第18話 我慢の限界
「山口くんも、もう4年目か~。仕事ぶりも堅実だし、来年はエキスパートへの昇格を狙ってもいいかもね。」
「はい…ありがとうございます。」
金曜日、僕は、会社の会議室で上司である紅羽さんから、四半期ごとのワン・トゥ・ワン面談を受けていた。
職場の誰にも言えないけど、紅羽さんも僕の関係者だ。
しかも週2回以上のS級。
だけど半月前に美香さんに色欲を売り渡してからは、色々と理由を付けてお誘いを断っている。
だから面談とはいえ、紅羽さんと二人で話すことは気まずくて、さっきから目を合わせられず満足に受け答えもできない。
しかもそれだけじゃない。今日はずっと内なる衝動とも戦っている。
「じゃあ、最後に、会社とか上司への要望とか何かある?」
「いえ、特にありません。」
「ふう~ん…。」
紅羽さんは疑問とも憂いとも判断のつかない悩ましげな吐息をつき、そして脚を組み替えた。
「じゃあ、質問を変えるわね。紅羽に対するお願いは何かある?」
紅羽さんは、急に甘えるような口調になり、僕に対して挑むような視線を向けた。
「いえ…特には…。」
僕が思わず目を逸らすと、紅羽さんは手を伸ばして、机の上に置いた僕の人差し指と中指に軽く手をのせた。
「例えば、今日の夜だったら21時以降ならゆっくり話を聞けるけど…。」
「すみません…。田舎の両親が来ることになっていまして…。」
「ふう~ん…。」
また紅羽さんの吐息だ。何とも言えない色っぽさがあって、思わず誘惑に負けそうなってしまう。
それでなくとも紅羽さんのことは大好きだったのだ。
だけど…。
僕は美香さんの顔を思い浮かべ、口の中でグッと舌を噛んだ。
「また…今度よろしくお願いします。」
「わかったわ。じゃあ、山口くんの面談はこれで終わり。次は高梨さんを呼んできてくれるかしら。」
「はい…。」
僕はほっと息を付き、会議室の扉を開けた。
背中に紅羽さんの視線を強く感じるけど振り返っちゃだめだ。
振り向いたが最後、後戻りできなくなってしまう気がする。
「高梨さ~ん。次、面談お願いします。」
「は~い。」
高梨さんに声を掛け、自分の席に座ると、僕は安堵のため息をついた。
何とか耐え切った。
しかし、色欲が溜まっている状態で自我を保つのがこんなに大変だなんて、美香さんと出会う前はまったく自覚してなかった…。
実はここ数日、僕は美香さんに色欲を吸い取ってもらえず、溜まりに溜まった欲に我を失いそうになるのを必死でこらえている。
この耐えがたい苦痛との戦いは、水曜日にカフェで美香さんとフルーツタルトを食べた後の帰り道、二人で銀座から乗りこんだ日比谷線の車内から始まった。
◇
「そういえば、言ってなかったかもしれないけど明日から出張だから。日曜日まで。京都でワルプルギスがあるのよ。」
「えっ?それも悪魔とか魔女たちの祝宴ですよね!いよいよ美香さんもパーティーデーモンの仲間入りですか?」
意外な話に目を丸くする僕に、美香さんは笑顔で手を振った。
「違う違う!偉い悪魔が参加するから、私みたいな下っ端悪魔が準備とか下働きをさせられるの。それで土曜日までつぶれちゃうなんてひどいよね~。でも、京都は中学、高校時代を過ごした思い出の場所だし、プライベートであちこちまわりたいから、延泊して日曜まで向こうにいるつもり。だから、次に会えるのは来週の月曜日だね。」
「へぇ~、京都の高校だったんですね。てっきり岡山の高校に通ってたとばかり思ってました。じゃあ楽しんできてくださいね…って待ってください。その間、僕の色欲はどうしたらいいんですか?4日間も吸い取ってもらえないと、その間、理性を保てるか自信がないんですけど…。」
美香さんと契約してから半月あまり。
その間、毎日、しかも日によっては朝晩の2回、僕の色欲を吸い取ってもらっている。
そのおかげで、僕は性欲に振り回されることなく理性的な判断ができるようになり、関係者からの誘惑を断り、しかも3名の関係者と話し合って関係を清算することにも成功した。
ここまでうまく行っているのに、4日間も色欲を放置されたら僕はどうなってしまうのか…。
元の木阿弥で、関係者の誘惑に負けてしまわないだろうか。
好きでもない誰かと無責任で放埓な性的関係を結んで、関係者を増やすことにならないだろうか…。
しかし、そんな僕の不安な気持ちが理解できなかったのか、美香さんは僕の言葉を一笑に付した。
