディムも、今度は血流が一気に戻って紅くなってしまった。
「いや、その……何でもない。下らない事なので君の手を煩わすまでもないから、どうぞ大事な業務に戻るように」
「あの……誠に余計な事とは存じますが、デスキーヌでしたら車内にもございますし、ご必要な折はいつでもお声をおかけ下されば……」
紅潮したディムの頬はさらに茹でダコになり、フレードにまで恥ずかしさが伝染してしまった。
「いや、あの……別に私は……その……」
「いえいえ、ご遠慮なさらなくても結構です。着けた方が何かと安全ですし、あるに越した事はありません。あ、もしディムお坊ちゃまもご必要ならお気軽に……」
「えっ!お気軽にって……あの……」
もはや長時間風呂に浸かり過ぎたようなディムの顔は、穴があったら入りたいと言っている。
親子ともども気まずいというのに、トピーはどこ吹く風で、爽やかに「それでは失礼致します」とあっさり行ってしまった。
おかげであれだけ大騒ぎのデスキーヌ事件がドライアイスのようにシュワシュワと消えて、何だか気までが抜けてきた。
『次は、トロピカル・プラネット、トロピカル・プラネットでございます。停車時間は50時間を予定しております。お急ぎのお客様は、反対側ホームに到着致します快速特急をご利用下さいませ……』
「50時間って、そんなに停まってるの?」
「次の惑星は“宇宙の楽園”と呼ばれているからなぁ。よっぽど急いでない限りみんなのんびりとヴァカンスを楽しむのだよ。中には50時間どころか何泊もしていく人も多いし、宇宙のあちこちから観光客が集まってくる人気のリゾートプラネットなんだ」
「へぇー、なんだかワクワクしてきちゃうな。早く着かないかなァー」
ディムは窓にはりついてカーブしている車両の先端の、さらにそのまた先に眼を凝らしてじいっと窺っていた。
「あっ、パパあれかな?」
「どれ?」
「ホラあのみどりの」
「ああ、そのようだな。トロピカル・プラネットは鮮やかなグリーンの光を放っていて、“人生を忘れさせるエメラルド”とも謳われているんだ」
その“人生を忘れさせるエメラルド”は、いい薫りを漂わせ笑いながら手招きしているようで、人は皆灯かりに釣られて飛んでくる夏の虫のようにこの惑星に惹かれてゆく。
蒼い空に碧い海、暖かく甘い風に、そして恋の予感……
この星は人々を魅了してやまない。
『間もなくトロピカル・プラネット、トロピカル・プラネットでございます。当列車の到着ホームは2番線で、向かい側3番線には地球行き快速特急がこのあと到着致します。なお、お乗換えは4番線よりアルタイル方面行き、5番線よりサザンクロス方面、6番線よりアンドロメダ方面、7番線より北斗七星方面がそれぞれ発車致します……』
「パパ、ナンカ暑くない?」
「常夏の星だから仕方ないさ。涼しい服に着替えて、帽子も持った方がいいぞ」
緑豊な大地に佇むステーションは、今までと趣がまるで違っていた。萱葺き屋根に木でできたような建物は原住民の家のようで、ディムは少し心配になっていた。
「あんな建物で大丈夫なの?嵐が来ちゃったら吹き飛ばされそう」
「木造に見えても、鉄筋コンクリートなのさ。しっかりした材料で朽ちかけた小屋の雰囲気を出すのは難しかったらしいが、南国ムードいっぱいで、“ああ、リゾートに来た”って実感できるぞ。さぁ、少しゆっくりしていくから忘れ物ないようにな」
ドンドンドンドンドン………
列車がホームに滑り込むと、地響きに似た音が聞こえてくる。
「何これ?!」
「歓迎のしるしだよ。あの音は太鼓などの打楽器の音だ。さぁ着いた、行こう」
ドンドンドンドコドンドコドン……
「●♯×♪♂◇♀$!!」
ステーションはまるでお祭りだ。
腹の底に響く太鼓の音、理解不能な現地語風の言葉で言う「ようこそ」――
二人とも圧倒されて暫くはこのカーニバルに見入っていた。
ドンドコドンドコドン、カカッ!
