命を狙ってきた元婚約者が今度は守ってくれるそうです~Bloody・Love~
白の国ホワイティア・王城内――王と王妃の私室にて――
「桜華、お前は一四歳になったらブラッディアの王子のお嫁さんになるんだ」
四歳の誕生日を迎えた王女、白鳳桜華は王である父にそう告げられた。
「ぶらっでぃあ……」
幼い桜華でも知っていた。そこは黒の国。悪い魔物がたくさんいる、白の国も魔物だらけにしようとしている、怖い国。
涙が浮かんできた。
一番身近なお嫁さんの王妃は、とても悲しそうだった。そういえば、母様はたまにこんな顔をしていたなあと思い出す。笑いながら遊んでいる時に、突然悲しそうにして、また笑うのだ。
お嫁さんは、女の子の憧れだ。王族だから、国民との結婚は難しいかもしれない。でもきっと高貴で、きらきらとしたかっこいい王子様が迎えにきてくれるのだと、そう思っていた。
魔物の国の王子なんて、考えもしていなかった。
「ブラッディアの王様がね、王女をお嫁さんにしてくれれば怖いことを止めると言っているんだ」
そうして王は、どうして桜華なのかという話をしていく。
小さな頭で理解した。
おうかが行かなきゃいけないんだと。
おうかが、行くのだと。
だけど、一つだけ知りたかった。
「ぶらっでぃあの王子さまは、まものじゃないの……?」
「魔物じゃないよ。桜華と同い年だし、きっと仲良くなれる。安心していい」
そうかなと思ったが、桜華は涙を引っ込めた。自分なりにきりっとした顔を作ってみる。
「わかった。行く」
王は、ありがとう、と言って厳しい表情になった。黒の国ブラッディアは危険な国だ。王子に嫁ぐのであっても何があるかわからない。だから、結婚までに身を守る力を身に付けるのだと。
「お前には今日から、騎士としての手解きを始める」
「そんな! 桜華はまだ四歳なのですよ」
いつも穏やかな王妃が、少しばかり取り乱す。
「生き残るためだ。私だって娘をむざむざ生け贄に出す気はない。あと十年しかないんだ」
元々、ホワイティアの王族には国民を守る武力を持つ義務と責務がある。訓練が早まるだけだと王は続ける。そして、苦々しげだった顔を普段通りに緩め、言った。
「……ところで、王子の嫁というのは家事は覚えるべきなのか? 通常なら必要ないだろうが」
「私の場合、身の回りの世話は従者がやってくれましたから……でも、基本くらいは身につけておいた方がよいかと」
王妃の意見を受けて、王は娘に向き直った。
「よし、戦闘と家事だ。十四歳までに身につけるんだ。いいな?」
「はい、とうさま」
真っ直ぐに父を見て、桜華は答えた。
*
――九年と十一か月後、王城外の戦場にて――
「桜ちゃん、後ろだ!」
殺気を感じたのと騎士仲間からの声がしたのは同時だった。素早く振り向き、薄桜色の刀身の剣で魔物を真っ二つにするつもりで袈裟切りにする。十三歳という年齢で、桜華はもう躊躇うことを忘れてしまった。恐怖している暇もない。
断末魔を耳にしながら、襲いかかってくる魔物を次々に屠る。
その度に赤黒い血が服を汚し、布に染み込んでいく。不快感が徐々に集中力を奪い、動きが荒くなってくる。攻撃のミスが増えてきて、一撃で倒せなくなってきた。自分の剣よりも質が数段悪いなまくらの剣――そして敵の戦闘習熟度が低いからぎりぎり何とかなっているけれど――
(以前に、父様が言っていた……)
黒の国は軍の中でも最弱の部隊を送ってきている。あの程度で王城を破るなど不可能だ。婚姻成立まで敵対を続けるという黒騎士王の意志表示だろう。と。
だからこそ、まだ未熟な桜華でも魔物兵士達と互角以上に戦えるのだ。
けれど、今対峙しているこの魔物はその中でも強かった。
ギザギザの歯を剥き出しにした凶悪な顔面の魔物と、何度も剣を切り結ぶ。魔物とはいえ、形は様々ながら目も鼻も耳も口もある。身長は人程度から数メートル級まで様々だが頭は基本一つ、腕は基本二本、人と同じ立ち方をしている。彼等にも恐らく本能以外の感情がある。
(殺さないと殺される。でも……)
魔物に人格があると思ってはいけない。
何度も教えられてきた言葉だ。
手間取っている桜華に、敵の魔物がにやあっと笑った。
「……っ!」
