第24話 導く者たち
翌朝目覚めた時には、昨晩、布団の中で嗚咽を漏らしていたことなどなかったかのように、美香さんはすっきりした顔をしていた。
二人で朝食にトーストを食べ、色欲を吸い取ってもらい、それから通勤のために二人で並んで梅が丘駅まで25分の道のりを歩くことになった。
後ろからはいつも通り少し距離を置いて聡美さんが付いてくる。
その聡美さんをちらりと確認してから、美香さんがおもむろにつぶやいた。
「そういえば、残っている関係者って、聡美さんと…あと誰だっけ?」
「紅羽さんですね。今の職場の上司です。」
「そういえば職場の上司って言ってたね。本当に君は見境ないな~。呆れちゃうよ。」
言葉では呆れたと言っているけど、口調は軽く、表情も柔らかい。きっと、僕の異常さにすっかり慣れてしまったのだろう。
「どんな人なの?」
「はい…。新卒で今の会社に入って、配属された法務部での上司が紅羽さんでした。すごく美人なんですけど、切れ者で合理主義者で…。配属される前は鬼のように厳しい恐竜系上司で、何人も部下を潰してるって噂を聞いて戦々恐々としてました。だけど、一緒に働き始めたら、確かに上昇志向が強くて厳しかったけど、実は繊細で思いやりがあって、部下である僕のこともよく見てて、さりげなく助けてくれたりして…。マスターヨーダみたいに導いてくれる尊敬する僕の師匠です。」
「マスターヨーダって…女性への褒め言葉なのかな~?まあいいや、それでなんでそんなに尊敬しているお師匠様と関係者になってんのよ?職場でムラッと来て押し倒しちゃったとか?」
美香さんが口元をにやつかせながら、横目でジトッとした視線を向けてきた。
「さすがに僕も職場でそんなことしませんよ。紅羽さんは職場では厳しいですけど、僕が悩んでいたり、落ち込んだりしている時に食事とかに連れてってくれて、慰めてくれたり話を聞いてくれたりして…。そんなことをしているうちに、僕がどんどん紅羽さんに惹かれてしまったんです。それである日、二人で食事に行った時に思い切って告白しました。」
「えぇ~っ?告白?一郎がそんな純情なことしたの~?」
今度は好奇心に満ちた視線を僕の方に向けながらニヤニヤと笑い始めた。
「僕だって告白くらいしますよ。でもそれが大学1年の頃以来の人生で二度目の告白だったのでドキドキして。もう心臓が飛び出そうで…。」
「そういうキモい心理描写はいいからさ、それでどうなったの?告白の返事は?」
「気持ちは嬉しいけど、職場の上司と部下でそういうのは…って言われて。」
「断られたんだ。やっぱりね。ぎょくさ~い!ざんね~ん!!」
美香さんが急に嬉しそうな口調になり手を叩きながらケラケラ笑い出した。
そうやって頑張ってうまくいかなかった人を笑うのよくないと思う!!とちょっとイラっとする。
「…あれっ?でも最終的に紅羽さんも関係者になってない?じゃあ、うまくいってんじゃん。」
「そうなんです。実はそこから何回も告白を繰り返したら、1年後に紅羽さんがやっとうなずいてくれて…。」
あの瞬間は嬉しかったな…もう2年以上前だけど、思い出だけで無意識にはにかんでしまう。
「ニヤついてキモ~い!でも驚いた!一郎もそんなまともな恋愛したことあったんだ!」
「さっきからキモいとか言わないでください。僕だって…いつも性欲とか色欲に振り回されてるばかりじゃなくて、ちゃんと好きになった人と真面目に恋愛することくらいありますよ…。」
「驚いた!!紅羽さんのこと、本気で好きなんだ!」
「ええ…。」
口に手を当てて大げさに驚く美香さんに、僕は照れて目を伏せる。
「でも、そんな風に真面目に好きなんだったら別に…無理して別れなくても…。」
「いえ、美香さんに色欲をすべて渡す契約をしてますし、仕方ないんです。」
「そっか。それに同じ職場の上司と部下だしね。しっかし、職場の頼れる先輩に憧れるなんて~。やっぱりそういうのあるよね~。」腕組みをしながら、ニヤニヤと思い出し笑いをする美香さん。
「美香さんも職場の上司とか先輩に憧れてるんですか?あっ、あの本城さんですか?」
「ちょっと止めてよ!あんなナルシストなおっさんに憧れるわけないって。」唇をとがらせ、ウゲッ~と言いながらで顔を歪める。
「じゃあ、他に憧れてる先輩がいるんですか?」
「うん…。ほら、前に話したじゃん。私が悪魔のきっかけになった話。」
「たしか半グレの彼氏に悪魔に売られたって話でしたっけ。」