「ハーーーーッ!!」
どうやらデモンストレーションは終わったようだ。
思わず拍手が湧き上がり、フレードたちも熱烈な歓迎に拍手を贈った。
ステーションのエントランスでは、女性達が乗客の首をレイで飾っている。
「ようこそ、トロピカル・プラネットへ」
「パパ、キレイな女の人たちだネ」
「…………」
フレードはただニンマリとにやけている。この親父は一体何を考えているのだろうか?
「もう、鼻の下長くして」
「いらっしゃいませ。トロピカル・プラネットへようこそ」
フレードもレイをかけてもらおうと、いそいそと美女たちのもとへと走って行ってしまった。
「ホントにスケベなんだから、いい年して………ん?………!!」
大人げないフレードを呆れ顔で睨みつけていたフレードは、突然息を呑んだ。
何かとんでもない事を発見してしまったのだ。
「パパッ!パパァー!!」
ドン☆
「イテテ…」
突然立ち止まるフレードに、ディムはぶつかってしまった。
「いらっしゃいませ。ようこそ……お客様?どうかなさいまして?」
今までチャウチャウ犬のような表情で喜んでいたフレードの顔が強張り、そのまま固まってしまった。
「………カメリア!」
それは奇跡か神の悪戯か、女性達の中のひとりの女………
他界した筈のフレードの妻カメリアが、墓場の底から蘇えったのかと思うほど瓜二つだったのだ!
時の針は逆に回り、若かりし日がもう一度自分を包み込んでいると、フレードは錯覚の世界へ落ちてゆくのだった――――
「お客様、大丈夫でございますか?お客様ーっ……」
★今、なんて言ったの?
「今日はちゃんと落ち着いて話していただきます」
「ハイ……」
先日飲ませたのは失敗だった。
結局太陽はヘロヘロに酔いつぶれて、バタンキューと寝てしまったのだ。
今日は頼まれようとどうなろうと、意地でもアルコールは出さないつもりだ。
「えーと、はじめから話そうか?」
「ええ」
「再来週の土曜日にエルディック彗星が再接近するとき、大西洋の上を通るっていうのは聞いたかな?」
「それは聞きました」
「それで……天体観測してて妙な事に気づいたんだ。エルディック彗星の軌道だが、何度見て計算し直しても合点がいかない。彗星の動きがわかるかわからないか位の微妙さで、少しずつずれていってるんだ」
「え?」
太陽の言う事を私は半分しか理解できないが、何か途轍もない事が潜んでいそうで、固唾を呑んで話の行方を頑張って追いかけていった。
「つまり、今まで通りなら大西洋上を通過という事なんだが、観測して計算してみると……アメリカ本土に、まっすぐ突っ込んでくるという事になる」
「何で…す…って?」
太陽、今何て言ったの?
信じられない!
ほうき星が堕ちて来るだなんて、スペクタクル映画じゃあるまいし現実にそんな事が起こるなんて私は認めない。
「そんなのウソよ!彗星だって何回も行ったり来たりしてるんでしょ?今まで何とも無くて今度は急に地球にぶつかるなんて、おかしいわよ」
「僕だってあり得る訳ないと思ったよ。しかしこれはWASA自体が認めた事なんだ。気持ちは分かるけど、ひっくり返すなんてできない……」
太陽の肩が僅かに震えていた。
私には認識できない事だがどうやら本当にそうらしい。
ほうき星が堕ちて来る―――
私達は皆、どうなるのだろう?