体の中心を目がけて突き出されてくる剣を寸でで避けるが、右の二の腕に刃が入った。
「あっ……!」
腕から一気に血が――桜の花や花びらが散る。人である桜華達の血は、体から流れ、飛び散った時点で花となる。
右手に握っていた剣が地に落ちる。突然の鋭い痛みに冷静さを失い、右腕の傷を左手で押さえる。指の間から、桜の花びらが溢れてくる。また、魔物が笑う。
「桜ちゃん……!」
「姫!」
周辺に舞い散る花びらで状況に気づいた騎士仲間達が一気に迫り、双方向から敵を串刺しにした。屍になって倒れる時、魔物は笑ったままだった。
「あ……あ……」
剣を拾うこともできずに後ずさる。
「桜ちゃん、桜ちゃんは後衛に下がって魔法で援護してくれ! そこにいたら死ぬぞ!」
「う、うん……」
下がってもいいという一言で呪縛が解け、死ぬという切迫感に追い立てられて桜華は剣を左手で拾って後退した。戦闘はこの二十分後には終わり、戦場には魔物達の屍と血の海が残った。
*
同日、装備を脱いで私服に着替えた桜華は、王城の廊下を歩いていた。
(こんなんじゃだめ……! もっと強くならなきゃ……)
騎士としての反省と、婚姻まであと一か月しかないという焦りが心を乱す。
ホワイティアが和平交渉に行った際に互いの子供の婚姻を提案したのはブラッディア側だと聞いた。それによって、黒騎士王も白の国の王族になる。そこを足掛かりにして侵略を進めようと考えているのは理解していたが、王は婚約を承諾した。
(和平なんて名ばかり。私は人質みたいなもの……)
王子――黒王子が人であっても、種族は関係ない。好きになれるとは思えないし、嫁いだ後にどんな扱いをされるかもわからない。
(一人で生き抜けるようになって行かなきゃ……)
王城の奥にある、王族と一部の従者以外は入室が不可能な部屋の前で立ち止まる。なぜ不可能かというと、この場所が王族の特殊能力で作られているからだ。従者には、能力を付与した上に個人の魂と紐づけた鍵が与えられている。
「…………」
目を閉じて、強く握り込んだ左手を胸に当ててぎゅっと力を込めると、焦りが静まって心に光が灯った気がした。その日に備えて鍛錬し、強くなるという決意の光が。
部屋の扉を開けると、中には彼女が守りたい、大切な人の姿があった。
「待たせちゃったね、白華」
双子の妹である――つまり、もう一人の王女である白華は、白いワンピースのふわふわしたスカートを広いカーペットの上に広げ、床にぺったりと座っていた。くまのぬいぐるみを抱いて、本を開いている。
「お姉ちゃん」
白華の表情が一気に輝く。桜華と同じ顔、髪形をしているが、受ける印象はどこか気弱で、子供っぽいところがある。
「焼き菓子と紅茶を持ってきたの。ティータイムにしよ」
右手で籠を掲げると、桜の花びらが舞い落ちる。「うん」と返事をした白華の顔が一気に曇った。
「……誕生日なんか、来なければいいのに……」
室内に入り、テーブルに向かう桜華の耳にぼそりとした暗い声が聞こえた。
「……お姉ちゃん、ごめんね。怖いことを全部押しつけるみたいな感じになっちゃって。あたし達は平等に、どっちが選ばれてもおかしくないのに」
桜華の腕には、先程の怪我の手当てとして包帯が巻かれていた。その一部分を隠すように、彩るように、桜が咲き誇っている。白華がそこに手を翳して柔らかい光を放つと、薄桃色の花が力を失い、ひらひらと落ちていく。包帯を取ると、傷は綺麗に治っていた。
「ありがとう、白華」
「ううん。あたしにはこれしかできないから」
悲しそうに、困ったように白華は笑う。俯いてしまった妹に、桜華は優しく声を掛ける。
「白華は聖女なのだから、この国を離れるわけにはいかないの。何も気にする必要はないのよ。それに、ほら、家事とかは……こうしてお菓子を持ってくるのに役立っているし」
お菓子作りは、桜華の心を落ち着ける大事な趣味になっていた。甘い匂いに囲まれている時だけ、全てを忘れられもする。
黒王子の婚約相手が桜華に決まったのは、白華が聖女だったからだ。聖女は強大な白の力を持っている。どんな怪我も治してしまう治癒能力は勿論、修行の果てにはこの国全ての癒しの力を集めたり、闇の浄化が可能だと言われている。
