第20話 怪物の誕生(2)
土曜日の夕方、自宅マンションのカーテンの隙間から路上を覗くと、聡美さんがいつもの定位置、僕のマンションの向かいの公園のベンチに座っている姿が見えた。
「いっそ…聡美さんを部屋に呼び入れようか…。」
そうつぶやいてから慌てて首を振った。色欲に負けちゃだめだ。
今日は一日中家に籠っていたけど、溜まり切った色欲が今にもはちきれて頭が狂いそうだ。
もう一度、公園に目を遣ると、ちょうど聡美さんが僕のマンションの方を見上げていた。手を胸の前で組んでいて、一心に何かに祈っているようにも見える。
僕も人間だから心が痛む。
関係は結ばないにしても、部屋に上げてお茶くらい出してもいいかもしれない。
だけど、それもできない。僕のマンションの持ち主である千尋さんが他の女の人を部屋に入れることを厳禁しているのだ。
もちろん、普段はそんな千尋さんの言いつけはガン無視している。若葉さんがこの部屋に入ったことは数えきれないくらいあるし、綾乃さんに至っては合鍵を渡していた。
だけど、今日は土曜日。
もしかしたら千尋さんが突然訪ねてくるかもしれない。
もし聡美さんと部屋で鉢合わせたら修羅場になってしまう。
だから心を鬼にするしかないのだ。
ごめん、聡美さん。
ちなみに、僕は家主である千尋さんに家賃を払っていない。
タダでこの部屋に住んでいる。
それどころか水道光熱費も千尋さんが払ってくれている。家具も家電製品も、僕がお願いしたらすぐに買ってくれた。
でも、僕は何も引け目を感じていない。
だって、千尋さんが今みたいにお金持ちになれたのは僕のおかげだから…。
◇
大学2年生の夏、僕は千尋さんと渋谷の古びたラブホで、事後のまったりした時間を過ごしていた。
しかし、その気だるげな雰囲気は千尋さんの金切り声で破られた。
「あ~、ちくしょ~!!またブロックされた~。」
ベッドに仰向けになりながらスマホをいじっていた千尋さんが顔をしかめた。
「またですか…。マチアプを使った営業はなかなかうまくいかないですよね。」
「なんだよあのガキ!純真そうな見た目して『千尋さんのために友達にいっぱい声かけますとか』調子いいこと言ってたから先にご褒美あげたのに、結局ヤリ捨てかよ~!!」
千尋さんの仕事は、男性用化粧品を使ったマルチ商法の勧誘。
そして千尋さんの営業手法は、マッチングアプリを使った色恋営業だ。
千尋さんの言葉を借りれば、「私の色香で若い男たちをメロメロにして、私に忠実な奴隷を増して、強固な販売ネットワークを構築する」プランなのだそうだ。
ただ現実は厳しい。
別に千尋さんに魅力がないわけじゃない。26歳という年齢相応に美人だと思う。
だけど、千尋さんがマルチ商法のメインターゲットにしている僕と同世代の20歳前後。
僕らから見たら、千尋さんは恋愛対象にするにはだいぶ年上だ。
しかもなぜかファッションとか仕草を20歳くらいに寄せて無理に若く見せようとしている。
マチアプのプロフィールも20歳で登録しているくらいだ。
そんなイタイ姿が若い男たちをドン引きさせていることに気づかないのだろうか…。
「私、マルチの営業とか向いてないのかな…。」
千尋さんはベッドに仰向けになったまま、ため息をついた。
正直、僕も向いていないと思う。だから安易な言葉は掛けられない。
「そう言えば、千尋さんは何でこの仕事してるんですか?」
別に興味があったわけじゃない。
絡みづらい暗い話になりそうだったので話題を逸らしたかっただけだ。
「ええっ?そりゃあれよ、お金持ちになりたいのよ!」
「ああ、お互い貧乏ですもんね…。」
千尋さんの仕事は歩合制。
収入は千尋さんが開拓した子会員・孫会員の売上から得られるマージンだ。
千尋さんには子会員も孫会員もほとんどいないので収入はスズメの涙。
そのため、夜のアルバイトをしながら何とか糊口をしのいでいるらしい。
「絶対に金持ちになってやる。それで、あいつを見返してやるんだ…!」
千尋さんは、身を起こしてギリッと歯ぎしりをした。
「あいつって…誰のことですか?」
「小学校の頃、学校が一緒だった女子なんだけどさ…。なんて言うかすごく恵まれてて。親は開業医でお金持ち。勉強も運動もすごくできて見た目も可愛らしくて、性格も良くて友達もいっぱいいて先生にも好かれてた。マンガに出てくる主人公みたいな子。」
「なんか…すごくいい人みたいに聞こえますけど…。」
「ああ、いい人だったと思うよ。だけど、私は大嫌いだった!!」千尋さんは吐き捨てるようにつぶやいた。
「どうしてですか?」
「あいつが私を惨めにした。私が惨めだってことを気づかせた。」
千尋さんはまた歯を食いしばった。
虚空を見つめる眼にも憎悪の炎が宿っている。