そんな事想像すら出来ないし、考えてみても震えがくる。
「この事はまだ一部の人間しか知らないし、全米に発表するかどうかは大統領を交え検討中だ。なにしろ、国中は恐怖と混乱の坩堝と化してしまう可能性があるからだ。しかし、時間が無い。お前たちは一日も早く日本へ帰りなさい」
「あなたはどうするの?アメリカに残るっていうの?」
「まだやる事が沢山あるんだ。すぐ逃げるなんていう訳にいかない」
「そんなのイヤよ!私あなたを置いて日本には帰れない!」
「気持ちは分かるが、子供達を避難させてくれないか?この国には危険が迫っているんだ」
「ねぇ、もう一度よく調べられないの?何かの間違いとか、勘違いなんて事もあるんじゃない?」
「……残念ながら事実だ。ここは素直に受け止めて、日本に帰ってくれ。頼む……」
太陽の目は哀しい色を映していた。
私と子供達を愛している故に安全な場所へ逃がしたい、たとえそれで今生の別れを迎えてしまったとしても、太陽は私達がなんとか逃げのびていて欲しいと願うのが苦しい程私には分かる。
彼の気持ちを想うと、私は湖絽奈や辺我とともに一旦この国を離れた方がいいのではと思い始めていた。
「わかりました。子供達は私が責任を持って実家へ連れて帰ります。あなたもお仕事がなんとか片付いたら、日本へ……ねっ」
「ああ、わかった。約束するよ」
私の胸には、打ち消しても否定しきれない悪い予感が黒雲のように渦をなしている。
それを振り切るように太陽へしがみついてしまった。
頬を伝う雫が、彼の背中へと筋を描いて滲んでいった―――
★気が気じゃない
『NewJapanAirline,No.499forTokyo.Now……』
「それじゃ私達は行きます。あなたも早めに区切りを付けてすぐ日本に来て」
「分かった、そうするよ」
「ダディー、またネー」
「バイバーイ」
お互い手を振りあい、私と太陽を隔てる距離はどんどん、どんどん伸びてゆく。
このまま私は待っているだけでいいのだろうか?
待っていると彼は必ず私達のもとへと帰って来るのだろうか?
(ううん、気のせい。あの人と暫く離れるから淋しいだけよ)
不安がよぎって胸騒ぎを覚えずにいられなかったが、なんとか気丈に子供達の手を引き、私は飛行機に乗り込んだ。
後ろ髪をひかれつつ―――
こんな気持ち、ウイーン留学に飛び立ったあの時以来だ。
「マミー、夏休みじゃないのにどうして日本に遊びにいくの?」
「それはね………そうね、おばあちゃんがどうしても湖絽奈と辺我に逢いたいっていうのよ。おばあちゃんは体の具合が悪くてね、もしかしたら危ないから今のうちに顔を見たいんですって」
「おばあちゃん、死んじゃうの?」
「そうと決まった訳じゃないわ。きっと湖絽奈と辺我に逢ったら元気になるわよ」
母の瑞江が危篤だなんて話はまるっきり聞いていない。
子供にこんな嘘をつくなんて、仕方ないとはいえ本当に心苦しい。
母の顔を見たらよく謝っておこう。
「ダディーもあとで来るんだよね?」
「ええ、すぐにね」
太陽の仕事はいつひと段落つくのか?
私は落ち着きはらって見せているものの、内心待ち遠しくて堪らない。
ヤキモキした気持ちを乗せて翼は西へ向かって雲海の上を滑って行く。
「まぁ、よく帰ってきたねえ、遠い所から疲れたでしょう?さ、上がって」
「わぁーおばあちゃん、死にそうだけど元気になったんだ。マミーの言ったとおりだ。よかったぁ(^^)」
「ちょっと茉莉沙どういう事?」
母はいきなり痛い視線で私を攻撃してきた。
「ご免なさい、わけはあとでゆっくり話すわ。あの子達が何か言っても“体は大した事ない、お前たちの顔見たら元気が出た”と言って。お願い」
嘘の後始末は本当に大変だ。
世の中の詐欺師の人達はとんでもなく大変な仕事をしているのだろうと思った。
私にはきっとできない。
「ほんっとにしょうがないわね、私を重病人かなんかにして。そのうち殺されかねないわ」
「ご免なさい、でもそうでも言うしかなかったの。なんで急に日本に帰るのか訊くものだから………」
丁度近くの神社で縁日があるので、子供達は私の父に連れられ揚々と出かけて行った。
私は長旅の疲れを紅茶の香りで癒しながら、母に今本当の事を打ち明けようとしている。
瑞江は、笑うだろうか?