国の為に、白華を失うわけにはいかない。
白華の存在は、徹底的に秘匿する必要がある。その為、桜華は王の一人娘として公表されている。でもそんな国の事情より何よりも。
たった一人の大事な妹を黒の国に行かせたくなかった。嫁いだら最後、彼女は危険視されて殺されてしまうだろう。
だから桜華はあの時、「はい、とうさま」と答えたのだ。
「聖女っていったって……黒の国との婚姻が終わるまであたしの存在は秘密にされて、誰の癒しにもなれてない。それにあたしは……聖なる心なんて持ってない。そんなに綺麗で、理想の人になんてなれてない。こんなところに閉じ込められて、意味のない時間を過ごすだけ……」
この部屋は、誰にも探知されない別空間になっている。白華は、ここから出ることを許されていない。幽閉状態と言える生活を、ずっと続けている。
「意味はあるよ。私達はここで毎日、心を交わしてきた。一緒に遊んで、勉強をした。私はその日々を忘れないし、白華も忘れないでしょう?」
白華はこくんと頷いた。片手で目をごしごしと擦ってから視線を合わせてくる。
「……うん、忘れない」
「それに、婚姻が終わればあなたは自由になれる。ここから出て沢山の人と交流できる。私との経験が、その時に生かされるわ」
桜華が嫁いでしまえば、黒の国はもう嫁を取れない。万が一聖女の存在がバレても、和平の後には手が出せない。白華は一般人の雇われ従者という扱いになるけれど、学校にも行けることになっている。
「お姉ちゃん……」
辛そうだった白華は、やがて顔を上げて笑顔になった。
「そうだね」
*
一か月後――
「お誕生日おめでとう、白華」
早起きをして作ったホールのショートケーキをいつものテーブルに置き、白華には彼女の好きなロイヤルミルクティーを、自身には一番のお気に入り茶葉で淹れた紅茶を選んだ。口に含んだ瞬間、透明な香りが体内に広がっていく気がする。それと共に、自分の意識が王女でも騎士でもない『桜華』個人に戻っていく実感が沁みてくる。
(でも、今日は……)
憂鬱という言葉では足りない、刻々と迫ってくる未来への恐怖が脳裏から離れない。だが、その怯えを白華には悟られたくなかった。笑顔で祝いを口にした桜華に、妹も明るい笑みを浮かべた。
「うん、ありがとう、お姉ちゃん」
あれ……と、桜華は違和感を覚えた。ここ最近、白華は表情を曇らせていることが多かった。敵国に嫁ぐ日が近付くごとに、姉を犠牲にして自分だけが国に残ることへの罪悪感が募っているように見えていた。だからこそ、彼女の前では気丈に振る舞わなければいけない――そう思っていたのだが、吹っ切れたのだろうか。
「お姉ちゃんも、誕生日、おめでとう!」
「……!」
声を震わせることなく、はっきりとした祝福を受けたことで桜華は確信した。先程のは違和感ではなく、明るさを演じようと決めた結果なのだと。
「……ありがとう。火、消そっか」
「うん!」
満面の笑顔で頷く白華と、敷き詰められた苺の隙間に立てた十四本の蝋燭を吹き消す。小皿に取り分けたケーキを、妹は夢中で食べ始めた。桜華が数口を飲み込む間に一カットが無くなっていた。
「美味しいね! もう一個もらっていい?」
「いいけど……ペース早くない? それに、いつもは小食なのに……」
面食らってぱちぱちと瞬きを繰り返すと、ケーキを小皿に乗せた白華はフォークを止めることなくさらりと言った。
「お姉ちゃんの作るお菓子を食べるのも、これが最後だから」
「……!」
一瞬、心臓が止まるかと思った。口に含んだスポンジと生クリームは、どこまでも甘い。
「たくさん食べておかなきゃ。あ、ねえねえ、ミルクティーのおかわり欲しいな」
「…………」
ケーキと一緒に驚きを飲み込むまでに、体感で五秒程を要した。五秒もぼうっとしていたら、戦場では命を取られてしまうのに。
「はいはい、待っててね」
空の鍋に瓶の水を注ぎ、持ち運び用の小さな竈に魔法で火入れをする。ぷつぷつと浮かんでくる水泡を眺めていたら、何てことない調子で白華が言った。
「お姉ちゃん、いっぱい友達作ってね。あたしも、皆と仲良くなれるように頑張るから」
「白華……?」
振り返ると、妹はフォークを置いてこちらを真っ直ぐに見詰めていた。覚悟と願いのようなものを感じ取り、桜華は微笑む。
