第17話 彼女が悪魔になった理由
綾乃さんの姿が見えなくなった後、美香さんの興奮が落ち着くのを待って、僕たちもティーラウンジを出た。
周囲のテーブルのお客さん、そしてスタッフさんの白い眼が背中に突き刺さって痛い。もうここ出禁かな。
しかも隣を歩く美香さんは、興奮こそ収まっているものの、まだ眉をひそめて唇を噛み、明らかに不機嫌な様子だ。
「そうだ、美香さん。まだ時間ありますか?」
「仕事に戻らなきゃいけないけど、少しだったら…。何か話があるの?」
「まあ、そんなとこです。たまに行くおいしいタルトを出すカフェが、すぐそこにあるので行きましょう。」
僕は仏頂面の美香さんを半ば強引に引っ張るようにして、銀座一丁目にあるフルーツケーキやタルトで有名なカフェに連れて行った。
「僕は洋梨のタルトとコーヒーにしますけど、美香さんは?」
「イチジクのタルトと紅茶…。」
カフェに入っても美香さんは憮然としたまま。
このままじゃいけない。手早く注文を済ませると、居住まいを正し、二人掛けテーブルの向かいにいる美香さんを真っすぐ見つめた。
「今日は付いて来てくれてありがとうございました。おかげで無事に綾乃さんとの関係も清算できました。」
「そりゃよかったわね…。」
美香さんは頬杖をつき、何か考え込んでいる。
「やっぱり気になりますか?綾乃さんが旦那さんの大欲を売ってたことが…。」
「別に…。」
「美香さんは悪魔らしくないですよね。大欲を買い取るのが仕事なのに、せっかくの新しい契約を取れるチャンスを逃して。」
「あんな汚れた契約なんかいらないし…。」
「もしかして、過去に何かあったんですか?大欲を買い取った相手が不幸になったとか…。」
「前に言ったじゃん。君の色欲を買い取ったのが初めての契約だって。ただ、あんな風に自分を好きって言ってくれる相手を利用して、死なせても平気な顔をしているのが人として許せないだけ…。」
「美香さんは人じゃなくて悪魔じゃないですか。」
「ハハッ…。そうだった…。」美香さんは力なく笑った。
「もしかして、美香さんが悪魔になったことと関係あるんですか?」
「っつ……!!」
美香さんは軽く舌打ちすると、そのまま顔を背けて黙り込んでしまった。
もしかしたら思ったよりも重いトラウマを抱えているのかもしれない。
色々聞いてみたかったけど、ちょうどタルトが運ばれてきたので、まずはデザートを楽しむことにする。
ここのタルトは一切れが大きいし、フルーツがふんだんに使われていて思わず笑顔になってしまう。
初めて連れて来てもらった時には、頬が緩んでるわよって紅羽さんに笑われたっけ…。
そんなことを思いながらタルトを一切れ口に運び、向かいの席に目を遣ると、ちょうど美香さんも口角を上げてニンマリしながら手を頬に当てていた。
僕と目が合うと、慌てて険しい表情に戻そうとしていたけど、頬の緩みが止められていない。
「ごめん…、さっきは私だけ興奮しちゃって…。」
美香さんは、バツが悪そうに肩をすくめている。
僕は何も言わず、ただ微笑み返す。
「実は…私も似たような経験をしてて、とても他人事とは思えなかったんだ。」
僕は何も言わず、視線だけで相槌を打つ。美香さんは、ナイフとフォークを置き、小さく息を吐いた。
「私もいたんだ。すごく好きだった人が。彼は、私が定職にも付かず、ガールズバーとかのアルバイトで食いつないでいたどん底だった時期に、私のことを好きだって言って優しくしてくれて…。私ももちろん彼のことが好きだった。」
ガールズバーで働いてたんだ。こんなうぶでお堅い感じでちゃんと働けてたのかな?逆にギャップで人気があったのかもな…と内心では思いながらも、そんなことはおくびにも出さず、柔らかい笑顔を意識しながら軽くうなずく。
「そんなある日、彼に結構な額な借金があることがわかった。それで、彼は私に何とかしてくれって泣きついて来て。その時、私は彼のことが大好きで、何でもしてあげられるって思ってたから、その借金も私が返すって約束しちゃって…。」
「さっきの綾乃さんの2番目の旦那さんみたいだ。」