それとも“くだらない嘘をつくな”と噴火するだろうか?
「湖絽奈と辺我を急に連れて帰ったのは理由があるの。
あのね、あの……
ところで、こんな事信じてもらえないかも知れないけど……エルディック彗星っていうほうき星がもうすぐ地球に近づいてくるの。太陽が言ってたけど、そのほうき星の軌道がズレていて、本当なら大西洋の上を通るものが……アメリカ本土に堕ちて来るんですって!」
母の瑞江は私の言う事が理解できているだろうか?
恐る恐るリアクションを確かめながら話していると――――
「何?も一回言って」
ズルッ………バナナの皮で滑ったみたい。
仕方ないなぁ、もうちょっとわかり易く言うわね。
「そんな馬鹿な事……もし本当なら今頃テレビとかで言ってるでしょう?」
「私だって始めは信じられなかったのよ!今、米国の上層部で緊急極秘会議まで行われてて、この事をどう発表するか揉めているわ。下手にマスコミに流すと、どうなるか分かるでしょう?あれだけの大国よ。世界中が滅茶苦茶になっちゃうわよ!!」
本当に考えただけで身も細りそうだ。
もしあの国が滅びでもしたらどうなるだろう?
経済も流通もストップして、地球上の社会が死んでしまうかも知れない。
いや、それよりも私は太陽が一刻も早く私達のもとへ無事に来てくれるのを切に願っている。
(あなた、どうか戻って。身ひとつで構わないから………)
そんな私の思いとは裏腹に、悪戯に日にちだけが幾日か過ぎていった。
早く日本へと避難するよう促そうと堪りかねて太陽に電話を架けてみた。
「もしもし、あなた?私、茉莉沙よ。お仕事はどう?もう落ち着いたの?」
「茉莉沙……何て言ったらいいんだろう?実は大変な事になってしまった」
「え?!」
このとき、五臓六腑の機能が停まってしまうかと思った程、激しい胸騒ぎが私を襲った。
太陽に万が一の事があったらどうすればいいか本当に分からない。
そんなのは今迄考えた事もないし考えたいとも思わない。
取り敢えず冷静になろうと私は気丈に努めてみた。
「上層会議では、メディアでの事前発表はしない事になった。恐らく国中が大パニックに陥るのを避ける為だろう」
「そんなの!国民全員を騙すっていうの?!」
「彗星は陸地に堕ちてこないかも知れないし、たとえ堕ちても被害は大したものでないかも知れない。それより恐ろしいのは、人々の心が荒んで犯罪や殺人が爆発的に起こってしまう事―――会議ではそう決断されたんだ」
被害が大した事ないかもと言ったって、彗星がまともに堕ちて誰もが達者でいられるとも思えない。
騙まし討ちに遭うようでアメリカの人々が気の毒だ。
「そうなの、じゃあせめてあなただけでも日本に帰ってきて」
「それが、言い出しにくい事なんだが……しばらくここを離れられなくなってしまった…」
「なんでよォ?!」
私の呼吸は突然上がりだして、酸欠になるかと思ってしまった。
「一応国家機密を知る者なので、目をつけられている。不審な動きをすればその場で処置をすると通達がきているんだ」
冗談じゃない!!
太陽に罪は無いのにこんな不条理が許されていいのだろうか?!
私の頭には憤りが怒涛となって渦巻き、そのうち目の前に星が輝きだして太陽の声が段々遠くに木霊してゆくのを感じていた。
「茉莉沙?もしもし、茉莉沙どうした?!」
★トップシークレット
お父さん、お母さん。突然ですが私はもう一度アメリカへ行ってきます。
太陽は複雑な事情により帰国ができないそうですが、どうしても心配でいても立ってられず
私は会いに行って、彼の顔を見たら首に縄をかけてでも連れて帰るつもりです。
心配しないで、私なら大丈夫。
きっと戻って来るつもりですが、もしも、万が一の事があった時は湖絽奈と辺我をよろしくお願
い致します。
愚かな母親を恨まないよう言ってきかせて下さい。
でもそんな最悪な事にならないよう地を這っても、石にかじりついてでも私はもう一度ここに戻
ると約束します。
愛する家族たちのために―――― 茉莉沙
『Ladies&Genlemen, We will soon fryaway from Tokyo. Please sitdown and fasten yourseatbelt. Thankyou.