「な~に言ってんのよ。たったの4日間くらい我慢できるでしょ。それにほら、最近の一郎は落ち着いた感じで、関係者さんとの話し合いも冷静にできてたし、多少色欲が溜まったくらいで変なことにはならないでしょ。あっ、これを機にちょっと遊ぼうなんてだめだからね。私には一郎の色欲を独占的かつ排他的に受け取る権利があるんだから。まとめて来週の月曜日の朝に受け取るから、しっかり溜めといてね!!」
「はい…わかりました…。」
ちょうど地下鉄が六本木駅に着くと、まだ不安そうな僕を尻目に、美香さんは「仕事に戻らないと。じゃあ来週の月曜日ね。お土産買ってくるから。誕プレ、ありがとね!」と言って、車内に僕を残して降りて行った。
それから今日まで美香さんとは会っていない。
もちろん色欲も溜まりっぱなしだ。
◇
「なんか腹が立ってきた!!なんだあいつ!毎日色欲を吸い取ってくれるって約束したのに!!」
性欲が溜まってきて発散できない日が続くと、だんだんとイライラと気が立ってくる。
そんな時、性格が乱暴になって粗暴に振る舞ってしまうことは自分でも自覚している。
それでも仕事中は何とか平静を装えたけど、定時に退社しオフィスを出た瞬間に我慢の限界がきて感情が爆発してしまった。
「あ~、もう!!そもそも向こうが先に約束を破ったんだから、こっちだって少しくらい遊んだっていいだろ!!」
ビルを出て六本木駅の方に向かう通路を見ると、金曜日の夜らしく、キレイに着飾った女性がたくさん歩いている。
そんな彼女たちを見ていると、欲求がどうにも抑えきれなくなった。
「いまさら若葉さんや麻梨香さんに連絡は取れないけど…、D級かE級の関係者で誰か六本木あたりで捕まりそうな人は…。」
スマホを取り出し、LINEに登録された関係者をチェックする。
無責任な僕に怒り、ブロックされてしまった関係者も多いけど、中には今でもたまに未練がましいメッセを送ってくる関係者もいる。この中から誰か適当な相手を…。
画面をスクロールしていると、ふと美香さんのIDが目に入った。いつの間にかメッセージが来ている。
『仕事大変だよ~。でも一郎も頑張ってるし、私も頑張るね!!』
「しょうがないな…。」
そのメッセージを書いていた美香さんの姿を想像したら、なんか急に気持ちがスンとなった。
さっきまで耐えがたかった欲求も少し収まった気がする。
軽く口元を緩めた僕は、適当なスタンプを押すと、スマホをポケットにしまって乃木坂駅の方に向かった。
ここで美香さんの信頼を失うわけにはいかない。美香さんが月曜日に帰ってくるまで我慢だ。僕はそう決意を新たにした。
◇
乃木坂駅から満員電車に揺られ1時間弱、自宅の最寄り駅に着くと、また悶々とした気持ちが湧いてきた。
気を紛らわすために、どっかで一杯飲んで帰ろうかとも思ったけど、また虎太郎、虎次郎兄弟に見つかるかもしれない。
今日は大人しく帰ろう。
あっ、そうだ。食料を買い込んで土日は家に籠ろう。
そうすれば女性も目に入らないし、性欲に振り回されて変な過ちを犯すこともないはずだ。
しかし、関係者との関係を我慢して、もう半月近くになる。
美香さんの力があるとはいえ、これは僕にとって凄いことだ。
さっき電車の中で、先月、関係者達とどれだけ関係したのか数えてみた。
紅羽さん8回、若葉さん4回、麻梨香さん3回、千尋さん3回、綾乃さん2回…それからE級関係者がのべ5回。
実に25回!先月は9月だから30日しかなかったのに!!
僕はいつからこんな感じになっちゃったんだろう?
思春期までは普通だった。
中学に上がったばかりの頃、世界的に有名なスポーツ選手に1ダース以上の愛人がいることが暴露されたニュースを見て「何考えてんだ、この人」なんて思ったことを覚えている。まさか自分が同じ境遇になるなんて思いもしなかった。
思春期に入ってからは、性欲が強いことは自覚していたけど、それでもちゃんと恋愛しようとしていた時期はあった。
その頃は、当然、相手は1人だけ…たまに同時に2人とかあったけど、せいぜいそれくらいだった。
少なくとも今みたいに、色欲のコントロールができなくなって関係者がどんどん増えていったなんてことはない。
関係者が増えたきっかけは何だったか…。
ああ、あれだ!
千尋さんと出会ってからだ。
あれから爆発的に関係者が増えて、今みたいに収拾がつかなくなったんだった。
千尋さんと出会ったのはもう6年前、大学2年生の春だったか…。