「あいつさえいなければわからなかった。どこにでもある中途半端な田舎町で、私も友達も、みんなチェーン店で買ったダサい服着て公立の学校に通って、欲しい物を親におねだりしても誕生日やクリスマスまで我慢しなきゃいけない。そんな生活はずっと続いて、きっと地元の学校出て、地元で適当に就職して、地元で適当な人と結婚してって将来も見えてた。もし、あいつさえいなければ、そんなのみんな同じだし普通だってあきらめがついた。だけど、あいつだけは、お金持ちの家に生まれて、学校に高級ブランドの服とか着て来て、欲しい物は何でも買ってもらえて…。しかも勉強もできて、県外の名門私立中学校に入学して、将来はパパみたいなお医者さんになる?そんな神様に愛されたようなやつが側にいたら、自分は何なの?なんであの子だけあんなに恵まれてて、私はこんな惨めなの?何が違うの?って思っちゃう…。小学校の時はずっとその不公平が耐えがたかった。だから金持ちになって、同窓会とかであいつの鼻を明かしてやるんだ…。」
永年の鬱屈が溜まっていたのだろうか。
鬼のような形相になった千尋さんが吐き出した独白に、何を答えたらよいのかわからず、僕はただ茫然と立ち尽くすしかない。
「なんてね…。そんなこと思ってマルチ始めたけど、現実はうまくいかなくて…。やっぱりあの子は神様に愛されてて、私はそうじゃないのかな…。」
千尋さんは唇を歪め、自嘲的に笑うと、そのままベッドに寝転がり、うつ伏せに突っ伏した。
「あの…僕に何かできることありますか?僕が千尋さんの夢を叶えるために何かできるなら、何でもしますから。」僕はベッドの端に腰かけ、千尋さんの肩に手を置いた。
「何でもって…一郎は化粧品を買うお金もないし、化粧品を売ってくれそうな友達もいないじゃん。」
「まあ、そうなんですけどね…。すみません…。」
がっくりと肩を落としていると、千尋さんが顔を上げた。
少し口角が上がって微笑んでいるようにも見える。
「まっ、こうやってたまに私を抱いて、慰めてくれるからそれで十分だけどね。」千尋さんは身を起こし、僕の手に腕を絡めながら、いたずらっぽい目で僕を見つめた。
「一郎って、モテるでしょ?」
「いや、全然ですよ。同年代の子には見向きもされません。」
「それはそうかもね。一郎は、ステーキとかお寿司みたいなご馳走って感じじゃないもん。」
「なんですかそれ、ハハッ…。」
笑いながら千尋さんを抱きしめた。千尋さんの唇が耳元に当たる。
「一郎はね~、なんかお母さんのお茶漬けとかお味噌汁とか、そんな感じかな。疲れてる時に、ほっとさせてくれるっていうか。だから若い子には魅力がわからないんだよ。きっと、君よりも5から10歳くらい年上で、これまで何か一つのことに打ち込んで、恋愛とか二の次だったけど、ふとこのままずっと一人なのか、寂しいなって思っちゃった女性にすごくモテると思うよ。」
「そんな人、千尋さん以外にいるんですか?ハハッ…。」
「それが私と同年代には結構いるのよ…フフッ…。」
そのまま千尋さんと唇を重ねて、それから首元にもキスをしていたとき、千尋さんが「そうだっ!」と言って、唐突に僕の体を押して、身を離した。
何か気分を損ねたのかと心配になって、千尋さんの顔を見ると、彼女は大きく目を見開いていた。
「いったいどうしたんですか?」
「何で気づかなかったんだろ。一郎に色恋営業をしてもらえばいいんだ!!」
「どういうことです…?」
ベッドの上でそのつぶやきを発したその日から、千尋さんは営業スタイルを一変させた。
まず、取扱商品を若い男性向けの化粧品から、美容に効果のあるという触れ込みのミネラルウォーターに変えた。
そして、ターゲットを20代後半から30代の女性に絞り、千尋さんがヨガとか美容をテーマにした無料セミナーを開いて彼女たちを集客する。
そして、僕はセミナーに参加者のふりをして混じり、千尋さんが参加者情報を元に選び出した僕を好きになりそうな女性にさりげなく近づき、口説く。そして首尾よく関係者にすることができたら、商品の購入や友達への販売をお願いする。
このマーケティング手法は大当たりだった。
千尋さんが言う通り、僕は特定の層の女性からは異常なほどモテた。
千尋さんが選んだ僕を好きになりそうな年上女性たちは面白いくらい簡単に僕の関係者になったし、関係者となった彼女たちは、僕がお願いしたら商品を買ってくれた。
特にC級以上になった関係者たちは、僕のために積極的に友達をマルチに誘ってくれた。
結果、僕の関係者を幹部とし、千尋さんを頂点とした強固なネットワーク販売網が構築され、千尋さんの下には莫大なマージンが継続的に入ってくるようになった。
僕は僕で、関係者をいくらでも見つけられる場所が手に入り、いつでも関係を結べる関係者も増えたので欲求不満に悩まされることもなくなった。
こうして千尋さんは望み通りお金を得て、僕は色欲を充たすという今日まで続くWin-Winの関係ができたのだ。