――皆様お待たせ致しました、間もなく離陸致します。お座席のベルトを今一度お確かめ下さいませ』
(今頃皆は置手紙を見てどんな顔をしているのだろう?やっぱり心配かけてしまったかしら?)
私は後悔していない。
かのXデーまでもう3日もないからどうしても太陽を放ってはおけず、敢えて危険地帯へと向かっていた。
もしかしたら隕石に焼かれて灰になるかも知れない。
でもそれも太陽と一緒なら本望だとも思える。
ただ気がかりなのは湖絽奈と辺我を遺して逝くこと。
二人には私のような不幸せを味わう事がないよう見守っていたいけれど、それも叶わなくなるのは永遠に心残りだ。
私はこんな事を考えたり、悪い想像を否定したりしながら太平洋を渡って行った。
「どうぞ、機内食でございます」
「ありがとう。でもご免なさい、欲しくないの」
「どこかお加減でも思わしくないのですか?」
「いえ、大丈夫です」
「左様でございますか。では何かございましたら、お気軽に私どもにご相談ください」
「どうもありがとう……」
食欲もなく、夜の帳に包まれてもまんじりとも出来ずに、時々どこかで光る稲妻を虚ろに見つめ、これが悪夢ならどんなに救われるだろうと考えていた。
目が覚めたら、太陽や子供達との変わらないいつもの平穏な朝……
私は目を閉じ、夢よ早く醒めてと心で繰り返し続けた。
乾いた風、目がつぶれそうに舞う砂埃。
物々しく動き回る人達の手前で、何ものをも拒むように門は固く閉ざされている。
「すみません、私ここの職員のナツザワの妻ですが、夫に会わせて下さい」
「何かご自分を証明できるものをお持ちですか?」
私は鞄を探り、パスポートを守衛に提示した。
「OK,奥さん少々お待ち下さい」
守衛は内線で連絡をとり、暫くなにやら話し込んでいたようだが、そのうちちょっと困った顔で、お手上げのポーズをとった。
「奥さん、ナツザワさんは今どうしても手が離せなくて、この忙しいときに来るんじゃないとお怒りだそうですよ」
「そんなの出鱈目よ!主人がそんな事言う訳がないわ」
そう、どんなに忙しくても太陽はそんな風に言う男ではないと私はよく知っている。
(これは何かの圧力なんだわ)
そう感じると、これはやはり只事じゃないと彼の身が案じられ、私はもう居ても立ってもいられなくなってきた。
「そういう事なら私にも考えがあります。主人に会えるまで絶対に帰りませんから!」
守衛はまたも困ってお手上げポーズをする。
「そうですか。そこまで言うなら中でご主人をお探し下さい。でもそのかわり無事に出られる保障はありませんよ」
「構いませんわ。ここで“ハイそうですか”と引き下がる訳にいきませんもの。では失礼して、ご免遊ばせ」
今やここはどういう所なんだろう?
単なる宇宙開発研究所ではなく、職員達を拉致監禁している牢獄でしかないと私にはそう思えて仕方がない。
(勢いで入ったは良かったものの、あの人はどこにいるものかしら?)
何エーカーあるのか見当も付かないほど途轍もなく広そうな敷地は、歩くだけで疲れてしまう。
その中で太陽を捜すなんて本当に骨が折れそうで、自分の夫なのにこんな思いをしないと会えないとは情けなくて涙が止まらなくなってきた。
(でも、泣いてる場合じゃないのよ。しっかりしなさい茉莉沙!あの人を見殺しにしたいの?)