「うん…そう。そのとき彼氏と話を付けてくれた悪魔が、香里さんて方なんだ。香里さんはすごいんだよ。悪魔なのに、取引相手の人間が不幸にならないように配慮して、先を見通してお互いに利益になる取引を提案してくれるような立派な方で…私の時も私の人生を立て直すために最善の提案として悪魔になることを勧めてくれたんだ。目先の営業実績しか興味ない本城課長とは大違い!」
「へぇ~、悪魔にもそんな尊敬できる方がいるんですね。今でも一緒に働いてるんですか?」
しかし僕の言葉に美香さんは寂しそうに横に首を振った。
「実は…私が悪魔の研修を終えた頃に、人間と結婚して悪魔を辞めちゃったんだ…。」
「えぇっ?悪魔って人間と結婚できるんですか?しかも寿退職で悪魔辞めたりできるんですか?そんな会社の一般職みたいに…。」
衝撃の事実に驚く僕に、美香さんは手を横に振って「違う違う、全然違う」と否定した。
「私たちは悪魔はね。悪魔になる時に、魔王に魂を譲り渡さないといけないの。だから一度悪魔になったら原則として辞めることはできない。悪魔でいるうちは結婚も恋愛も禁止。つまり、私は一生、結婚も恋愛もできない。」
美香さんの顔に翳がさす…。
つまり美香さんはそういう覚悟で悪魔になったということだ。
「でも、その先輩が人間と結婚できたってことは、何か悪魔を辞める方法があるってことですよね!」
「そう…。魂を譲り渡すってことは、つまり買い戻すこともできるのよ。」
「じゃあ、美香さんも魂を買い戻せば人間に戻れるってことですか?」
僕の言葉に美香さんは悲し気に笑いながら首を振る。
「買い戻すには莫大なお金が必要なのよ。今の私の稼ぎだったら1000年ローンでやっと…って感じ。他の稼ぎがいい悪魔でも魂を買い戻せたなんて話聞いたことない。」
「じゃあ、香里さんはどうして?」
「噂だけど、大金持ちに見初められたらしいよ。それで、その人がポンっとそのお金を出してくれて、晴れて人間に戻れたんだってさ…。それこそ夢みたいな話だよね。」
美香さんが自嘲気味に唇を歪める。
何か寂しそうにも見える。
そんな姿を見せられると僕は何も声を掛けられない。
「あ~あ!私もちゃんとした恋愛して、結婚とかしたかったな~。まあ、もともと人間だった時もダメでクズな男にしか相手にされてなかったから、悪魔にならなかったとしても無理だったけどね!あっ、一郎もそうじゃん。色欲に振り回されてまともな恋愛できずに関係者ばっかり増やして、しかもうっかり悪魔なんかに色欲売っちゃったから、これから一生恋愛も結婚もできない。私達、仲間だ~。イェ~イ!」
「そうですね…。美香さんと僕は同じ業を背負った仲間なのかもしれないですね。」
不自然に明るさを装った口調でハイタッチを求めてきた美香さんに、僕が真面目な表情で答えると気まずくなったのか少し照れたように手を降ろした。
「いずれにしても…、関係者との話し合いはちゃんとするんだよ!じゃあ、紅羽さんとの話し合いの日程が決まったら教えてね。私も同席するから。また夜にね!」
梅が丘駅に着くと、町田にある直行先に向かう美香さんは下り線のホーム、僕は上り線のホームに別れた。
別れてから振り返ると、ちょうど階段を小走りに駆け上がる美香さんの背中が見えた。
◇
朝8時、いつもより早い時間に職場に着くと、誰もいなかった。窓際に座った紅羽さん以外は…。
「おはようございます。」
「ああ、おはよう。今日は早いのね。」
紅羽さんのデスクの前に立ち挨拶すると、彼女はPCのモニターから顔を上げて微笑んでくれた。
「…どうしたの?何か相談事?」
「はい。あの…ぜひ相談したいことがあるので、どこか夜にお時間取ってもらえないでしょうか?」
彼女は座り直すと両手を組んで頬杖をつき、上目遣いで僕を見上げて来た。
「気のせいかもしれないけど、最近、私を避けてなかった?それと何か関係あるの?」
「紹介したい方がいます。」
「その方は女性?」
「そうです。」
「ふぅ~ん…」
上目遣いで僕を見上げながら、彼女が出したため息のような声には、少しの哀愁と僕を責めるような色を感じた。
でも、僕はひるまず紅羽さんは真っ直ぐと見つめ返す。
「じゃあ、金曜日の20時、いつものホテルのバーラウンジ。」
「はいっ…よろしくお願いします。」
僕が頭を下げると、また「ふぅ~ん」というため息のような声が聞こえた。