「そうね。友達、出来るといいね」
「出来るよ、絶対!」
元気過ぎる程に元気な声だった。白華は結局、ホール型が半月型になるまでケーキを食べた。
扉を開け、城の廊下に立って異空間に留まる妹に最後の挨拶をする。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
手を振っている白華に背を向け、扉の脇に立っている妹専属の従者に声を掛ける。
「白華のこと、お願いね」
「承知致しました」
従者は丁寧に腰を折る。十年前のあの日から、幽閉状態になった妹の世話をしてくれている女性だ。
彼女がいれば、白華はきっと大丈夫だ。
*
数時間後――
黒いウエディングドレスに身を包み、ヴェールを被って港へ向かう。
(ウエディングドレスを着るのって、特別嬉しいものだと思ってたな……)
馬車に乗り、沿道に出てきた国民達からの声援とエールを受け、笑顔を交わす。
港には、黒の国ブラッディアの巨大船が到着していた。甲板に立つ黒集団の中央に、黒タキシードの黒髪の少年と、黒く分厚い外套を纏った黒騎士王がいた。馬車を降り、両端に金糸が縫われたカーペットの上を、父と手を繋いで歩く。止めようとしても、小刻みに手が震えてしまう。父の視線を一瞬、感じた。
*
同時刻、ホワイティア王城の謁見の間では、留守番の大臣がうろうろと歩き回っていた。
「桜華姫は大丈夫だろうか。無事に婚姻が済むだろうか……」
その時、両開きの大扉を勢いよく開けて、白華付きの従者が駆け込んできた。どうしたと問うと、彼女はひれ伏して大声で報告した。
「白華姫が……白華姫がお部屋にいらっしゃらなくて……! 大変申し訳ございません!」
「何だと!? 部屋の前でずっと番をしていたのではないのか」
「はい。扉越しに会話をしていたのですが、突然気配がなくなって……。変だなと思ったら、もう……」
「私も確認する! 部屋まで連れていけ!」
「は、はい!」
城に残っている者の中で白華の部屋に入れるのは従者だけだ。小走りで謁見の間を出る彼女を追いかけて部屋に行くと、確かに中はもぬけの殻だった。
「実は、白華様は……いつか自分も戦いたいと……別空間を利用した武器の出し入れを出来るようになりたいと言っていて……空間同士を繋げる能力の練習を……」
如何なる処分でも甘受致します、と従者は廊下の床に頭をつけた。
*
「待って!」
静かに歩く桜華と王の前に、白いドレス姿の少女が飛び出してきた。両腕を広げ、こちらに背を向けているが白華だとわかる。このドレスは、去年の誕生日に二人お揃いで誂えたものだ。
「彼女は影武者で、私が桜華です。嫁ぐのが怖くて影武者を立てましたが、思い直しました。関係のない方を犠牲にしてはいけませんよね……」
「白華……何を言っているの!?」
妹は、桜華として黒の国に嫁ぐつもりなのか。驚きのあまりに声をあげてしまい、しまったと口を塞ぐ。だが、もう遅かった。
「びゃっか……? それがお前の名前か」
黒騎士王の、地を揺らすような迫力のある声が港に響く。白華は怯む様子なく、一歩前に進んで船を見上げる。
「いえ、私は桜華です! 彼女が影武者の白華です!」
白華は一片もこちらを見ようとしない。その横顔には覚悟があった。姉の代わりになるという覚悟が。
(白華……)
彼女の想いを目の当たりにして、乾いた口内に残った空気をこくん、と飲み込む。
「違います。私が桜華です!」
桜華も必死の思いで、本物だと主張した。どれだけ嫌でも、黒王子の妻になるのは自分だ。
「どちらがどちらであっても、謀る意思があったのは間違いないのだな」
「そんなことは……! 彼女は影武者ではなく……!」
船上から降ってくる糾弾に、桜華は弁明しようとした。だが言葉が続かない。妹ですと言えない以上、道理が通る説明など端からないのだ。
「替え玉計画があったのは確かなのだろう。ブラッディアに嫁ぐのを犠牲と呼ぶのも気に食わん。この話はなしだ。……聖都」
「……はい」
聖都と呼ばれた黒王子が、無感情に返事をする。彼を見た誰もがかっこいいと評するだろう整った容貌をしているが表情はなく、瞳には一切の光がなかった。