「ううん、そんなの絶対に嫌!時間がないのよ、諦めたら終わりだわ!」
私は慣れない場所で心細くなっている自分を励ますため、歌を歌い始めた。
「♪紅い木の実が〜枝からポトリ〜コロコロ、コロコロ転がってェ〜追いかけていくよコラコラ待ちなさい〜気づいてみればここはどこ〜花が咲いてるいい香り〜誰も知らない知られていない〜秘密の楽園へようこそ〜♪」
半ば自棄っぱちにも見える私を見て、人々はさっきから何やらヒソヒソ耳うちしているみたいだ。
きっと訳知りの女が、頭がおかしくなってしまったと哀れんでいるのだろうか?
「モウあなたぁ、どこにいるのォ!」
このままだと本当にヤバい人になりそうだ。
太陽よ、お願いだから少しでも私に顔を見せて………
★私たちのカタストロフィ(終焉)
(ああ、何だか頭がボーッとしてきた。もう何も考えられないわ……)
本館らしき建物は調べた。
別館1号館、2号館、3号館、天文台、ロケット打ち上げ場……
太陽の姿はいまだ見当たらない。
足なんてとっくに棒になってしまい、彗星が堕ちてくるよりも先に私が行き倒れになりそうだ。
「疲れた……ちょっと休もう」
そこは公園のように池があり、ほとりにはベンチも置いてある。
私はぐったりと腰を下ろし、誰も見ていないので横にならせてもらった。
(私、このままタイムリミットを迎えるのかしら?それも独りで?)
また情けない気持ちが滲みだして、目尻が濡れてゆく。
曇よりと鉛色の空を鳥達が騒ぎながら渡って行き、涙が耳へと注がれてくすぐったい。
私はもう全てが嫌になってしまった。
「太陽のバカヤロー!こうなったのもアンタのせいよ。一体どこまで引っ掻き回せば気が済むのよ。アタシの幸せを返せーーーっ!!!」
誰はばかる事なく、駄々をこねる子供のように私は声を張り上げ大泣きした。
人生も愛も幕切れの時が近づいていると思うと、すましてなんかいられない。
人は死ぬ前になると子供に帰るというのは本当なのだなと、ふと思った。
「茉莉沙、茉莉沙なのか?!」
すぐ近くで響いた声に驚き、慌てて上体を起こした目の前には、紛れもない太陽が立っている。
「もう、どこにいたのよ!日本から走ってきて心配でアッパラパーになりそうだったわ!どうしてくれるの、もう死にそうよ」
混乱してるのか、言葉が支離滅裂で自分でも何を言ってるか理解できない。
しかし太陽は気が狂いそうな程の想いを分かったらしく、興奮した私を強く抱きしめてくれた。
「ごめんよ、本当にすまない。君にこんな辛い想いをさせて……」
太陽の温もりを肌で感じると、昂ぶっていた神経は火に水を浴びせるように鎮まっていく。
現金にもいつもの私が何事も無かったように顔を出していた。
「とにかく会えて良かったわ。さぁ帰りましょう」
「帰るって、僕が今ここから出られないのは知ってるだろう?」
「出られないなら、脱走するまでの事よ」
「………本気で言ってるのか?」
「あら大真面目よ。こんな所で見殺しにされるなんて冗談じゃないわ!さぁもう時間がないのよ、早く行きましょう!」
さっきまでの投げ遣りな私はすっかりどこかへ消えてしまい、太陽の腕を引っ張り走り出す、自分も知らなかったジャンヌ・ダルクか女スパイのような私がいた。
「待て、そっちは人が多い。こっちから回ろう」
正面ゲートと裏ゲートの間に、殆どひと気がなくて森に近く、高い壁も無く脱出しやすい場所があると太陽は言う。
今日中にこのWASAを出てすぐに飛行機に飛び乗らないと大変な事になる―――
チャンスは一度だけ、失敗は絶対許されない。
見つかれば銃殺されるだろうし、もたもたしてると彗星とともにお陀仏になってしまう。
私達は破裂しそうな心臓を押さえながら脱出ポイントへと急いだ。
「あっ、あれがそうかしら?!見えてきたわ!」
高い塀が途切れ、鉄条網の向こうに木が茂っているのが見える。
あれなら私でも越えられる筈だ。
あれさえ越えれば私達は日本へ帰って生き延びられる。相当走ったから苦しいけれど、もう少し、あと少しだ――――
しかし……………
『そこの二人、止まりなさい!』
「しまった、見つかったか?!」
なんて事だろう!