「そう…。それで私がちょっとずつ返そうと思ったけど、ガールズバーのバイトじゃ利息も返せなかった。それで彼が風俗で働けって言ってきて…。でも私はそれだけはできなくて…。そしたら飲み屋で知り合ったっていう悪魔を連れて来て、私の7つの大欲を全部この悪魔に売れって言い出して…。」
「えっ?そんなことしたら…。」
「そう。間違いなく死んでたと思う。でも、当時の私はそんなこと知らなくて、彼のためになるなら全部渡しますって、その悪魔に宣言しちゃった…。」
「それで、一回亡くなって、悪魔として生まれ変わったの?」
彼女は何かを思い出すように目を閉じて、それから首を横に振った。
「その悪魔がすごくいい人で、『頭を冷やしなさい、そんなことしたら死ぬか廃人になるわよ』って優しく諭してくれて…。それで私、冷静になって考えたら、彼に利用されているだけだってことがだんだん見えてきて、一気に冷めちゃって…。」
「それで大欲を売ることを止めて、彼とも別れたんだ。」
「そんな簡単じゃなかった。実は彼は半グレ組織の一員で、大欲を売らないんだったら、私を拉致してクスリ漬けにして、それから風俗に沈めるって脅してきて…。それで、必死で逃げ出して、それでもすぐに見つけられては折檻されるってのを繰り返して…。何回目かの時にその悪魔さんの所に駆け込んで相談したら、悪魔さんが彼と話を付けてくれたんだ。私の大欲は買えないけど、悪魔にするために私自身を買い取ってあげるって。彼は大喜びで私を売った…。それで悪魔になった。」
「ひどい…。じゃあ美香さんは、彼に売られて無理やり悪魔にされたんだ。」
「ううん。私は悪魔になることに納得してたよ。その悪魔さんが言うには、悪魔になれば半グレの彼氏が脅してきても組織が守ってくれるし、悪魔の会社で働けば給料ももらえるって。確かに給料はもらえて人並みの生活はできるようになったし、彼の影に怯えることもなくなった…。」
諦観したかのように微笑む美香さんの顔を見ながら僕は絶句するしかなかった。悪魔になんてなるからには、相当の理由があるだろうとは思っていたけど、そこまでとは…。
「ごめんね。話したら落ち着いてきた。会ったこともない綾乃さんの旦那さんたちに、こんなにも感情移入するなんておかしいよね。でも、私もそうなってたかもしれないって思うと、とても他人事だと思えなくて…。」
彼女の目の端に何かが光った。
一度も会ったことのない綾乃さんの前の旦那さんたちのために泣くことができるなんて、なんて優しい人なんだろう。
「ごめんね~、湿っぽい話して。さあ、食べよ食べよ!このタルト美味しいよね~。」
気丈に振る舞う彼女の姿を見て僕も思わずもらい泣きしそうになったけど、ぐっとこらえた。
そしてカバンから紙袋を取り出した。
「あの…こんな空気の時に申し訳ないですけど、これ…プレゼントです。今日は、美香さんの誕生日ですよね。日曜日にはプレゼント用意できなかったから…。」
「えっ、あれっ?えっ、本当に?」
美香さんは戸惑いを見せ躊躇していたけど、それでも僕が差し出した鳩居堂の紙袋を受け取ってくれた。
「うそっ…誕生日プレゼントもらうなんて…、いつぶり?高校生の頃以来かも…開けていい?」
「もちろんです。」
美香さんは包装紙のテープをゆっくりと丁寧にはがし箱を開け、そして目を丸くした。
「ペン?ボールペン?」
「はい…。色気のないプレゼントで申し訳ないですけど、美香さんがもっとたくさん契約を取れるように願いを込めて選びました…。」
「ぐっ…。」
また美香さんがおし黙ってしまった。もしかしたらプレゼント選びに失敗したか。
確かにもっと仕事を頑張れって意味に受け取られてプレッシャーかけちゃったかも。
「ごめんなさい。気に入らなければ別のものと取り換えてきますから。」
僕が箱に手を伸ばそうとすると、彼女は箱を高く持ち上げた。
「ダメッ!!一郎が初めてくれたプレゼントなんだから。一生大事にする。」
彼女の目からは、また涙がこぼれたけど、今度の涙は間違いなくさっきとは違う。
だって美香さんが泣きながら魅力的な笑顔を見せてくれていたから。