「まず白いドレスの女を殺れ。その後に黒い女だ」
黒騎士王が最後の「だ」を言うか言わないかのあたりで、黒王子は船上の床を蹴っていた。息をする間もなく、黒い剣を掲げた少年が白華に迫っている。
「……!」
白華の声なき悲鳴を出すのと、咄嗟に動いた桜華が黒い剣を受け止めるのは同時だった。魔力の高い者だけが使える、別空間を通じて剣を召喚する技で間に合った。攻撃の剣圧を受け、黒いドレスが裂けて肌のあちこちに傷が出来る。流れる血が桜の花びらとなり、風に舞っていく。
「…………」
妻になる筈だった桜華が傷を負っても、黒王子に反応はなかった。剣の力は増すばかりで緩まない。しかし――
「……!」
目が合った瞬間、聖都の黒い瞳に光が戻って声が漏れる。
「あ……」
攻撃を通そうとする力が少しだけ緩む。押し返そうとする薄桃色の剣の圧力で、タキシードのひらひらとした袖の中がちらりと見える。
「……!」
桜華は気づいた。彼の腕が傷跡だらけであることを。
「桜華!」
王が叫び、意図を悟って後ろに飛び退る。直後、大剣を握った王が黒い剣を受け止め直した。
「私の娘になにをする!」
大ぶりの一閃で、黒王子を吹き飛ばす。港を囲む建物の一つに突っ込んだ彼の体に、たくさんの青い薔薇が咲いて落ちていく。
「聖都、戻れ」
黒騎士王の命令と共に、黒王子は立ち上がった。痛みを感じさせない動きで船まで跳び、父の隣に立つ。
「俺は貴様等王族を滅ぼし、この国に必ず戻る。覚悟しておけ。ホワイティアの王族達よ」
低い声で呪いを残すかのように黒騎士王が宣言すると、船は遠ざかっていった。
船影が小さくなっていく中、桜華は建物周辺に乱れ落ちた青薔薇に歩み寄った。しゃがみこみ、一花を掌に乗せる。
頬の傷から流れた桜の花びらが、青の上にゆっくりと落ちた。
*
*
*
――婚約破棄から、二年の月日が経った。
ホワイティアへの魔物の侵入は激化し、十六歳の桜華は騎士として戦場に立ち続けていた。理由は幾つかある。戦闘訓練を受けた者が少ないということもあるが、国に魔物が増えたのは自分が原因であるという後ろめたさと罪悪感、王族は民を守るべきだという矜持から自ら戦いを希望したのだ。騎士達の癒しを行う為に、白華も今は鎧を着て後方支援をしている。聖女が団に紛れていることは国民には秘匿されているが、妙に治癒力の高い騎士が居るという噂は民の間で流れているようだ。
現在、ホワイティアの王族はブラッディアで賞金首となっている。その中に白華が含まれていないのが桜華にとっての救いだった。白華の従者も健在だ。
魔物による犠牲はゼロではないのに、身内が無事だと良かったと思ってしまう。
何も変わっていない。誰も犠牲になっていないのだと錯覚してしまう。
けれど、それは違っていた。
悪化した状況の中で、桜華は多くの魔物を屠ってきた。
どれだけ、殺しただろう。
数えきれない。
弱い魔物も、強い魔物もいた。
今のように、死にかけたこともあった。
魔物を殺すのは犠牲ではなく、正義だと思っていた。
罪ではないのだと、思い込もうとしていた。
「……………………」
鎧は壊され、体中を斬られて動けない。全身を責め苛む激痛の中で、桜華は魔物達の姿形を思い出す。
弱い魔物の名前は勿論、わからない。強い魔物の中には名乗る者もいたから、数人は覚えている。
「クロウド、ヴァル……」
血と桜の花びらに塗れて地に伏せている桜華の頭上で、聖都の声がした。僅かに視線を上げると、青薔薇をはらはらと落としながらかつての婚約者が見下ろしてくる。タキシードなどではない、鎧でもない、とてもではないが高貴とは思えない襤褸のシャツとズボンを一枚ずつという軽装で、黒い剣とネックレスだけが特別な身分であることを示している。腕だけではなく、全身に古い傷跡があった。
「あいつらは、俺の友人だ。情に厚くて、仲間の為なら無茶もする。その所為で……」
剣を掴む聖都の手に力が入るのがわかった。婚約が破棄になった後、桜華を嫁にする為だけに存在を許されていたという彼は、王子としての立場を奪われて放逐されたらしい。常に操られていたとも聞き、市井に降りて少しずつ自我が戻ってきていた頃にスラムの魔物達に拾われた。そこで、初めて人としての生活を知ったのだという。