もうすぐそこで出られるというのに、無情にも私達の企ては発覚してしまった。
「茉莉沙、このまま突っ切るぞ!!」
「分かったわ!」
金網に辿り着くなり、私達は猿の如く登り始めた。
すると………
ダダダダダダダダダ!
機関銃が打ち放たれ、その辺りの草に石に、ピシピシ当たりまくって私達の寿命を脅かしている。
「クソッ!何しやがる。ふざけやがって!!」
もうあとになど引けない。
さっさとフェンスを越えて素早く塀の陰に隠れないと、彗星が頭に堕ちてくる前に蜂の巣になりそうだ。
ダダダダダダダダダ!
「茉莉沙、つかまれ!」
フェンスの上に着いた太陽は私の手をとって引き上げた。
「飛び降りるぞ!」
恐いなんて言っていられない。
火事場の馬鹿力の言葉通り、私は太陽とともに3メートル程の高さを一気に飛び降りて、信じられ ない素早さで塀の陰に隠れた。
時間にして数秒も無かったが、私にはとんでもなく長い時間に感じられた。
「はぁ………なんとか助かった……」
「安心するのはまだ早い、一刻も早くここを離れたほうがいい。この森を抜けると道路に出る筈だ、そこで車でも拾おう。さぁ急ぐぞ」
「ええ」
森の中に入る前に、どうやら弾丸のつぶてが治まったらしいWASAの建物をふと振り返って見てみると、空に乳白色の光るものが浮かんでるのが見えた。
「ねぇ、あれ何?」
「え?…………っ!そんな馬鹿な!!」
太陽の顔から色が無くなってゆくのが分かる。
それを見た私の胸にも激しい脅威が生まれ始めた。
あの光は、もしかして………………
「あり得ない!彗星は軌道を変えるばかりか、加速度をつけて向かっているぞ!!」
「どうしてよ!彗星が近づくのは明日の夜じゃなかったの?!」
「詳しい事は分からんが、あれはまるで生き物だ。この国めがけてスピードを上げている。このままだと間もなく堕ちてくるぞ!!!」
これは本当に現実なのだろうか?
昔、ノストラダムスが言ったように、今夜が恐怖の魔王が空から降ってくる日なのか?
私にはもう分からなくなってきた。
もしこれが悪い夢ではなく現実の世界の出来事なら、私は太陽の身をなんとしても守らなければとそれだけが頭の中を駆け巡っていたのだ。
「あ、見て。光がだんだん大きく、強くなるわ!」
光の塊は眩しさを増して、そして空一面が星よりも月よりも、一瞬明るく輝きをはなった。
(もうだめだわ!逃げても同じ。神様どうぞ私達をお救い下さい!!!)
私は太陽を力一杯抱きしめ、何が起きても離れないようにしがみついた。
カタストロフィの訪れに引き裂かれぬように。
「あなた、愛してる。どうなろうと愛してるわ!!!」
ゴゴオオオオオオ!!
轟音が響くなか、気流が狂ったように渦を巻き始めるのを感じる。
私達の周りを突風が目にも止まらぬ速さで取り巻いて、体が重力から解き放たれ、宙を漂う感じがする。
そのうちどこから発せられたのか、眩しい光が自分たちの体を包みこんでゆく。
(この感じ……前にどこかで見たことあるような……)
風と光。
それらはますます激しく取り巻いて、私達はもうどこにいるかさえわからなくなってきた。
意識はだんだん朦朧として、心地よい眠りに包まれてゆくような感じがする。
もはや現世に別れを告げるときが来たのかと意識の隅でそう思っていた。
太陽よ、せめて私から離れないで。最期まで側にいて―――
私達は、右も左も前も後ろも真っ白な世界に放り出されたようだ。
そのあとは、もう何もわからなくなってしまった。
〜第二部へつづく〜