そのスラムの仲間のうち、二人の名前がクロウドとヴァル――桜華が殺した魔物だった。
二人は、賞金を持ってくるからなと言って出て行き、帰らなかった。
桜華は自分の命を狙う魔物を倒しただけだ。けれど、聖都にとっては――
「お前は、仲間の仇だ。……黒騎士王が求めているからではなく……仇として、殺す……殺さないといけないんだ!」
怒りと憎しみと、どうしようもない悲しみが伴った叫びだった。怪我をしていない筈の心臓に痛みを感じる。生命が尽きかけているからではない。これは、心の痛みだ。
――彼には……私を殺す権利がある……
クロウドとヴァルは強かった。それこそ死にかける程に苦戦した。戦いの最中には恐怖もあった。
けれど、彼等は確かに――『人』だった。
言葉を話し、感情を持ち、思考力と判断力を持っていた。
――私は、彼に償わなければいけない。結果として、きっと白華も守ることが出来る。だから――
「お姉ちゃん!」
背後から突然、切迫した白華の声がした。血と花びらだらけの姉を見たからだろう。「……!」と息を呑む気配の後に、騎士団支給のブーツの足音が近付いてくる。
「大変! すぐに治すから……!」
「来ないで!」
痛みの中で、驚くほどの大きな声が出た。聖都の前で白華が癒しの力を使って傷が全快したら、聖女がいることがブラッディアに知られてしまう。自分が死んでも、意味がなくなってしまう。妹を守れなくなってしまう。
「え……?」
「今、来たら、殺されるから……」
ブーツの音は止まったままだ。わかってくれたのだろうか。
「お姉ちゃん……?」
怪訝そうな聖都の声がする。しまったと思った。彼を殺さないといけない。殺して、口封じをしないと――
ちくん、と胸が痛んだ。先程の痛みとはまた違う、針が刺さったみたいな、泣きたくなるような痛みだった。
「お姉ちゃん……そうか、あの時の女は、影武者じゃなく……」
でも、駄目だ。体が殆ど動かない。視界が霞み始めていて元婚約者の表情も見えない。命が消えていく感覚の中で、桜華は覚悟を決めた。
(白華は……私が、守る……)
何故か、恐怖はなかった。
浮かびかけた涙を一瞬で枯らし、既に靄としてしか認識出来ない聖都を見上げる。
「私を……殺して」
「……何?」
彼が動揺するのがわかる。常軌を逸した願いだと、自分でも思う。
だけど、彼の声が揺れる理由がわからない。私を殺しに来た、彼の声が。
「あなたにはその権利がある。私の首を持って、黒騎士王から賞金を貰って」
王子の座に戻れるかもしれない、とは言えなかった。王子の肩書を得たとしても、彼はまた操られるだけだろう。
「その代わり……白華のことは見逃して。お願い……」
「そ、そんなの、ダメだよ、お姉ちゃん……!」
「……………………」
聖都は動かない。何かを言うこともなく、攻撃することもなく立ち尽くしている。地面を彩る桜色の靄の中に、黒っぽい青色が溶けていく。
「……くそ」
悪態が聞こえた。鼻孔に届く青薔薇の香りが強くなり、顎が持ち上げられる。
首を斬られるのだと思って瞼を閉じた時だった。唇が柔らかいもので塞がれ、息が出来なくなる。
(……窒息させる気……?)
何でも構わない。殺すなら、早く殺してほしい。
(……鼻を塞がないのは何故?)
疑問を抱いた時、白華の「え? え? いいの?」という戸惑った声がした。ブーツの音が近付いてくる。何が起きているのだろうか。
ゆっくりと瞼を開ける。体の痛みが消えていく。視界一杯に、はっきりとした輪郭の聖都の顔が広がっている。
唇を離し、彼は桜華を正面から見詰めてきた。視線からは、憎しみも怒りも感じなかった。真摯で真っ直ぐな、確固とした自我を持った一人の少年が、そこにいる。
「……俺が、悪かった。お前は、悪くない」
「え……?」
わけがわからなすぎる。痛みが消えた体を起こし、地面に足をぺたんとつけて座り込む。
「何を、言ってるの……?」
「お前は、悪くない」
繰り返した直後、聖都は桜華の身体を抱きしめ、口づけをしてきた。背中に回された手が、震えている。
どうしてだろう。振りほどく気にならない。
「お前は……桜華は、俺が守る」




